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永き誓い・第二十話




「お久しぶりです。シャナン王子。お元気そうでなによりです。私は……このとおりですが……」
 四年ぶりに出会ったオーヴァを見て、シャナンは少なからず驚いた。すっかり、老いてしまっていたのだ。無論、かつて会った時、すでにかなりの高齢であり、平均的なイザーク人の寿命を考えれば、オーヴァは相当長生きの部類に入る。それを考えれば、むしろまだ元気な方に入るだろう。
 だが、オーヴァがなぜ、危険を承知で街に来たのかの理由の一つは、察することができた。
「さすがに、あの山奥は辛かったか」
 オーヴァは「はい」といって苦笑いをする。
「いつまでも若いつもりでおりましても、限界というものはあるものです。幸い、ソファラの領主となったヨハルヴァは、まだ若いながらも、能くこの街を治めております。王子も、この街には活気があるとお感じになったでしょう」
 シャナンは無言で頷く。
 かつていたキエの街より、ずっと活気がある。また、窮屈な感じがしない。かつて住んでいたキエの街も、ドズルの直接支配を受けていなかったから、それなりに解放的な雰囲気を持った街だったが、ここはそれ以上に解放的な気がする。
「それより聞きたいのは、なぜ我らがここに来るのが分かったのだ? 私は何の連絡も入れていなかったはずだが」
 オーヴァは少し不思議そうな顔になる。
「はて……? 一月ほど前に、緑の髪の詩人がいらして、王子がいらっしゃることを伝えてきましたが……」
 緑の髪の詩人。そんな人物で思い当たるのは、一人しかいない。
「レヴィン王……」
 シャナンは驚きを隠せなかった。
 ここに来ることを決めたのは、確かにかなり前だ。春になって、旅ができるようになったら、とは考えていた。そして、レヴィンがティルナノグに来たのは、半月ほど前だ。ティルナノグに来る前にソファラに立ち寄ったとしたら、時間的には合う。
 ただ、その時レヴィンは、シャナン達がソファラに向かうことなど知らなかったはずである。
 それに、どうやって雪の中をティルナノグまで来たのかは謎だったが、訊ねてもレヴィンは、「この程度の雪、シレジアじゃ珍しくないからな」といって答えをはぐらかしていた。
 確かに、シレジアの大雪は、イザーク以上ではある。だが、それと旅ができるかどうかは、あまり関係はないような気がするのだが。
「正直、信用もできませんでしたし、ましてなぜ、王子のことをご存知なのか、も答えて下さらなかった。言うことを言うと、あっという間に立ち去られて……それで、とりあえず王子が本当に来るかどうか、ここ数日見張っておったのです」
 シャナンはその説明で納得した。どうやってレヴィンが、シャナン達がソファラに行こうとしていることを知ったのかは分からないが、本人がいないのでは分かろうはずもない。ただそれで、レヴィンはあらかじめ伝言しておいてくれたというわけだ。確かに、それがなければシャナン達はオーヴァのいない村を訪ねることになっていただろう。
「しかし、王子もご立派になられた。まるで、マリクル様を見ておるようじゃ」
「私は残念ながら、父上を良く覚えてはいないのだがな」
 シャナンは苦笑する。顔などは、ぼんやり覚えてはいるが、形にならないのだ。
「スカサハとラクチェも、さぞ大きくなったのじゃろうな。前は、まだ子供だったからのう」
 その表情は、以前と同じ、曾孫を愛しむ、曾祖父の顔であった。だが、シャナンはその四年前の回想は辛い。あの時一緒にいたもう一人が、今はすでにこの世にいないのだから。
(未練、だな)
 死んだ人間が帰ってくることはない。そして自分は、これまでに非業の死を遂げてまで自分達を生き延びさせてくれた人達のためにも、精一杯生きなければならないのだ。
「オーヴァ。今回来たのは、何も昔話を聞くためじゃない。もはや、オーヴァしか使い手のいない……」
「分かっております。イザーク第二の秘剣、月光剣のことでしょう。ただ……」
 言われなくても分かっている。オーヴァが今、剣を握れるとは到底思えない。こんなことなら四年前に教えておいてもらえば良かった、と思ったが、あの時はまだ戦うかどうかすら決めていなかったのだ。
「王子。イザークの秘剣は、決して実践でのみ会得されるものではありません。王子ならお分かりのはず」
 オーヴァは静かに深呼吸すると、まるで巫者のような口調で語り始めた。
「全ては同一の存在。同じ存在の間において、妨げるものは何もなし。ただ異なるは、宿りし力のゆえなり。共にあれ。彼我の違いは見えるほどにはない。さすれば汝を妨げる全ては、汝の全てを受け入れ、そしてその全ては互いに互いたらんとする」
 言い終えたオーヴァは、ふう、と一息ついて、シャナンに向き直る。
「これが、ソファラに伝えられし月光剣の全てです。本来、オードの秘剣は、全て口伝で伝えることを可能としていると云われています。王子ならば、これで月光剣の力を理解できるはずです」
 シャナンは目を閉じて、静かに先ほどのオーヴァの言葉を反芻した。周囲が、シャナンの集中を乱すまいと、静まり返る。
 その中で、シャナンは確かに見た。青い、小さな輝きを。
「わかった、オーヴァ。あとは私から、彼らに教えるとしよう。……その前に、見つかるのだろうか、あの二人」
 そのことではちょっと不安になる。実際、これだけ大きな街だと、彼ら二人を探すなど容易ではない。しかもソファラでは、彼らの外見はまったく目立つものではないのだ。
「こればかりは。アイラ様の幼少の頃に似て、好奇心が旺盛でいらっしゃるから」
 オーヴァは、年を感じさせない大きな声で笑った。

「ヨハルヴァ……って、あのキエの街で会ったあのヨハルヴァ?」
 信じられない、という表情でラクチェが確認すると、ヨハルヴァは頷いた。
「やっぱりラクチェか。すげえ久しぶりだよな。でも、よく覚えていてくれたな」
 忘れるも何も、とラクチェは言いそうになった。
 もちろんあの後、ラクチェはヨハルヴァの正体を知ったのである。ドズル国王ダナンの三男であり、現在はこのソファラの領主。
 だが、だとすればソファラ城にいるはずではないのか。
「あー、さすがに俺のことは分かるのか。でもま、城は退屈でさ」
 気持ちは分かる。実際、自分も城に押し込められたら嫌になるだろう。
「ヨハルヴァ。この可愛らしいお嬢さんは、お前の知り合いか?」
 突然、ヨハルヴァの後ろにいたもう一人の男が、話しかけてきた。年は少し上に見えなくもないが、そう変わるとも思えない。ただ少し、気障な感じがラクチェの鼻に付いた。嫌味ではないのだが、ラクチェはあまりそういうのが好きではない。
「おう。結構前……3年前かな。俺達がそれぞれ赴任するときに、途中の街で会ったんだ。それだけ……だけどよ」
「そうか。お前もすみに置けんな。こんなお嬢さんとお知り合いだったとは」
 男はそういうと、やや大仰にラクチェに対して挨拶をした。
「はじめまして。私はヨハルヴァの兄でヨハンといいます。以後、お見知りおきを」
 あまり好きになれない所作ではあるが、自然にできているので、やはりそれほど嫌味ではない。
 ただ、その名前はもちろんわかる。ドズルの第二王子にして、イザークの領主でもあるヨハンの名は、もちろん知っていた。
 その彼がどうしてこんなところにいるのか――城にいるならわかるが――、と思ったが、大方弟に付き合って城を抜け出してきた、というところか。
 雰囲気はだいぶ違うが、本質的なところでは同じなのかもしれない。
「で、そっちの兄ちゃんは……ラクチェの……恋人か?」
 ラクチェは思わず吹き出した。「兄ちゃん」といわれてしまったスカサハは完全に脱力している。
「ち、違うわよ。私の双子の兄のスカサハ。まったく、なんでそんな風に思うんだか……」
 そう言いながらも笑いが止まらない。あまり笑い続けていたので、後ろからスカサハに小突かれた。
「痛いな〜。何するのよ」
「気を許し過ぎだ。相手は、ドズル家の人間だぞ」
 スカサハはギリギリまで声を窄めていた。そのことを忘れかけていたラクチェは、はっとなって、緊張を取り戻す。
 だがそれでも、目の前の二人が敵だとは思えなかった。もっとも、それはスカサハも同じようで、半ば困惑したような表情を――他の人には全く分からないだろうが――浮かべている。
 実際、ドズル家が敵である、ということは分かっている。少なくとも、彼らがいなければフェイアは死なずにすんだはずだし、ミデェールも生きていたはずだ。だから『ドズル家』は憎い。だがそれと、目の前にいる二人が同一であるという認識は持てなかった。知識として分かっていても、現実に目の前にいるドズル家の人間は、自分らと何ら変わることのない、同世代の少年なのだ。
「どうしたんだ?ラクチェ。……っと。スカサハだっけ? よろしく」
 ヨハルヴァが無防備に手を差し出してくる。実際、この場でこの二人を殺すことはできるだろう。スカサハもラクチェも、すでに十分な剣技を身に付けている。これほど相手が無警戒であるのであれば、剣を一閃させるだけで殺せる。憎い、ドズル家の王子を。
「……スカサハだ。よろしく」
 結局スカサハは剣に手をかけなかった。ドズル家の王子を殺す、という誘惑がなかったとは言わない。けれど、目の前のこの王子を殺したところで、ミデェールやフェイアが生き返るわけではない。
 それ以上に、彼が敵であるとは、どうしても思えなかったのである。
「私はヨハン。ヨハルヴァの兄だ。よろしく、スカサハ君」
 気障な物言いは変わらない。だが、あまりにも本人に馴染んでいる。
「ところで……」
 ヨハルヴァが何か言いかけたところで、ヨハンがヨハルヴァの袖を引っ張り、それとなくある方向を指した。自然、ラクチェとスカサハもそっちの方を見てしまう。けど、スカサハ達には、街のごく普通の光景にしか見えない。せいぜい、兵士がいるのが気になるくらいだ。
「あ〜、ちょっと移動しないか? せっかく会ったんだ。ここで立ち話もなんだしな」
 言うが早いか、ヨハルヴァはラクチェの右手を取って引っ張った。ほぼ同時に、ヨハンがラクチェの左手を取る。
「ちょ、ちょっとあなた達」
 一瞬スカサハはどうするか迷ったが、少なくとも今、彼らがラクチェに危害を加えるとは思えなかった。だから、彼も後からついていったのである。
 ラクチェの抗議は、無視された。

 彼らは、細い路地を通って、二人を――といっても引っ張られているのは一人だが――連れ回し、ソファラの街中の、緑が多く残されている、公園のようなところに来た。実は、あちこち道を曲がっていたのは、城からの兵士を撒くためのものだったのだが、さすがにスカサハもラクチェも、そこまでは分からない。
「ふう。ここならゆっくりできるぜ。すまねえな。あちこち連れまわしたりして」
「まったくよ」
 ラクチェの言葉は容赦ない。けど、本当に怒っているわけでは、もちろんなかった。
「しかし本当に久しぶりだぜ。可愛くなったなあ、ラクチェ」
 思いもかけない言葉を言われて、ラクチェは一瞬凍り付いていた。考えてみれば、さっきもヨハンが同じようなことを言ったのだが、彼の場合飾られた言葉の一部だったので、あまり考えなかったのだ。
 ラクチェは、可愛い、などと言われたことは今までにない。無論、オイフェやシャナンは可愛いといってくれることがあるが、その場合の意味とは、間違いなく今は違う。どちらかというと、そういう形容はラナのような少女に似合うものだ。
 エーディンの娘であるラナは、蜂蜜色の柔らかい金髪の持ち主で、母と同じくシスターとしての道を歩んでいた。誰からも好かれる明るい娘で、また、子供達の世話もよくしてくれるし、とても優しい。何より、とても可愛らしい娘だ。ラクチェももちろん、彼女のことが好きである。ちなみに当のラナはというと、どうやらセリスが好きらしい。気付いたのは同性ゆえだ。これはまだ、スカサハにも話していない。
 どちらにしても、自分に「可愛い」という形容が似合うとは、到底思えない。
「……あのね。何見て言ってるの? あなた達」
「ラクチェだけど?」
 ドズルの兄弟の声が、見事に重なった。スカサハは横でなんとか笑いを堪えている。そのスカサハをラクチェは睨んだが、それに気付いたスカサハの方は、素早く視線を逸らしてトボけた振りをしていた。
「そういえば、ラクチェ、今もキエの街に住んでいるのか?」
「え? いや、違うけど……」
 言いかけて、しまった、と思った。彼らにティルナノグのことを言うわけにはいかないのである。だが、こう答えてしまった以上、当然次の質問は決まっている。
「そうなのか。じゃあ今はどこに住んでいるんだ?」
 嘘でもいいから、キエに今もいる、と言えばよかった。だが、もう間に合わない。
「あ、いや、その……」
「今はガネーシャの近くに住んでいるんだ。ここには、親戚に会いに来たんだ」
 代わりに答えたのはスカサハだった。ラクチェは、一瞬驚いたが、とりあえずボロを出さずにすんだので一安心する。
「そうなのか。……まあ色々あったのか」
 その言葉には、字面以上に複雑な思いが込められているようにスカサハには感じられた。
 多分、彼も知っているのだろう。子供狩りのことを。スカサハやラクチェの年代の子は、孤児院に入っている子が多い。そして、今この地で行われている子供狩りは、孤児院を狙ったものばかりなのだ。
「ガネーシャの辺りは安全か? なんだったら……」
「イザークへ来るといい!!」
 まるで演説でもするように、ヨハンが高々と宣言した。
「実は私はイザークの領主という大役を務めているんだ。私の治めるイザークなら安全に過ごすことができる。さあ、ぜひイザークに来たまえ。そして行く行くは……」
「きたねえぞ、兄貴。それは俺が……」
「何を言う。こういうのは先に言った方に決まりというのが天地開闢以来の法則なのだ」
「なに分けの分かんねえこと言ってやがる!! 大体、ラクチェとは俺が先に……」
「止めなさい!!」
 あわや、つかみ合いになりそうになっていた兄弟喧嘩は、ラクチェの一喝で未発に終わった。二人の兄弟は、そのままの格好で凍り付いている。
「私は、イザークにもソファラにも行かないわよ。今住んでいるところが気に入っているんだから」
「だ、だが君は……」
 ヨハンが心配そうに口を開く。確かに、ガネーシャの近くにいる、というのは彼らを不安にする要因だろう。ガネーシャの領主であるハロルド将軍は、その冷徹さにおいても知られ、子供狩りにも容赦がないといわれている。ラクチェたちはすでに子供狩りの対象年齢外ではあるが、だからといって安全であるという保証はない。
「心配してくれてありがとう。でも、私は大丈夫。このとおり……」
 ラクチェは腰に佩いた剣を指差す。レヴィンがどこからか持ってきてくれた、母の形見である勇者の剣だ。
「剣も使えるから。だから、心配してくれるのであれば、私よりむしろ、その他の人達を……」
 ここまで言ってから、ラクチェは自分があまりにも危険なことを口走っているのに気がついた。
 彼らは、たとえ個人がどう思っていようとも、子供狩りを行う、ドズル家の人間なのだ。その彼らに対して、子供狩りが行われそうになったら、剣で対抗する、と宣言してしまったのである。スカサハもそのことに気が付いていて、すでに長剣に手がかかっていた。いざとなれば、この場で彼らを、という覚悟である。
「そうだな。俺も子供狩りなんて気に食わねえんだ。まあ親父からは何も言っては来ないけど、そのうち何言い出すやら。でも俺は子供狩りなんて、やる気しねえから、安心しろよ、ラクチェ」
 まったく予想していなかったヨハルヴァの答えに、ラクチェとスカサハは驚くを通り越して呆気にとられてしまった。
「私もだ。大体、教団に連れていかれてしまう子供達の中に、将来偉大な業績を修める子がいたらどうするというのだ。この私のように」
 その言葉に呆れたように、ヨハルヴァが、ジト目で兄を見る。
「兄貴……兄貴が一体、何したんだ?」
「私の偉大な才能を、お前は知らないというのか?」
「兄貴のへっぽこな詩のことか? ありゃあ偉大って言うより……」
 そこで、我慢ができなくなって、ラクチェは吹き出した。スカサハも、今度は大口を開けて笑っている。ヨハンとヨハルヴァには、さっぱり分からない理由で、二人は心の底から笑っていた。

「明日、もう一度ここに来てくれないか?その時、私の偉大な才能をお見せしよう」
「兄貴のは人を脱力させるだけだろ!! ……でも、明日も来るか?」
 返答に迷ったラクチェとスカサハは、結局首を縦に振った。オーヴぁがこの街にいると聞いたので、少なくとも、数日はこの街に滞在するはずだし、この二人は色々な意味で面白い、と思ったのだ。
「私はあまり賛成はしませんが……」
 といったのは、迎えに来たオーヴァの使いである。ただ、その彼も、それほど強く反対している様子はない。
「それじゃ、また明日な〜」
 そのヨハルヴァの大声を聞きつけた兵士が、ここで二王子を捕まえたのは、その少し後である。

「シャナン様は、もうオーヴァ様の館におられます」
 迎えに来たジェヴァという男は、簡単にこれまでの成り行きを説明した。
「じゃあこの街はすぐに発つの?」
 ラクチェの声には、少し淋しそうなものが混じっている。
「いえ、すぐには出ないでしょう。少なくとも、明日はまだこの街にいるはずですよ、シャナン様も」
 その言葉で、ラクチェの顔がぱっと明るくなる。
「あのお二人に会えるのが嬉しいですか?」
 するとスカサハがクスクスと笑って、ラクチェの代わりに答える。
「面白いんだよ、あの二人。それに、見ていて、戦い以外の何かで、このイザークを解放できるような気もしてくる。だからかな。まあ、面白いってのが第一だけどね」
 ラクチェは、それに思いっきり頷いた。



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