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ソファラの滞在は、それほど長くならなかった。スカサハとラクチェが希望したので、翌日まで滞在し、その次の日には出立したのである。 予定では、二人が月光剣を修得するまでの予定だったが、それはソファラでやる必要がなくなっていたのだ。シャナンはすでに、オーヴァからの口伝のみで、月光剣のすべてを理解していたのである。 スカサハとラクチェがもう一日だけ、と駄々をこねた理由にシャナンが多少驚いたが、それでもそれを咎めはしなかった。 たとえドズル家が憎き敵であったとしても、ヨハンやヨハルヴァまでがそうだとは思えなかったからである。それは、この街を見れば分かることだ。 だが、それでも。 シャナン達にとって、彼らは敵だ。彼ら自身がどうであろうと、彼らがドズル家である以上、その事実は動かせない。 無論、シャナン達が必ずしも兵を挙げる保証はない。実際、支配者がドズル家であるとはいえ、イザークの地は過不足なく統治されている。シャナンにとっては忌々しい想いを感じなくもないが、この地はドズル家の支配を受け入れているのだ。 そこに、戦乱を起こして困るのは、民達である。グランベルで行われ始めているという子供狩りは、まだこの国でおおっぴらに行われる様子はない。狙われたのは孤児院だけだ。 永遠の国家はありえない。それは、たとえ聖戦士の興した国であろうとも、例外であろう筈はない。ならば、イザーク王国が今後ドズル王国となったところで、歴史の上ではさして珍しくもない現象だろう。 ただ、それとセリスの意思は別だ。 シャナンはまだいい。たとえそれが卑怯な裏切りであろうと、イザークのリボーの軍がダーナを攻撃したのは事実であるし、それによってグランベルの報復を受け、イザークが滅ぼされたのは、悔しくはあっても仕方のないことだ。その戦いは圧倒的な戦力差があったとはいえ、決して一方的に非難できるものではない。 だが、セリスの父シグルドは違う。 シグルドは、その身に一切覚えのない咎で国を追われ、そしてその名誉を取り戻すために戦い、挙句最後には騙し討ちにされた。戦士としても、騎士としても、大陸に冠たる名を残しうるほどの人物でありながら、その死は不遇のまま処されている。すなわち『裏切り者シグルド』と。 そしてセリスが、自分と自分の父の名誉を回復させたいと願うなら、いつか兵を挙げることになるだろう。 もっとも、グランベル中央部では、シグルドへの見方は変わってきているらしい。 シグルドは実は、グランベルの中枢に接触した暗黒の存在に気付き、自ら兵を挙げたのだ、という噂もあるという。 果たしてシグルドがそこまで気付いていたかどうかは、オイフェですら首をひねるところなのだが、シグルドの名誉が回復してきているのは悪い話ではない。 だが、事態が良くなる要素が何一つない状況では、時代は徐々に暗黒へと向かっていく以外の術を知らなかったのである。 |
イザークにも、ようやく遅い春の息吹が感じられ始めた季節に、その凶報が舞い込んできた。 「子供狩りが、始まった?」 イザーク各地に派遣していた斥候からの報告を受けたオイフェは、顔をしかめた。その横では、シャナンが沈痛な表情で腕を組んでいる。 「はい。まだリボー城下のみではありますが、間違いなく。また同時に、イザークのヨハン王子、ソファラのヨハルヴァ王子、ガネーシャのハロルド将軍にも、暗黒神の思し召した七歳から十三歳の子供を集めてくるように、との命令が発せられたようです」 「ついに、というべきか……」 「それで、各地の様子は」 オイフェの言葉に答えて、別の者が進み出る。 「ソファラ、イザークともに動きはありません。民達は不安を感じているようですが、少なくとも軍が動く様子はないかと」 「ただ、ガネーシャのハロルド将軍は早速軍を動かす準備を始めました。少なくとも十日以内には子供狩りを開始する、との情報もありましたので、今頃はおそらく……」 オイフェとシャナンは互いに顔を見合わせ、それから悔しそうに俯いた。 今、ティルナノグにドズル軍と事を構えるだけの戦力はない。最大限かき集めても百がいいところだ。対してドズル軍は、ハロルド将軍の部隊だけで五百以上。しかもいずれも精兵だ。勝てる道理はない。 「……シャナン」 それまで、部屋の端で話を聞いていたセリスが、初めて口を開いた。セリスはもうすぐ十六歳。ゆえにオイフェが、報告の席に同席させたのである。 「セリス、気持ちはわかるが……」 今兵を挙げれば、確実に皆殺しにされる。セリスの気持ちはわかるが、セリスは大陸に残された、数少ない希望の一つだ。今それを、無謀とも言える戦いに出すべきではない。 「大丈夫、シャナン。私だって、今の状況はわかっている。兵を挙げたところで勝ち目はない。……けど、子供達を助けるだけならできるんじゃないかな?」 セリスはそういうと、二歩三歩進み出た。 「確かに私達の戦力は少ない。けど、集中的に投入すれば、戦場の一部分では圧倒できる。そう。子供達をグランベルに移送する部隊の警備くらいはね」 「……つまり、正面から事を構えるのではなく、子供達をただ助ける、と……」 オイフェの言葉に、セリスは大きく頷いた。 「真っ向から立ち向かったところで、結果は見えている。確かに、いつかは感づかれるだろうけど、でもやらないよりやった方がいい。何より、私は子供達が死へと連れて行かれるのを、黙って見過ごしたくはない」 オイフェとシャナンはしばらく無言だった。ただ、いつまでも子供だと思っていた彼らの恩人の子供が、自分達が思っていた以上に成長してた、その事実に少なからず驚いていた、というのもある。 「セリス様。それは、我らの存在をドズル王国、ひいてはグランベルに知らせることにもなりえます。それで、よろしいのですね」 「そうだね……確かにここなら、あるいは外の世界のことに目を瞑って、安穏と一生を終えることもできるかもしれない。正直、そんな一生も決して悪いものではない、とも思う。けど、私は子供達を見捨てたくはない。それでは、子供達を狩る彼らと、何ら変わらないように思えるんだ」 あらためてセリスが、あのシグルドの子であることを、オイフェとシャナンは痛感した。もしシグルドが同じ立場であっても、間違いなく同じ事を言っただろう。 強大な力を持ちながら争うことを望まず、しかし自身の運命と、そして矜持のために戦うことを選んだシグルド。セリスは、紛れもなくその子であることを、自らの言動によって証明して見せている。 「……そうですね。申し訳ありません、セリス様。愚問を致しました」 オイフェはそういうと、恭しく頭を下げた。 実は、オイフェが臣下の礼をセリスに対して取るのは、これが初めてである。これまでオイフェはセリスの教師としての立場の方が強く、事実その様に接していた。しかし、これ以降、オイフェは常にセリスを主君として立てていくことになる。 「セリスが決めたことなら、従おう。実際、看過できないしな」 シャナンはそういうと、ともすると少し昂揚した様子で剣の柄を確認した。その様子を見て、オイフェは少し顔を綻ばす。 (一番戦いたかったのは、シャナン自身だろうに……無理をしてる) シャナンもそのオイフェの視線の意味は分かったが、苦笑いを返しただけで、特に何も言わなかった。 しかしその表情の下で、シャナンもオイフェも、あることに対する懸念があったのである。 |
荒涼たる荒地の中で、気持ち整備された荒道。その道を、簡素な木格子で組まれた檻を乗せた車が、荷馬に引かれて進んでいた。 からからと乾いた土を噛む木の車輪の音に、子供達のすすり泣く声と馬の蹄の音が重なる。 騎兵が持つ旗章は、ガネーシャのもの。ハロルド将軍が、ガネーシャ近隣で捕えた子供達を移送する馬車である。 そして、それを少し離れた潅木の影から見据える一団があった。 「情報どおりか。あれだな」 隠れているのは、シャナン、オイフェ、それにティルナノグの戦士、それにセリスの他スカサハ、ラクチェなどの子供達もついてきている。 警備の兵の数からすれば、大人達だけですむのだが、あえてシャナンはセリス達も参加させた。それは、一つには実戦を経験させるため、そしてもう一つ。 かつてシャナンが囚われた『人を殺す』という現実の実感。それは、力の大きさとは違う。 単純な剣の実力だけ問うなら、セリスはもちろん、スカサハもラクチェも一人の戦士として、水準以上にある。しかし、それが戦場の現実に対しては何の力も持たないことを、シャナンは身をもって知っている。 そして、いつか戦いを始めるとしたら、その時にあの衝撃を知るのでは、遅すぎる。 シャナンが、まだ年若いスカサハやラクチェまで参加させたのは、そういう理由だった。 「さすがに油断しきってるわね。これなら、楽勝ね」 ラクチェがいつものように勝気な言葉を吐く。しかし、無論シャナン達はそれほど楽観していなかった。 いくら油断して見えるとはいえ、相手は正規軍だ。数は歩兵が十人、騎兵が五人。数自体は、むしろこちらの方が多い。しかし、もしセリス達が実戦の、戦場の空気に畏れを抱いてしまった場合、彼らを守って戦うことにもなりかねないのだ。 もっとも、かつてシャナンが戦場を、そして人を殺す体験した時より、今のセリス達の方がずっと年長ではある。大丈夫だろう、という希望的観測はある。 それでもこの人数を連れてきたのは、用心のためであった。 「よし、いくぞ!!」 オイフェの号令と共に、シャナン達は一斉に飛び出した。距離にすれば、三十歩程度。先頭を走るのは、もちろんシャナンである。 シャナンはそのまま、最初に立ちふさがった兵士を、一合も切り結ぶことなく頚部に刃を突き立てて絶命させた。 瞬間、慣れてしまったものだ、という自嘲めいた想いが生まれる。だが、その考えに沈む暇は、もちろんなかった。 続くオイフェが馬上からの鋭い長剣の一閃で、ドズル騎兵の肩口を深く抉った。声にならない絶叫と共に兵士は落馬し、続いた別の騎兵の馬蹄に踏まれて一瞬で絶命する。 とにかくこの襲撃は、スピードが命であった。敵がこちらの目的を把握したら、即座に子供達を人質にするだろう。その暇を与えてはならない。そしてまた、一人の敵も逃がしてはならないのである。まだ、自分らの存在を知られるわけには行かないのだから。 「う、うわあああ!!」 知った声の叫びに、思わずシャナンとオイフェは足を止めて振り返ってしまった。 その二人の視線の先で、デルムッドが長剣を閃かせて敵に致命傷を負わせていた。デルムッドもまた、剣技においてはスカサハ達に次ぐ実力を保有しているのだ。だから、それ自体は不思議ではない。 デルムッドの鋭い一撃によって左腕の肘あたりを半ば切断されていた。そのあまりの激痛に、敵兵は声すら上げることも出来ずに馬上から転がり落ちる。そしてその時、ちょうど大きな血管が破れたのか、まるで弾けるように鮮血が飛び散り、それが周囲の者達に降りかかった。 まずい。 反射的にシャナンとオイフェはそう感じた。 そこにいたのは、ちょうど、セリスやスカサハ、ラクチェなど戦いをまだ経験したことのない――人を殺したことのない者達ばかりだったのだ。 「シャナン!!」 オイフェの声と同時に、シャナンは檻車の確保をオイフェに任せて反転した。子供達を助けるのはもちろん大切だが、ここで万に一つもセリスを失うようなことがあってはならないのである。 「あ……あ…あ……あああああああ!!!!!」 シャナンが駆けつけるよりも早く弾けた声は、スカサハとラクチェのものだった。瞬間、二人の体が光に包まれる。 「スカサハ、ラクチェ、よせ!!!」 だが、そのシャナンの叫びは二人には届いていない。直後弾けた翡翠色の光は、まるで濁流だった。 「こ、これほどとは……!!」 手ほどきはしていたし、練習では見ていたこともある。だが、二人が本気で――というよりは制御も利かないまま手加減なしに――流星剣を繰り出すのは、これが初めてである。 翡翠の濁流の中に真紅が混じるのは、血の色だ。 そして、暴走しているのは二人だけではない。双子の狂気に中てられたのか、セリスやデルムッド、ロドルバン達も狂ったように剣を振るっている。 狂ったように剣を振るう彼らは、まさに凶器であった。元々実力は抜きん出ている。瞬く間に敵兵をすべて切り殺していた。 だが、それでも彼らは止まらない。そのまま、今度は味方に襲い掛かろうとする。 「やめろ!! セリス、スカサハ!!」 シャナンは慌てて間に入り、二人の剣を受け止めた。だが、それでも正気を失いかけている彼らはシャナンでも驚くほどの力で、押し返そうとしてくる。 「こうなるとはな……だが、このままでは……」 シャナンは二人を大きく押し返し、一度距離を取った。そこにさらに、ラクチェが突っ込んでこようとする。 「埒があかん!!」 シャナンはそのまま地を滑らせるように剣を振るった。半瞬遅れてその軌跡をなぞるように大地が爆ぜ、凄まじい爆発音と衝撃が生じた。セリス、スカサハ、ラクチェらはまともにその衝撃を浴び、転倒してしまう。 「落ち着け!! 敵はもういない!!」 今の衝撃に耐え切れずボロボロになってしまった剣を片手に、シャナンは怒鳴りつけた。 「え……あ、あ……」 シャナンの一撃で正気に戻ったのか、セリス達は呆然とした表情のまま、大地に座っている。 「戦いは終わった。子供達も助かったんだ」 「お、俺達……」 スカサハが呆然とした様子で剣を落とし、そのまま自分の手を見つめている。その手は、最初に浴びた血と敵兵の血で、不気味な赤いまだら模様になっていた。 「オイフェ。子供達の移送を頼めるか。私は、セリス達を連れて先に帰る」 オイフェは何も言わずに頷くと、数人の大人たちと共に、撤収の準備に取り掛かった。 |
コンコン、という控えめなノックの音がシャナンの家に響いたのは、夜も更けた遅い時間だった。 「……起きている。いいぞ、入って」 その言葉の後、やや時間が空いて控えめに扉を開けて入ってきたのは、シャナンの予想通りの者達だった。 「まあ座れ。デルムッドは……オイフェのところか」 入ってきた人物のうちの一人、青い髪の少年は、驚いたようにシャナンを見上げた。 「分かって、いるんだね……」 「まあな。これでもお前達がまだ赤ん坊の頃から見ているからな」 シャナンはそういうと、予め準備していたお茶をカップに注ぎ、来客――セリス達に渡していく。 「できれば、お前達には戦場に立たないですむ人生を送ってもらいたかった……。だが、そういうわけにもいかなくなってきている」 お茶を配り終えたシャナンは、それぞれ思い思いの場所に座った少年少女たちを見渡した。 セリス、スカサハ、ラクチェ、ロドルバン、ラドネイ。みな、まだ若く、戦場の経験などない。だが、戦士としての力は一流といってもいい者達だ。 「私達が今日の襲撃に参加する、と言った時に反対しなかったのは、ああいうわけがあったの?」 「そうだな。まあ、あそこまでになるとは思わなかったが、大体その通りだ」 人を殺す、という現実。剣を通して、人を斬った感覚が伝わってくるのは、シャナンですら未だに気持ちのいいものではない。いわんや、まだ戦場を経験してない彼らにとっては、どれほどものか。それは、他ならぬシャナン自身が良く分かっているのだ。 「シャナンも、そうだったの?」 「ああ。私の場合はもっと幼かったがな。だが、しばらく剣を握ることすら怖くなったよ」 シャナンはそこで一度言葉を切って、お茶を飲み干すと、もう一度全員を振り返った。 見える感情は、畏れ。だが、それに押しつぶされている様子は、ない。 無論、年齢もあるのだろうが、かつての自分より、ずっと大丈夫だ、と思えた。 「強いな。お前たちは」 「え?」 「いや……こっちのことだ。セリス、人を殺すこと自体は、罪悪だろう。だから、お前達はその恐怖に耐え切れなかった。だが、今あえてその罪を犯してでもなさなければならないことが、目の前に迫りつつある」 五人は一様に頷いた。 「その罪深さは、忘れてはならない。だが、剣を振るってでもなにか成し遂げなければならないことがあるなら、その時は迷うな。私から言えることは、それだけだ」 かつて、オシーンに教えられたこと。ふと、こうやって想いは継がれていくだろうか。そう考えてから、シャナンは、自分がひどく年を取ったような感じ方をしていることに気付き、苦笑する。 「それは、シャナンが教えてもらったこと……?」 「ああ。今の私は私自身の誓いのために剣を振るっている。そしてそのためなら、私は迷いはしない」 再び全員黙り込む。その沈黙が、剣に対する恐れではなく、前へ進むための道を模索するためのものであることは、シャナンには良く分かっていた。 「さて、話は終わりだ。そろそろ眠っておけ。もう遅いからな」 「あ、うん。シャナン、ごめん。夜遅くに」 「シャナン様。遅くに申し訳ありません」 「構わんさ。だが、休める時には休め。それも重要だからな」 実際、小さな抵抗を開始したからといって、彼らの状況が好転したわけではない。むしろ、大幅に悪化している。 助けた子供達はまさか親元に帰すこともできず、結局ティルナノグにつれてくるしかない。無論、可能な限りその親もティルナノグに来れるよう手配する。しかし、食料の自給もままならないこの状況では、しばらくは生活は困難になるばかりだろう。 「……一生かけての抵抗かも知れんな……」 セリス達を見送ったシャナンは、ふと空を見上げて呟いた。そこに輝く星々が、かつて横でいた女性を想起させる。 「フェイア。大丈夫だ。私は決して諦めはしない」 その時星がひときわ美しき瞬いたのが、フェイアからの返事であったのかどうかは、シャナンには判断することは出来なかった。 |