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永き誓い・第二十五話




「き……っ」
 まずい、叫ばれる、と思ったシャナンは、反射的に掴んだ少女の腕を放した。だが、その直後、少女はシャナンすら反応し損ねるほどの素早さで外に飛び出すと、一気に駆け出していた。その見事な身のこなしに、シャナンすら一瞬呆然としてしまう。
「い、一体……って、ちょっと待て!!」
 一瞬自失しかけたシャナンは、慌てて少女を追って外に飛び出した。無論シャナンの言葉で少女が足を止めるはずもなく、むしろシャナンが追ってくるのを見て、飛び跳ねるような勢いで逃げていく。足場は決していいはずはないのだが、その足の速さにはシャナンも舌を撒いた。
「待て、私は……」
 教団の関係者じゃない、と言いかけた直後、シャナンは背後からの危険を察知して横に飛び跳ねた。その一瞬後に、シャナンのいた場所を暗黒が抉る。
「見つかったか……」
 神殿から、数人の魔道士と傭兵が出てくるのが見えた。数は十人ほど。だが、この先どんどん出てくるだろう。手元に神剣があるならともかく、そうでない以上はここで長々と戦うことは危険である。
 それならば。
 シャナンはほんの一瞬逡巡した後、自分に向かってくる者たちの方に向き直ると、一番先頭を走ってきた傭兵と相対した。
 一度だけ、剣と剣がぶつかり合う音が辺りを満たす。そして次の瞬間、その傭兵と周囲にいた者達が見たのは、翡翠色の光の雨だった。

「待て、こらっ」
 ようやく、再びシャナンが少女の姿を捉えた時は、先ほどの場所からすでにかなり移動していた。
 とりあえず、この少女がシャナンよりやや先行してイード神殿を目指していた少女なのは間違いないだろう。ついでに、その身のこなしからすると、少なくともただ者ではない。もっとも、普通の少女がイード神殿を目指そうとか考えるはずもないから、これは当然だろう。
 容赦しなくてよいのであれば、剣で脅す手もあったのだが、どう考えても少女が教団の関係者ではない以上、それは躊躇われる。
 そんなこんなで追いかけっこが続き、結局、シャナンが少女に追いついたとき、すでに朝陽は完全に地平から姿を現していた。
「きゃ〜、助けて〜〜〜〜お嫁にいけなくなっちゃう〜〜〜」
 その言葉に、シャナンは思わず全身の力が抜けた。およそ、こんな場所でそんな台詞を聞くとは思ってもいなかったのだ。
「あ、あのな……私は何もしはしない。落ち着いてくれ」
「きゃ〜、いや〜〜〜っ!!」
 少女はそのまま持っている剣――バルムンク――を思いっきり振り回してきた。反射的にシャナンはそれを剣で受け止める。
「落ち着いてくれ、私は教団関係者じゃない!!」
「え……だって、さっき神殿にいて見回りを……」
「見回り?」
 少女は少しだけ落ち着いたのか、少しだけ恐れるような表情で頷いた。
「……それはもしかして、私を夜にあの神殿の中で見た、ということか?」
 少女は無言で頷く。
「……それなら違う。私も……まあ、君と目的は同じ……だったのかな。その剣を探していたんだ」
「この剣を?」
 少女はようやく落ち着いた様子を見せ、まじまじと剣とシャナンを見やった。
「なぁんだ。盗賊だったの? あなたも」
「ち、違う。ただ、その剣は私のものなんだ。だから、返して欲しい」
 力ずくで奪えなくもなかったが、どう見てもせいぜいラナと同じ年程度の少女相手に大人気ない真似をするのは、さすがに気が引けた。素直に渡してくれれば、別に事を荒立てる必要などはない。
「何でこの剣があなたのものなのよ。これはイード神殿の宝物庫に置いてあったのよ。連中が所有権主張するならともかく、あなたのものなんておかしくない?」
 確かに、普通の剣であればもっともな意見だ。あくまで、普通の剣であれば、だ。
「その剣は元々、私の家に代々伝わる剣なんだ。それを連中に奪われていて、ようやくあそこにあることが分かって取り戻しに来たんだ。だから頼む、返してくれ」
「ふぅん」
 少女はバルムンクを持ったまま、シャナンの周りを一周し、まじまじと見つめた。
「証拠は?」
「証拠?」
「そ。証拠。この剣があなたのものだって言う証拠。それがあったら、返してあげてもいいけど?」
「……その剣を扱えるのは、大陸でも私一人だ。それが、何よりの証拠だ」
「……うっそぉ」
 少女は驚いたように剣とシャナンを交互に見つめ、それからバルムンクを鞘から引き抜こうとした。
 しかし。
「う〜〜〜〜〜。な、なんで抜けないのよ、この剣っ」
 その様子を見て、シャナンはほんの少しだけ安堵した。これであっさり少女が引き抜くことが出来たら、立場も何もあったものではない。
「だから無理だと言っているだろう。いいかげん……」
 直後、シャナンは少女を抱え上げて横に飛び退った。その倒れこんだシャナンの背を、烈風が襲う。
「ぐっ……!!」
「え、え、なに、なに?!」
 立ち上がったシャナンは、自分の迂闊さを呪った。いつの間にか、完全に囲まれていたらしい。少女と話していて敵の接近に気付かなかったのは、迂闊というより、少女との会話でペースを乱されていて、周囲を警戒することすら忘れてしまっていたようだ。
「よくもまあ我が神殿に立ち入って荒らすだけ荒らしてくれたものよ。しかもよりによって、神剣バルムンクを持ち出すとは…。ここにその剣があることを、他に知られるわけにはいかぬ。死んでもらうこととしよう……」
 リーダーらしい男が、ゆっくりと手を上げる。それに呼応して、十人以上の魔術師が魔法の詠唱の体勢に入った。
「え、え、え? し、神剣、バルムンク?」
 おそらく、この状況で一番事情がわかっていないのはこの少女だろう。まさか自分が盗んできたのが、伝説の十二神器の一つ、剣聖オードが神から授かった武器、神剣バルムンクだとは夢にも思わないだろうから。
 だが、状況を完全に理解していないのは、教団の魔道士たちも同じだった。確かに彼らは、この剣が神剣バルムンクであることは知っている。だが、少女と一緒にいる人物の正体などには、全く情報がない。いや、あるはずはないのだ。
「死ね」
 その声と共に、魔術師達の腕から暗黒が放たれ、そして少女とシャナンに襲いかかる。少女の、半ば声にならない悲鳴に重なり、風を切る音が響いた。
 直後、どん、という凄まじい爆音がイードの山間に響き渡る。魔法が直撃した場所は、まるで炎の最強魔法ボルガノンが炸裂したかのように深々と抉られ、膨大な土煙があたりの視界を極端に悪くしていた。
「ふん。もはや何も残るまい……」
 それが、男の最期の言葉となった。
 どすん、と。
 突然男は倒れこみ、動かなくなっている。
 そしてその後ろには、長剣を手にした剣士が一人立っていた。
 いつからそこにいたのか、それとも今出現したのか。周囲にいた者たちは驚き、慌てて距離を取った。
「き、貴様は一体……」
 ひゅんという音が聞こえた気がする、というのは、あるいは死ぬ直前にそう思い込んだだけかもしれない。
 周囲にいた傭兵や魔道士達が、慌ててシャナンを囲もうとする。
 その直後、光が流れた。

「うっそぉ……」
 目の前で、直に見て繰り広げられた光景を、それでも少女はなおも信じられないでいた。無理もないだろう。二十人はいたはずの傭兵や魔道士を、たった一人の剣士が、瞬く間に全て倒してしまったのである。しかも、それだけのことをやってのけた本人は、呼吸すらほとんど乱していない。
「ふぅ。大丈夫だったか、えっと……」
 シャナンは先ほどいた少女の姿を捜し求めた。多分巻き込まれてはいないだろうが、万に一つ、そんな事態になってしまっていては、さすがに可哀相だ。
「あ、はい。大丈夫です〜」
 どうやら無事だったらしい。元気な姿を見せてくれた。それにしても。
(どこかで見たことがある気がするが……まさかな。どう考えても初対面だ)
 見たところ年齢は十四、十五歳位だろう。一際目を引くのは、埃まみれになっててなお美しく輝く金色の髪だ。かなり長いその髪を、少女は動きやすくするためか、三つ編みにしている。服装はやや地味だが、動きやすさを考えたものだろう。盗賊なのは間違いない。しかも、あの神殿に入り込んで無事出てこれる――しかも神剣まで頂戴して――ということは、外見はどうあれ、腕はかなりいいと見てもいいだろう。
「あ、あの……もしかしなくても、イザークのシャナン様……ですか?」
「ん? あ、ああ。そうだ」
「きゃ〜、うそ〜。ホントにホント?! 本物?!」
 さすがにこの反応はまるで予想していなかったため、シャナンは思わずここがどこだかを忘れかけてしまった。
「えっと、私パティって言います。あの、シャナン様の噂色々聞いていて、ぜひ一度お会いしてみたいくて……」
 パティと名乗った少女は、きゃっきゃとシャナンの周りを、踊るように回っている。
「わ、分かった分かった。と、とりあえず落ち着け。それで……バルムンクは返してもらえるか?」
「あ、は、もちろんですっ」
 差し出された剣を受け取り、シャナンは感慨深げにその柄を握る。その瞬間、自分の中にある力が、あふれるような感覚があった。
 その感覚が、この剣が間違いなく神剣であることを、シャナンに確信させる。
 一方、シャナンの言葉に、パティと名乗った少女はようやく落ち着いたようだ。ただ、それでもなおしげしげとシャナンを見つめていた。気にならなくはないが、さしあたっていつまでもこの少女にかかずらっている余裕がある、という状況ではない。
 イード神殿にはまだ多くの魔道士や傭兵が残っているはずだ。それらはまだ待機しているに違いない。
 少なくとも普通は戦えば勝ち目はない。だが。
「今ならば、やれる……な」
 バルムンクを手にした時、自分に湧き上がった力を、シャナンは完全に把握していた。決して、万能ではない。だが。
「少なくともイードの勢力を放置しておくのは危険だな……」
 シャナンは歩き出そうとして、ふと立ち止まり振り返った。その先にはパティと名乗った少女がいる。ここに放置しておくのが安全かどうか判断しかねてしばらく考える。
「……あとで合流するとしても……とりあえずここら辺りに隠れてもらうほうが安全か……」
 その時、シャナンは異様な気配を頭上に感じた。見上げると、そこには暗黒の住人たる悪魔の顔が浮かんでいる。そして、それはシャナンには見覚えがあった。
「まさか、フェンリル!!」
 魔法の中には、いくつか途方もない射程を誇る魔法がある。詠唱に時間がかかり、また術者にも相当な力量を要求する魔法だが、威力、射程は並の魔法とは比較にならない。有名なところでは、ヴェルトマー家のロートリッターが得意とする、巨大な火球の塊を天空から落下させるメティオなどがある。
 そして今シャナンが目撃したのもその長射程魔法の一つ、暗黒教団の魔道士たちが好んで使うフェンリルと呼ばれる魔法である。
 その威力の大きさは、他の長射程魔法を上回るとすらいわれている。シャナンはこの魔法を、過去に一度だけ見たことがあるのだ。
「狙いは……くっ!!」
 シャナンはパティを抱きかかえて横に飛んだ。直後、パティの立っていた場所の地面が爆ぜ、轟音があたりに広がる。
「え、え、なに、なに!?」
 パティにはさすがに事情がわからないらしい。無理もないだろう。長射程魔法は何が起きたか分からないうちに食らってしまうことが多いのだ。
「まさか向こうにフェンリルの使い手がいるとは」
 正直に言えば、無理にこの少女を助ける義理はない。だが、ここでフェンリルなどにやられてしまうのはあまりに不憫であるし、寝覚めも悪い。
「仕方ない、パティ、だったか。私について来い。離れている方がどうやら危険なようだからな」
「え、いいんですか!? きゃ〜、嬉しい〜」
 パティはそういうと、いきなりシャナンに抱きついてきた……というよりはしがみついてきた。
「こ、こら。動けないだろう」
 シャナンはどうにかパティを引き剥がすと、これまで使っていた剣を一度鞘に収め、改めてバルムンクを腰帯に固定した。それから自分の荷物を確認し、もう一度パティに向き直る。
「とりあえず、私からあまり離れるな」
「はいっ。あの、でもシャナン様はこれからどこに……?」
「さっきの神殿だ。連中をこのまま放置しておくと、さっきの魔法による攻撃を受けつづけることになる。いつまでも避けきれるものではないからな。この際だ。叩き潰しておく」
 平然と言い放ったシャナンを、パティは呆然と見上げた。
 少なく見積もっても、まだ百人以上は残っているはずである。それを平然と「叩き潰す」など、普通は出来るものではない。
「いくらなんでも、その、シャナン様でも危険じゃ……」
「このまま逃げ出す方が危険だ。なんなら、パティはここに残っていてもいいが?」
「い、嫌ですっ。私はシャナン様についていきますっ」
 パティはもう一度、シャナンの腕にしがみついた。

「いいな、ここに隠れているんだぞ」
 神殿が見下ろせる場所――最初にシャナンが夜になるのを待った場所に、シャナンはパティを押し込んだ。ここならば、フェンリルの魔法を受けることはないだろう。岩の天井が、天然の障壁の役割を果たしてくれるからだ。長射程魔法は、屋外の開けた場所でしかほとんど使い物にならない、という欠点があるのだ。
「は〜い。あの、でも本当に大丈夫なのですか?」
「いいから、隠れているんだ」
 シャナンはそういうと、バルムンクだけを手にして斜面を滑り降りた。来るときは身を隠しながら接近したが、もうその必要はない。
 やがて、近づいて来るシャナンの存在に気付いたのだろう。数人の傭兵らしき者達が、シャナンのほうに近付いて来る。
「おい、誰だ。生憎だが水求めてきたんなら諦めな。まあそれ以前に飲む必要もなくしてやるよ」
 傭兵というより、どうやら魔法を使わないだけで教団の信者らしい。シャナンは直感的にそう思った。
 まあ確かに、まともな神経の持ち主なら、たとえ金がもらえようがこんな砂漠の真ん中の寂れた神殿などにいたくはないだろう。
「別に水を求めてきたわけじゃない」
「そうかい、じゃあ死にな!!」
 その男にとって、それが最期の言葉となった。周りにいた男の仲間にも、おそらく何が起きたかすら分からなかっただろう。時間が止まったような感覚の中、男の体がゆっくりと地面に倒れこみ、大地と抱擁する。
「悪いが、私は貴様らに対して容赦する理由がない」
 その時になって、彼らはようやく仲間が斬られていたことに気が付いた。
「こいつ、やっちまえ!!」
 相手は一人。そう考えてほぼ同時に襲いかかる彼らの考えは決して間違いではない。ただし、あくまで相手が普通の人間なら、である。
 剣が風を切る音のみが、辺りを満たす。
 一瞬後に地上に立つのは、シャナン一人になっていた。自分の身に何が起こったかを理解する時間すらなく、男達はすでに生者には越えられない境界線を越えてしまったのだ。
 そしてシャナンは、何ら迷うことなく、神殿へと足を進めていった。

「ば、馬鹿な……」
 イード神殿を預かる司祭クトゥーゾフは、恐怖と混乱に頭が支配されていた。すでに、自分の身の回りには誰もいない。神殿にいた、五十人近いの戦士も魔道士も、すべてたった一人の男の前に倒されている。
「降伏しろ、などとは言わん。生憎だが、降伏されても遇する方法もないのでな。もっとも、そのつもりもあまりないだろうが……」
 シャナンは静かに前に進み出た。
 イードの神殿の最深部。巨大なロプトウスの神像のある、いわば祭壇である。
 この部屋には、十人以上の魔道士がいたのだが、入ってきた黒髪の剣士の前に、一瞬ですべて殺されてしまった。クトゥーゾフが生きているのは、実は攻撃を避けたからではなく、恐怖を感じて逃げ回ったからに他ならない。
「き、貴様、偉大なる暗黒神に逆らうというのか……」
 クトゥーゾフはなおも数歩、後退る。
「そう思っているのはお前達だけだ。いつまでも我らが、貴様らに虐げられる境遇を甘受すると思っていたのか」
「く……おのれ、ならばぁ!!」
 クトゥーゾフは突然短剣をシャナンに向けて放った。それは確かに不意打ちではあったが、今のシャナンには通用するはずもない。シャナンは、体を僅かにずらすだけでそれをあっさりと避ける。だがそれが、クトゥーゾフの意図どおりであった。
 クトゥーゾフは素早く神像の裏手に回ると、何かを押し込んだ。とたん、神殿中を激震が襲う。
「な、なんだ!?」
「くくく……いかに貴様が聖戦士の末裔だろうが、こいつには敵わんだろう!!」
 クトゥーゾフは勝ち誇ったように高笑いをすると、その神像の手の上に飛び乗った。そしてその時、シャナンはその違和感に気が付いた。
 確か、神像の竜の手は、かなり高いところにかかげられていたはずである。
「まさか!?」
 シャナンがある推測に到達すると同時に、その推測を事実として証明するものがシャナンに襲い掛かってきた。すなわち、目の前の神像が動き出して、シャナンに牙をむいたのである。
 石人形、またはゴーレムと呼ばれる古代の魔法技術で作られた兵器。聖戦よりも遥か以前に存在したものであり、すでにその製造技術も伝えられていない、伝説の兵器の一つだ。なぜこんなところに、と思ったが、よく考えてみれば、ここは元々暗黒教団の隠れ神殿だったわけではなく、それより遥か以前から存在した神殿である。おそらくこのゴーレムは、元からこのような形状だったわけではなく、後から削ったものだろうが、どちらにせよその機能が低下しているわけではなさそうだ。
「こんなものまで用意していたとはな……ご苦労なことだ」
 シャナンは何ら焦ってはいなかった。いや、むしろかすかに愉悦の表情すら浮かべていたのである。
 今の自分が、全開で流星剣を放ったらどうなるか、ということを試せる相手を見つけたからかもしれない。強敵と出会うと、どうしても抑えきれない感覚。これが、戦士の性なのだろうか。
「ふははは。恐怖で頭がおかしくなったか。今ごろ後悔しても遅いわ。死……?!」
 その、変わった空気を察することが出来ただけ、クトゥーゾフも一応戦士としての感覚を持っていたことを証明していた。
 だがこの場合、それがあったからといって、なんら結果が変わることはなかっただろう。
 祭壇の間に溢れた光は、瞬く間に祭壇すべて満たしていた。



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