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永き誓い・第二十四話




 オアシスの街カルティット。イード砂漠の北限にある、小さな街である。
 だが、イード砂漠の貴重なオアシスの一つであり、また、北海沿岸のどこの国にも属さない漁村にとっては、重要な交易場所でもある。そしてまた、シャナン達ティルナノグの者達にとっても、重要な物資と情報の補給源であった。
「久しぶりに来るが……ここだけはあまり変わらないな……」
 このような辺鄙な場所であるからこそ、この街は帝国の影響も暗黒教団の影響も、ほとんど受けていない。
 もっとも、外から来る商人たちによって、他国の情報は遅いながらももたらされるし、それらは当然明るいニュースなどほとんどない以上、自然と人々の雰囲気も暗くなり、市場もやや盛り上がりに欠けている。
 ただそれらは、この街に住むものにとってはあくまで外の話であり、せいぜい彼らの影響が出るとすれば、不景気で商人たちの払いがあまりよくない、という程度のことであった。
 忘れられた土地。
 だからこそ、ティルナノグが物資を補給することが出来たともいえるだろう。
「オイフェ達はやはりいないか。まあそうそうタイミングが合うはずもないが」
 オイフェ達もこの街には立ち寄ったはずである。ティルナノグから西へ行くには、この街を通るしかないからだ。
 ただ、この街からティルナノグへ抜けるルートはいくつかあるし、今回シャナンが使ったルートは、今まで知らなかったルートなので、そこですれ違ったのだろう。
 とりあえずシャナンはこの街で一泊し、これまでの疲れを癒すと共に、イード神殿の情報を入手することにした。
 大体の場所は分かっているとはいえ、情報があればそれに越したことはない。
 どのぐらいの規模なのか、今一体どのくらいの者がそこにいるのか、などである。
 また、砂漠越えの装備も必要だった。この街の交易商人の隊商に途中までは同行させてもらうとしても、イード神殿があるという山岳帯に行くには、どうやっても砂漠を越える必要があるのだ。
 もっとも、一日二日を争うような旅程ではない。焦らず、確実に準備をする方が重要だ。ここから目的のイード神殿に行って戻ってくるだけでも、軽く一月はかかる距離だ。ただそれでも、シャナンはなぜか焦らずにはいられなかった。
 オイフェも自分もティルナノグを空ける状況、というのが今までなかったからでもあるだろう。
 もし、万に一つティルナノグが襲撃されたら、ティルナノグは主力をごっそりと欠いたまま戦わなければならなくなる。
 セリス達も十分強いといえるが、だが個人の武力だけではどうしようもない状況があることを、シャナンは知っている。実際に見たわけではないが、あのシグルドやレヴィンがいながら、バーハラではほぼなす術がなかった、という事実があるのだ。
「……考えても仕方ない。とにかく、情報集めと準備だ」
 シャナンは頭を振って不吉な考えを振り払うと、情報を集めるために街の中心へと歩いていった。

 シャナンは結局、二日ほどカルティットに滞在した。
 意外に疲労していたことと、なによりちょうど出発する隊商がいなかった、というのが理由である。
 シャナンは一応護衛、という形で隊商に同行することになった。ただし、途中のオアシスの街、レイランまでである。イードの山岳帯にいくのには、その街から行くのが、一番砂漠の横断距離が短くてすむからだ。
 情報の方はあまり集まらなかった。もともと、イード砂漠に暗黒教団の残党が逃げ込んだ、という話自体は非常に有名である。
 しかし、イード砂漠と一言に言っても、その広さは実にイザーク王国――現在はドズル王国だが――全域よりさらに広い。そして人が生きていくにはあまりにも苛酷な環境であり、ゆえに人跡未踏の地、と言っても過言ではない。
 有益と言っていい情報は、オイフェが実はすでにティルナノグに戻っていることであった。やはり入れ違いになったらしい。おそらく、今ごろティルナノグにたどり着いているだろう。さしあたって、シャナンとしてはこれで一安心出来、目の前の神剣探索に集中できるようになった。
 砂漠といっても、すべてが乾いた大地というわけではない。ところどころにはオアシスが点在し、そこには人の営みがある。
 だが、それらも砂漠のはじのほうに限られていて、中心部に何があるか、など定かではない。ただ、砂漠に住む一族――蛮族などと呼ばれているが――がいることなどから、人が全く住めない環境でないことだけはわかっている。
 とはいえ、分かってないことの方が圧倒的に多く、曰く神の裁きが下された古代の伝説都市が眠っている、だの、曰く砂漠の向こう側に伝説の黄金郷がある、とか、とにかく色々な噂が錯綜していた。
 しかし、シャナンはそんなあるのかないのかも分からない噂に興味はない。関心事はただ一つ。暗黒教団の残党が逃げ込んでいたというイードのどこかにある神殿のみ。
 ただ、その情報もあまりまともなものはなかった。他の情報と比べて、やや具体性があるだけで、正確なところは何もわからない。イード砂漠のどこかに暗黒教団が潜伏していた神殿があるらしい、ということしか分かってないのだ。レヴィンがもたらした、山岳帯のどこか、という方が、よっぽど具体的な情報だった。
 結局有力な情報もつかめないまま、シャナンは出発することになった。あとはもう行ってみるしかない。
 あるいは、より近いレイランであれば何か情報が手に入る可能性もあるだろう。
 少なくとも、百年にわたって教団の人間が生きてこられた場所である、ということは、水が確保できるような場所であることは確かだ。だとすれば、山岳帯のなかでも、かなり絞ることはできるだろう。さしあたり、水と食料を多めに持っていけば、なんとかなる。
 いずれにせよ、シャナンとしては神殿を見つけ、神剣を手に入れなければならないのだ。
 シャナンが護衛として雇われたのは、総勢二十人の隊商だった。規模としては普通だろう。これに護衛がシャナン含めて七人。この時勢、治安が乱れてきているため、隊商としても護衛を増やして対抗するしかないのである。
 一昔前であれば、砂漠の部族に備えれば十分であったのだが、今は砂漠の部族よりも軍隊崩れの方が危険である。
 荒れ果てた治世は社会不安へとつながり、人々から安心を奪う。もはや、帝国の治世が揺らいでいるのは誰の目にも明らかなのだ。それでもなお、帝国が揺らがないのは、強大な軍隊を保有しているからに他ならない。
 そしてシャナン達は、それに牙をむこうというのである。冷静に考えれば、無謀以外の何者でもない。
 カルティットを出てから二日目に一度盗賊たちが現れた以外は、旅は至極順調であった。
 特に問題もなく、目的地のレイランに到着した。シャナンはここで、もらったお金をさらに水と食料に換えた。重く、荷物にはなるが、これがなければ砂漠は越えられないのだから仕方ない。
 レイランに到着したのは昼前だったので、シャナンは日が暮れるまで休むことにした。砂漠を昼に歩くのは、自殺願望がある者だけがやることなのだ。
「とりあえず、食事にするか」
 周りを見回すと、ちょうど昼時のためか、あちこちで客引きの店員が店の前で人々に声をかけている。シャナンは、適当な店を選ぶと、他のしつこい客引きを振り切って店の中に滑り込んだ。
「いらっしゃい。旅人かい。こんな時期に珍しいね。ご注文は?」
 店の主人は五十前の男で、料理屋の主人より剣を持たせたほうが似合いそうな、がっしりとした体格の持ち主だ。
「とりあえず……お奨めのなにか。……あと、イードの山の方に神殿があるって聞いたことはないか?」
 あまり情報を期待しての台詞ではない。一応、何かつかめれば、と思って聞いたのだが、主人の方は軽く驚いていた。
「今日、そんな質問するのは、あんたで二人目だよ。神殿ってあの暗黒教団が潜伏していたってやつだろう?」
 今度はシャナンが驚く番だった。神殿、というだけでそこまで連想する人は普通はいないだろう。だが、彼が言ったのは間違いなく自分が目指す神殿のことだろう。
「何か知っているのか?!」
 思わずシャナンは勢いよく立ち上がった。その反動で椅子が倒れ、乾いた木張りの床にぶつかって、抗議の音を立てる。
「お、落ち着けよ、兄さん。俺も噂しか聞いたことはないんだがよ」
 主人はそういうと、シャナンを促して店の前に出た。そして西の方の一点を指差す。
「あそこに、一際高い山が見えるだろう。あの麓辺りは、あの山の上の雪解け水のおかげで、人が生きていけるって話だ。だから、もし今も誰か住んでいるなら、多分あそこら辺じゃないかな、ってことさ」
 なるほど。確かに示された方向には、砂塵にかすみそうな山々の中で一際高い山が見える。山の色が途中からより鮮やかに砂塵の色に染まっているのは、つまりその山が白い――雪が積もっていることを示している。
「ご主人、感謝する。……ところで、私で二人目、と言っていたが?」
「ああ。もう一人、イードにある神殿を知らないか、ってのがいてね。同じことを教えてやったよ。暗黒教団が隠れていたはずの場所だってね」
 イードの神殿。しかも暗黒教団の隠れ神殿であることを知りながら、あえて行こうとするなど、まともな神経の持ち主ではない。あるいは、よほど腕に自信があるか、だ。
「やめとけって言ったんだけどねえ。暗黒教団なんかと関わるなって。けど、聞いちゃいなかったよ、あのお嬢ちゃん」
「お嬢ちゃん……? 女、なのか?」
「ああ。まだ十四、五歳ってところだったかな。はしっこそうなお嬢ちゃんだったけどね。成長すれば美人になるだろうになあ。あんた、知り合いかい?」
 シャナンは黙って首を振った。実際、そんな知り合いなどいない。
「それは、いつだ?」
「一昨日だよ。それから見てないから、もう行っちまったのかなあ。うちで働かないか、って聞いたんだけどな。いい看板娘になってくれそうだと思ったんだけどよお」
 一昨日、それも少女の足ならそう遠くは行ってないだろう。
 もっとも、本当に暗黒教団の神殿に行って何かをする自信があるほどの者なら、一般的尺度で測るべきではない。ただいずれにせよ、神殿の場所について非常に有力な手がかりを得たのは確かだ。先行する者が何者であるかは気になるが、敵であるとも考えにくい。教団の関係者、という可能性もなくもないが、少なくとも一対一で相対したなら、絶対に負けない自信はある。
「主人、感謝する。有力な情報をありがとう」
「そいつぁ俺の料理に言ってもらいたいねえ。まあ待ってな。こんな辺鄙な場所だって、俺は料理には妥協しねえんだ」
 実際、その主人の料理は非常に美味しかった。

 翌日の夜、シャナンはレイランを後にした。本当はその日の夜には出発したかったのだが、砂嵐がひどくて今砂漠に向かうのは自殺行為だ、と止められたのである。
 砂漠の夜は、驚くほど冷える。昼間の灼熱と夜の寒冷さは、実際に体験してみないとそのギャップを理解することは出来ないだろう。
 距離的には、普通なら徒歩で五日ほど。ただ、普通の道の場合であり、この場合はもっと時間はかかるだろう。
 移動は基本的に夜中である。砂漠であるため、雲が出ることもほとんどなく、また、今は月が明るいので闇夜に迷うことはない。できるだけ夜歩いて、空が白み始めたら、なんとか日を避けられる岩場などを探し、そこで休む。砂漠とはいえ、日影だと、意外に涼しいものなのだ。
 ただ、山岳部に入った後すぐ神殿を見つけられる保証はない。一言に山の麓、といってもかなりの広さがあるのだ。
「まあ、なるようにしかなるまい」
 運がよければすぐ見つかるだろう。これまで見つかってこなかった場所なのだから、見つかりやすいとは思えないが、位置の見当がついているのだから、確率はだいぶマシだ。
 そうして砂漠を進むこと八日。月はほぼ満月であったが、舞い上がる砂塵のためか、あるいはそれ以外の原因によるものか、白い輝きではなく、赤い、不気味な輝きを地上に投げていた
 もっとも、それでもさし当たって明りに困らなければ構いはしない。風もなく、むしろ痛いくらいの静寂の中、自分の靴が砂を踏みしめる音だけが、ともすると不気味なほど大きく聞こえてくる。今夜日が昇る前には山岳帯に入ることができるだろう。
「こうも静かだとな……。だが、砂嵐でも来られたらかなわんからな。この方が都合がいい……」
 声に出したのは、さすがに静寂に耐えかねたからである。その後で、その事実に気付き苦笑する。
 考えてみたら、完全に周りに誰もいない状況、というのは初めてだ。幼い頃は父やアイラが、イザークを出てからもアイラがいたし、シグルド達もいた。イザークに戻ってきてからは、セリスやオイフェがいたし、他にも多くの仲間がいた。ここまでの孤独を感じることなど、ジェノア城で囚われていた時以来ではないだろうか。
 その後はまた無言で歩きつづけた。再び、シャナンが砂を踏みしめる音だけが辺りを満たす。
 山の威容が一歩ごとに近づき、それにしたがって不安が増していくのを、シャナンは自覚した。
 何しろここは暗黒教団の本拠といってもいい場所である。一瞬たりとも油断できない。
 不安と焦燥が、シャナンの歩みを少し速めていた。そのためか、思ったより早く山岳部に辿り着いてしまった。
 シャナンは、山道を少し入ったところで、東の空が明るくなってきた。普段であれば、そろそろ休む場所――要は太陽の光を避けられる場所――を探すのだが、ここから先はいくらでもある。
 昼と夜と、どちらに行動すべきかは迷うところだが、やはり暗いうちの方が安全だろう、とシャナンは判断した。山岳部とはいえ、見通しは利く。そして、赤茶けた大地でシャナンの黒髪はかなり目立つ。気付いたら包囲されていた、などという状態になったら下手をすると殺される可能性もある。
 夜でも、しばらくは月明りが十分にあるし、元々夜目が利く方だ。それに、敵が明りを持っている可能性もある。そうなれば彼らの後をつければ神殿を簡単に発見できるだろう。
 この日は、目的の山の麓に辿り着いたところで日が昇り始めてしまった。さすがに辿り着いたその場所に神殿がある、などという幸運はなかったらしい。
「まあ、ここまで来たらあと僅かだ」
 食料もあと半月分はある。最悪、神殿に食料がないということもないだろう。
 唯一の気がかりといえば、ティルナノグがどうなっているかだが、これは今考えてもどうしようもない。
 そして、神ならぬ身のシャナンに、実はすでにセリス達がティルナノグを発ち、イザーク解放へと動き始めているということなど、想像も出来ないことだった。

「ようやく、見つかったか」
 山岳部に入って三日目、シャナンはついに神殿を見つけることが出来た。
 もっとも神殿、というより遺跡といった方が正しいかもしれない。元はさぞ壮麗な神殿であっただろう、ということはその周辺にある建築物跡から想像できる。よくこんな場所に、とも思うが、かつてはここも、緑と水が豊かな場所だったのかもしれない。だが、今のシャナンにとってはそれはどうでもいいことだ。
 時間は、太陽が昇り始めた頃。さすがに今から行くのは、少々危険すぎる気がする。いくら暗黒教団とはいえ、実際には活動しているのは昼だろう。そんな中に飛び込んでいくこと自体、愚かだ。
 それに、今日も夜通し歩きつづけていたので、シャナン自身も疲れている。疲れが判断力を鈍らせることは、よく分かっていた。
 目の前にバルムンクがある、と思うと気が逸るが、だが見つかって捕えられでもしたら元も子もない。
「少し休んで……あとは様子だけでも見ておくか」
 シャナンはそう決めると、適当な、神殿が大体見渡せそうな、かつ日光を避けられる場所を探した。程なく、ちょうどいい岩場が見つかる。岩が一つ大きくせり出して屋根になってくれていて、その下はかなり涼しい。ここからなら、たとえこちらを見られたとしても、日影にいれば気付かれないだろう。
 シャナンは荷物をおろすと、もう一度神殿を見渡してみた。大小いくつかの柱が林立し、中央に半ばは崩れかけている巨大な神殿がある。神殿の大きさだけでも、並の城郭の半分近い。周囲の柱などを考えると、かつては小さな街くらいの広さを持った神殿だったのかもしれない。何の神殿だったのか、少し興味を覚えなくもないが、調べたところで仕方ないし、調べる方法もない。
 神剣があるとしたら、確実に中央の神殿のどこかだろう。暗黒教団の連中が神剣についてどのくらい重要視しているかだが、ギルキタークの話のとおりなら、神剣であることは分かっているであろうから、少なくともそこらに放置されているとは考えられない。だとすれば、宝物庫か、それに類する場所だろう。
 いずれにしても、夜を待つしかない。シャナンはそう決めると、日影に入り込んだ。顔だけ出して、神殿を観察する。多少距離が離れているから、神殿周辺から自分が見つかる可能性はまずない。
 観察すること数刻。神殿にいる者は、やはり昼に活動するようだ。
 ここの夜は、砂漠よりもさらに冷える。ただその分、昼は太陽はまぶしいが、砂漠に比べればずっと楽で、夜の寒さよりはかなりマシだ。
 とはいえ、この程度の寒暖であれば、水と食料さえどうにかできれば、生きていくことは不可能ではないだろう。
 神殿からは人はあまり出てこなかった。シャナンはそれほど遠目が利く方ではないため、ちゃんと判別は出来ないのだが、それでも数人、教団の魔道士らしいものは確認できた。他は傭兵だろうか。剣を持っているのまでは分かった。ただ、それらもごく稀に出てくる程度で、逆に神殿にどれだけの人数がいるのかは見当もつかない。こればっかりは行ってみてから、ということになる。
 もっとも、神殿の中に入ってしまえば、広い場所――例えば聖堂など――にでも行かない限りは包囲されることもないだろうから、それであればどうにでもなる自信はあった。
 あとは、神剣が見つけられるかどうか、だ。こればっかりは運に頼るしかない。
 こういうとき、盗賊としての――というよりは宝物などに鼻が利く種類の人間が羨ましくなる。デューなどが、どこから見つけてくるのか、というくらいに色々なものを、廃棄された神殿や遺跡から見つけてきていたことを思い出した。そういう類の人間を雇っても良かったのだが、暗黒教団のかつての本拠地に行く、とか言ったら確実に逃げ出されただろう。
 日が傾き、大地が赤く染まり始めると急に気温が下がってくる。結局、神殿から離れてこちらに来る者はほとんどいなかった。もしいたら、捕まえて情報を引き出そうと思ったのだが、さすがにそうそう都合よくはいかないものだ。
「……さすがに、少し休んでおくか」
 今朝は昼前まで歩きつづけ、その後ずっと神殿を監視している。さすがに少し疲れてきていた。多分これ以上神殿を監視していても、実りはないだろう。
 西の空を見ると、すでに太陽はその姿を半ば以上地平に隠している。神殿に忍び込むのは暗くなってからのほうが安全で、さらに言うなら寝静まってからのほうが安全だ。それまでは休んでいよう、とシャナンは決めて、体が冷えないように防寒用のマントで身を包み、目を閉じた。
 ふと、ティルナノグのことが頭をよぎる。今ごろどうしているのか。とにかく、無事であってほしい。もう、ティルナノグを離れてから一月以上が経過している。オイフェがもう戻っているはずだから、無事ではあると思うが、それでも心配なものは心配だ。
「まあ、あの子らも十分強くなったからな……」
 実際、特にセリス、スカサハ、ラクチェの三人は驚くほど強くなっている。多分もう、並の相手では到底敵わないほどに。その他の子供達も十分強い。人数は決して多くはないが、精鋭揃い、といってもいいだろう。
 ふと、自分にやや先行しているはずの少女のことを思い出した。ここまででは鉢合わせなかったから、あるいはここまで辿り着かなかったのかもしれない。
 話のとおりなら、自分の半分ほどの年齢の少女だということだから、普通は辿り着けるはずはない。
 何が目的かは分からないが、暗黒教団の関係者である確率は、やはり低いだろう。関係者なら、わざわざ神殿の場所を聞いたりはしないだろうからだ。
 そうなると考えられるのは賞金稼ぎか盗賊――財宝捜索者(トレジャーハンター)の可能性。ただ、現状では前者は確率が低い。
 となると後者か。ならばかなり厄介だ。
 ある程度目利きが出来る者ならば、神剣の価値に気付かないとも思えない。もし、万に一つ、すでに神剣が奪われていた場合は、最悪の事態だ。出来ればそうならないことを祈りたい。
 そんなことを考えているうちに、シャナンは眠りに落ちていた。彼自身、自分でも気付かないほどに疲労していたのである。

 シャナンが目を開けたとき、空にはすっかり夜の帳が下りていた。寝過ぎたか、と慌てて月の位置を確認したが、幸い寝過ごした、というほどではなかったらしい。予定よりはやや時間が経過しているが、十分な時間はある。
 外を歩く分には、満月に近い月明りのおかげでまず困らない。むしろ、遠目に発見されるのを警戒しなければならないほどだ。
 シャナンは用心深く柱などの影を利用し神殿に近付いた。近くで見ると、その大きさが良く分かる。入り口は大きなものが一つ。通用口のようなものが沢山。ただ、それ以外にも壁に穴があいた場所はかなりあり、正面口には見張りがいるようだが到底カバーしきれていない。もっとも、こんな場所に来る者など、普通はいないから当然だろう。
 シャナンは適当な場所で神殿の中に滑り込んだ。
 中は当然だが、暗い。天井や壁の亀裂から月明りが差し込んできているが、まったく見えないに等しい。これが月明りではなく昼の太陽の光でも、中を歩くのは苦労するだろう。あちこちに申し訳程度の灯火が存在するのでどうにか見えるが、間隔も広く、到底十分な明りがあるとは言いがたい。
 シャナンはしばらく考えた後、壁にあった灯火を一つ手にとった。これなら、足元は見える。あとは灯火の配置で通路の形状は分かるし、人の気配は気をつけていれば気付くことが出来る。
 灯火をもって歩くのは目立つが、まさかここに侵入者がいるとは、彼らもそうそうは考えないだろう。
 神殿は思ったよりあちこちが崩れていた。出来るだけ人の多い気配がする場所は避ける。宝物庫などがそういう場所にあるとは考えにくい、というのもあるからだ。かつてマンスターに潜入したときの感じと同じだとするなら、パターンとしては宝物庫は地下だろう、とシャナンは踏んでいた。
 ところが。この神殿に地下への入り口は、全くなかった。いや、もしかしたら人の気配が多くする場所――この時間だと大半は眠っているのだろうが――にあるのかも知れない。ただ、さすがにそんな場所にいったら魔法などで集中的に狙われる。いくらなんでもやり過ごす自信はない。バルムンクがあるのならまだしも。
 こうなると、適当な一人を捕まえて直接聞き出すしかないだろう。ふと天井の穴から空を見ると、もうかなり白んできている。時間も、あまりない。危険は伴うが、この際手段を選んでいられる時間もない。実際、これだけ探して見つからなかったとなると、遅かれ早かれこの手段しかないだろう。
「止むを得ないか……極力避けたかったが……」
 さしあたり、正面の大扉の前に二人いたから、彼らが一番都合はいいだろう。不意を打てば、何かされる前に昏倒させる自信はある。
 方針を定めたシャナンは、早速正面口に向かおうとして――そこで、自分の中に何かが騒ぎ出しているのに気が付いた。いや、何か、ではない。血が、力が、何かに反応している。
「な、なんだ……?」
 軽い眩暈すら覚えたシャナンが通路の角に出たところ、その目の前で今まさに外に出ようとしている人影があった。
 長い金色の髪を綺麗に三つ編に束ねた、小柄な少年――いや、少女がそこにいた。そして、その背にある剣を見た瞬間、シャナンの全身が凍りつき、そして沸騰したような感覚に襲われる。同時に、シャナンはその剣が何であるかを理解した。
 その見ている前で、少女は外に飛び出そうとしている。シャナンは慌てて飛び出し、その腕を掴んだ。
「おい、ちょっと待て」
 その時、驚いて振り返った少女の顔が、朝陽に照らされてなぜかとても美しく見えた、とは後にシャナンがセリスに洩らしたことである。



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