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永き誓い・第二十六話




「うっそぉ……」
 パティのその呟きは、今日三度目であった。ただし、今回が、こめられた驚愕の感情はもっとも強い。
 だが、当然だろう。
 突然聞こえた爆音と共に、神殿の壁が吹き飛んだ。そして、そこからばらばらになった石塊が飛び出し、しばらくしてからシャナンがゆっくりと出てきたのだ。推測するに、壁を吹き飛ばしたのもシャナンだろう。だが、パティの知る限り、人間にそんなことが出来るとは到底思えない。
 だが、戻ってきたシャナンに訊ねると、
「ああ。まあ、ちょっと厄介なのがいたのでな」
 と、平然と応じて見せたのである。
 これこそが神器の力、というものなのだろうか。伝説というのは、大抵は誇張されて伝えられるものだと思っていたパティには、このバルムンクの力は驚異的に思えた。まして、知っている範囲の伝承では、オードの活躍というのはさほど大きくは伝えられていないのに。
 その日は結局、岩屋のところで休むことにした。さすがにシャナンもパティも夜通し神殿を探索した後であったため、疲れていたからである。
 パティから、再度神殿を調べよう、という提案があったのは、ちょうど夕食のときだった。
「必要ない。それにまだ何があるかも分からん。危険すぎる。それより、早くティルナノグに戻らなければならない」
「ティルナノグ?」
 言ってしまってから、シャナンはしまった、と思った。よく考えたら、この少女の素性など、全く分かっていないのだ。成り行き上一緒に行動しているが、素性の知れない、しかも盗賊をティルナノグに連れて行くわけにもいかない。
「……まあ、私の住んでいるところだ。それより、パティ、君はこの先どうするんだ」
「だから神殿に行くって」
「だからそれは……」
「だってまだあの神殿、お宝たくさんある気がするし、中にはシャナン様とかにも役立つようなものだってあるかもしれないじゃないですか。それに、挙兵するにも、お金がいるでしょう?」
「それはそうかもしれないが……って、ちょっと待て。パティ、私達のところに来るつもりか!?」
「うん」
 パティはあっさり頷く。
 そのパティに呆れつつ、同時にシャナンは、パティが相当情報に通じていることに気がついた。
 パティは今、あっさりと『挙兵するなら』と言ったのだ。確かに、シャナン達は、神剣が手に入り次第、イザーク解放の兵を挙げるつもりで、その準備も進めていた。イザークの情報に通じている者ならば、近々セリス、シャナンらが反乱を起こすことはそれとなく気付くだろう。
 だが、どう考えてもイザークに普段いたとは思えないパティが、そのことを知っているのは、並外れた情報収集能力の証明といえるだろう。
 しかし、それと彼女が自分達と同行することは、また別問題だ。
「あのな……パティ。私達がやっていることは遊びじゃ……」
「分かってるもん、そんなこと。でも私にだって出来ること、あると思うし」
「いや、だから……」
「だってシャナン様じゃ、バルムンク見つけられなかったんでしょう? もしかしたら他にも、そういうことあるかもしれませんよ?」
「う……」
 それを言われると、シャナンには反論する言葉がない。確かに、パティがいなければおそらくバルムンクは見つからなかっただろう。先ほど話を聞いたが、さすがにシャナンでは隠された宝物庫を探す技術や発想は、到底出てこない。それに、彼女の情報収集能力も、侮れない。
「というわけで、決まりっ」
「お、おい。勝手に決めるな」
「だって反対意見ないでしょう? じゃ、決まり♪」
 パティはそういうと、テキパキと食器等を片付けていく。かなり慣れているのか、その手際はシャナンよりもずっといい。
「はい終わり、と。じゃ、シャナン様おやすみなさい〜。あ、でもいくら私が可愛いからって、襲わないで下さいね〜」
「おっ……」
 パティはとんでもない台詞をさらりと言うと、早々と毛布に包まる。
 まさかそんな台詞がくると思っていなかったシャナンは、思いっきり前につんのめった。その様子を見て、パティが思いっきり笑う。
「あははっ。冗談ですよ。それじゃ、おやすみなさい、シャナン様」
 言うが早いか、パティはもう目を閉じている。シャナンがようやく回復したときには、もう静かに寝息を立て始めていた。このような状況でもこれだけ寝つきがいい、というのは、相当旅慣れしている証拠だ。年齢に似合わず、かなり苦労しているのかもしれない。傍目には、小柄な少女としか思えないのだが。
「それにしても……どこかで見たことがある気がするが……」
 最初に見たときから、それが妙に気になっていた。直接会ったことはない。今回が初対面なのは確実だ。
「う……ん……」
 わずかに寝返りをうったパティの頭の位置がずれて、その長い金髪がシャナンの目にとまる。焚き火の炎を映じて金髪がむしろ赤みを帯びた輝きを放ち、光の波のように見えた。
 三つ編みにしていたためか、きっちり結わえられたあとがついているため、ややくせっ毛のようにも見える。
「長い金色のウェーブの髪か……エーディン様やブリギッド様がそうだったな……」
 そこまで言ってから、シャナンははっとなった。よく見てみれば、パティの顔立ちは彼女らに似ている。だが、エーディンの娘である確率はない。エーディンの子供は、ティルナノグにいるレスターとラナだけのはずだ。だとすれば、ブリギッドの娘か。可能性はゼロではない。もしかしたら、ブリギッドはまだ生きているのか。
 あのバーハラの悲劇以後、かつてシグルドと共に戦った者達の行方は、ほとんどわからなくなっていた。
 死亡が確認されている者も多い。だが、ブリギッドについては、確かに分かっていない。
「もし、ブリギッド様の娘なら、どこかに聖痕があるかも知れないが……」
 とりあえず、ぱっと見えるところに聖痕らしきものはない。もっとも、聖痕というのは体のどこに現れるかも定かではないし、直系の家系だからと言って必ず現れるものでもない。場所も遺伝するというわけではなく、実際、祖父と父、それにシャナンでは皆場所が違う。
 もっとも、確率から考えるなら、そんな偶然などあるはずはないが、ここまで逞しいと、かつて海賊の頭でもあったブリギッドの娘である、という方が説得力はある。
「……明日、聞いてみるか」
 シャナンはそう決めると、自らも毛布に包まって眠りに就いた。

「あ、シャナン様、おはようございます」
 シャナンが起きたとき、すでにパティは起きて朝食の準備をしていた。やはり大分疲れていたのか、眠りに就いたのは暗くなってから少ししてからだったのに、今はもう日が昇りかけている。半日近く熟睡していたらしい。
「もうご飯できてますよ。早く終わらせて探索行きましょう、シャナン様」
「ああ……って、本気で行くのか?」
「はい」
 パティはお茶を淹れる手を止めずにあっさりと頷いた。
「だってもう安全なんでしょう?っていうか、仮に残っていた人がいたとしても、もう逃げ出しちゃってますよ」
 それは確かにそうだろう。向かってくる連中はすべて倒したが、中には逃げ出す者もいただろうし、あるいは隠れてやり過ごした者もいるだろう。だが、逃げ出した者が帰ってくるとは思えなかったし、隠れていた者がまだ留まっているとも考えにくい。
 だが、昨日まで暗黒教団の拠点の一つだった場所に行こう、などという発想は普通の娘には到底出来るものではないだろう。もっともそれ以前に、こんなところに来る時点で普通の娘でないのは明らかなのだが。
 そう考えてから、シャナンは聖痕のことを思い出した。
「……そういえばパティ。君の体のどこかに、痣のようなものはないか? その……弓の形をしたような」
「え? シャナン様、なんでご存知……まさかっ、見たの!?」
「ち、違うっ、推測だ。……あるのか?」
「え〜ん、パティ、もうお嫁に行けない〜」
 しかしパティはシャナンには答えず、泣き喚いている。
「ちょ、ちょっと待て。だから、見てないと……」
「……本当に?」
「だからそう言っている……」
 シャナンは心底脱力しつつ、どうにかそれだけを言った。
「ホントのホント?」
「本当だ。……つまり、あるんだな?」
「うん。ホラ、ここに。うっすらと」
 そういうとパティはぱっと上着を上げ、自分のおなかを見せる。ちなみにもう泣き顔ではない。というより、どうやら嘘泣きだったようだ。
「お、おいパティ」
「だってこうしないと見えない場所なんですから」
 だったらさっき騒ぐな……とは言いたかったが、とりあえずそれは自制した。
 見てみると確かに、ちょうど脇腹の辺りにうっすらと弓の形をした痣がある。間違いない。聖戦士ウルの力の継承を表す聖痕だ。
 こんな偶然があるものなのか、とシャナンは小さからず驚いていた。
「お兄ちゃんは確か左肩に。もっとはっきりしたのがあるの」
「兄? 兄がいるのか。もっとはっきりした……もしかして、なんか特別な弓とか持っていなかったか?」
「……シャナン様、なんでそんなこと知ってるんです? 確かに、お兄ちゃん、お母さんの形見だって不思議な弓持ってますけど……私は、お母さんなんて会ったこともないんですが」
 間違いないだろう。聖弓イチイバルだ。するとブリギッドは、あのバーハラの戦いを生き延びて、何処かでパティとその兄を生んだことになる。しかし形見、ということはもう死んだ、ということなのだろうか。
 いずれにせよ、レスターとラナにとって、パティとその兄は従兄妹ということになるだろう。
「もしかしてシャナン様、私達のことを何か知っているんですか?」
「……そうだな。とりあえず私と来るがいい。いや、お前の兄が心配するか……」
「あ、それは大丈夫。一月二月留守にするのは、良くやるもん。それにお兄ちゃんも出かけてるはずだし」
 なんとなく想像がつく。ついでに多分、その兄はパティが飛び回ることを心配しているのだろうが……パティが気にすることもないのだろう。
「まあ、いいか。なら、ついてこい。お前の仲間や友に、会わせてやる」
「私の、仲間……?」
 パティは釈然としないとした様子で、シャナンを見上げている。そのパティはとりあえず無視して、シャナンは手早く荷物を片付けて出立しようとした。
「あ〜、シャナン様そんなこといって、誤魔化して。どこかに行く前にまず神殿行くんだもん〜」
「お、おい……」
「でないと私、シャナン様と一緒に行かないもん。いいの? 女の子一人、まだなにか危険がある場所に行かせちゃって」
 シャナンの負け。
 多分この場に審判がいたら、そういう判定が下ったことは間違いない。
 結局シャナンは、パティと共に再びイード神殿に入っていった。

 イード神殿の中は、予想以上の荒れようだった。所々に、シャナンが昨日倒した兵達が今も倒れている。砂漠の乾いた環境のためか、まだ腐臭を発することなく、流れた血も乾いてしまっているらしい。
 パティは意外なほど冷静だった。倒れた兵士を見ても、多少顔をしかめる程度である。
 後で聞いたのだが、彼女も、死んだ人間など見慣れているらしい。だからといって慣れるものではないが、動揺するほどではないという。今の時代、どこで生きていても死と隣り合わせの生活しかない、ということでもあるのだろう。
 目的がここのお宝である以上、別に祭壇を目指しているわけではないので、途中から道が変わり、死体がなくなり、やがて袋小路に突き当たった。
「ホラ、ここ。ここをこうするとね……」
 パティが壁の一部を押すと、あっさりと壁が奥に入っていく。
「隠し扉。まあこういう場所にはよくあるんです」
「なるほど……」
 さすがにこんなものを見つけるのはシャナンには無理だ。逆にいえば、この年齢でこれだけの技術を身に付けている彼女には少なからず驚嘆する。
「そういった技術、一体誰に習ったんだ?」
 シャナンの記憶する限り、ブリギッドは別にそういう技術を持ってなかった。また、確かブリギッドはジャムカ王子と婚約していたはずだが、彼もそんな技術は持っていなかったはずだ。
「えっとね、デューおじさん。お兄ちゃんと私が孤児院にいる時に時々来てくれて、色んなことを教えてくれたの」
「デュー!?」
 つくづくこの少女には驚かされる。まさかまた、懐かしい名前が出てくるとは思いもしなかった。
「シャナン様……デューおじさんのこと、知ってるの?」
 パティの方も、これは驚いたようだ。考えてみれば当然だろう。
「……ああ。昔、一緒にいたことがある……と。着いたか……まて、パティ」
 階段の一番下まで来たところで、シャナンは人の気配を感じた。数は二人。だが、殺気や警戒する気配もない。
「あ、もしかして……」
 パティはシャナンの横をすり抜けると、ひょい、と通路に顔を出した。
「お、おい」
「大丈夫ですよ、シャナン様。寝てます」
「寝てる?!」
 少し警戒しつつパティのそばに行くと、その足元で二人の兵士が静かな寝息を立てていた。
「これは……?」
「えへへ。私が忍び込んだとき、眠ってもらったんです。まだ眠ってたんだ」
「眠ってもらった? 魔法が使えるのか?」
「ううん。違いますよ。これです」
 そういうとパティは、彼女の荷物の中で一番大きな長剣を取り出し、シャナンに見せた。
「この剣、なんか適当に振り回していると相手が寝てくれるんです。だから、こういうとき重宝するんですよ」
 確か眠りの魔力を秘めた剣がある、と聞いたことはあった。しかし実在するとは思わなかった。ちょっと持ってみるが、ひどく重く、バランスも悪い。武器としては非常に扱いにくい。ただ、込められた魔力がそういう種類ならば、あるいは当然かもしれない。相手を殺さずに制する武器なのだから。
「なるほどな。この先、見張りは?」
「いなかった……ハズ」
 パティとシャナンはそのまま歩みを進める。確かに、人の気配はない。だが、シャナンはここ自体にこめられた、何かの念のような重苦しさを感じずにはいられなかった。
「最初はずっと、ここに隠れていたのかも知れんな……」
 これだけ大きな神殿であれば、かつての聖戦で暗黒教団を掃討しようとしたかつての解放軍が見逃すとは思えない。だから彼らは、その追及の手が緩むまで、ひたすらここに隠れつづけていたのかもしれない。
「これ、子供の字……」
 パティが何かを見つけたのか、シャナンを手招きした。パティの持つたいまつに照らされている壁には、拙い字で『いつかまた僕達をロプト神が解放してくれますように』と刻まれている。それは、善悪にとらわれない、純粋な願いだ。
 いつ刻まれたものだろう。ずっとこのような苛酷な環境の中で過ごした彼らには、頼れるものは暗黒神しかなかったというのだろうか。
 確かに、彼らの祖は、非道の限りを尽くした。それは間違いない。だが、だからといってその罪が子供にまで及ぶのは、どこかおかしい気がする。彼らは、この刻まれた文言からも分かるように、ただ純粋にロプト神を信じている。自分達が神々を信じるのと同じように。
 封じられ、世界から憎まれ続けていることが、あるいは彼らを悪魔に変えたのではないだろうか。だとしたら、今の世界の混乱は、シャナンや、あるいはもっと遡ればかつての聖戦士たちにその原因があるのではないだろうか。
 確かに、彼らを追い詰めたのは、聖戦の後の時代を生きた者達のせいかもしれない。
 だが、だからといって彼らが非道を繰り返す理由にはなりはしない。これでは、かつてと同じ悲劇を招くだけだ。
 いや、実際招いている。十二聖戦士がたとえ敵味方となろうとも、シャナン達は暗黒教団の暴走を食い止め、世界に再び、平和に過ごせる時を取り戻さなくてはならないのだ。
 問題はその後。
 再び続こうとする憎しみの連鎖を断ち切る。それこそが、かつてから教訓を得ている自分達がすべきことだろう。
 そこまで考えて、シャナンは小さく苦笑した。
 まだ、戦いが終わったわけではない。いや、まだ始まってすらいない。まずはこれから始まる戦いに勝ち抜くことが必要だ。おそらく、大陸各地に燻っている反攻の火種は、すでに大きな炎になろうとしている。だが、個別であっては、強大な力を持つ帝国軍に対して、勝ち目はない。その中心たる人物が必要だ。そしてそれは、自分ではない。
 英雄シグルドの、そして皇女ディアドラの子であるセリス。彼こそが、その盟主に相応しい。これは、決して贔屓目ではない。
 時代が、確実にその方向に動いていることを、シャナンはもう疑っていなかった。あるいは、ここでブリギッドの娘であるパティに会えたのも、偶然ではなく必然であるのかもしれない。
 かつて、イザークの祖であるオードが『偶然とは、予測できない必然である』と言ったように。
「いずれにせよ、まずは戦いに勝つことか……」
「シャナン様?」
 シャナンは、パティの言葉ではっとなった。パティが、心配そうにシャナンを見つめている。
「すまん。少し考え事をしていた。それより、お宝はあったのか?」
「うん。まだ結構たくさんありました。とりあえずもてるだけ持ったの。あと、よさそうな剣もあったから、これは……ってシャナン様、バルムンクがあればいらない……?」
 パティが見せたのは、バルムンクよりは一回り小振りな、美しく細い刀身を持つ剣だった。シャナンは、似た剣をよく覚えている。確か、ホリンがアイラに贈った剣と、ほぼ同じものだ。
「……そうだな。私は要らない。パティが使ったらどうだ?」
「う〜ん。私、剣術ダメなんです。デューおじさんからも色々教えてもらったんだけど、イマイチで。じゃ、誰か使えそうな人いたらあげちゃおうっと」
 パティはご機嫌で剣をしまうと、二人は再び階段を上がって外に出た。
 途中、眠っている見張りをどうするか、シャナンは一瞬迷ったが放置しておくことにした。二人だけで何か出来るとは思えなかったし、いくら暗黒教団の関係者とはいえ、無抵抗の者を殺すのには抵抗があったというのもある。
「……さてと。とりあえず、イードを越えるぞ。ティルナノグに着いたら、全部教えてやる」
「う〜。なんか釈然としないけど、いいや。じゃ、出発〜♪」
 パティは元気良く歩き始める。普通なら、これから砂漠を越えようというのだから気が滅入るところだが、同行者がいるためか、シャナンもかなり気が楽だった。実際、パティには周囲を明るくしてくれる何かがあるように思える。

 とりあえず二人は、再びイード砂漠を越えて、まずは海岸沿いにある街レイランを目指した。そこから北上し、イザークを目指す。
 しかしその時すでに、イザーク王国はセリスの手によって解放されていることを、この時のシャナンは知らなかった。
 そしてついに、解放軍がその歩みをフリージ王国へと進めるため、イード砂漠を前にしていたのである。



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