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永き誓い・第二十七話




 シャナン達がレイランの街まであと少し、というところまで到達したのは、イード神殿を発ってから十日後の早朝のことであった。かかった時間は、往路とほぼ同じということになる。
 パティはさすがに旅慣れていた。伊達に一人でシャナンと同じ道を歩いてきたわけではないらしい。
 道中、パティはしきりにシャナンに何を知っているのかを聞き出そうとしていたが、シャナンは教えなかった。単純に、ちょっと驚かせてみたい、というのもあったのかもしれない。
 パティはシャナンから自分のことを聞き出すのを諦めると、今度はシャナン自身の話を聞きたがった。パティにとって、シャナンは本来話すことすら出来ないような人物、という感覚があるらしい。もっとも、パティの出自に気付いているシャナンからすると、それはひどく滑稽に思えてしまうのだが、それを知らないパティとしては聞きたがるのは当然だろう。
 シャナンはパティの質問攻めに適当に答えつつ、逆にイザーク以外のことをパティに聞いてみた。
 するとパティからは、意外なほど色々な情報を聞くことが出来た。
 パティが住んでいるのはコノートであるが、パティはトラキア半島に留まらず、ミレトス地方やダーナ周辺などにまで遠出することがあり、驚くほど情勢に詳しかった。さすがに、イザークの事情にも通じていただけのことはある。
 特にトラキアの情報は、レヴィンもなぜかあまりもたらしてくれなかったため新鮮で、さらに、パティの情報は非常に詳しくて正確だった。
 パティによると、半年近く前に、レンスター城がキュアンとエスリンの遺児リーフによって奪還されたらしい。しかしその後、フリージ軍の反撃を受け、今は篭城中だという。その話に、シャナンは奇妙さを感じた。これほどのことを、レヴィンが知らなかったはずはない。だが、バルムンクの情報をもってきたとき、レヴィンはトラキア半島の情勢など全く口にしなかった。
「一体どういうつもり……いや、そうか……」
「シャナン様?」
 おそらくレヴィンは、それでセリスが無謀な挙兵をするのを恐れたのだろう。第一、半年前であったなら、イザークは冬に向かっている季節だ。仮に軍を発したとしても、まず自然に勝てなくて、それだけで大きな被害を受ける恐れがある。戦うどころではない。だが、それでもセリスは挙兵を強行する可能性があるし、あるいは挙兵を堪えたとしても、従弟の苦境を見捨てているという事実は、セリスを苛み続けるだろう。
「いや、なんでもない。それで、他には何か情報はあるか?」
「そうですね……あとは……フリージ軍は南のトラキアとの間でもうまくいってないとかで、レンスターにかかりっきりってわけじゃないみたいです」
 それはそうだろう、とシャナンは思った。
 トラキア王国は、トラキア半島統一目前にして、豊かな北をグランベルに奪われたのだ。恨みはすれど、好意的である理由はない。ただ、国力が違いすぎるために、表向きは友好的な関係を保っているに過ぎないのだ。
 どちらにせよ、情勢は決して悪くない、とは言いがたい。こうなると、もう戻ったらすぐにでも、ティルナノグも兵を挙げるべきだろう。
 元々、ティルナノグが兵を挙げていなかった理由の一つが、今シャナンの手にあるバルムンクの所在がいつまでもわからなかったからなのだ。
 聖斧スワンチカを持つであろうイザークの支配者ダナンを倒すためには、同じ神器の力が不可欠と思われたからだ。
 その他の神器のうち、聖剣ティルフィングは所在は明らかではない。ただおそらく、バーハラにあると思われている。レヴィンの持つフォルセティは、すでに息子に継承されたらしく、現在はその息子がどこにいるかは定かではない。一度聞いてみたところ、シレジアにはいないらしく、レヴィンもどこにいるかは分からない、と言っていた。
 地槍ゲイボルグと魔剣ミストルティン、聖杖バルキリーは行方不明。天槍グングニルはトラキア。神魔法であるファラフレイムとトールハンマーはそれぞれアルヴィスとブルームが持っている。ナーガは行方不明だがおそらくバーハラだろう。残るは、おそらくパティの兄がもっていると思われる聖弓イチイバルだけだ。
 せめてもの望みは、最強の神器と云われている、ナーガの継承者がディアドラであることだろう。彼女が、自分達に敵対するとは思えない。
 ただ、ディアドラは、もう何年も公式の場に姿を見せていないという。また、その継承者の存在についても不明な点が多い。
 アルヴィスとディアドラの間にはユリウス、ユリアという双子の兄妹がいるらしいが、彼らのことについては、不思議なほど分からないことばかりなのである。おそらくはどちらかがナーガ、そしてファラフレイムの継承者であるだろうが、ユリウスは暗黒神の生まれ変わりだ、という噂もある。
 レヴィンの情報でも、この辺りについてはさすがに情報が曖昧で、分からないこと、噂以上の情報はほとんどない。
 ただ、ここへ来てバルムンクが入手できたこと、さらにイチイバルについても光明が見えてきたのは、何かの導きがあるようにも感じる。
「どちらにせよ、もう時が来ている、と考えるべきだろうな……」
「あ、シャナン様、街が見えてきましたよ……あれ?」
 パティが指差した方向には確かに街の明りが、まだ暗い空の下に見える。だが、その明りがあまりにも多過ぎた。
 明け方ということで、起きだした人々が灯りを付けたとしても、いくら何でも明るい。第一、今見えているのは、街の家の灯りではなく、街の少し手前に、多くかがり火を焚いているものだ。
 すなわち、軍が布陣している明りだった。
「……まさか」
 この時期にここに軍が駐留するなど考えられない。ありえるとしたら、ティルナノグを殲滅するために、ダナンがフリージに援軍を求めるとかその程度だ。
 だが、それはありえない話ではない。パティの話のとおりなら、フリージにとっても、レンスターのリーフ王子の勢力と、イザークのセリスの勢力が結びつくことは避けたいはずだ。まともに考えれば、レンスターを一気に攻め落とす方が早いが、あるいは両方に大軍を派遣する余裕が出てきているのかもしれない。
 見たところ、軍勢の規模はそれほど大きくはない。せいぜい一千かそこらだろう。とはいえティルナノグには十分脅威となる数である。
「パティ、とりあえず私が偵察してくる。ここで待っていろ」
「じょーだん。私だって偵察とかそういうの得意だもん。ついていきますよん」
 シャナンはなおも押しとどめようとも思ったが、無駄であることを悟り、諦めた。確かにパティなら、仮に帝国軍に見つかっても無事逃げおおせるだろう。
「……分かった。だが、無理はするなよ」
「うんっ」
 パティの元気のいい返事を背中に受け、シャナンはなるべく見つからないように砂丘や岩場の影などを使って街に近づいていった。
 軍はすべて街の外に布陣しているようで、街自体は混乱した様子はないようだ。遠目にようやく見張りの姿が見えるようになってきたとき、シャナンはその軍隊が奇妙なことに気が付いた。装備が不揃いなのである。
 グランベル帝国の一翼であるフリージ王国の軍隊であるならば、装備は制式装備を支給されているはずで、兵士の格好は基本的にほぼ同じものとなるはずだ。だが、今見える兵士は、鎧も盾も、持っている武器もばらばらだ。
「シャナン様、あれ、どこの軍隊の旗章?」
 パティが指差す先には、おそらく本陣を示す巨大な旗がはためいていた。それは、黒地――暗いからそう見えるだけだが――に金色の剣を象った紋章。そしてそれは、シャナンにとっては決して忘れることなど出来るはずのない紋章。
「まさか……シアルフィの紋章……」
 シアルフィ家は、もはや地上には存在しない。シアルフィ家は、叛逆者バイロン、シグルドを出した咎で取り潰され、現在その所領は皇帝の直轄地になっているはずである。
 そして、シアルフィ家の血筋を受け継ぐ者は、すでに公式には存在しない。しかし、実際には存在する。そして、その旗を掲げる者がいるとすれば。
「挙兵……していたのか」
 シャナンは少なからず驚いていた。シャナンがティルナノグを出てから、すでに一月以上経過している。だが、セリス達がここにいるということは、少なくともイザークでの情勢が大きく変わったということを意味する。たった一月で。それは、シャナンにとっては驚かずにはいられない事実であった。
「シャナン様?」
「パティ、大丈夫だ。あれは、セリス達……つまり、私の仲間だ」

「シャナン!!」
 本陣の天幕に入ったシャナンを、まずセリスが出迎えた。同じ天幕には、オイフェ、レヴィンもいる。
「驚いたぞ、セリス。まさかもう挙兵して……しかも、ここまで来ているとは」
「本当はシャナンの帰還を待つつもりだったんだけど……」
 セリスはかいつまんで事情と、ここまでの経緯を説明した。
 シャナンが出立してすぐにティルナノグがついに発見されたこと、やむなく、オイフェの帰還すら待たずに反撃に出たこと、そして、イザークでの戦い。
「だが、良くダナンに勝てたな」
 聖斧スワンチカを持つダナンには、同じ神器以外ではほぼ勝つことは出来ない。シャナン達はそう考えていたからこそ、挙兵を堪えていたのだ。
 事実、あのアイラやホリンですら、スワンチカを持ったランゴバルトには敵わなかったのである。かつて、ランゴバルトを倒したのは、ティルフィングを持ったシグルドだったのだ。
「うん。ダナンはスワンチカを持っていなかった。すでに、グランベル本国にいる長兄のブリアンに継承されていたって情報が、ヨハルヴァ達からあって、それで一気に攻略したんだ」
「ヨハルヴァ?」
 セリスは頷くと、控えていた兵士にヨハルヴァを呼んで来るように命じた。
 ややあって、どこか精悍な印象を感じさせる――しかしどこか沈んだ雰囲気の青年が入ってきた。すぐ後ろに、ラクチェとスカサハもいる。
「紹介するよ。ドズル王子――公子のヨハルヴァ。今回の戦いで、私達に協力してくれた。実際、今の軍のうち、五分の一ほどは彼の部隊だ。あと、もう五分の一は……彼の兄、ヨハンのものだ」
 シャナンはその名前には聞き覚えがあった。ヨハンとヨハルヴァ。それぞれ、イザークとソファラの太守に任じられていた、ダナンの息子である。確かスカサハ、ラクチェらとも面識があったはずだ。
「……何があったんだ?」
「俺は親父や、帝国、教団のやり方が気に食わなかった。兄貴も同じだった。だから、あんたらにつく。それだけだ」
 ヨハルヴァはそれだけ言うと、さっさと天幕を出て行ってしまった。慌てて、ラクチェがその後を追う。
「……すみません、シャナン様。ヨハルヴァ、まだ混乱しているんです」
 スカサハが進み出てシャナンに謝ると、事情を説明し始めた。
 ヨハンとヨハルヴァは、二人ともセリス達解放軍――ドズル軍は反乱軍と呼んでいたが――の鎮圧を父から命じられていた。だが、彼らは元々父や帝国、教団のやり方には強い反感を覚えていたのだ。そこで彼らは、全軍を以って寝返り――彼らの部隊の多くはイザーク人であり、ドズルからの者達も彼らに感化されていたらしい――解放軍についたのである。解放軍の進撃が非常に早かった理由の一つがこれである。解放軍は、ガネーシャを陥落させた後は、リボーまで何の障害もなかったのだ。
 そして、リボーでの決戦。イザーク、ソファラの部隊を吸収した解放軍は、数においてもリボーの軍に近い数となり、リボーは篭城戦を行った。だが、リボー内部にも解放軍に同調する者が現れ始め、一昼夜の戦闘の末、リボーの城門を破った。そして、ダナン王と対決したのである。
 ダナンは、さすがに聖斧スワンチカの継承者だけあって、聖斧がなくてもなお、並の兵士ではまるで相手にならなかった。そしてラクチェ、ヨハン、ヨハルヴァが戦ったのだが、その時、父に殺されそうになったヨハルヴァを、ヨハンが庇ったのだという。ヨハンは、その傷で命を落としたのだ。
「ダナンにトドメを刺したのもヨハルヴァでした。さすがのダナンも、息子を殺してしまったことに一瞬油断したのか……。ヨハルヴァは兄ヨハンを死なせてしまったこと、父を手にかけたことがかなり堪えているらしく、今、彼とヨハンの部隊はデルムッドとトリスタンで指揮しています」
「……そうか……。分かった。だが、それに私の出る幕はないな。任せていいか?」
 元々、ヨハン、ヨハルヴァとシャナンは面識がない。話はラクチェやスカサハから話は聞いていたが、直接会った事はなかった。話を聞くに、これは自分が関わるべき問題ではないだろう。
「はい、分かりました。それとシャナン様。バルムンクは……」
「ああ、何とか無事に手に入れた。これだ」
 シャナンは腰に佩いた長剣を外すと、スカサハに、それからセリス、オイフェ、レヴィンに見せた。
 淡い金色の光を放つ、やや湾曲した刀身を持つ長剣。それが普通の剣でないことは、誰の目にもすぐわかる。
「すごいね。それが神剣バルムンクか。でも、無事で何より。かつての教団の本拠だって言うから、心配していたんだけど」
「まあ、この剣のおかげで何とかなったさ。まあ、これがなかったら危なかったが……」
 その時、天幕の入り口が揺れ、別の人物が入ってきた。くすんだ金色の髪を持つ少女、ラナである。
「あの、スカサハ、ユリア、知らない?」
「え?」
「昨日、料理を教えてあげるって約束していたんだけど、見当たらないの」
「いや……俺は知らない……あ、ちょっと待って。もしかしたら」
 スカサハは言うが早いか、一礼して天幕を飛び出していった。ラナはきょとん、とした様子で天幕の中を覗き込み、それからぱっと表情が明るくなる。
「シャナン様、戻られていたのですか!?」
「ああ、ラナ。久しぶりだな。……ちょうどいい。紹介したい子がいる。パティ」
 それまでまったく話に加われず、壁際に突っ立っていたパティは、突然呼ばれてびっくりして顔を上げた。心持ち、緊張している自分を自覚する。だが、無理もない、とパティは自分で自分を納得させた。何しろこの部屋にいるのは、シャナン王子とあのセリス皇子なのだ。
 シャナン一人のときはさほど実感していなかったが、こういう軍隊の中にいるシャナンを見ると、改めて本物であったことを自覚する。そして自分が、とんでもなく無礼だったんじゃないだろうか、と思ってしまって、せめて礼儀正しく振舞おう、と思うのだが、そんなものを教えてもらったことはほとんどないので――孤児院の神父様がたまに教えてくれた程度だ――結局、ひどく不自然になってしまう。
「え、えっと、パティ、といいます。あの、その、シャナン様とは、」
 シャナンはその様子を見て、思わず吹き出した。イードで自分を振り回してくれたパティとのギャップが、あまりにもあったからだ。
「それほど緊張しなくてもいいぞ、パティ」
 シャナンの言葉で、パティは少しだけ緊張が和らいだ。ただ、今度は緩みすぎてしまったらしい。
「えっと、シャナン様の恋人です〜」
 一瞬、天幕の中の時間が凍りついた。ちなみに、後にも先にも、レヴィンが呆然として凍りついた様子というのは、この時しかなかった、とはラナの弁。
 後日、レヴィンは「冗談じゃなかったんだな」と言って、シャナンをからかっているが、少なくともこの時は本当に唖然としていた。
「え、あ、ご、ごめんなさい。嘘、冗談です。あの、私は元盗賊ですけど……えっと、もう盗賊やめて、シャナン様に協力して解放軍に加わりたいと思ってますっ」
 最初に動き出したのは、やはりレヴィンだった。僅かに口元がひくひくしているのは、あるいは笑い出す寸前だったのかもしれない。
「……いや、まあ個々の恋愛にどうこう言うつもりはないがな、シャナン……」
「ち、違うっ!! パティも違うといってるだろう!!」
 ちなみにシャナンがひどく取り乱したのも、この時くらいである。
「え、えっと、それはともかく……一体この子は?」
 セリスも口調は普通だが、笑いを堪えているのは同じらしい。
 シャナンは大きく息を吐くと、やや脱力したようになり、深呼吸してから言葉を続けた。
「この子はパティ。バルムンクを手に入れる時に……まあ協力してもらった、といっても過言じゃないんだが……。おそらく、ブリギッド公女の娘だ」
 再び天幕が凍りついた。ただし、今度は質が違う。唯一、全く事情が分かっていないのはパティだけで、頭の上に疑問符がたくさん浮いていた。
「え……じゃあ、私とは……」
「そうだ、ラナ。パティは君の従姉妹にあたる」
 今度はパティも驚いた。呆然と、ラナを見つめている。
「ど、どういう……」
「パティ。君の体にある弓のような痣は、聖痕、と呼ばれる聖戦士の血と力を継承する者にのみ現れる印なんだ。そして君が持つのは聖戦士ウルの聖痕。現在、傍系は分からないが、直系でウルの聖痕を持つ可能性があるのはブリギッド公女、エーディン公女、アンドレイ公子とその子供だけ。だが、エーディン公女とアンドレイ公子にはパティという名の子供はいない。残るは、バーハラの悲劇以後、行方不明とされていたブリギッド公女の子供のみ。そして、君の兄が形見だといって特殊な弓を持っているという。おそらくそれは聖弓イチイバルだろう。だとすれば、君達はほぼ間違いなくブリギッド公女の子供だ」
 パティは呆然としていた。当然といえば当然だろう。突然顔も名前も知らない自分の母親のことを言われ、しかもそれが貴族で、しかも神器の継承者であったという。そんなことをいきなり受け入れられる人間がいたら、ぜひ見てみたいものである。
「う、そ……」
「じゃあ、あなたにもあるの? こういう痣」
 ラナがパティの近くに駆け寄り、左袖をまくってみせる。ラナの聖痕は、左の下腕部にあるのだ。
「同じ……私にあるのと、同じ……」
 パティはその場で――セリスは焦って思わず顔を覆ったが――上着を捲り上げた。そこには、ラナの腕にあるものと同じ、ウルの聖痕がある。
「本当に、じゃあ私……」
「つもる話はラナとしてこい。私はもう少しセリスと話があるからな」
「行きましょう、パティ。兄様にも会わせてあげたいからっ」
 ラナは言うが早いか、パティの手を引いて天幕の外に連れ出してしまった。こういうところの強引さは、従姉妹だからなのか、なぜか似ているようにも思える。
「……なんか、すごい偶然だね……。まさかこんなところで、かつて父上と共に戦った人の子供に会えるなんて……」
「『偶然とは、予測できない必然である』……なんて言葉もあるからな。あるいはこれが、お前の運命かも知れんぞ。シグルド様は、確かに非業のうちに倒れられた。だが、お前にこうやって仲間を、友を残してくれている……私はそんな気がする」
 オイフェがそれに同調するように頷き、レヴィンは小さく笑っていた。セリスもそれに、微笑んで応える。
「それより、私がいない間の出来事、もう少し詳しく教えてくれ……と、そういえばさっきラナが言ったユリアというのは?」
「ああ。レヴィンが連れていた女の子だよ。素性はレヴィンもよく知らない。ただ、なぜか帝国兵に狙われているらしく、私達が預かることになった。どうせ狙われるなら、逆にここの方が安全だしね。で、スカサハに護衛を頼んだんだよ」
 一瞬シャナンが気になったのは、名前がグランベルの皇女と同じだからだ。だが、まさかそんなはずはないだろう、とシャナンはその考えを頭から放り出した。
「それで、この先はどうするんだ?」
「とりあえずレンスターに向かう。今も私の従弟が、包囲されて危険な状態だと聞いた。それを見過ごすことは出来ない」
 シャナンはレヴィンの方を少し見たが、レヴィンはその視線に気付きながらも何も言いはしなかった。もっとも、レヴィンの考えはシャナンにも分からなくもない。だから、シャナンも何も言わなかった。
「ただ、ここからレンスターに行くには、いくつか難所があります」
 それまで黙っていたオイフェが、地図をテーブルに広げて説明を始める。
「まずダーナ。ここは帝国にも属さない自由都市だが、実質は帝国寄りと言っていいでしょう。領主のブラムセルはどちらかというと日和見的だが、おそらく我々がこちらの……」
 オイフェはダーナの南にあるメルゲンを指した。
「メルゲンに進撃しようとしたら、後背をついてくる可能性はあります。まして今、ダーナはかなり優秀な傭兵団を雇っているという情報がありますし。加えてメルゲン谷はかなり広く、隠れる場所もないので大軍をもって迎撃するにはうってつけの地形です。メルゲンとしては、我が軍を食い止めていればおそらく挟み撃ちが出来るでしょうし、あるいはアルスターからの援軍を待ってもいいわけです。しかも、メルゲンの指揮官はブルームの息子で雷魔法の使い手として名高いイシュトー、それにその腹心でもあるライザ将軍。ですが、これを突破しなければトラキアに入れない」
「取れる手段としては、可能な限り早く、騎兵で中央突破をしかけ、敵陣を撹乱するしかないと思う。ただ、ダーナに攻撃されてはどうしようもない」
 セリスの言葉に、オイフェが頷いた。
「対応策としては、メルゲン谷の入り口すれすれを回って、先にダーナを陥落させることか」
 自分で言って、シャナンはその言葉に内心苦笑した。
 元々、この戦乱の一番最初の幕開けは、リボーの部族によるダーナ虐殺である。自分達は虐殺などするつもりはないにしても、やはりダーナを攻め落とそうとしている。かつて、聖戦士たちに力を与えた神々が降臨した、聖地を。
「けどそれは、可能な限り迅速に行わなければならない。多分ダーナもメルゲンも、まだ我々の動きは知らない。だが、どちらかを攻撃すれば、確実に気付かれる。気付かれるのは防ぎようがないとしても、もう一方が襲いかかって来る前にケリをつけて、迎撃体制をとる必要がある」
「速攻、というわけだ。まあそれしかないだろうな。ついでに私達に、楽な戦いなど用意されているはずもないからな」
「その通りだ」
 レヴィンが皮肉そうに笑ってシャナンに同意した。
 そう。現体制をひっくり返そうというのだ。いわば、世界に弓引いているのである。その戦いが楽なはずはない。
「それで、いつ出立する?」
 セリスの言葉に、オイフェは地図の一点を指し示した。
「明後日、ここを発ちましょう。五日後、この地点に集結します。ここから、歩兵、騎兵に分かれ奇襲の準備をします。歩兵はここから直接ダーナに向かい、騎兵は山裾を迂回して正面から攻撃、ということで」
 ダーナは山の上にある砦から発達した都市である。そしてオイフェは、その山裾から砦へと登れる道があるのを、この間の諸国偵察で見つけてきていたのだ。
 ちなみに、オイフェもシャナンも知るはずのないことであったが、その道は、かつてダーナの奇跡において、オードとブラギが非戦闘員を逃がすために通った道であった。

「どうした、こんなところで」
「あ、シャナン様……」
 泉のすぐそばでぼうっと突っ立っていたパティは、シャナンの声で我に帰った。
 昨夜、夜通し歩きとおしてこのレイランに帰り着いたはずなのだが、興奮してしまっているのか、昼間眠れないままに再び陽は沈んでしまっている。
「まあすぐ実感がわいたりはしないだろうが」
「無理ですよぉ……」
 物心ついた頃には、もうコノートの孤児院にいた。自分の両親のことなど、分かるはずもない、と諦めていたのに。
 それがいきなり自分は貴族の娘で、母親は誰々だ、などと言われても実感がわくはずはない。
「まあそう無理に考えない方がいい。正直、悩んでいても様にならんぞ」
「あ〜、ひどい。それ、私が馬鹿みたいじゃないですか」
 そういいながらも、パティはなんとなくシャナンが気を紛らしてくれたことに気が付いた。いつの間にか、気持ちが上向いている。
「でも、確かにらしくないですよね」
 パティはそういうと、いきなり駆け出した。
「お、おい。どこに……」
「あの神殿で見つけた剣、セリス様に差し上げてきます。だって、私が持っていても意味ないもん。それじゃ、シャナン様。おやすみなさい〜」
 パティは元気のいい声を残して、天幕の合間に消えた。
「まあ、確かに元気な方があの娘はらしいよな」
 砂漠特有の乾いた風がシャナンの髪をはためかせ、少しだけ過去を思い出させる。いつでも元気が良く、自分を励ましてくれた、自分と同じ黒髪の女性のことを。
 彼女がいなくなって、もうすぐ六年。ようやく、懐かしく思い出せるようになっていた。
 だが、あの時のような想いは、もう絶対にしたくない。今の自分には、間違いなくこれまでで最強の力がある。この力と、そして自らの命に代えても、セリスだけは守ってみせる。
 シャナンのその想いに応えるかのように、腰に佩いたバルムンクがかすかに鳴動していた。



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