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永き誓い・第二十九話




「ホラ、こういう場所は大抵こういうものがあるものなの♪」
 パティに引率される格好になったシャナン達は、砦を囲む水路の淵にいた。
 砦へと通じる橋は、正面に一つ、裏手に一つ。だが、裏手のものは正面のものに比べて細く、しかも跳ね上げ橋である。また見張りも当然いるため、射手によって見張りを打ち倒し、城内の兵が気付く前に橋を渡りきらなければならなかった。しかも、少人数だけで入ってしまうと、敵中に孤立することになる。
 ところが、パティは「そんなの必要ないよ」と言い切り、裏手の入り口から少し離れたところに、あっさりと隠し通路を見つけてしまったのだ。
「攻められることを考えて、こういうのはどこのお城とか砦にもあるの。主に上の人たちが逃げ出すためなんだけどね。この感じだと、多分中庭に通じてるはずよ」
 さすがは盗賊、というべきか。これには随行していたシャナンやスカサハ達も半ばあきれ、同時に感心していた。いずれにせよパティのおかげでリスクの低い手段を選択できるようになったのは確かだ。
「よし、全員突撃するぞ。目的はただ一つ、領主ブラムセル。ただし、非戦闘員を殺害することは許可しない。いいな」
 シャナンの言葉に、全員が頷く。シャナンはそれを確認すると、バルムンクを抜き放った。
「いくぞっ」
 シャナンの声の直後、全員が通路を駆け抜け、砦の中庭に出た。まさかそんなところから敵兵が現れると思っていなかったダーナの兵士は、驚きに一瞬思考が停止し、対応が遅れる。その間に、シャナン達は次々と中庭に踊り出た。
「て、敵しゅ……」
 ようやく我に返った兵の一人が叫ぼうとしたとき、その目の前には黒髪の長剣を振るう剣士がいた。そのあまりにも鋭い一撃の前に、言葉を全て紡ぐことなく絶命し、倒れてしまう。
「よし、スカサハ、そのまま砦内へ。私はここの連中の面倒を見る」
「は、はい」
 その敵兵を切った剣士――スカサハはそのまま砦内へと踊りこむ。途中、数人の傭兵と斬り結んだが、いずれもスカサハや、それに続くラクチェらの相手ではない。
「これならそう苦労なく……しまったっ!」
 階段を駆け上がった直後、スカサハは自分の迂闊さを呪った。距離にすれば三十歩ほど。その距離に魔術師が三人も待機していたのである。しかも、いずれも魔法を発動直前の状態で。後ろに跳び退ってかわそうと思ったが、後ろには後続の兵達が駆け上がってきている。迂闊に飛び降りたら、下手をすれば味方の武器で大怪我をすることになるかもしれない。
「くっ」
 スカサハはそのまま突っ込むことにした。そうすれば相手の焦りを誘えるし、上手くいけば魔法の発動に失敗してくれるかもしれない。そうでなくても、魔法に耐え切れば相手を即座に倒すことが出来る。
 しかし、まだ彼我の距離が十歩以上ある状態で、相手の魔法は完成したらしい。膨れ上がった火球が、スカサハに向けて放たれる。
 スカサハは反射的に両手で顔を覆ってやり過ごそうとした。直後、爆音が響きスカサハは来るであろう激痛をこらえようとしたが、予想された炎はいつまで経っても訪れなかった。
「……あれ?」
「スカサハ様、大丈夫でした?」
 ユリアの声で、スカサハはようやく目を開けると、前にいたはずの魔術師が三人とも凍りついたように立ち竦んでいた。その少し手前の壁が、何かに抉られたようになっている。その壁面は、まだ魔法の影響が残っているのか、光の魔力がまだちりちりと燻っていた。
「ユ、ユリア……?」
「とっさにオーラで炎を遮断したんです。上手くいってよかった」
「……そ、そうか。助かったよ、ありがとう、ユリア」
 そういってから、スカサハは改めてユリアの力の大きさに驚いた。三人分の炎の魔法を、一撃の光の魔法で遮断してしまったのである。確かに、光の魔法は他の系統の魔法より強力であるとは云われているが、それでも三人分の威力を、しかもとっさに放った魔法で遮断するということがどれほど困難かは、魔術師でないスカサハにも良くわかる。
 敵の魔術師は、その威力に完全に恐れを抱いてしまっている。
「……悪く思うな」
 スカサハは一気に駆け出すと、半ば凍りついている魔術師達の首筋を剣の腹で撃って気絶させると、そのまま階上へと上がっていった。

「妙だな……傭兵がかなりいると聞いていたが」
 シャナンは奇妙さを感じずにはいられなかった。だが、シャナンに襲い掛かってくるのは、いずれもダーナの兵士である。傭兵らしき者は全くいない。あるいは、正面から襲撃をかけているセリス達の迎撃に回っているのかもしれない。だが、なぜかシャナンは違和感を感じずにはいられなかった。
「ほとんどここは終わったな……」
 中庭に待機している兵士は、やはり少なすぎた。となると考えられるのは、砦内にやたらと残っているか、あるいは予想以上に迎撃に出てしまっているか。前者であればスカサハ達が、後者であればセリス達が危ない。
 その時、シャナンは何か不思議な感覚を感じた。それは、あとであれば神器同士が引き合っていた、ということが出来るのかもしれないが、この時のシャナンは単に呼ばれた、という気がした程度。だがそれは、判断に迷ったシャナンを決断させるには十分なものだった。
「……お前達は砦内にいって、スカサハ達を援護しろ」
 シャナンは周囲にいる兵士に指示を出すと、自らは正門の方へと駆け出そうとする。
「あ、待って。シャナン様は!?」
「パティ、いたのか」
「ひっど〜い。そりゃないでしょう?」
 パティはてっきり入り口のところで待機していると思っていた。まさか危険な城内に入っているとは思ってもいなかったのだ。
「……パティはこの辺りに待機していろ。私は、内側からセリス達を援護する」
 シャナンは言葉と同時に城門へと駆け出す。しかし、少し走り出したところでパティがすぐ後についてきていることに気が付いた。
「パティ、危険だ。お前は……」
「や〜だもん。どこにいたって危険なのは一緒でしょう? なら、シャナン様のそばのほうが安全だもん」
「……好きにしろ」
 シャナンは一瞬パティの方を振り返ると小さく呟いた。実際パティ一人くらい守るのは難しいことではない。それに、なんとなくこの少女がいると凄惨な戦場でも気が滅入らない気がする。無論、それは幻想に過ぎないが、気の持ちよう、というのは戦場においては非常に重要なことなのだ。
 その時。
「シャナン様、危ない!!」
 パティの声で、シャナンは反射的に飛び退った。直後、シャナンがいた空間を長大な剣が薙ぐ。
「正面に向かっていた傭兵……?」
 もう戻ってきた、ということはまさか正面から攻めたセリス達の部隊が撃退されてしまったということだろうか。あるいは、彼らが後退せざるを得なくなったのか。ただ、前者であるとは思いたくはない。戦力的に考えても、後者であると思いたいものだ。
「どけっ。俺の邪魔をするな!!」
 その騎士――黒鎧に黒馬という出で立ち――は、シャナンの横を駆け抜けると、そのまま砦内に踊りこもうとする。一瞬、シャナンは彼が敵か味方か判断しかねた。だが、あんな兵がいたとは、ついぞ記憶がない。
「まてっ!!」
 先ほどの斬撃から考えて、並の相手ではない。今、砦内を制圧しようとしているスカサハ達の邪魔をされたら、非常に厄介だ。
 シャナンはバルムンクを一閃させ、騎馬の足元へ衝撃波を叩きつけた。地面が爆ぜ、騎馬が驚いて急停止する。その間に、シャナンは黒騎士と砦の入り口の間に回りこんだ。
「……邪魔をするなと言った!!」
 黒騎士は猛然と突っ込んでくると、そのまま馬上から剣を振り下ろした。シャナンはそれを受け流そうとして、その剣圧に驚愕した。かろうじて勢いを逸らすことが出来たが、その威力はそのままシャナンのすぐ横の石畳を撃砕する。
「なっ……」
 知る限り、これほどの威力を持った攻撃を、シャナンは知らない。威力だけならば、自分より上かもしれない。
「俺の攻撃を受け流した……?」
 黒騎士は驚いたように馬をとめ、数歩下がらせる。
「……誰であろうが、邪魔はさせん!!」
 黒騎士は再び剣を振り下ろす。シャナンはそれを、今度は受け止めずに完全に回避する。しかし、反撃はあっさりと受け流された。
 そもそも、馬上の相手に歩兵が剣で立ち向かうのは、非常に困難だ。剣が届く手段は振り上げて斬り下ろすか、斬り上げしかなく、しかも相手は高さも利用して重い一撃を造作なく繰り出せるのである。
「まともに遣り合っては……」
 容赦しないのであれば、馬を斬り殺せばバランスを崩せるが、それはなんとなく躊躇われた。それは甘さかも知れないが、シャナンはそれでも構わないと思っている。ただ、この相手に関しては圧倒的とも攻撃力を殺ぐためにも、少なくとも手加減をする必要は感じない。
「……悪いが、容赦しはしない!!」
 シャナンは一度大きく距離を取ると、大きく跳躍した。
「何?!」
 馬上にある兵は、下から攻撃されることは想定しているが、上から攻撃されることは考えない。普通の人間が、馬上にある人間より高く跳ぶことなど出来るはずはないからだ。だが、シャナンにとっては、そんなことは造作もないことだった。まして、バルムンクを持つ今ならば。
「くらえっ!!」
 シャナンの跳ぶ軌跡の続いて、翡翠色の光が散る。光が流れ、容赦のない斬撃が黒騎士に襲い掛かった。
「なっ?!」
 光が乱舞し、すさまじい金属音が響き渡る。
「ぐあああああああっ!!」
「悪く思うな……なにっ!?」
 シャナンは地を蹴って着地点から跳ね飛んだ。一瞬前まで、シャナンのいた場所の大地が粉々に砕かれる。
「馬鹿な……流星剣を、防ぎきった……?」
 さすがに、無傷というわけではない。むしろかなりの重傷を負っているようだ。鎧はあちこちが斬り裂かれ、鎧の隙間から血が滴り落ちている。
 確かに、全力で放ったわけではない。神剣によって解放される力は解き放ってはいない。それに、殺すことが目的ではなかったので、急所は外していた。だが、それ以外ではほとんど手加減をしていない、完全な流星剣をバルムンクで放ったものだ。行動不能にはなるはずだった攻撃だ。少なくとも、自分と同じ継承者かそれと同等の存在以外、耐え切れるはずはない。
「同じ継承者……まさか……!!」
 シャナンはあらためて、相手を見やった。
 顔は、兜に覆われていて見ることは出来ない。ただ、その隙間から、夜目にも鮮やかな金色の髪が流れている。
 だが、何よりも目を引くのは、その手にある長大な剣であった。
 その真っ黒な刀身と、あまりにも鮮やかな装飾。見るものを引き込むかの様な美しさ。
「まさか……それは……」
 神器三剣の一振り。黒き刃を持つ、神器中最大の攻撃力を持つと云われる魔剣ミストルティン。かつて、エルトシャン王が所有し、その死後ラケシスが預かっていたはずだが、ラケシスがレンスターに向かった以後、所在の分からなくなっていた魔剣。その魔剣の特徴と、この目の前の黒騎士が持つ剣の特徴は、あまりにも酷似している。
「何を呆けている!!」
 黒騎士が再び、剣を振り下ろす。シャナンは大きく後ろに跳び、距離を取った。
 もし、彼がエルトシャンの縁者……いや、エルトシャンの遺児であるというならば、確か名前は……。
「シャナン!! 彼はアレスだ!! あのエルトシャン王の息子だ!! 殺さないでくれ!!」
 城門を突破したのだろう。駆け込んできたセリスの声が響く。
「……やはり」
 シャナンはさらに突撃してきた黒騎士――アレスの攻撃を避けて、続く突撃に備えたが、アレスは攻撃を仕掛けてこなかった。
「……なぜ、俺のことを知っている」
 アレスのその問いには答えず、セリスは静かに進み出て、アレスのすぐそばに馬をつける。それは、完全にアレスの剣の間合いである。
「セリスっ、危険だっ」
「なに? セリスだと?」
 アレスは驚いたように自分に近付いてきた青い髪の男をみやった。その表情が、驚きから徐々に愉悦へと変わる。
「そうか、お前がセリスか!!」
 アレスはその剣――魔剣ミストルティンを振りかざすとセリスへと振り下ろそうとした。
 すさまじい金属音が響き、セリスがかろうじてミストルティンを弾いた。
「い、いきなり何を……」
「どうやら俺が誰だかわかっているようだな。ならば話は早い。俺はお前と、お前の父シグルドを恨むことでここまで生きてきた……今、その恨み晴らさせてもらう!!」
「よせっ、アレス!!」
 セリスは必死にアレスの剣を捌いていた。同じ馬上にある者同士の勝負の場合、とりあえず高さによる有利不利はない。だが、同時に自分の足で地面に立っているのとは異なり、馬上でふんばって溜めの利いた一撃を放つのは、本人の馬術によるところが大きい。あとは、上半身の膂力。
 馬術にはほとんど違いがないか、むしろセリスの方が優っている。伊達にイザーク育ちではない。体格はアレスがやや上回っているが、それほどの違いはないように見える。だが、それはあくまで見かけだけの問題である。ヘズルの力を引く戦士の膂力が、見た目では計れないことを、シャナンは知っていた。
「なぜ、私を、父を恨む!!」
 セリスはたまらず馬を数歩引かせて、距離を取る。
「知れたこと。お前の父が、我が父エルトシャンを殺したのだ!! そのせいで、この俺や母が、どれほどの艱難辛苦を味わってきたか、貴様に分かるか!!」
 セリスは驚いてオイフェの方に振り返った。だが、オイフェは何も答えない。いや、答えられなかったのだ。
 確かに、一面の事実のみを捉えれば、エルトシャンを殺したのは実質的にはシグルドだということも出来る。いや、事実だけを見るならば、そのように捉える者がいたとしてもなんら不思議はない。そしてこの場合、それを違うと言い切れる者はすでに故人であり、生者には死者の言葉を語る資格など、ありはしないのである。
「どうやら、その男は良く分かっているようだな。死ねっ、セリス!!」
「セリス……!!」
 シャナンはアレスとセリスの間に割って入ろうとしたが、明らかに間に合わないことは分かっていた。
 そしてアレスは、渾身の力を込めた一撃を、セリスへと振り下ろす。
 しかし、直後に響いた音は、凄まじいまでの金属音だった。
「なっ……」
 アレスは剣を弾かれ、バランスを崩しかけ、どうにか馬を操って落馬を免れる。
 セリスは何と、魔剣の一撃を、その勢いを上回るほどの威力で弾き返したのである。だが、それは神器ではない普通の剣には膨大な負担となったらしい。セリスの手にある銀の剣が、ぴしぴしと嫌な音を立てて粉々になってしまう。
「アレス」
 セリスは砕けた剣には一瞥もくれずに、真っ直ぐにアレスを見据えて口を開いた。
「君がなぜ、私や父上を恨んでいるのかは分かった。だが、私には父シグルドが親友であったエルトシャンを殺したとは、到底合点がいかない。エルトシャン王が死んだときのことは、私も詳しくは知らない。けど、そこには何かしらの事情があったはずだ。私は父シグルド同様、偉大なる獅子王とまで呼ばれたエルトシャン王も尊敬している。だから、私は君とも争いたくはない……」
 セリスはそこで、ようやく砕けた剣に目をやった。しばらく考えるように目を閉じたあと、銀の剣を捨て、新しい剣を抜く。それは、つい先だってパティがセリスにあげた剣であった。
「だが、あくまでも君が私を殺そうというのなら、私は全力で抵抗しよう。君の想いの強さは分かる。だが、私は今ここで君に殺されるわけにはいかないんだ。この大陸全ての人々のためにも。そして、父シグルドとエルトシャン王の友情を信じるためにも」
「うう……」
 アレスは迷っていた。セリスの言葉には、一点の曇りもない。そして、シグルドを、そしてエルトシャン王を信じている真っ直ぐな瞳が、射抜くようにアレスを正視していた。
 二人の間を沈黙が閉ざす。その静寂を破ったのは、セリスでもアレスでもなかった。
「アレス!!」
 突然かけられた声に、アレスは驚いて声の方向に振り返った。そこにいるのは、ユリアに支えられて立っている、深緑色の髪の少女。
「リーン!!」
 アレスはセリスもシャナンも無視して馬から飛び降りると、リーンと呼んだ少女の方へ駆け寄っていった。
「リーン、大丈夫だったのか!?」
「あんまり……大丈夫じゃないけど……」
 ユリアに支えられていたリーンは、アレスの手を取ると、それを愛しむ様に包み込んだ。
「事情は、大体わかるわ。でもアレス。貴方ならもう分かってるはずよ。何が真実で、何が虚構なのか。だからお願い。もう……」
「……すまない、リーン」
 アレスはリーンを抱き締めると、それからゆっくりと立ち上がってセリスの方に向き直った。
「……セリス。お前の言葉を、全部信じたわけじゃない。俺にはどれが真実であるか、それをすぐ見極めることはできない……」
 アレスはそこまで言うと、魔剣を鞘に収めた。一瞬、周囲の緊張が緩む。
「お前の言葉が間違いであるとは、言い切れない。だから、今はお前を殺しはしない。だが、もしお前の言葉が虚偽であるとわかったときは……」
「分かった。そのときは君の好きにするといい」
 アレスはその言葉に頷くと、もう一度リーンを覗き込む。二、三言何かを言い交わしていたようだが、リーンは安心したのか、アレスの腕の中で眠ってしまったらしい。アレスはそれを確認すると、静かに馬に戻り、手綱を引いて歩き出したが、ふと思い出したようにシャナンの方に振り返る。
「俺が圧倒されたのは初めてだ。名前を教えてもらえるか?」
「……シャナン。イザークのシャナンだ」
 その言葉に、アレスの目が大きく見開かれ、それから納得したように――多少の苦笑いを浮かべつつ――頷くと再び歩き始める。
「シャナン様、お怪我は?」
「いや、スカサハ。大丈夫だ。そっちは終わったのか?」
「はい。ブラムセルは捕えて、もうすぐラクチェが引っ張ってくるでしょう。あと、地下牢に囚われている人がいましたので、解放しましたが……」
「それは問題ない。というより、どうやらそのおかげで無用な流血を避けられたようだからな」
 多分あのままリーンが現れなかったら、アレスは迷いつつも攻撃を続けただろう。そうなれば、いくら強がって見せたところで、ミストルティンの前ではセリスの力では遠く及ばない。
 そうなればシャナンが相手をするしかないのだが、手加減の通用する相手ではない以上、次は確実に殺すことになる。それは、あらゆる意味で、解放軍にとって大きな損失になりかねなかった。
「ご苦労だったな、スカサハ。ユリアも」
「あ〜、シャナン様、私も〜」
 突然パティが背後から抱きついて来た。これにはシャナンもたまらず、バランスを崩して転倒してしまう。
「痛っ」
「痛い〜」
 二人とも見事に石畳の上に転がる。剣を抜いていたら、あるいは大怪我をしたかもしれないが、もちろん剣はすでに鞘の中だ。
「パティ、時と場所を考えろ!!」
「いたたたた……え? じゃあ時と場所考えたら抱きついていいの?」
「……そういう問題じゃないっ」
 思わず周囲から失笑が漏れる。実際、シャナンをよく知るものは、この様なシャナンを見ること自体が珍しいというのもある。それはシャナンにも分かっていたのだが、どうもパティといると調子を狂わされてしまうらしい。だが、あまり悪い気はしない。戦いの後でも、こうやって気持ちが沈まずにいられる、というのは。

 グラン暦七七七年初夏。解放軍はダーナをわずか一夜で攻略した。しかし、この情報がフリージ王国にもたらされるのはまだ先である。
 ただ、解放軍がイザークを解放した、という情報はすでにもたらされていた。このため、フリージ王国では緊急に軍議を開き、ダーナとメルゲンの戦力で挟み撃ちにする作戦を立てた。そのため、ダーナには解放軍に対して攻撃しない、という偽りの態度を示すように伝令を出す。
 だが、その使者が帰ってくることはなかった。それより先に、解放軍がメルゲン谷の入り口に姿を現したからである。
 フリージ軍は、使者が帰ってこないことを訝しんだが、その謎はすぐ氷解した。使者は、メルゲン谷に解放軍が現れたため、危険を考えてダーナに待機している。ただ、予定通りダーナは行動をするであろう、という旨の手紙が、伝書鳩によってもたらされたからである。
 だがこれは無論、解放軍のの策略であった。




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