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永き誓い・第三十五話




「え? もう終わった?」
 セリスがその報告を受けたのは、出撃準備をしている最中の、コノート城の執務室であった。
「はい。リーフ王子率いる我々解放軍は、マンスターのレジスタンス組織『マギ団』と協力し、二日前の九月一日夕刻、マンスターを完全に攻略、マンスターの地下に存在した暗黒教団の施設も壊滅させ、マンスターを完全に支配下におきました」
「……すごいな。急いで援軍に駆けつけようと準備していたんだけど、その必要なかったね」
「それは我々も同じです。まさかこの難攻不落といわれていたコノートを、もう陥落させておられるとは思いませんでした」
「まあ、なんとかね。それじゃあ、急いで合流する必要はない?」
「いえ、それが……」
 使者のカリオンは、そこでやや言葉を濁した。
「何か、問題が?」
「はい。マンスター攻略の際に、トラキアの竜騎士団もマンスターを攻撃してきておりまして。元々、トラキア王国は北トラキアに対する野心があります。恐らく、今回のフリージ王国の事実上の滅亡は、彼らにとっては格好の好機と映るのではないでしょうか」
「……なるほど。レヴィンはどう思う?」
 セリスは、それまで壁際で黙ってカリオンの報告を聞いていたレヴィンに話を振った。レヴィンはしばらく考えるような素振りを見せ、一度地図に目をやってから、セリス達の方に向き直る。
「そうだな。あのトラバントなら十分考えられる。このままでは我々は安心してグランベルを攻撃できん。グランベル本国に進軍した時、背後からトラキアの竜騎士団なんぞに襲われたらひとたまりもないからな。とりあえずここは、まずリーフ王子の軍と合流して、それからトラキアとの交渉を行うべきだろう。そう急ぐ必要はないだろうが。トラキアの北端、ミーズの指揮官は確かハンニバル将軍だったな?」
「はい。私にとっても恩人といえる方で、武人としても尊敬に値する将軍だと思います」
 カリオンはレンスター滅亡後、ハンニバル将軍に助けられて騎士としての教育を受けていたという。いわば、彼にとっては親も同然の存在でもあるらしい。
「ならば、トラキアがすぐ行動に出るとは思いにくい。まあトラバントがどういう手を打ってくるかは、正直読めんが。こちらの軍も、昨日コノートを制圧したばかりで、補給も完全ではなく、また兵の疲労もまだかなり蓄積しているからな。コノートで少し休んでからマンスターへ進軍。合流することにしよう。リーフ王子にはすまないが、それまではマンスターを死守してもらいたい。ただ、そちらの士気を高めるためにも、こっちからも比較的疲労の少ない部隊をマンスターに合流させよう。トラキア軍に対する示威効果もある」
「それなら、私は行かないとね」
 セリスはあっさりとそういうと、シャナンの方に向き直った。
「シャナン、悪いけどコノートの部隊をオイフェと共にまとめて、四日後にマンスターに向けて。私は明日、カリオンと共にマンスターに先発するから」
「……それは構わないが、セリス、お前も相当疲労しているはずだが」
「今のシャナンよりはずっと回復しているよ。シャナンはもう少し休んでいた方がいい」
「……まあ、私も若くないからな」
 シャナンの返答に、思わずセリスが失笑する。
「わざわざ言わないでおいたのに」
「自覚しているさ。オイフェもだろうがな」
「……まあ私は、シャナン以上に年寄りですからな」
 皮肉とも思えるオイフェの言葉に、今度は部屋中の者が笑い出した。

「ふぅ」
 セリス達を見送ったシャナンは、軍の事務処理をオイフェに任せると――オイフェも部下にやらせるだけで本人は休んでいるのだが――部屋に戻って寝台に身を投げ出した。
 戦いから丸三日が経っているのだが、身体は完全には回復していないのが分かる。自分も年を取ったもんだ、などと自嘲めいた考えも浮かんでくるが、ことはそれほど単純ではないことも分かっていた。
 神剣バルムンクを使用した、その反動である。
 シャナンは、神剣バルムンクの、いや、神器全ての力の根源を、漠然と理解していた。
 神器継承者は、あるいは神の血を引く者達全ては、身体能力の潜在力が、常人より遥かに高い。特に神器継承者は、その能力はもはや人間の限界領域を完全に越えている。ただ、その力には、強力な封印が施され、普段は発揮することは出来ない。その封印を解き放つのが、神器なのである。
 しかし、潜在的にそれだけの力を宿しているとはいえ、基本的な肉体の強度が上昇しているわけではない。短時間であれば問題はないが、長時間封印を解き放ったまま戦っていれば、その反動から来るダメージが身体に蓄積される。もっとも、魔法の神器と武器の神器では、多分これにも違いはあるのだろうが、少なくとも身体能力に優れた力を内封されている継承者は、いわば長時間その力を振るっての戦闘は、諸刃の剣となりうるのだ。
 無論、それによって身体が崩壊する、といった事態は恐らくないだろう。元々それに耐えられるだけの力も持っているのだ。ただ、力を解放したままで戦うことを訓練してない以上、先日のように長時間戦い続ければ、当然こうなることは分かっていた。
「もっとも、かなりセーブしたからこの程度ですむのだろうが……」
 全力を出せば、あるいは単独でもフリージ軍を壊滅させることが出来たかもしれない、とシャナンは思っている。だが、それはさすがに躊躇われた。なにより、そんなことをすれば、確実にコノート大橋を破壊してしまっただろうから。
 うまくしたもので、ファバルの持つイチイバルは、どれだけ使用していても平気らしい。あれも身体能力――特に反射神経と筋力――を大幅に強化するのだが、あれは同時に、所有者の肉体を回復させる能力が武器に宿っているらしく、それで相殺されるようだ。バルムンクにはなぜないのだろう、と思うが、こればっかりは、武器を授けてくれたという神々に文句を言うわけにもいかない。
 色々と考え事をしていたが、疲れてはいても眠くはないので、シャナンは少しコノートを歩き回ることにした。考えてみたら、コノートを陥落させてから、全然外を出歩いていなかったのである。
 街区に出てみると、意外に街は平静を保っていた。いつもどおり、というべきか。
 なんでも戦いが終わった翌日には、もう市が立っていたらしい。もっとも、これはセリスが市民に対して略奪・暴行等を行った者は極刑に処す、と厳命したため、戦後の混乱もなく、市民が安心できたからでもある。
 それに元々、この地はフリージ王国ではなく、コノート王国があった場所だ。市民としても、元に戻った、という感覚の方が強いらしい。ただ、そういう感覚を持っているのは三十代以上の者達だ。
 元々、フリージ王国の統治は、酷いものではなかった。多少の不公平感はあったものの、まず無難に統治されていたのである。それが崩れ始めたのは、子供狩りが始まってからである。さすがにこれは、それまで従ってきた人々も反発した。ただ、グランベル帝国の後ろ盾のあるフリージ王国の軍事力は圧倒的で、人々は到底それを覆すなどできると思えず、諦めていたのだ。そこに、リーフ王子の生存と解放運動、さらにはセリス皇子の解放軍による解放。若い世代にとっては、解放軍は新しい時代の到来を感じさせる存在だったのである。
 そのためだろう。街の雰囲気は、やはり明るく感じられた。
 コノートの街は、三角州のやや高台のようになっているところにある。街の規模はそれほど大きくはないが、城塞都市であり、街路などはかなり整備されている方である。
 コノート内では戦闘は全くと言っていいほど行われなかったこともあって、ほんの数日前にこの街を巡って激しい戦いがあったとは、にわかに想像しにくい。だが、それでいいと思う。戦争などに巻き込まれる一般市民がいる方がおかしいのだから。
 しばらく特に目的もなく、シャナンはぶらぶらと歩いていた。そして、少し街のはずれ辺りにきた時、ふと見慣れた人影が一瞬目にとまった。長い金髪を三つ編みにした少女。それが街区の、少し奥まった方へ走っていくのが見えたのだ。
「パティ……? そうか、そういえばコノートはパティの住んでいる場所だったな」
 ふと興味を覚えて、シャナンはパティの消えた街区に入ってみる。
 表通りから一つはいるだけで、街の光景は一変した。裏通り、という表現が一番ぴったり来る。正直、パティが地元でなかったのなら、危ないから連れ戻そうかと思うほどである。また、道も入り組んでいて、うっかりすると迷いそう……というより、気付いたらシャナンは迷っていた。戻れるか怪しくなったので戻ろうと思ったら、見た記憶のない場所に出ていたのである。
「……まさかこの年で迷子になるとも思わなかったが……」
 もっとも城の方向は大体分かるし、別に今日明日帰れなくてもさほど問題もない。まあ連絡無しで戻らないのは多少問題がある気もするが、どちらにせよ時間はまだ昼であり、それほど心配する必要もない。
 とりあえず適当に歩いていたところで、ようやく聞き覚えのある、元気な声が聞こえてきた。
 声の方向へ歩くと、やがて少し開けた場所に出る。そこに少し壁などにヒビの目立つ教会があり、その庭にたくさんの子供達に囲まれて、パティがいた。
「こらこら〜。しがみつかないでって。ちゃんとみんなの分、あるんだから。あ、こら、髪の毛引っ張らないで〜」
 子供達に囲まれたパティは、大きな袋からお菓子などを出して、子供達に配っている。必死に並んで順番に、と言っているのだが、子供達は聞く様子はない。子供達は、誰もが生き生きとした笑顔をしていた。
 シャナンはしばらくその様子を見ていたが、そのシャナンに気付いたのか、その教会の神父と思われる男性が近づいてきた。
「失礼。何か御用でしょうか?」
 温和そうな、やや頭に白いものの混じり始めている初老の神父は、その印象どおりのやんわりとした口調で尋ねてきた。
「いや、知った声がしたのでな。だが……よく、子供狩りからあれだけの子供達を守り通せたものだな」
 今目の前にいる子供達は、いずれも五歳くらいから十二、三歳といったところだろう。フリージ王国は子供狩りがかなり厳しく行われていた場所であったはずで、イザークでもそうであったように、このフリージ王国も最初に目をつけたのは孤児だったはずだ。
「ああ……あれはあの子――パティやその兄、ファバルのおかげなんですよ」
「あの二人の?」
「おや……あの二人をご存知で?」
「まあ、ちょっとな」
「それはそれは。ならばご存知かもしれませんが、あの子の兄ファバルはかなり名の知れた傭兵で、それゆえにフリージ軍でもあまりここには手を出せなかったんです。フリージ王のブルームも一目置いていましたし」
「なるほど……」
 聖弓イチイバル。ブルームがそれを気付いていたかどうかはともかく、あの力は驚異的だ。ファバルのあの性格からして、そうそう動いてくれなどしないから、彼の機嫌を損ねるわけにもいかなかったのだろう。
「それにパティも。普段あの子はいないことが多かったのですが、たまに帰ってくるとこのように。まあ……何をやっているかは想像がつかなくはないですが、あの子が理不尽な真似をしない、というのは分かっておりますし……」
 シャナンは無言で頷いた。実際、パティがよく狙ったのは暗黒教団らしい。連中の富や財など、それ自体がすでにまともな方法で手に入れたものであるはずがない。
「失礼……そういえばまだ名乗っていませんでしたね。私はデュイール。分かるとは思いますが、ここの神父で、孤児院の管理もしております」
 デュイールと名乗った神父は、丁寧に頭を下げた。
「私は……」
「あれ、シャナン様!?」
 シャナンが名乗るよりも先に、パティの声で名前だけは紹介されてしまった。パティの方を見ると、ちょっとびっくりした表情になって、シャナンとデュイールの方を見ている。
「……まあパティの言ったとおりだ。イザークのシャナンという」
「もしかして、解放軍の剣聖、イザークのシャナン王子ですか。こ、これはご無礼を」
「剣聖……」
 シャナンは思わず苦笑した。
 確かに、イザークの祖オードは『剣聖』と呼ばれていたという。その伝説になぞらえて、自分を剣聖と呼ぶ人がいることは知っていた。ただ、直接そういわれたのは、今回が初めてだった。
「……まあ、確かにイザークのシャナンだが……『剣聖』というのは大仰だな」
「ですが、皆その様に呼んでおられますよ。解放軍最強の剣士、と」
 確かにそれらは事実を示してはいるのだろうが、正面きって言われると、なかなかにくすぐったいものがある。そこに、パティが割り込んできた。
「シャナン様、どうしてここに?」
「いや、街を歩いていたら道に迷ってな。適当に歩いていたら聞いたことのある声を聞いたから来てみたんだ」
 実際には少し嘘が混じっているが、シャナン自身それを認識していなかった。パティは「ふ〜ん」とか首をひねっているが、すぐ子供達に髪を引っ張られる。
「こ、こら〜」
「あれ? パティお姉ちゃん、この人、誰?」
「ん? あ、この方はシャナン様。解放軍の人だよ」
 一瞬シャナンは、初めてセリスに会った時の様な、とんでもない自己紹介をするのではないか、と思ったが、さすがにそうはしなかったらしい。
「じゃあ僕たちがもう兵隊怖がらなくていいようにしてくれた人?」
「そ。だから感謝しなさいね」
「わぁい、ありがとう、お兄ちゃんっ」
 子供達は次々にシャナンにまとわりついてきた。中には、いきなり飛びついてくる子供もいる。
「ちょ、ちょっと待て。おい、パティ、なんとか……」
「良かったですね、シャナン様。シャナン様、気に入られたみたいですよ」
「あのなあ……」
 そういいつつ、結局シャナンは子供達の相手をして、夜まで過ごすことになってしまった。

「では、お城の方にはご連絡をしておきましたので」
「ああ、すまない」
 シャナンはやや疲れたように生返事を返すと、孤児院の庭にある切り株の上に座った。
 子供の相手は慣れてはいるのだが、久しぶりであったこともあり、また、子供達の元気のよさに思い切り振り回されてしまった気がする。もっとも、気分は悪くない。
 ただ、やはりかなり疲れたので、今日はここで休ませてもらうことにした。遣いはやったので、問題はないだろうし、いざとなればすぐ戻れる。
 月が優しく地上を照らす中、月の逆側では星々が小さな輝きで自らの存在を主張している。
 夏ではあるが、夜は意外に涼しくて、加えて今日は海からの冷たい風のおかげで、かなり過ごしやすい。
「シャナン様、まだ起きているんですか?」
「パティか。いや、風が気持ちよくてな。しかし、元気な子供達だな」
「うん。だから、いつも大変で」
 そういうとパティはシャナンのそばにある石の上に座る。
 いつもとは違い、髪を解いているパティは、月明りだけの暗がりであるためか、少し大人っぽく見えた。
「でも、シャナン様も子供の扱い、上手ですね。ちょっと意外でした」
「……そうかな」
「そうですよ」
「まあ、セリス達で慣れているからな」
 今でこそ立派な若者と言っていいセリスだが、セリスを、それこそ赤ん坊の頃から知っているシャナンにとっては、セリスはやはりいつまで経っても子供に思えてしまうところもある。
 無論その一方で、既に十分に頼りになる戦士として成長している事実もあり、シャナンにとってはセリスは弟のような、そして時には自分の子供のような存在に思えるのだ。
 いや、セリスだけではない。スカサハやラクチェ、ロドルバンらも同じだ。あのキエの街の孤児院で共に過ごした子供達は、みなシャナンにとってかけがえのない弟であり妹なのだ。そして、もう一人――。
「シャナン様、どうされました?」
「なにがだ?」
「だってシャナン様、泣いて……」
 言われてからシャナンは、自分が涙を流していることに気が付いた。今もなお自分が死んだ人間の影を背負ってしまっている事実に、多少情けない気持ちにもなってくる。いつか忘れられる日が来るのだろうか、と思うが、それは分からない。
「いや、たいしたことじゃない。セリス達も立派に成長したな、と思ってな。何しろ私は、セリス達が生まれたときから見ているからな」
「そう……ですか」
 パティは、それが嘘だと、なんとなく気付いてしまった。そんなことを思い出して、人は知らないうちに涙を流すことなど、ない。
 多分きっと、過去に死んだ誰かを、それもかけがえのない大事な人のことを思い出していたんだろう。
「それにしても、子供の頃のセリス様達ってどんな人でした?」
 少し沈んだ雰囲気を吹き飛ばすように、パティは明るい声で聞いた。実際、興味もある。
「ああ。昔はやんちゃだったよ。まあ、子供の頃から今の片鱗は覗かせていたが、それでもイタズラ好き、とかそういうところは他の子と――ここの子供達とも大差ないさ。まあ、やんちゃ度で言ったらラクチェが一番酷かったな。あれのせいで、スカサハの今の性格が構築されたようなものだ」
「そういえば、あの二人って性格逆ですよねえ。それが、逆に上手くいってるみたいですけど」
 パティはコロコロと笑った。確かにスカサハとラクチェは、性格はまるで逆で、ラクチェはどちらかというと短気というか、すぐ行動する、すぐ手が出るタイプだ。
 もっともパティもあまり変わらないので、実はパティとラクチェは気が合う。
 対してスカサハは物静かで、何でも一歩引いたところから見極めて、それから行動する印象があった。
「ま、あれで上手くいっているからいいさ。そういえば、パティ、ブルームが戦死した場所にいたそうだな」
「あ、はい。というか、単にティニー一人じゃ危ない、と思ったからついていったんですが……」
 あの時。
 一人突然走り出したティニーを、パティは急いで追いかけた。
 ティニーとは知り合ってまだ短かったが、自分とは逆の物静かな性格で、ともすると周りにおいていかれそうなテンポの持ち主であったため、放っておけない、という気がしてよく一緒にいたら、とても仲良くなっていた。
 ただそれだけに、あそこで一人で走り出したときは驚き、何か危ういものを感じて慌てて追いかけたのだ。
 そしてティニーは、全く迷うことなくブルームの元に辿り着いた。パティが謁見の間に駆け込んだとき、ブルームはまだ椅子から立ち上がってすらいなかった。
「正直、ちょっと驚きました。ブルーム王があんな人で、ティニーが伯父さんのこと、ああいう風に考えていたんだなって」
 ティニーの生い立ちは、彼女自身から聞いていた。昔シレジアに住んでいたこと。無理矢理フリージ王国に連れてこられ、そして母が死んだこと。しかしその一方で、彼女は伯父ブルームを怨む気持ちは、それほどなかったと言っていた。
「あの時……」

「伯父様。もうフリージ王国は終わりです。外の声が聞こえますか? 解放軍が、城内に至ろうとしているのが」
 その時のティニーの声は、感情が混じってないとは思わなかったが、だがどちらかというと極めて冷静に、事実だけを述べているものだった。
「もう、この城ももちません。それに伯父様が逃げる力も、もうないでしょう」
 ブルームは悔しそうに、歯軋りする。だが、突然何かを悟ったように柔和な表情になると、ゆっくりと立ち上がってティニーに話しかけた。それは、間違いなく伯父が姪に対して接するものだ、とパティは思った。
「恐らく、彼らは私を許すまいな、ティニー」
「……はい、伯父様」
 ブルームはしばらく無言でいたが、やがて玉座の横にある剣を手に取ると、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
「ティニー!!」
「パティ。大丈夫だから、何もしないで」
 静かな、しかし驚くほど強い声。その言葉に、パティは動けなくなった。
「愚かであったとは分かっている。だが……」
「知ってます、伯父様」
 その時になって、パティはブルームが重傷を負っていることに気が付いた。彼が歩く後に、血溜りができている。
「ヒルダも私も、決して全てを望んでいたわけじゃない。まあヒルダは……多少、欲が強かったかも知れんがな」
 ブルームはそういうと、鞘のついたままの剣を、ティニーに差し出した。ティニーはそれを黙って受け取る。
「もっていくといい。フリージに伝わる聖剣だ。一本はイシュタルに渡してあったが、あれも今はもっておらんようだが……」
 ティニーがそれを受け取ったのを確認すると、ブルームは背を向けて窓際へと向かった。
 窓の外では、潰走状態のフリージ軍に続いて、解放軍が迫ってくる光景が見える。
「まあ、勝てぬな……かのマリクル王と同じ力を持つ者がいるのでは、な……」
 ばたん、と窓が開かれる。そこから入ってくる風は、血臭に満ちていた。思わず、パティもティニーも顔をしかめる。その風に少しよろめきつつ、ブルームは再びティニーたちの方へと振り返った。
「ティニー。最後に聞かせて欲しい。お前が解放軍へと行った、その理由を」
 ティニーはしばらく沈黙を守っていたが、やがて首に下げていたペンダントをブルームに示した。
「同じものをもっている、私と同じ銀髪の魔道士がいました。そして、母は昔、私に言っていたんです。もし私の兄が生きていたら、きっとこれと同じものを持っているだろうって……。それに、リンダの兄も……」
「……そうか。ティルテュやエスニャの息子が……」
 ブルームは満足したようにまた外に向き直ると、窓際まで歩み進んだ。
「ティニー。すまんが最期の頼みを聞いてはくれんか?」
 沈黙。やがて小さく、ティニーは頷いた。それが見えてでもいたのか、ブルームは再びこちらに向き直る。あと一歩でも下がったら、遥か地上に落ちてしまう、そんな位置で。
「イシュタルを頼む。あの皇子――ユリウスから救ってやってくれ。これは親として、そして聖戦士の血を引く者としての願いだ」
 血の気の失われたブルームであったが、それでもなお、彼からは痛いほど娘を思いやる気持ちと、そして聖戦士としての誇りを感じさせた。
「……はい」
 ティニーは小さく、だが確かに頷いた。
「それと、ヒルダをあまり怨まないでやってくれ。あれは、決してお前やリンダの母親を殺すつもりがあったわけではないから――」
「知ってます。多分、ほんの少しのすれ違いだけだったんだ、と……」
「すまんな……さらばだ。ティニー。イシュタルを、頼む――」
 ふ、と。まるで唐突にブルームの姿が消えたように見えた。それが、窓から落ちたのだと気付いたとき、大きな音が響く。パティは慌てて窓際に駆けより下を見ると、そこには大きな池があり、そこから赤い模様が不気味に広がっていっているのが見えた。そして、その中心に、ブルームがいたのである。

「ブルーム王のイメージって、子供狩りが始まるまでは決して悪くなかったんですよ、実際。まあ多少窮屈なところはありましたけど。でも、子供狩りが始まってから、全てが変わった……」
 語り終えたパティは、最後にポツリと、そう呟いた。
「そうだな……」
 イザークもそうだった。あるいは子供狩りなど始まらなければ、解放軍は立ち上がらなかったかもしれない。イザークの奥地に逃げ隠れ、それでも大陸が平和であるなら、構わない、と思っていた。だが、子供狩りによって、彼らは立ち上がらざるを得なかったのだ。
 だが、それを賢明さをもって知られるアルヴィス皇帝が黙認しているのは一体どういうことか。彼がそのようなことを認めるとは思えない。
 とすれば、何者かによって、アルヴィスの望まない統治が行われているということだ。だが、世界最大の軍事力を持つ帝国の皇帝であり、あの聖剣ティルフィングをもったシグルドすら倒したという神の炎、ファラフレイムの継承者であるアルヴィスが逆らい得ない相手など、果たしているというのか。たとえ万の軍勢に包囲されようとも、その全てを撃破できるほどの存在が。そう。自分と同等か、それ以上の力が。
「シャナン様?」
 突然パティの顔が目の前にあって、シャナンはややびっくりして体を引いた。その時、勢いがついてしまってすぐ後ろにあった木の幹に頭をぶつけてしまう。静寂の夜に、ごす、というなかなかにいい音が響いた。
「つつつつつ……」
「あ、ご、ごめんなさい、シャナン様。だ、大丈夫ですか?!」
「いや、大丈夫だ。私の不注意だから、気にするな」
 シャナンはぶつけた辺りを押さえながら笑ってみせる。
「ご、ごめんなさい〜」
「大丈夫だと言っているだろう。……そういえばパティ、お前はこの先どうするんだ?」
「え?」
「ファバルはもう解放軍には欠かせない戦力だ。だが、兄が行くからと言って、お前が無理に解放軍についていく必要はない。戦死する可能性も十分にあるのだからな。ならば、むしろここに残った方がいいのではないか? 子供達のことだってあるだろう」
「……シャナン様は、そうした方がいい、と思われるのですか?」
 心持ち、沈んだ声。その声に、シャナンはなぜか罪悪感に襲われる。だが。
「その方がいいと思う。何しろこの先の戦いは、グランベル帝国との戦いだ。生き残れるかどうかなど、保証はありはしない」
「……ヤです」
「パティ?」
「嫌です。私。お兄ちゃんやシャナン様がそんなところ行って、自分だけ安全なところで。そりゃ、死ぬかもしれないけど、でもお兄ちゃんやシャナン様が死んだって聞かされたら、私どうなるか分かんない。だから、一番近くで一緒に戦います」
「しかしパティ……」
「今決めましたから。たとえシャナン様やセリス様が許さなくても、お兄ちゃんが何言っても勝手についていきますから」
 シャナンは、なぜか奇妙に安心している自分に気がついた。それが、パティが予想通りの返答をしてきたからだ、というのに気付くのにはそう時間がかからなかった。
「……好きにしろ」
「はいっ」
 パティはびっくりするほど嬉しそうな笑顔になる。いるだけで、その場が明るくなるような、そんな笑顔。
(まあ、こういう娘が一人いれば、それで沈んだ気持ちが明るくなることもあるよな)
 それが、シャナン自身のためか、解放軍全体のためにそう感じたのか、それはシャナン自身にもわからなかった。



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