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永き誓い・第四十話




 肌に突き刺さるような乾いた冷たい風が、スカサハ達の頬を撫でた。季節はもう冬。
 トラキア王国では雪は滅多に降らない――そもそも降雨が少ない――が、南であるにも関わらず高地であるため、冬の厳しさは北トラキアとは比較にならない。そして、寒さは人の動きを鈍くする。基本的に、冬というのはありとあらゆる人の生活に対して、不向きな季節なのだ。
 だが今、カパトギア城に待機しているスカサハ、ラクチェらを中心とした歩兵部隊は、その寒空の下、城壁の上にいる。その視線の先、どんよりとした白い空の下に、僅かに黒い点がいくつか見える。
「三頭の竜、か……」
 トラキア王国が誇る竜騎士団。
 かつての戦乱の頃より傭兵として常に戦場にあったこの騎士団は、その戦闘能力、錬度ともに間違いなく大陸最強の騎士団である。
 竜騎士は、普通の騎士と同じ数え方はまずできない。
 通常の戦場でも、基本的に、竜騎士一騎は並の騎兵三騎に匹敵する。
 まして、このような城砦の防衛線で、竜騎士が攻め手である場合、その数はその数十倍の地上部隊に攻撃されたのと同等と考えても、差し支えはないだろう。
 なぜなら、通常地上部隊には有効な城壁などは、竜騎士相手にはまるで無力であり、防御側はその防壁の有利さを活かすどころか、逆に反撃すらままならない相手に対しての防戦を強いられるからだ。
 唯一の弱みが、弓による攻撃だが、このカパトギアには弓兵部隊は数が少なかった。弓兵部隊は、セリスら本陣の拠点であるルテキア城を守っているのだ。
「まあ、魔術師頼みだな、今回は」
 そういって、スカサハは傍らにいるユリアをみやった。そのユリアは、緊張した面持ちでスカサハの言葉に頷く。
「あまり緊張しない方がいいよ。とにかく俺たちは時間を稼いで、この城を守るだけだ。そうすれば、あとはセリス様やシャナン様が何とかしてくださる」
「はい……」
 そうはいっても、楽観せざる状況なのは確かで、それはスカサハにも良く分かっていた。
「竜騎士最大の攻撃手段は、急降下からの槍による一撃だ。とにかく、無理をせず、迎撃できそうな時だけ迎撃すること。いいね」
 スカサハの言葉に、ユリアをはじめとした魔術師達と、そしてラクチェらが頷く。
(ミーズやルテキアは大丈夫かな……)
 そんなことを考えている間に、遥か彼方に見えていた影が、何であるかが判別つくくらいまで近付いてきている。その数、およそ二百。
「さて……」
 スカサハは背に佩いていた長大な剣を抜き放つ。そして、邪魔になった鞘を外し、石畳の上に放り出した。
「みんな、死ぬなよ!!」
 その言葉を合図にしたかのように、カパトギアでの戦いが始まった。

 トラバント王の死は、トラキアの戦いを終わらせることにはならなかった。
 最初に動いたのはハンニバル将軍と彼の率いる重甲冑騎士部隊。
 解放軍はこれを出来るだけ有利な地形で迎え撃ったが、一進一退の攻防が続いた。だが、やがて将軍の養子だという少年二人が解放軍に合流、養父を説得する、といってカパトギア軍に向かい、ハンニバルはその説得に応じて軍を退いた。
 ハンニバルは条件として、トラキア王国との再度の和平を求め、解放軍もそれに応えてもう一度、アリオーン王子に使者を立てたが、これが決裂。そして、突如、それまでまったく動かなかった竜騎士団が動き出したのである。そして、なんとミーズ、カパトギア、ルテキアの三つに同時に竜騎士を向ける、という作戦に出たのだ。
「まさか、三頭の竜を用いてくるとは……」
 話を聞いたハンニバルは、半ば絶句して呟いた。
 三頭の竜、とはトラキア王国の竜騎士団全軍を用いた作戦で、主に攻城戦において使用される、最大の作戦である。
 竜の胴に見立てた本陣を基点に、三つの竜の頭に見立てた部隊がそれぞれ、別々の城を攻撃する。
 普通に考えると、戦力分散の愚を犯しているとしか思えない作戦だが、こと攻城戦において無類の強さを発揮する竜騎士の場合、話が変わるのだ。
 三つの拠点を同時に攻撃された相手は、三つそれぞれに十分な防衛戦力を配さない限り、次々と拠点を失うことになるのだ。さらに、三ついずれかが苦戦している場合、胴である本隊が援軍に駆けつける、というものである。
 さすがのレヴィンもこの作戦には言葉を失っている中、ハンニバルがゆっくりと立ち上がった。
「この作戦を打ち破る方法は二つあります」
 皆の耳目の全が彼の、トラキアの盾、と呼ばれた名将の次の言葉を待つ。
「一つは、分かりやすいですが、それぞれの頭を迎撃するに十分な戦力を以って、迎撃しきってしまうことです。ですが……」
「残念だが、そんな戦力は今解放軍にはない。正直、ミーズは現時点で失陥する怖れがある」
 レヴィンが口惜しそうに拳を握り締めていた。
 トラキア王国に降伏勧告を促すため、解放軍本隊は既にルテキアまで到達していた。その際、足の遅い歩兵部隊はカパトギアに置いてきたが、ミーズにはまともに部隊を残してきてはいない。ミーズに残っているのは、非戦闘員と、あとはその護衛、それに元リーフ軍の部隊のうち、解放軍と合流せず戻る予定だった部隊の一部だけだ。
「もう一つは?」
 セリスが先を促す。
「もう一つは……竜の胴、つまり竜騎士団の本隊を直接叩く、あるいは何かしらで講和することです」
 なるほど、と誰かが呟いた。
 確かに、頭がどう動こうと、胴がその動きを止めてしまえばどうにかなる。
「しかしそれはつまり、アリオーン王子と……あるいは、戦うことに……?」
 セティが誰にいうでもなく呟いた。
 天槍グングニルを持つ最強の竜騎士と、彼が率いる竜騎士団相手の戦い。それは、これまで解放軍が経験したどの戦いよりも熾烈なものになるのは、疑い様もない。
 その時、息を急き切って伝令兵が会議室に駆け込んできた。その兵の伝令を聞いて、セリスは何かを悟りきったように首を振った。
「どちらにせよ、あまり悩んでいる時間はなさそうだ。ハンニバル将軍。あるいは貴方の主君と戦う可能性があるのを承知でお願いしたい。王都トラキアまで、道案内を頼む。これより解放軍は、最精鋭をもってトラキア竜騎士団の本隊へ赴く。戦闘になるか、交渉が行われるかは分からないが……」
「承知いたしました。……私としては、後者を望みますが……」
 ハンニバルは戸惑わず、明瞭に応えた。
「感謝します、将軍」
 セリスはそういうと、今度はファバルに向き直った。
「ファバル。ここから直ちにミーズに戻って欲しい。君とイチイバルの力なら、ミーズに残った部隊とあわせて、なんとか守りきることは出来ると思う。あと、リーフも頼む」
 突然話を振られたファバルは、驚いて目を見開いた。
「お、おい、まてよ。そりゃ、ミーズに行くのは構わないが、ここから何日かかると思ってる? 竜騎士の移動速度を考えたら、駆けつけた頃には……」
 リーフはまだいい。《自己転移》の魔法を、リーフは使うことが出来る。あまり距離を移動できる魔法ではないが、ここからミーズなら数回の転移でどうにかなる。だが、ファバルはそうはいかない。
「分かってる……だから、ラナ」
「は、はいっ」
 突然声をかけられたラナが、驚いたように返事をする。
「相当な長距離だけど……頼む。ファバルを転移でミーズまで飛ばしてくれ」
 ざわ、とどよめきが起きた。
 このルテキアからミーズまでは、相当な距離がある。確かにラナほどの実力者なら、あるいは可能かもしれないが、術者にかかる負担は相当なものだ。
「コープル、手伝ってあげてくれ。ラナ、すまない、無理させて」
 セリスの言葉に、ラナは思いっきり首を横に振る。
「いえっ。私でも、お役に立てるなら……」
「ありがとう、ラナ。ファバル。すまないけど、出来るだけ早く向かってくれ。多分ミーズはまだ、トラキアの『三頭の竜』作戦の発動すら知らないと思う」
「分かった」
 そういうと、ファバルは準備をしてくる、といって早々に会議室をあとにした。その後に、ラナとコープルが続く。
「それから……アレス、セティ」
「はい」
「なんだ?」
「さっきの伝令が持ってきた報せはこっちなんだけどね……帝国の部隊が、こっちに向かっているらしい」
 その言葉に、先ほど以上のどよめきが広がった。
 確かに、このルテキアより北上すれば、もうそこはミレトス地方だ。ミレトスは暗黒教団が支配する地で、当然帝国兵も多い。そこから来た部隊というのであれば、恐らくは正規兵。フリージ軍よりも、さらに数段錬度は高いと見て間違いはない。
「幸い、北の道は幅も狭い。それに、敵軍の規模もさほどではないみたいだ。悪いが、一軍を率いて二人で防衛線を築いて欲しい。その間に……」
 セリスは会議室全体を見渡した。一瞬、レヴィンと目線があい、そしてお互いに小さく頷く。
「その間に、私はアリオーン王子と話をつける。……あるいは、戦うことになるかもしれないけど」
「ここまで名前が呼ばれなかったということは、私はトラキアへ向かうと考えていいのか?」
 それまで押し黙っていたシャナンが、セリスに訊ねた。
「うん。そのつもり。もし戦闘になった時、アリオーン王子に対抗できるとしたら、それはアレスかシャナンしかいないと思う。けど、グランベルからの援軍――かは分からないけど、とにかくグランベルの部隊相手にセティ一人ではさすがに万に一つがあったらいけない」
「分かった。だが、この城の守りはどうする? ここが陥とされて、分断されては元も子もないぞ」
「それはオイフェとデルムッド、それにレスターに任せる。頼んだよ、オイフェ」
「はっ。しかし……それではセリス様はどの部隊を……」
 オイフェが心配そうに訊ね返す。確かに、ルテキアには部隊を三つに分けるほどの戦力は、ない。
「少数精鋭でいくよ。竜騎士相手に戦闘になったとしたら、数がいても仕方ない。防衛戦ならともかく、野戦なら数が少ない方が戦いやすい」
「そ、それは危険すぎでは……」
 慌てて止めようとするオイフェを、セリスは手で制した。
「オイフェ。この戦い、危険じゃないことなんてないんだ。私達の戦いは、常に死と隣り合わせだったからね。それにまだ、コノートの時よりはマシだよ。だから、大丈夫。あの時同様、シャナンも一緒だしね」
 およそ無茶苦茶な事例を持ち出して、セリスはオイフェを封じ込めた。確かに、あの時もシャナンは一緒だったが。
 そしてなおもオイフェが異論を唱えようとしたところで、オイフェの言葉を別の人物の言葉が遮った。
「私も、同行します」
 そう口を挟んだのは、アルテナ王女だった。
 死んだと思われていた、キュアン王子の長女にして、リーフ王子の実姉。天槍グングニルと対を成す、地槍ゲイボルグの継承者であり、そして十七年間、トラバントの娘として育ってきた女性である。
「しかし……」
 セリスは、アルテナにはカパトギアへ向かってもらおうと思っていた。たとえ血が繋がっていなかったとはいえ、アリオーン王子は彼女がずっと兄と思ってきた人物だ。その彼と戦う可能性がある以上、彼女はその場にはいない方が良い、と考えていたのだ。
 だが。
「私からもお願いします、セリス様。姉上の気持ちも察して下さい」
 迷うセリスに、リーフもアルテナを後押しする。
「……分かった。ただし、我々は本当にアリオーン王子と戦う可能性がある。それだけは、肝に銘じておいてくれ」
「はい、分かっています」
 もっとも、地槍ゲイボルグの使い手であるアルテナの部隊参加は、戦力として非常に大きいのは確かだ。
「いずれにしても時間がない。時間が経てば、それだけ城が陥落する確率が上がるからね。オイフェ、直ちに部隊編成を整え、それぞれに出撃を。それから……カパトギアに連絡を。まだ間に合うだろう。トラキアに向かう部隊は、昼前には出立する」
 セリスのその言葉で、会議は終了した。

「見事だったな、セリス」
 王都トラキアに向かう道中、シャナンはセリスを見遣って呟いた。
「……私もいつまでもレヴィンやオイフェに頼っていてもね。それに、今回はハンニバル将軍の献策があってこそだしね」
「いや、私程度の策など、レヴィン殿であれば、思いつかれていたと思いますが……」
「……いずれにせよ、将軍には感謝します。トラキアの王都へと至る道は、私達だけではすんなりたどり着くとは思えませんから」
 ルテキアからトラキアへの道は複雑だった。確かに街道はあるのだが、それがいくつにも分岐しているのだ。ハンニバルによると、それらは鉱山やあるいは山間の集落へと続いている道らしい。元々、王都には基本的に少数の地上部隊以外は、竜騎士団しか配されていない。ゆえに、大軍を通すような大きな街道は、不要だったのである。
「将軍。正直なところをお尋ねしたい。アリオーン王子は、こちらの和平に応じてくれるだろうか?」
 シャナンの言葉に、ハンニバルは難しい表情になった。
「正直、分かりかねます。アリオーン王子は、確かに聡明な方であり、また、この戦いの無意味さも良くご承知ではあると思います。ただ……」
 ハンニバルはそこで、遥か北の空を見遣る。
「王子は、父王であるトラバント陛下を、誰よりも尊敬しておられました。今回の王子の行動は、そのトラバント様に殉じようとしているかのようにも映ります。ただ、あるいは……アルテナ王女のお言葉であれば……」
 そのアルテナは、セリス達の上を、低空を旋回しつつついてきていた。高空を飛ぶと、発見される怖れがあるからだ。
「過度の期待はしない方がいい、ということか」
 シャナンはそういうと、神剣の柄を確認した。
 ただ、そのシャナンもまた、不安がないわけではない。
 地上の敵であれば、シャナンは誰であろうと負ける気はしない。だが、今回、もし戦うことになったとしたら、相手は空から来る。そして恐らく、こちらはまともに攻撃すら出来ないだろう。
 戦わずに済ませられるなら、それにこしたことはない。何より、この戦い自体が元々無駄としか思えない戦いでもあるのだ。
「……だがそれでも、戦おうとするその意思は、分からなくはないがな……」
 誰にいうでもなく、シャナンは一人呟いていた。

 トラキアの城は、一際高い山を一部くりぬいて、そこに造られた城だ。
 これまで、城砦というと、ある程度平坦な場所にあるはずだ、という先入観にとらわれていたセリスやシャナンにとって、これはさすがに驚いた。
 だが、もっと驚いたのは、そこにターラにいるはずの公女リノアンと、護衛である竜騎士ディーンがいたことだった。
「ディーン、なぜ……」
 アルテナが驚いて声をかける。
 ディーンは元トラキア竜騎士団の一員であり、アルテナはトラキアの王女でもあったのだから、当然面識はあるのだ。
「色々と……思うところもありまして」
 ディーンはそれだけいうと、セリスの方に向き直った。
「セリス皇子。アリオーン殿下は、既に出撃の準備を整えておいでです。殿下は……」
「やはり、か」
 なんとなくそんな気はしていた。いや、むしろ『三頭の竜』作戦を展開して見せたのも、あるいはセリスらをここにおびき寄せるためだったのかもしれない。
「……答えを出すために戦わなければならない時もある……か」
 セリスは一度目を閉じ、それから顔を上げる。その表情に、迷いはなかった。
「全軍に告ぐ!! これより、王都トラキアの攻略を開始する。敵は少数だが、大陸に冠たる竜騎士だ。全員、気を抜くな!!」
「こちらの数も少ないが、な」
 シャナンが苦笑しつつ呟く。だがその代わり、来ているものは皆最精鋭だ。並の竜騎士なら、十分相手できるほどの者達ばかりである。
 問題は。
「シャナン、アルテナ王女。アリオーン王子が出てきたら、頼む。相手を出来るのは、二人しかいない……」
「私はいいが……アルテナ王女、貴女は……」
「大丈夫です。もっとも……私で、兄上の相手が務まるかはまた別なのですが……」
 それは、謙遜ではないだろう。これまで兄妹として育ってきただけに、アルテナはアリオーンの力もよく知っているに違いない。
「アルテナ様、ご無理をなさらないで下さい。貴女にもしものことがあれば、リーフ王子が悲しみます」
 フィンの言葉に、彼女は少しだけ表情を綻ばせていた。

 戦端を開いたのは、当然だが竜騎士の側だった。もっとも、あえてほとんど弓兵を連れてきていなかったセリス達から戦端を開くことが出来るはずがない。
 空を舞う竜騎士と、地上を歩く戦士達との戦いは、当然だが竜騎士たちに圧倒的に有利である。
 彼らは高空から十分速度にのった槍の一撃を見舞い、失敗してもそのまま飛び去っていけばいいのだ。そして、地上の兵が竜騎士に攻撃するチャンスは、その攻撃される一瞬しかないのである。
 恐らく、並の部隊であれば、このアリオーン王子直属の部隊と戦っても、なす術なく全滅するだけであっただろう。だが、今ここにいる部隊は、解放軍の中でも最精鋭の部隊だった。そして、何よりもアルテナ王女の存在は大きかった。
 彼女自身卓越した竜騎士であり、そしてその手にあるのは十二神器の一つ、地槍ゲイボルグである。彼女は見事や槍捌きで、相手を殺すことなく気絶させ――飛竜は主が気を失っても飛びつづけているが――続けている。
「見事だな……彼女は」
 そういいながら、シャナンは視線を上空に向ける。既にシャナンの周囲には、五人ほど、飛竜から斬り落とされた竜騎士が倒れていた。
 余人ならいざ知らず、シャナンにとっては急降下してくる竜騎士とて、物の数ではない。突き出されてくる槍を神剣で受け流し、その柄を辿ってそのまま騎乗している騎士を斬る。槍を突き出している竜騎士に、その攻撃は回避しようがないのだ。
 ただ、これが出来るのも、シャナンがその竜騎士の槍の一撃を完璧に受け流し、そしてその超高速ですれ違うほんの一瞬を見極めることが出来るからに他ならない。
 その時、その戦場に凄まじい音が響いた。
 轟音、というものではない。高く、そして長く響く、金属がぶつかり合った音。それをシャナンは、以前聞いたことがあった。
「まさか……!!」
 シャナンは音の方を振り返る。そこには、彼の予想した通りの光景があった。
「アルテナ王女と……アリオーン王子……」
 天地二槍の宿命か。その二つの槍が、互いを砕かんばかりにぶつかり合った音。その瞬間、戦場はその二人の竜騎士にのみ、集中していた。
 大きく旋回する軌道をとっていた二騎は、しばらく距離をお互いに距離を取っていたが、やがてまるで示し合わせたかのように方向を変え、同時に速度を速める。
 空中での、槍による突撃。一歩間違えば、あるいは両者共にその槍に貫かれてしまう怖れすらあるというのに、両者は迷うことなく激突した。
 再び、神器同士が激突した音が周囲に響き渡る。それを繰り返すこと数度。戦場は、もはや完全にその二騎にのみ注意が向けられている。
「凄まじい……が……」
 一見互角に見えるその戦いだが、明らかにその実力に差があることに、シャナンは気が付いた。
 確かに、お互い攻撃はまだ受けていない。もっとも、あの槍の威力ならば、直撃したら到底助かりはしないだろう。だが、既にアルテナは攻撃より回避にその意識を集中させていなければ、いつアリオーンの攻撃を受けても不思議ではないような状態になっていた。確かにアルテナは卓越した力を持つ竜騎士だが、アリオーンの方がさらに上手なのだ。
 既にアリオーンはアルテナを追い詰めている。恐らく、もういつでも倒すことが出来るに違いない。遠目にも、アルテナの表情には焦りが見え、アリオーンの表情には余裕が見て取れる。
 そして。
 初めて、交錯した時に互いの槍がぶつかり合う音が響かなかった。代わりに響いたのは、鈍い音。そして一瞬遅れて、アルテナの鎧の欠片と、鮮血が宙を舞う。
 直撃ではない。だが、掠めただけでもその威力は十分すぎるほどの力がある。
 アルテナの飛竜がバランスを崩し、急降下した。かろうじて地面にぶつかる前に体勢を立て直すが、そのまま地面をすべるように地に落ちた。それを追って、アリオーンが迫る。
「いけない!!」
 セリスが慌てて馬を進め、アリオーンとアルテナの間に入ろうとする。
「セリス、無茶だ!!」
 セリス自身、無茶なのは承知だった。
 だが、アルテナがここで死んでしまったら、リーフが悲しむ。リーフが姉のことを気にしているのは百も承知で、それでも他に赴けるものが者がいなかったから、彼にミーズに行ってもらったのだ。
 だから、ここで万に一つでもあろうものなら、リーフはもうこれ以上ないほど悲しむし、また、この戦いでたとえ勝利しても、リーフはトラキア王国を許せなくなってしまうだろう。
 がつ、という音が響いた直後、セリスの剣が鈍色の光を放って宙を舞い、セリス自身は乗馬から弾き飛ばされ、地面を転がっていた。
「セリス!!!」
 シャナンは慌てて駆け寄ろうとしたが、その視界の端に再び大きく旋回してこちらに迫ってくるアリオーンを捉えた。
「くっ」
 両腕を、凄まじいほどの衝撃が襲った。危うく、剣を跳ね飛ばされそうになるほどの衝撃。
(こ、これがグングニルを握った聖戦士の力か……!)
 手の痺れが抜けかけたところに、さらにもう一撃。シャナンは何とか勢いを殺して反撃しようとするが、そのあまりの速さと重さに、受け流すのがやっとである。
 二撃、三撃。アリオーンは凄まじい速度で旋回し、立て続けにシャナンを攻撃してきた。一方でシャナンも、どうにかこれを全て受け流している。
「す……ごい……」
 アルテナとアリオーンの一騎討ちとは別の意味で、全軍は再びシャナンとアリオーンの一騎討ちに見入っていた。
 本来、飛行戦力である竜騎士が歩兵を相手にすることなど、まずありはしない。何よりも歩兵では目標が小さくて攻撃しづらいからだ。
 また歩兵も、もし竜騎士の攻撃を受けたら、冗談ではなく一撃で弾き飛ばされてしまう。
 だが、今シャナンは騎乗しているわけではない。訓練された馬に騎乗していれば、馬がある程度本能的にその勢いを殺してくれるように動いてくれる。だが、自分で立って歩いている以上、その衝撃は全て自分で殺すしかない。にも関わらず、シャナンは弾き飛ばされることもなく、アリオーンの攻撃を全て受け流していたのだ。
 もっとも、そのシャナンも余裕があるわけではなかった。
 本来なら、槍の一撃を受け流し、懐に飛び込んで攻撃したいところなのだが、アリオーンの凄まじいほどの槍の技量は、シャナンが懐に飛び込むのを許さない。
 勢いを殺されても、通過するほんの一瞬の間に槍の柄を上手く操り、シャナンに自身の勢いを剣先だけでは完全に殺させない。結果、シャナンは懐に飛び込むことは出来ず、ただそのアリオーンの一撃を受け流すしかなかったのだ。
 一方のアリオーンも、それほど楽観視はしていなかった。ほんの一瞬でもシャナンに隙を見せれば、懐に飛び込まれる。剣の間合いに入られては、アリオーンでは対抗する術はない。
 一瞬の交錯の間に、お互い全神経を集中し、互いに牽制しあっている。
 強いて言えば、自分でペースを作れるアリオーンの方がやや有利だったが、それとて有利だ、と言い切れるほどではない。
(このままでは……埒があかない)
 お互い、決定打にかける戦いは、既に二十回以上の激突を経て、まだ勝負がつく気配はなかった。
(かくなる上は……)
 シャナンは剣を持つ手に力をこめた。
(使わざるを得ないか……)
 流星剣。
 オードが編み出した秘剣の一つにして、最強の奥義。しかし、シャナンはバルムンクを握った状態で、これを使うことに酷く躊躇いがあった。
 正しくは、バルムンクを握ったときに湧き上がるその力を最大限に発揮して、流星剣を使うことに、である。
 あの、初めてバルムンクを手にした時に溢れ出した力。一撃で、石の巨人を壁ごと粉々にしてしまった力。だが、今ならばあの時より遥かに強力な力を出すことが出来る。強大すぎる力に対する畏れ。それが、シャナンに流星剣を使おうとして踏み止まらせる要因だった。
 しかし、普通に繰り出した程度では、アリオーンには通用しないだろう。
(だが、このままでは埒があかない!)
 最大の力で流星剣を用いれば確実にアリオーンに勝てる。その自信はあった。
 ただ、アリオーンは明らかに全力を出してはいなかった。それは、シャナンだからこそ気付いた――実はアルテナも気付いていたが――ことである。
 その、明確な理由はわからない。だが、アリオーンの全力をもってしても、流星剣には対抗は出来ないだろう。だがそれでは、アリオーンを確実に殺害することになる。
「それでも、我々はここで踏み止まるわけにはいかないのだからな」
 シャナンはそう呟くと、剣を構えなおした。その視線の先では、アリオーンが再び旋回し、グングニルを構えて降下してくる。
 だが、その直後。
 ブン、という音と共に、突然、闇の球体がアリオーンとシャナンの前に出現した。アリオーンは突然出現したそれを避けようと、慌てて方向転換する。
「ふふふ。アリオーン。君はまだ、こんなところで死ぬべきじゃないんだよ……」
 その声は、少年のものだった。そして、闇はやがて固まると、人型を象る。赤い髪と瞳を持つ、黒い服を纏った少年の姿を。
「だ、誰だ!!」
 その質問を発したのはセリスだった。だが、その少年はセリスのほうなど見向きもせず、宙に浮いたまま突如姿を消すと、なんとアリオーンの正面に――飛竜の背上に――現れた。
 アリオーンが驚いてグングニルを突き出したが、なんとそれを少年はこともなげに素手で掴んだ。
 そして突然、アリオーンがその少年もろとも――いや、アリオーンだけではなく、その場にいた竜騎士全員が――闇に包まれていった。
 セリス達は、ただ呆然とその光景を眺めているしか出来ない。
 そして、闇が消えた時――その場にいたはずの竜騎士は、全て消えていた。地に伏していたはずの竜騎士たちも含めて。
 戦闘は、終了していた――。

 セリス達にも何がなんだかわからないまま、トラキアの戦いは終了した。やがて、三つの城砦それぞれから、どうにか竜騎士を撃退した、との報が入ったが、その後、敗退した竜騎士たちの行き先は誰にも分からなかった。
 そして、セリス達は、トラキアに赴いた部隊以外を、ルテキアに集めようとした時――トラキアで、十数年ぶりの雪が、舞い降り始めたのである。



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