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誰よりも守りたいと思っていた。そうしなければならなかったし、そうしたいと思っていた。自分の剣で倒せない相手などいないと、そう思っていた。 なのに。 自分の剣は、まったく通じなかった。 そして、守ろうと思っていた女性(ひと)を守ることが出来ず、なす術なく叩きのめされた。 最後に見えたのは、邪悪な魔術師の前で震えるか細き少女が、それでもなお自分を案じて駆け出そうとしたところを魔術師の術で意識を失わされた光景。あとは、声がいろいろ聞こえていた気がするが、まったく覚えてない。 ただ、これだけは分かっている。 彼女は、ユリアは攫われた。邪悪な、暗黒の魔術師に。 その目の前にいながら、自分は何にも出来なかった――。 |
「うわああ!!」 跳ね起きたときに最初に見えたのは、石の天井だった。一瞬後に、ペルルークの城砦の一室だと気付く。 どうやらベッドに寝かされているらしい。 酷く体がだるい。力がまるで入らなかった。 あれから何があったのか、スカサハはよく覚えていない。ただ、重傷を負い、ペルルークのこの部屋に担ぎ込まれ、コープルやラナに手当てされ、痛みが引くと共に意識も失った。その後のことはよく覚えていない。 窓の外に見える光景は暗く、今が夜であることはすぐ分かる。周りを見回してみたが、誰もいない――と思ったところで、スカサハは窓際に、長身の人物が立っていることに気が付いた。気配が完全になかったので、危うく気付かないところだった。 「気が付いたか」 今日は月がなく、外からの光はほとんどない。だが、その声とシルエットで、スカサハはその人物が誰か、すぐに分かった。 「シャナン様……俺はいったい……」 「大丈夫か、スカサハ」 シャナンの声は、どこかいつもと違う響きを持っていた。そう。あの、フェイアが死んだ時のような。 「ユリアを攫ったのは、マンフロイ。暗黒教団の大司教……いわば、暗黒教団の頂点に立つ人物だ」 その言葉は、スカサハを凍りつかせた。暗黒教団の頂点、ということは、いわば解放軍最大の敵手である。そして、暗黒教団の司祭は、いずれも強力な暗黒魔法をはじめとした魔法の使い手だ。その大司教ともなれば、その力は想像を絶する。よく、自分が無事だった、とすら思う。 だが同時に……。 「な、なぜそんな男が、ユリアを?!」 ユリアは記憶を失っているとはいえ、別に変わったところなどない、普通の娘だ――いや、そのはずだ。 「思えば、早く気付くべきだったのかも知れん。ユリアが普通の娘であるはずなど、なかったのだからな」 「シャナン……様?」 「ユリアは光の魔法を使う。だが、光の魔法は、よほど才能に恵まれたものか、さもなくばバーハラ家の者でなければ使えない。ましてユリアの使っていたオーラの魔法は、光の魔法の中でも最大級の威力を持つ魔法。我が軍で、他にこの魔法を扱えるのは、ヘイムの血脈の傍系であるという、ターラ公女リノアンしかいない。風の神魔法フォルセティの継承者セティにも使うことは出来ない――」 「それじゃあ……」 「ユリアは間違いなく、ヘイムの血脈の娘だ。そして、マンフロイは『ナーガの娘』といった。かつてと、同じだとな」 スカサハは一瞬、全身の血液が逆流するかのような錯覚に襲われた。 何にそれほど衝撃を受けたかは分からない。ただ、それほどまでに、スカサハにとっては衝撃的な事実が導かれようとしている、と悟ったのだ。思考より先に、感覚的に結論を導いていたのである。 「『ナーガの娘』をマンフロイが攫おうとする時に、また私が立ちはだかる。奴はそう言った。ナーガの娘、とは光の神魔法の継承者――つまり、バーハラ家の継承者の姫を指す。ディアドラ様がそうであったようにな。つまり、ユリアは間違いなくグランベル帝国の皇女、つまりセリスの義妹ということになる。もっと早く気付くべきだったのだ。皇帝アルヴィスとディアドラ様の間に生まれた子は双子。名は、ユリウスと、そしてユリア――。このうち、ユリアはディアドラ様と共に、死んだ、と云われていたが……」 「……じゃあ、あの時マンフロイが『ユリアの兄』といったのは……」 それは、分かりきった答え。しかしそれでもなお、スカサハはその答えを自分で導き出すのを拒否していたのかもしれない。 「間違いなくユリウスのことだろう。暗黒神ロプトウスの化身。我々の、敵だ」 「そ……ん……な……」 ユリアがユリウスの、暗黒神ロプトウスの化身とまで呼ばれる魔皇子の、つまり敵の妹だったというのか。 「そして同時に、我々が勝利するためには、ユリアの力は欠かせなかったのだ」 「え?」 「伝説では、ロプトウスの力に対抗できるのは、光のナーガの力だけだといわれている。そして、ナーガの継承者は、今はユリアしかいない」 「そんな、それじゃあ!!」 最大の障害であるユリアを、彼らが生かしておく理由はない。どう考えても、すぐ殺す。それ以外の選択肢など、ありえない。 ユリアが殺される。 彼女のあの笑顔を、もう見ることが出来なくなる。言おうと思っていたことも、言うことが出来ずに。 「くっ!」 スカサハはすぐにでも飛び出そうとして立ち上がりかけたが、全身にまるで力が入らず、ベッドから出ることすら出来なかった。 「無茶をするな。いくら魔法で回復させたとはいえ、体力までは戻っていない。むしろ、無理矢理治癒したから、普段より消耗しているくらいだ。今は休め」 「そんな呑気なこと言ってられません!!」 スカサハは、自分でもどうしようもないくらいの焦燥に駆られていた。 今この瞬間にだって、ユリアが殺されそうになっているかもしれない。もしかしたら、今すぐ行けば間に合うかもしれないのだ。 「シャナン様はいいですよ。別に、もう守る人なんて……」 そこまで言ったところで、スカサハはまるでとてつもなく重いもので殴られたかのような衝撃を受けた。 いや、実際に物理的に殴られたりしたわけではない。ただ、それほどまでに圧倒的な気配が、目の前の人物から発せられていた。それは、自分に向けたものではなかったにも関わらず、その空間すべてを押しつぶしてしまうかと思えるほどに、凄まじい気勢だった。 「す、すみません、シャナン様。俺……」 「……気にするな。ただ、お前のように思っているのは、お前だけじゃない。今のお前がやるべきことは、明日までに体力を戻すことだ」 「明日……?」 「明日には、ペルルークを出発する。回復しなければ、置いていくぞ」 そう言うと、シャナンは部屋を出ていこうとして、何かを思い出したように立ち止まった。 「そうそう。一つだけ言い忘れていた。ユリアの安否だが……敵に期待することになるが、アルヴィスが或いは彼女を守ってくれるかもしれん。私の知るアルヴィスなら、少なくとも娘を殺すようなことは、しない」 「シャナン様……」 「ユリアを助けたい、と思っているのはお前だけじゃない。諦めなければ、まだ可能性はある。そう、信じるんだ」 そして、シャナンは部屋を出ていった。 残された部屋で、スカサハは、自己嫌悪に苛まれていた。 なんてことを自分は言ってしまったのだろうか。あの人は、二度も亡くしたくない人を亡くしたというのに。 「……俺が今出来ることは、ユリアの無事を信じること……」 そして。 「一日も早く、ユリアの下に行くことだ」 そう決めると、スカサハは勢いよくベッドに倒れ込んだ。 今すべきことは、明日の出撃までに、体力を完全に戻すことだ。一人では、ユリアを助けることなんて出来はしない。ならば、置いていかれることなどないように、完全に自分を回復させるのが、今すべきことなのだから。 |
「……やれやれ……私が怒る分も怒ってくれたようだな……」 申し訳程度に明かりに照らされた廊下を歩きながら、シャナンは苦笑した。 本当は、誰よりもシャナンが駆け出して行きたかったのだ。 あの、ディアドラが攫われた時のあの魔術師の顔は、ただの一度として忘れたことはない。だが、もう会えないと思っていた。 奴は、あの時でもう十分高齢だと思っていたからだ。だが、まさか暗黒教団の大司教マンフロイだとは思わなかった。先ほどそれを聞いて、シャナンも驚いたところだ。 「ナーガの娘を攫う時に、イザークの戦士が邪魔をする、か……」 ある種、運命めいたものを感じなくもない。イザークの戦士はナーガの娘を守る宿命でもあるのだろうか。こうなると、かつての聖戦でオードとヘイムの関係が気になってきたりもするが、それを知ったところでどうしようもない。 「シャナン。どうだった、スカサハの様子は」 廊下の角を曲がったところで声をかけてきたのは、レヴィンだった。 考えてみたら、レヴィンもまた、数年間面倒を見ていた少女が攫われたのだ。心中穏やかざるところだろうが、さすがというか、そういった様子はまるで見せない。 「とりあえず、落ち着いた。普段は冷静な奴だからな。落ち着けば、またいつも通りになるだろう。さすがに、ユリアの素性については驚いていたがな」 「まあそれは仕方ないだろう。俺達も気付いていなかったんだからな。もっとも、気付かない方がどうかしていたとしか思えんが……」 「確かにな……」 光の魔法、というよりはディアドラと同じオーラを使っていたのだから、普通の娘であろうはずもなかったのだ。それだけの実力者など、本当に限られるのだ。ただ、数年間面倒を見ていたレヴィンですら、ユリアの素性については知らなかった。少なくとも、レヴィンの記憶している限り、ユリアに聖痕はなかったはずだ、という。 「これは俺の推測だが……。あるいは、ユリアの聖痕は隠されていたのかもしれない」 「隠されていた?」 「ああ」 話している間に、二人は会議室に到着した。 元は大食堂だった場所らしいが、まともに残っているある程度の人数の集まれる場所がここしかなかったのだ。 レヴィンとシャナンはそのまま上座の方へ歩いていく。 「どういうことだ?」 「ユリアがなぜ、生きていると思う?」 そういわれて、シャナンははっと気が付いた。 皇妃ディアドラと、皇女ユリアは、すでに死んだといわれていたのだ。だが、ユリアは生きていた。それはつまり。 「そうだ。つまり、ディアドラが何かしらの方法で助けたのだ。そして、その時にユリアの素性を隠すため、聖痕を隠した。継承者の聖痕、というのはことのほかはっきりと顕れるからな。そして、各家の紋章などは、主に聖痕を意匠化して作られている。何も知らない者でも、聖痕を見ればバーハラ家に報告しないとも限らない」 「なるほどな……」 十分ありえる話だった。ただ、そのユリアをレヴィンが見つけた、というのは偶然にしては出来すぎている気がしなくもない。 だが、意図されていたのなら、レヴィンがユリアの素性を知らなかったはずはないし、知っていたのなら、今回のようなミスはしないはずだ。 「それにしても、セリスの義妹でもあったとはな……」 「ユリアのこと?」 会話が聞こえたのだろう。セリスが混ざってきた。少しだけ、その表情に翳りが見える。 「ああ。だが……」 「分かってるよ、シャナン」 セリスはほんの一瞬見せた不安そうな表情を消すと、いつもの毅然とした表情で正面を見据え、諸将を見渡した。 「私が今、私事で動くわけにはいかない。……それにね、これは、予感なんだけど」 セリスは少しだけ、笑ってみせる。 「ユリアは無事だと思う。これは、思い込みじゃなくてね。ただなんとなく、そんな気がするだけだけどさ」 |
翌日。 解放軍の一部はペルルークを発した。目的地はラドス城。ここは、ミレトス峡谷に行くためには、絶対に通過しなければならない要所クロノス城のさらに先にある都市だ。クロノスが、ミレトス峡谷攻略のための橋頭堡となるべき場所でもあるのだが、その攻略のためにはラドスからの援軍が障害となりうる。 そこで解放軍は、大きく部隊を二つに分けた。 解放軍全軍がクロノス攻略にかかると、ラドスから来る軍に、側背を攻撃されることになる。それでは、ひどく大きな被害を出す可能性がある。 ラドスへはリーフ、アレスらを主将とした騎兵部隊のみを先行させ、ラドスからの軍を食い止めてもらい、その間にクロノスを攻略しよう、と考えたのである。 だが、解放軍はここで、思わぬ不意打ちを受けることになった。 騎兵部隊がペルルークを離れた直後、どこから現れたのか暗黒教団の魔術師達が奇襲をかけてきたのだ。 数は不明。おそらくは数百。 数だけなら、四千以上残っている解放軍の敵ではない。だが、暗黒教団の魔術師達の力は、時として一人で数百の兵に匹敵する。しかも、魔術師達は突然現れては消え、攻撃を繰り返す。それも、城内、城外関係なしに。 その、まるで悪夢のような攻撃の前に、解放軍は半ばパニック状態に陥った。無理もない。突然現れては消える魔術師。しかも、どこに隠れても現れてくるような錯覚すら覚える。この状態では、指揮系統もずたずたで、魔術師達の前には、個別に撃破される以外に術はない。 「くそっ」 セリスは、かろうじて暗黒魔法を避けた。暗黒魔法は、そのまま壁に命中し、うめき声に似た音を立てて四散する。そしてセリスは、鋭く踏み出して、それを放った魔術師の喉元に剣を突き出した。かすかな感触を確認すると、そこから一気に横に薙ぐ。直後、魔術師は鮮血を吹き上げて転倒した。倒れた先にある、己の血で作られた赤い池が、暗黒のローブに吸われていく。 「ラナ、大丈夫?!」 「は、はい。セリス様は……」 「私は大丈夫だ。ラナは、私から離れないで」 「セリス!!」 駆け寄ってきたのは、シャナンとレヴィンだった。さすがというべきか、二人ともかすり傷一つない。 「シャナン、そっち……」 言いかけたところで、セリスは息を呑んだ。その、まさにシャナンの真後ろに魔術師が出現したのである。 「うし……」 セリスが警告を発そうとした次の瞬間、魔術師はまるで<転移>に失敗したかのように、現れた直後に崩れ落ちた。 セリスが言葉を発するより先に、シャナンの剣が魔術師の出現した空間を薙いでいたのだ。 「先ほどからこのような連中ばかりだ。しかし、連中の跳梁をいつまでも許していては、こちらの被害も軽視できん……いや、このままでは全滅の恐れすらある」 解放軍でも、単独で暗黒魔術師に対抗できる者は、そう多くはない。このままでは、各個撃破されて、甚大な被害を出す恐れがある。セリスやシャナンがやられることはないが、彼らだけ生き残ったところで、この戦いを戦い抜くことなど出来はしない。 「分かってる。だけど、こうも指揮系統が混乱した状態では、命令の伝達すら容易じゃない」 これが、まだ解放軍の規模の小さいころであれば、この程度の襲撃で混乱することはなかっただろう。だが、今や解放軍はその末端まで完全に把握するのは困難なほどの規模になっている。そして今回、まさしくその大軍の弱点を付かれた格好になったわけだ。 「とはいえ、このまま連中の好きにやらせていたら、冗談ではなく軍の崩壊もありえる。……セリス、すまんが多少危険な橋を渡ってもらうぞ」 「え?」 一瞬、呆気に取られるセリスに、レヴィンは素早く説明をした。 「……分かった。迷ってる時間はない。それでいこう」 「レヴィンはどうするんだ?」 その問に、レヴィンは不敵とも思える笑みを浮かべてみせた。 「なに。ただでやられてやる義理はないからな」 |
終わってみれば結局、帝国軍は解放軍の策に乗せられた格好となっていた。 セリスは城の中庭の最も目立つ場所に行き、わざとその姿を晒した。当然だが、暗黒教団の魔術師はセリスに殺到する。しかし、それがセリスの狙いだった。 ペルルークの中庭は広い。三千の解放軍の将兵が集合することができるほどである。そして、セリスはその中心に突然――ラナの転移の魔法で――現れ、そして高らかに自分の居場所を宣言したのである。しかし、セリスに魔法を放つには、どうしても同じ中庭に出現する必要があった。 暗黒魔法は、非常に強力なのだが、そのうちの一つ、ヨツムンガンドには欠点がある。それは、射程が短いことだ。 無論、魔法である以上数十歩の距離が離れていたとしても、問題なく有効射程内である。だが、その有効範囲は実は風魔法より――風魔法は雷、炎より射程が短い――さらに短いのだ。ちなみによくしたもので、光の魔法の一つ、リザイアにも同じ欠点があるのだが、こちらはそもそも使い手が余りに少ないので問題になることはない。 つまり、セリスに暗黒魔法を放つには、中庭のかなり目立つ場所に現れなければならないのである。 そして、当然だが転移によって現れてすぐに魔法を放つことはできない。どうしても、ほんの一瞬の間がある。そして、レヴィンはそれを狙わせたのだ。 中庭を囲むように弓兵を配し、とにかく現れたら射殺するように命じる。さらに、セティ、アーサーら魔術師に、やはり同様の命令を与えておいたのだ。 かくして、暗黒魔術師達は、現れた直後にそこを狙い撃ちにされ、次々に倒れていった。 元々、神出鬼没でこその暗黒魔術師達だ。その現れる場所が見切られてしまえば、さして怖い相手ではないのである。 この『罠』に暗黒魔術士達が気付いた時は、すでにもう彼らの戦力は半分以下になっていて、あとは逆に各個撃破されてしまったのだ。 そしてレヴィンはさらに、城外に待ち伏せている兵士に、罠を仕掛けていた。 恐慌状態になった解放軍がペルルークの城砦から飛び出したところを攻撃するために待ち伏せている部隊があることは、容易に予想できた。 そこでレヴィンは、城内がやや落ち着いてきた頃に、わざと混乱した様子を見せて城外に飛び出す兵を偽装した。 予想通り現れた千人ほどの部隊は、逆にその脱出してきたと思った三百程度の解放軍の前に、ずたずたにされて崩壊し、敗走した。混乱して飛び出した、と彼らが思ったのは、シャナンを筆頭としたイザークの戦士、それも最精鋭の部隊だったのだ。反撃がまともに来るとも予想していなかった帝国軍は、その最初の一撃で逆に混乱し、ろくな被害も受けていないのに敗走していったのだ。 そして解放軍は、一日遅れでペルルークを進発することが出来たのである。 「しかし、一日でも痛いな。その分、リーフ達に負担がかかる」 それは確かにその通りだった。 先発した騎兵部隊は、ラドスからの部隊を食い止め、その間に後発部隊がクロノスを陥とす、という計画だったのだ。当然だが、一日遅れればリーフたちの負担が一日増える。 「まあそれほど気負わなくても大丈夫だろう。彼らも強い。もしかしたら、ラドスの部隊を撃破して、ついでにラドスを制圧しているかも知れんぞ」 「シャナン……」 セリスは小さく苦笑した。もっとも、冗談か本気か、判断し辛い台詞でもある。 何しろリーフを主将とする旧トラキア解放軍以外に、魔剣ミストルティンを持つアレスと、地槍ゲイボルグを持つアルテナ、それに彼女に従う竜騎士までもがラドス側には派遣されている。確かに、戦力からすれば、実数値の二倍として計上しても低く見積もってることになるかもしれない。 「スカサハは大丈夫?」 セリスはふと、シャナンのやや後から馬を進めている、幼馴染の方を見た。 「え、あ、はい。大丈夫です、もう」 「暴れたからか?」 「シャ、シャナン様っ」 確かにスカサハは、先の暗黒教団の魔術師の奇襲の時、文字通り鬼神の如き働きを見せた。それは、もちろんその直前に、ユリアを彼ら暗黒教団に攫われたことへの恨みによるものもある。無論、直接攫ったのは彼らではないのだが、そんなことに配慮する理由は、スカサハにはない。 「どっちにしても、スカサハが元気になってよかったよ。正直、もう戦えないんじゃないかって思ってたから」 「いえ……すみません。セリス様の方がお辛いはずなのに。その……」 スカサハが消沈していると、セリスは逆ににっこりと笑って見せた。 「妹、かあ」 セリスは、翳りのない声で微笑みながら言葉を続ける。 「正直私、弟や妹って憧れていたんだ。だから、いつもスカサハやレスターが羨ましかった。だから、ユリアが妹だって分かった時、攫われてすごく心配だと思うと同時に、どこかで嬉しかった。私にも、妹がいたんだ、ってね」 「セリス様……」 「で、これはその兄としての言葉。ユリアは、まだ無事だと思う。なんとなく、かな。分かるんだ。スカサハだって、時々ラクチェを感じられる、って言ってたろ?」 「そ、それは……その、いつも一緒にいたというのも……」 確かに、時々スカサハはラクチェを近くに感じることがある。時には、ラクチェが傷を負ったときなど、その痛みを一瞬感じることがある気がするくらいだ。 「まあ、十分に希望的観測ってやつだけどね。で、もう一つ。スカサハなら、義弟としては申し分ないかなあ、とも思っているんだけど」 その言葉に、シャナンは小さく吹き、スカサハはつんのめって馬の鬣に顔を埋めた。 「だからスカサハ、まだ諦めないでいよう。私達はまだ、絶望するわけにはいかないんだから」 そこにさらにシャナンがスカサハの横に馬を並べてくる。 「スカサハ。お前の気持ちが分からないわけじゃない。だが、今やるべきことをやらなければ、前に進めない。進んだ先に何が待っていようとも、後悔をしないように、その時その時できる、最善を尽くせ。そうすれば、道を見失うことだけはない」 シャナンのその言葉は、むしろシャナン自身に向けられている言葉だ、と気付いていたのは、実はセリス一人だった。 |
解放軍はその後、クロノス城を攻略、いよいよミレトス峡谷にさしかかろうとしていた。そしてそこで待ち受けている恐怖を、この時はまだ、誰も知りはしなかった。 |