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永き誓い・第四十六話




「これがシアルフィ城……」
 シャナンは、わずかな感慨と共にその城内を歩いていた。
 グラン暦七七八年春。イザークより始まった戦争は、ついに現在大陸を制圧する大国、グランベル帝国の本土にまで及び、解放軍はその一公国シアルフィを攻め落とした。
 ついに、グランベル帝国の牙城を一つ、突き崩したことになる。
 もっとも、本来ならこれで戦いは終わるはずだった。
 シアルフィ城を守っていたのは、グランベル帝国皇帝アルヴィス本人だったのだ。
 だが、戦いは終わらない。それは、シャナンもセリスも分かっている。
 本当の敵は、アルヴィスではない。
 アルヴィスですら、闇に利用された者に過ぎなかった。本当の敵は、今なおバーハラにいる。
「……まあ、そっちは私の出る幕ではないがな……」
 シャナンは漠然と、ユリウスと戦う役目は自分にはないことを悟っていた。
 この戦いは、いわば聖戦の繰り返しである。ならば、この戦いの決着をつけるのは、オードの末裔たる自分ではない。それは、解放軍を率いる者――かつては聖者ヘイム――でなければならないのだ。
 確かにロプトウスの力を持つユリウスは強大だ。だが、セリスもまた、以前とは比較にならないほどに強力な力を、この戦いで手にしていた。
 聖剣ティルフィング。かつてシグルドの手にあり、そしてシグルドの死と共に行方不明になった、シアルフィ家に伝わる十二神器の一つ。もう手に入らないと思われていたその神器は、思わぬところからもたらされた。
 シアルフィ城から子供狩りで集められた子を逃がしていたパルマークという司祭が、ティルフィングをさる方から預かっていた、とセリスに手渡したのである。その『さる方』が誰であるのかは、考えるまでもないだろう。
 ティルフィングは、かつてシグルドの手にあり、そして、シグルドはアルヴィスによって、あの『バーハラの悲劇』で殺された。それっきり、ティルフィングの行方は分からなくなっていたのである。
 だが、いかに神の魔法ファラフレイムでも、神器たるティルフィングまで破壊できるはずもない。となれば、ティルフィングはアルヴィスが所有していたはずであり、それを一介の司祭が偶然手に入れるはずもない。無論、一介の司祭が厳しい監視の目を抜けて、子供を逃がすようなことも、到底不可能だろう。
 つまりアルヴィスは、自らセリスに、自分に対抗しうる力である神器を渡したことになる。
 そこに、どのような心情の変化があったのか、シャナンには完全には理解できない。
 ただ、彼は既にセリスにの手によって死することを望んでいた。そう思えてならない。
 それが、かつてシグルドを殺したことへの悔恨ゆえなのか、或いは、亡き妻ディアドラ――彼女がアルヴィスの妻であった、という事実自体がシャナンには受け入れがたく、また実感できないことではあるのだが――の先夫への償いなのか。
 ふと見上げると、かつては大きな肖像画がかけられていたと思われる跡が、壁に残っていた。その隣には歴代のシアルフィの領主の肖像画がかかっていることから、多分ここにあったのは裏切り者の烙印を捺されたバイロンか、あるいはシグルドのものがあったのだろう。
 一度だけ見えることの叶ったシグルドの父。彼は、父マリクルと戦ったと言っていた。そして、父を、最高の剣士である、と言ってくれた。
 ただ、今のシャナンは思う。父は最高の剣士だった。だが、バイロンもまた、グランベル最高の騎士だったのだろう、と。
「あ、見つけた、シャナン様〜」
 考えに耽っていたシャナンを、突然現実に引き戻す声が響き渡った。誰の声であるかは、考えるまでもない。
「パティ……そんな大きな声を出す必要がどこにある……」
「だって〜」
 言葉と同時に飛びついてきたパティを、シャナンは半身をずらして避ける。見事に空振りしたパティは、転びそうになるところをバランスを取り、それから恨みがましそうな目でシャナンを睨んだ。
「だってミレトス地方に入ってからこっち、全然シャナン様とお話できてないんだもん」
「それは仕方なかろう。激戦が続いたのだからな」
 シャナンはほぼ最前線。そしてパティは基本的に後方支援だ。コノートやターラの時のような特殊な任務がある時でもない限り、パティが最前線に立つことは、まずなく、必然的にシャナンと会える機会も減る。
「それはそうだけど……寂しかったんだもん。シャナン様、もしものことが、なんて思うと恐かったし」
 シャナンは軽く「大丈夫だ」と安請け合いしようとして、やめた。パティの表情が、いつも以上に深刻に見えたからだ。
「シャナン様も、お兄ちゃんもいつも最前線。私からは見えないところで戦ってる。逆に言えば、怪我しても私は知ることもない。死んじゃったとしても、知るのはずっと後。そりゃあ、私なんかが最前線なんていたら、迷惑なんてものじゃないから行けない。でも、私に見えないところで、シャナン様やお兄ちゃんが戦ってる、と思ったら不安にはなるもん」
 パティの気持ちは、シャナンにも分かる気がした。
 かつて、シグルド達と共にあったとき、シャナンは当然だが前線に立つようなことはなかった。子供だったのだから、仕方ない。
 だが、前線を遠ざけられ、死力を尽くして戦っているアイラ達が、もし怪我をしたら、或いは死んでしまったら。彼らの実力なら、滅多なことなどあるはずはない、と分かっている。だが、それでも心配になってしまうのは、どうしようもないことだった。多分パティも、同じ気持ちなのだろう。
 そして戦いが終わるまで、この状態は続く。
 シアルフィを落としたとはいえ、戦いはいよいよグランベル帝国本国の部隊との、いわば、最精鋭の軍隊との戦いになるのだ。
 これまでの戦いで、グランベル軍はいずれも地方軍に解放軍の殲滅を任せていて、本国の軍は出てきていない。だが、これからはグランベル本国が戦場になる。
 これまで出てこなかったグランベル軍の本軍、そして何より、恐るべき錬度を誇る各公国の騎士団が出陣してくるに違いない。
 すでに、シアルフィから北東にあるエッダは、魔法兵団が動き始めた、という情報もあり、北のドズルも、かつてイザーク王国を蹂躪したグラオリッターが配備を始めた、という情報がある。更に、ダナン王が死んだことによって、事実上ドズルの主となったブリアン王子が、あの聖斧スワンチカを持って攻めてくる、というのだ。
 数において若干劣る解放軍は、これを出陣して迎え撃つ必要がある。そもそも、篭城したところで援軍が来ることなどありえないのだから、前に進むしかないのだ。あの、魔皇子ユリウスのいるバーハラまで。
「またすぐ出陣ですよね……」
 パティの顔が沈む。
 皇帝アルヴィスが倒れたことにより、帝国軍の動きはほんの少しだけ停止した。恐らくそれは、たとえ既に名ばかりであったとはいえ、皇帝の死に対して、帝国軍がその死に哀悼を表したのだろう。
 本来なら、その間に解放軍は進撃したかったのだが、解放軍もミレトス地方での――特に南部での――激戦で、その疲労が限界に達していたのだ。これからグランベル帝国本土を攻撃するに際し、休息は何がなんでも必要だった。
 そのため、奇妙な停戦期間が、ほんの数日だけ生じたのである。無論その間にも、軍の再編成はどちらとも行ってはいるが、出陣するのは、数日後になる。
 だが、その後に待っているのは、間違いなくこれまで以上の激戦だ。
 これまでの戦い――トラキア王国の戦いは別だが――と異なり、今度は自分達が侵略者になる。
 たとえ、敵の頂点にいるのが魔皇子ユリウス――ロプトウスの化身であろうとも、その事実は変わらない。
 聖戦だ、と言ってみたところで、グランベル帝国という一つの国家を滅ぼそうという行為には、なんら変わりがないのだ。
 そして、グランベル帝国の将兵は、そのほぼ全てが皇帝アルヴィスを熱狂的に支持していた。その、アルヴィスの命を奪った解放軍に対して、これまで以上に攻勢に出てくるだろう。それはもう、理屈のある行動ではないのだ。
「まあ、今のうちに休んでおくんだな。ひとたび戦いが始まれば、ゆっくりする暇などありはしない」
「でも、シャナン様は休まれてないじゃないですか。昼はスカサハやラクチェなんかと訓練したり、セリス様達と軍議をしてたり」
「十分休んでいる。これでもな。戦っている時より、遥かに楽だ」
「む〜」
 それでもパティは口を尖らせている。
「若いとは言い難いがな。それでも、この程度で疲れるほど年を取ったつもりはない。少なくとも、オイフェが倒れないのだから、大丈夫だ」
 そうは言うけど、と言いかけて、パティはその先を続けるのを止めた。
 シャナンが、端で見て分かる以上に、この戦いに対して悲壮とも思えるほどの決意を持って臨んでいることがなんとなく分かってきたからだ。
 自分が倒れることより、この戦いに勝つことを。ただそれだけを目指している。そのために、シャナンはこれまで多くの犠牲を払ってきているのだ。それは、決して邪魔してはならないものだから。
 ただ、シャナンが死ぬようなことはあってはならない、と思う。この人は、きっとイザーク王国に、これからの時代に必要不可欠な人だと思うから。無論、パティ自身、シャナンには絶対に死んでもらいたくはない、と思っている。
 しかし、自分に出来ることは大してありはしない。ならば、せめて。
「パティ?」
「いえ、なんでもないです。シャナン様、あとで食堂来て下さいっ。元気が出る食事、作っておきますっ」
 言うが早いか、パティはシャナンの返事を聞かずに走り出していた。

 エッダとドズルから同時に軍が発した、という報せは、シアルフィ制圧から五日後に届いた。ドズルからはグラオリッターとドズル公国の正規軍が、エッダからは強力な力を持つ魔術師、司祭で構成された――他公国だと騎士団に相当する部隊である――魔法兵団、正規軍、傭兵達が出撃したらしい。その数は、ドズルとエッダそれぞれをもって解放軍の総数に匹敵する。つまり解放軍は、二倍の敵兵を撃滅しなければならないことになる。
 にもかかわらず、解放軍の士気は高かった。
 一つには、聖杖バルキリーの力によってとはいえ、先の戦いで戦死したフィンが、蘇生したからである。もっとも、傷そのものは回復していないため、戦うことは不可能なのだが、それでも、特にトラキア出身の兵にとっては、この上なく喜ばしいニュースだった。
 そしてもう一つは、ユングヴィで大規模な反乱が発生し、ユングヴィ軍のほとんどが解放軍に恭順したのである。さすがに領主スコピオと、グランベル帝国に絶対の忠誠を誓っていたほとんどのバイゲリッターはその前にユングヴィを脱出していたらしいが、これで解放軍は後方を恐れることなく、前方の二つの勢力の攻撃に集中することが出来ることになる。
 もっともそれでも厳しい戦いには違いない。
「とにかく、今回は辛くても二正面作戦しか方法がない。敵軍が全て合流されたら、非常に厄介だ。兵力分散の愚を犯してでも、各個に撃破する必要がある」
 軍議の席でレヴィンは壁に貼り付けたシアルフィ北方の地図の、ドズルとエッダを指し示した。
「敵は情報によると全部で三部隊。二つはドズルから発したグラオリッターと正規軍。うち、グラオリッター大半と正規軍の半数がシアルフィへ直進、残りがこの山岳帯を迂回して、エッダ軍と合流する動きをとっている。ただ、情報によるとエッダに向かった軍は新兵が多く、錬度は低いらしい。とはいえ、合流されたらかなり厄介だ」
 そこで、とレヴィンはシアルフィを指し示し、そこからエッダ北西の谷間へとずらす。
「ここへ、最近になって合流した部隊をぶつける。こちらも錬度が高いとはいえないが、士気は上だ。そこで足止めしている間に、エッダを別部隊で陥落させる。しかる後、エッダ攻略部隊はそのまま北西の部隊と合流、グラオリッターを撃破後、そのままドズルへ向かう」
 一方、とレヴィンはシアルフィとドズルの間の、細い峡谷を指し示した。そこは、ドズルとシアルフィの間を結ぶ街道で、もっとも周辺の地形が狭まっているところだ。
「こちらに最精鋭部隊を進めて、グラオリッターを迎撃する。グラオリッター撃破後、そのままこちらもドズルを攻略。上手くいけば、あるいはエッダからの部隊と同時攻撃の可能性もある。どちらにせよ、ドズル城に肉薄した段階で、ドズルの最大戦力であるグラオリッターは殲滅済みのはずだから、陥落させるのはそれほど難しくはないはずだ」
 レヴィンは部隊編成を発表、さらに細かく作戦指示を与えていく。聞いている将兵の目も、真剣そのものだった。これからの戦いは、これまでとは違う。グランベル帝国本国との、さらにいうなら、暗黒神ロプトウスとの戦いとなるのだ。
「指示は以上だ。出陣は明朝とする。最後にセリス、何かあるか?」
 レヴィンはそこで、セリスの方を振り返った。それまで黙ってレヴィンの話を聞いていたセリスは、小さくうなずくとゆっくりと会議室――元は大食堂だったところらしいが――に揃った解放軍の宿将達を見渡した。
「みんな。ついにここまで来た。いよいよ我々は、グランベル帝国との決戦に入る。これまで以上に熾烈な戦いが、我々を待ち受けていることは疑いない。だが、それでも我々は負けるわけにはいかない。我々がここで敗れてしまっては、この大陸に光を取り戻すのは遥か未来に、あるいは不可能になってしまうかもしれない。だから、我々はなんとしても、この戦いに勝たなければならない。そしてそのためには、ここにいる――いや、この城に集った、解放軍全員の力が必要だ。きっと、倒れる者も出ると思う。犠牲なんて、ない方がいい。でも、そんな綺麗事でこの戦いは勝ち抜くことは出来ないだろう。だから、もし心残りのある者は、明日までにこの城から出て行ってくれても構わない。あるいは、この城に留まってもいい。それを、責める事は決してしない」
 セリスはそこで言葉を切って、もう一度全員を見渡した。だが、もちろん誰一人としてホールを出て行く者はいない。
「……けど、もしそれでもなお戦おうというのなら、大陸の未来の礎となることを厭わないというのなら……君達の命を、私に預けてくれ。私は必ず、この戦いに勝利し、大陸に光を取り戻してみせる。かつて十二聖戦士が成し遂げたことを、再び成し遂げてみせる。そう、これは私達の聖戦なのだから!」
 セリスの宣言と共に、将兵が次々と席を立ち、鬨の声を上げる。そしてそれは、ホールの外にまで響き、やがてシアルフィ城全体にまで及んだ。その響きは、遠くエッダやドズルまでも響き、帝国軍の将兵を慄かせた、と云われている。

 なんとなく眠りに就けず、城内を歩き回っていたシャナンは、ふと城壁の上にいる人物に気がついた。見覚えのあるその人物は、ただじっと北の方角を見据えている。
「どうした、眠れないのか?」
 突然かけられた声に一瞬驚きつつ、その男はシャナンを確認して安堵した。
「……シャナンさんかい」
「明日が不安か? ヨハルヴァ」
「……まあ、実際に戦うのは三日後くらいだけどよ……」
 シアルフィから北へ三日。そこで、解放軍はグラオリッターと激突することになっている。そして、そのグラオリッターを率いるのは、間違いなくドズル王子――いや、実質ドズル王となっているブリアン。つまり、ヨハルヴァの実兄だ。
「だが、お前は自ら進んでレヴィンにグラオリッター迎撃部隊に入れてくれ、と頼んだと聞いているが?」
 最初、レヴィンはヨハルヴァをエッダ攻撃の部隊に入れるつもりだった。いくら父親を討ってきたとはいえ、今再び血肉を分けた家族と戦うというような凄惨な争いが起きるように仕向ける必要はないからだ。
 だがレヴィンがその発表をする前に、ヨハルヴァ自身が自分をグラオリッター迎撃部隊に入れてくれ、と頼んできた、というのである。レヴィンは再三説得したのだが、ヨハルヴァは頑としてそれを受け入れず、結局レヴィンが折れることになったのだ。
「兄貴は……俺が戦わなきゃいけねえ。そんな気がしているんだ。親父と、ヨハン兄貴、その両方の死顔を見届けた俺がな。……って、考えてみたらおこがましいことこの上ないけどな。まともにやったら、俺が兄貴に敵うわけねえ。相手は、聖斧スワンチカだからな」
 だが、そういうヨハルヴァの、なんとしても自分が兄ブリアンを討たなければならない、という決意は、シャナンにははっきりとみてとれた。
 確かに、ヨハルヴァの実力では、聖戦士の、しかも神器を所有した相手には到底かなわないだろう。だが、それはあくまで一般的な話だ。強い決意や目標を持ち、強い意志を持ってそれを断行しようとする時、人間は絶大な力を発揮することがある。
 おそらくレヴィンも、ヨハルヴァのそれに賭けてグラオリッター迎撃部隊への参入を認めたのだろう。
「だが、無茶はするなよ。お前が死ぬと、ラクチェが悲しむ」
「……悲しんで、くれるかな……。いや、そうだと思っていても、どっか割り切れない何かがあるんだよ、やっぱり……」
「何言ってるのっ」
 突然響いたもう一人の声に、シャナンもヨハルヴァも驚いて振り返った。そこに立っていたのは、シャナンと同じ黒髪の少女。夜の闇と同じ色の瞳が、まるで怒っているかのように強い光を宿してヨハルヴァを睨んでいる。
「ラ、ラクチェ、いつから……」
「いい? この戦いであなたが死んだら、私、絶対に許さないから。どんなことがあっても生き残るの。何のために私があなたの後ろにいると思ってるの」
「ラクチェ……」
 ずいずいと前に出るラクチェに、ヨハルヴァはたじたじとなって後ろに下がってしまう。その様子を見て、シャナンがくつくつと笑い出した。
「ヨハルヴァ。ラクチェの言うとおりにしておいた方がいいぞ。ラクチェは怒らせたら、誰にも手がつけられん」
「シャ、シャナン様、何を……」
「早くに休んでおけ。ゆっくり休めるのは今夜が最後だ」
 シャナンはそういうと、階下に下りていく。
「シャナン様……」
「……ラクチェ」
「な、なに?」
 ヨハルヴァが突然真面目な声になったので、ラクチェは驚いて振り返った。そこには、いつになく真面目――というより深刻そうな表情のヨハルヴァがいる。
「俺一人じゃ、多分ブリアン兄貴は止められねえ。いや、本来なら俺が躍起になる必要なんてない。アレスやアルテナに任せちまえばいいことだろう……」
 ヨハルヴァの属するドズル攻撃部隊の主将は魔剣ミストルティンを振るうアレス、副将はリーフと地槍ゲイボルグを振るうアルテナだ。神器に対抗できるのは神器だけ。そして今回の相手は、聖斧スワンチカ。十二神器中、もっとも堅固な守りを誇る、最強の斧。無論破壊力も桁外れだ。
「けど、それでも俺は兄貴と戦いたい。あるいはどっかで、兄貴を止められるかもしれない、と思っているのかもしれねえ。けど、戦いが始まっちまったら、説得のチャンスなんて絶対にねえだろう。かといって、戦う前に兄貴に会うことなんて不可能だ。だから俺は……」
「言いたいことは最初に言いなさいよ。あなた、そうでなくても説明下手なんだから」
「い、いやだからその……」
「いいわよ。真っ先に血路を開いてあげる。そして、お兄さんと決着つけてきなさい。どちらにするかは、あなたの自由。アレス王子やリーフ王子達にも話しておいてあげるわ」
「ラクチェ……」
「ただし。私は必ずあなたについていくからね。これは、譲らないわ。あなたに、死なれてほしくはないの」
「いや、しかし……」
 反論しかけるヨハルヴァの正面に、突然ラクチェの剣が突きつけられた。思わずヨハルヴァは、半歩下がる。
「戦いにならない限り、手は出さない。でも、戦うのなら容赦はしない。悪いけどドズル家には、いえ、スワンチカの使い手には恨みはあるの。かつて、イザーク王国を滅ぼした、というね。私とあなた。半人前でも二人もいれば、神器の継承者だろうが、どうにかなるわよ」
「……分かった、ラクチェ」
 ヨハルヴァは、あるいはその時もう、兄との和解はないことを悟っていたのかもしれない、とあとで思った。
 実際、兄は優秀だったが、同時に非常に権勢欲が強く、また、己の目的のためには手段を選ばない性格でもあったのだ。そんな兄が、今更ロプトウスの存在を明かしたところで、説得に応じるとは到底思えなかったのである。

 階下に下りたシャナンが次にあったのは、スカサハだった。こちらは、北東の方角を見つめている。
「よくよく今日は眠れん奴に会うのだな……」
「シャナン様。まだ起きてらしたのですか?」
 スカサハが驚くが、それはスカサハとて同じだろう、とシャナンは苦笑した。
「ユリアが心配か?」
 いきなり図星を突かれたスカサハは、一瞬顔を紅潮させ下を向く。
「ユリアは生きているようだからな……」
 少なくとも、生きてこのシアルフィから連れ出されたのだけは確実らしい。聖剣ティルフィングを託されていたパルマーク司祭からの情報で、彼は直接ユリアがマンフロイに連れ去られるのを見ているので、まず間違いはない。
 そのあとどうなったかは分からないが、殺すつもりがあるのなら即座に殺すだろう。だとすれば、まだわずかだが可能性があるということだ。
「心配は心配です。でも、今俺に出来ることはない。だから、今は明日からの戦いに集中します」
 その言葉には、迷いはなかった。あるいは、どこか吹っ切れているのかもしれない。
「頼む。どうもヨハルヴァとラクチェが無茶をしそうな予感もあるから、二人を見ていてやってくれ」
「分かりました。シャナン様は、エッダですよね?」
「ああ。魔法中心の部隊がメインだが、傭兵部隊もかなり強力だという話だからな」
 最初、シャナンもドズル攻略部隊に属する予定だったらしいが、エッダが雇った傭兵団がかなり名の知れた傭兵団であったらしい。その他にも個別にかなりの数の傭兵を雇い入れているという。そのため、一応念のためにシャナンもエッダに赴くことになったのだ。長距離魔法が厄介といえば厄介だが、対魔法用の聖水などで十分しのげる、と判断したのだ。
「戦いの厳しさで言えば、精鋭中の精鋭の一つであるグラオリッターが相手のお前達のほうが厳しい。気を抜くなよ」
「はい。少なくとも俺は、ユリアにもう一度会うまでは絶対に……倒れません」
 その決意は、かつての自分に似た何かを感じさせた。セリスを守る、と幼い頃に誓ったかつての自分に――。
「シャナン様?」
 どうやら一瞬ではなくそこそこの時間、沈黙していたらしい。スカサハが不思議そうな顔をしていた。
「……いや、なんでもない。もう寝ておけ。ドズルで、また会おう」
「はい。シャナン様も早くお休みください」
 スカサハは最後にそういって頭を下げると、自室へと戻っていく。
 シャナンも自室へと戻ったところで、扉の前に人影があることに気がついた。
「……パティ。どうした」
 パティの部屋は、ここからは多少離れている。慣れない城とはいえ、彼女が道に迷うようなことはまずない。何より偶然でシャナンの部屋の前にいたとは思えない。とすると、わざわざ訪ねてきたということになる。
「うん……ちょっとだけ、一つだけ確認したいことがあって」
 そういったパティの顔は、まるで泣き出しそうな顔だった。思わずシャナンは驚いてしまう。
「みんな、きっと生きて帰ってきますよね? シャナン様も、お兄ちゃんも、みんな」
「パティ……」
「急に不安になってきたんです。みんな必死にがんばってるのは分かる。でも、みんな死んじゃったら、戦いに勝っても、何の意味もないって」
 ああそうか、とシャナンはパティの不安の原因になんとなく気が付いた。
 あの、セリスの言葉。それがまるで、全員の死を賭してでも、という覚悟に受け取ったのだろう。いや、全員命を投げ出す覚悟を固めたように聞こえたのかもしれない。
 ある意味、それはそれで正しい。
 だが、誰も死にたいとは思っていない。誰もが戦い抜いて、平和になった戦後を生きていきたいと思っているのだ。
 シャナンはいきなりぐしゃぐしゃとパティの頭をなでた。
「うにゃあ、何するんですかっ」
「安心しろ。誰も死にたいなんて思ってない。生き残るために、私達はこれまで戦ってきたんだ。確かに、戦いでまったく犠牲がないなんて事はないだろう。だが、その犠牲を少なくするために、全員が努力しているんだ。……そうだな、そう思うならパティも努力してみろ」
「……え?」
「賄い係をやっているんだろう。なら、生きてまた美味い飯が食える、と思ってもらえるように、とかな」
「それって私の料理、下手って言ってます?!」
「いや、私はそうは言ってないぞ」
 からかいつつ、シャナンは扉を開いて、部屋に入っていく。
「早く寝ておけ、明日は早……」
 部屋に引っ込みかけたシャナンの手を、突然パティがつかんだ。
「シャナン様も、絶対死なないですよね、絶対」
 ほんの一瞬、逡巡したシャナンは、パティにまっすぐ向き直ると、そのパティの手に自分のもう一方の手をかぶせ、微笑んだ。
「安心しろ、と言っただろう。私はまだ死ぬつもりはない。私を必要としてくれている者がいる限りな」
 それは、解放軍だけではない。すでに解放されたイザークでも、シャナンの帰還を一日千秋の想いで待っているという。
 それに。
「私だって、絶対シャナン様にいてほしいと思ってますからねっ」
 パティはそういうとぱっと手を離して、踵を返して自分の部屋の方へ走っていく。
 その時パティは、なぜか飛び上がりたくなるほど嬉しかった。その根拠は、その時は何か分からなかった。あるいはそれは、予感だったのかもしれない。

 グラン暦七七八年春。ついに解放軍は、シアルフィ城を発し、侵攻を開始した。それは、後に『第二の聖戦』と呼ばれた、熾烈な戦いの幕開けでもある。
 そして、その戦いのうねりは、なおも多くの戦士たちの、血と汗と、そして無数の想いを飲み込まんとしていた。



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