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戦場は混乱を極めていた。 火計による奇襲を受けた解放軍はもちろんだが、実は攻撃をかけたエッダ軍もまた、混乱していたのである。 なぜなら、この火計は、エッダ軍の攻撃計画では存在しない計略で、傭兵部隊を指揮するロベルトという男の独断による作戦だったのだ。エッダ軍もさすがにこの季節に、この森に火を放つことの危険性は十分に理解していたので、この作戦案は最初から却下されたのである。 「ふん。数の上で有利だから勝てるはず、だと？ 反乱軍のこれまでの戦歴を見れば、数が多少勝っている程度では勝てぬことも分からぬ愚か者どもが。奴らを殲滅するには、奴らが想像も出来ないような戦術を用いなければ勝ち目などないわ。森が焼けようが、勝たなければ何も残らん」 業火に焼かれる森を見下ろす丘で、ロベルトは勝ち誇るように言い放った。 彼にも人並みに野心もあれば、目的もある。 この戦いは、この大陸の命運を定めるほどのものになるだろう。そして反乱軍をここで撃滅しても、一度叛旗を翻した大陸の各地を制圧するために、再び大きな戦いがある。すでに敗退を繰り返した帝国軍だけでは、それらを鎮圧することは不可能だ。当然、傭兵に頼ることになる。 その時、傭兵達を纏め上げる立場の人間が必要になるだろう。それは、ゆくゆくはグランベル帝国の軍部において、絶大な発言力を持つことになる。その地位を、彼は他の傭兵に渡すつもりなどない。 そのために、今ここで反乱軍を殲滅したという巨大な武勲が必要なのだ。 多少の被害があろうとも、反乱軍を撃滅しさえすれば、それは不問に伏されるだろう。 そういう狙いが、ロベルトにはあった。 「……そういえば、ボイスはどうした」 「はっ。火が放たれた直後、指揮官を討ち取ってくる、と言って戦場へ」 「ふん。物好きな男だ」 ボイスとは、この戦いの少し前に傭兵部隊に入ってきた男である。ただし、以前からの彼の部下ではない。 単に、大口の雇用に乗せてもらうために部隊の一員ということにしておいてくれ、といって仲間になりに来た男だった。ロベルトとしては、当然そんな男などに用はなかったつもりだったのだが、その男の卓越した剣腕を見て、考えを変えたのである。ボイスというその剣士には、部隊の中の誰も勝てなかったのだ。多分、自分が戦っても危ないだろう、と思えるほどに。 「まあいい。奴が指揮官を討ち取れば、それは俺の手柄にもなる。悪いことじゃあない」 そして、再び業火に包まれた森を見下ろす。 火の放ち方は、もちろん計算しつくされている。一応、エッダの街まで焼けるほどの延焼は起きないようにも配慮しているし、また、わざと炎の脱出口まで作っている。そしてそこに重点的に兵を伏せてあるのだ。 解放軍の先遣部隊を撃破すれば、残る部隊の数は、こちらの半数以下。それならば、数を以って圧倒することが出来る。 エッダ本軍やドズルからの援軍が来るより先に解放軍を撃破すれば、その手柄はバーハラにいる帝国の首脳陣が注目しうるほどのものになるだろう。それはロベルトの描く未来図に、一歩近づくことになるのだ。 「そろそろ、炎から逃げ出した兵どもが出てくるだろう。部下どもに一兵たりとも逃すな、と伝えておけ」 「はっ」 伝令兵はすぐさま馬首を返して丘を下りていく。ロベルトはもう一度、紅蓮の森を見下ろした。 「くっくっく。燃えろ。この俺の栄華のために……」 しかし、彼がその未来図を手にすることは、永久になかったのである。 |
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「だ……れだ……」 「まだ意識があるのか。それ自体信じがたいことではあるが……」 朦朧とする意識の中で、シャナンは闇に落ちそうになる意識を、必死に保っていた。そして、半分ふさがりかけた視界の中に、敵兵の姿を捉える。 白銀の長剣を携えたその男は、油断なくシャナンに近づいて来る。 厄介な相手だ、とシャナンは感じ取った。 その歩き方一つとっても、この男が卓越した剣腕を持っていることが、朦朧とした頭でも判断できる。シャナン自身が完全な状態であればそれでも負けるとは思わないが、今の状態では剣をまともに振るうことすら出来ない。 「イザークのシャナン王子とお見受けした。スリープの魔法をかけられて、未だに意識を保っているのは驚嘆に値するが……悪いが、ここで息の根を止めさせて頂く。我が名はボイス。グランベルに雇われた傭兵だ。貴殿を討ち取ったとあれば、我が名は大陸全土に轟くであろう」 「そう……簡単……に、やられると思うな……」 かろうじてバルムンクを構える。普段まるで重さの感じない剣であるはずなのに、今はまるで鉛の巨棒のように重く感じられた。握力がほとんどない。剣をまともに構えられているかどうかすら、判然としなかった。 「その状態でなお剣を構えるその精神力には敬意を払おう。さすがはオードの末裔。なれど……！！」 かすかに聞こえた音と、視界の片隅に見え隠れする影から、ボイスが踏み込んできたのは分かった。予想は出来ていたが、非常に速い。しかしそれでも、シャナンはかすかな風切る音から、斬撃の方向と軌道を判断し、全身全霊を奮い起こして剣を防ぐ。 ギン、と。 金属同士が激突した音が響き、そして一本の剣が中に舞った。 かすかな金色の光を燐光のように散らしバルムンクが弾き飛ばされて地面に落ち、シャナンも吹き飛ばされ木の幹に激突する。 「今の一撃を受けるだけでも、恐るべき、と言うに値する……が。ここまでだな」 吹き飛ばされた衝撃とその傷みで一瞬感覚が戻りかけたが、その痛みすらもすぐ鈍磨し、その後で更なる意識の混濁が訪れ今にも気を失いそうになる。 体はもう、自分のものではないかのように指一本動かせない。 「これで終わり……！？」 突然響いた金属音は、もちろんシャナンの剣によるものではなかった。 かろうじて動く視界の端に、金色の長い三つ編にされた髪が踊る。 「パティ……？」 ボイスとシャナンの間に立ちふさがっていたのは、確かにパティだった。息を切らせて、肩を上下させているのは、多分ここまで全力で駆けて来たからだろう。 「え、えへへ。やっぱり、来て正解でしたよね」 パティはそのまま、油断なく移動すると、地に落ちたバルムンクを、シャナンの方に蹴る。しかし、シャナンはかすかに手を動かせるだけだった。 「やっぱり、スリープの魔法……おじさん、そんな状態のシャナン様と戦って、それで満足なの！？」 突然現れた少女に、さすがにボイスは面食らっていた。 助けが来る可能性は考慮していた。だが、このような少女が現れるとは思っていなかったのだ。しかもこの少女の気配に、自分はまるで気付けなかった。だが構えを見る限り、到底剣士には見えない。むしろ、酷く変則的だ。 「……そうか。間諜の類か」 「……？」 少女――パティは少し小首を傾げたが、ボイスはとりあえず納得した。だが、こんな少女にいつまでもかかずらっている余裕はない。 スリープの魔法の効果は、永続ではない。どの程度かはよく知らないが、一日よりは短いと聞いている。 「お前のような小娘に、かかずらっている余裕などないわ！！」 ボイスはそういうと、持っている長剣ではなく、もう一本のやや短い剣を抜き放ち、いきなりそれを振るった。途端剣が発光し、直後に凄まじい轟音と共に光の蛇が放たれた。 雷の剣。 魔力を込められた魔剣で、魔法を扱う力のない戦士でも、魔法を放つことが出来る武器だ。威力も一流の魔術師が放つ魔法ほどではないにしても、並の下級魔術よりは威力がある。こんな少女の相手などしていられるかと思って使ったのだが、その後の効果は予想もしないものだった。 放たれた雷撃は、少女のすぐ目の前で、まるで何かに吸い取られるように減衰し、少女に達することなく消滅する。 「なっ……！！」 「もらった！！」 一瞬呆然としている間に、ボイスの目の前までパティは飛び込んでいた。剣技はともかく、動きの迅さ鋭さならば、パティは一流の戦士にだって劣りはしない。 「くっ」 ボイスはかろうじて、その一撃を避けた。パティは勢いあまってそのまま駆け抜けてしまうが、すぐ油断なく剣を構えなおして、ボイスに対峙する。 「……そうか、聖水か」 「へへ〜ん。残念でした。ここに来る前に、ね。備えまったくなしで来たら、私だって眠らされるだろうし」 パティも一応、自分用に聖水を一つ持たされていたのである。それをあらかじめふりかけておいたのだ。駆けつける前に、自分が眠らされた挙句に炎の中でそのまま死んでしまっては、冗談にもならないからであるが、思わぬところで役に立ったものだ。 「なるほど。雷の剣は通じぬか……。娘、これ以上邪魔立てせぬなら、見逃してやらなくもない。だが、あくまで邪魔をするというのなら……」 ボイスはそういうと、ゆっくりと長剣を構えた。その構えは、パティから見ても一流のものだと分かる。 背筋を冷や汗が伝うのが感じられた。鼓動がどんどん早くなるのが分かる。 恐怖が身体を竦ませようとしているのが分かった。 だが。 「じょーだんでしょ。ここでシャナン様見捨てたりしたら、私、一生後悔するもん」 まともに勝負したら勝てる相手ではない、というのは誰よりもパティが一番分かっていた。手にある剣は、使い慣れた細身の剣。だが、これではボイスの纏う鎧を貫くことも、出来はしないだろう。 しかしそれでも、まだパティには秘策があった。そして今は、それに賭けるしかない。 「そうか……ならば、お前から死んでもらう！！」 声と同時の踏み込みは、ほとんど時間差のない斬撃を伴っていた。パティはそれを、受けることもせずに後ろに飛びのいて避ける。ボイスは、その動きを予測していたため、さらに踏み込んで攻撃しようとして、踏みとどまった。パティは、ボイスが予想したよりも遥かに大きく飛びのいていたのである。 「なるほど。動きははしっこそうだな」 しかし、逃げ回っていてはいつか限界が来る。 元々、お互い時間の余裕はない。ここにも、いつ炎が迫ってくるか分かったものではないのだ。 「だが、いつまでも避けきれるものではあるまい！！」 ボイスは、今の動きで、自分の力が目の前の少女を圧倒していることをすでに見抜いていた。おそらく、連続して攻撃すれば、相手は反撃することすらほとんど出来ないであろうことを。確かに避けるのは上手そうだが、それとてすぐに体力が尽きる。 そして予想通りに、パティはあっという間に追い詰められていた。 ここまで全力で駆け抜けてきたため、体力がすでにかなり失われていた、というのもある。 それに加えて、ボイスとの戦いは、その一瞬一瞬すべてに集中してない限り、パティでは攻撃をかわすことなど到底出来ない。結果として、パティは普通の戦いの何倍ものも体力を消費してしまっていた。 こんなことならもっと剣の練習もしておくんだったと後悔しても、今は遅い。しかしそれでも、パティはまだ、敗北を覚悟していたわけではなかった。 「よく粘るが……もう剣を持つ力すら危ういな。これで、終わりだ！！」 ボイスは、余裕こそあっても、油断していたつもりはなかった。だがそれでも、圧倒的に技量の劣った、しかも体力もほとんど残っていないような相手に対して、驕りがなかったというわけではないだろう。そしてパティは、その大振りの一撃を待っていたのだ。 「いけぇ！！」 パティは、ボイスが予想もしなかったほどに鋭く踏み込んだ。あっという間に懐に飛び込み、剣を振るう。しかし、ボイスもまた、非凡な力の持ち主であった。 並の剣士では到底回避不可能なその一撃を、ボイスは体半分回す、最小の動作でかすり傷にとどめたのである。わき腹を掠めた剣は服とわき腹をわずかに裂いたが、それだけだった。一筋の血が宙空に糸を引いたが、到底致命傷たりえない。 一瞬の冷や汗を押し込めて、ボイスが勝ち誇ったように振り返る。 「ふっ。まさかまだそのような一撃を繰り出すほどの力が残っているとは思わなかったが……なに！？」 突然、ボイスの足が崩れた。傷の痛みなどではない。だが、まるで全身の力を抜き取られたかのように、体に力が入らない。それが体力を著しく消耗しているためだ、と気付いたのは一瞬後。しかし、その理由が皆目検討も付かなかった。 「なっ……これは……」 目の前に立っているのは、先ほどまで肩で息をしていた少女。しかしこちらは、今度は肩で息をしているどころか、体力が完全に戻ったかのように生気が顔に戻っていた。 「油断したね、おじさん。私だって切り札の一つ二つはあるもん。今のは太陽剣っていって、デューおじさんから教えてもらったもの。かすり傷からでも、相手の体力を奪い盗ることが出来る剣技。どう？ もう立っているのも辛いでしょう」 「ぐっ……たかが小娘と侮りすぎたか……」 ボイスは、剣を杖代わりにしてなんとか立ち上がる。しかし、それでもなお、足ががくがくと震えていた。 今ならば、倒せる。そう思ったとき、パティは自分の剣を持つ手が震えていることに気が付いた。 今まで、パティは人を殺したことはない。大抵、眠りの魔剣で眠ってもらっていたか、あるいはただ逃げるだけだった。 それは、解放軍に加わってからも同じである。戦場に立つことは幾度もあった。だがパティは、自分が殺されそうになったことはあっても、自分が人を殺したことはなかった。せいぜいが、気絶させる程度である。 しかし、今はそのようなことは言ってられない。このままの状態のシャナンをつれて、ここから脱出するのは時間がかかる。気絶させたとしても、どのくらい気を失っているかは分からないし、あるいはこの男の仲間がやってきて起こしてしまう可能性もある。追って来れないようにするためには、確実に息の根を止めなければならない。つまり、殺さなければならない。 もちろん、これまでに人の死などというのは数多く目の前で見ている。シャナンや、あるいはスカサハやラクチェらが剣で人を倒すところなど、ある意味見慣れたものだ。 だが、その彼らでも、シャナンでも人を殺すことは、未だに躊躇いがないわけではない、という。しかしそれでも、彼らは強固な意志をもって、それを乗り越えているのだ。だが、果たしてパティは、自分がそれだけの意思を持てるか、という自信はない。だが、今は迷っている暇などありはしない。 「……もうっ、どうにでもなれ！！」 パティは、半ばやけくそになって剣を振り上げた。そこに、用心がなかったかといえば、多分なかったのだろう。体力を限界まで奪われた相手が、反撃してくるとは思っていなかったからだ。だが、自分ですら出来たことを、一流の剣士であるボイスに出来ないはずはなかったのである。 「しまっ……！！」 もう肩膝をついていたボイスが、剣を水平に薙いできたとき、パティは自分の迂闊さを呪った。踏み込んだ右足が地面に触れた瞬間、全力で逆に突っ張って後ろに飛びのこうとする。勢いの付いた体全体の体重を受けて、右足とその下の地面が悲鳴を上げてかすかにずれ、それでも踏みとどまって、力の方向がやがて逆転し、パティの体が後ろに移動を開始した。 その瞬間、ボイスの剣が水平に斬り払われ、鮮血が飛び散った。裂けたのは、パティの腹部。服と共に斬り裂かれた傷は、さほど深くはないが、それでもかなりの激痛を伴った。 「痛っ……！！」 それでもなお、致命傷を負わなかったのは、パティの反射神経と回避の技術が、非凡であることを証明するものであろう。 ところが、パティはそこからそのままかくかくと後ろに下がり、がく、と膝を落としてしまった。その時になって、自分の体力が再び――いや、前以上に失われていることに気が付いた。そして、目の前には先ほどパティが斬りつける前と同じように、疲労をまるで感じさせないで立っているボイスがいる。 「う……そ……」 これは、先ほどとまったく逆の現象だ。つまり、ボイスは。 「まさか貴様のような小娘が太陽剣を使えるとは思いもせなんだがな。だが、太陽剣はお前だけの秘剣ではない。甘く見たのは、お前のほうだったな」 そんな、と思ったが太陽剣を使える剣士がパティ以外にいたとしても、おかしな話ではない。これは、自分が迂闊すぎた。 失われた体力は、腹部の傷からさらに流れ出しているようにも思える。すでにパティは、立ち上がるだけの力しか、残されていなかった。もう、剣を振り上げることも出来ない。 「ちょっと……失敗しちゃったかな……」 実際にはちょっとどころではないだろう、とどこかで自分を叱責する声を聞いた。 あそこで油断しなければ、確実にボイスを倒してシャナンを安全なところまで連れて行くことが出来たはずなのに、少し油断したばっかりに、シャナンを助けることが出来なくなってしまった。 しかし、今ここでシャナンを失うことは、あってはならない。そのためにはここで自分が死んだとしてもこの男だけでも倒さないければ、とパティは力を奮い起こした。 解放軍が敗れることはあってはならない。その想いが、パティに最後の力を与えてくれたかのように、パティは立ち上がった。 解放軍がもし敗れれば、自分や孤児院に住まう親のない子供達はまだまだ増え続けることになる。大陸は暗黒の恐怖におびえ、人々はただ祈るしかなくなるだろう。そしてもう二度と、奇跡は起きないに違いない。そんなことだけは、絶対にあってはならない。 「ほう……驚いた。その傷と、太陽剣を受けてなお、まだ立ち上がるか。あるいは長じれば良い戦士になったかも知れぬが……」 ボイスが一足飛びにパティとの間合いを詰めた。パティは反射的に剣を構えたが、あっさりと弾き飛ばされる。幸いだったのは、剣が弾き飛ばされた衝撃でパティ自身も吹き飛ばされたため、パティはさらに傷を負うことがなかったことだが、地面に転がったパティは、すでに立ち上がる力すら残っていなかった。 「てこずらせてくれたな。だが、これで終わり……なに！？」 突然のボイスの声に、パティはなんとかその声の方向を見た。そこには、二人の人影がある。一つはボイス。そして一つは…… 「シャ、シャナン様……？」 スリープの魔法がもう切れたのかと思ったが、少なくともあの魔法は半日は効果が続く。もう切れたとは思えない。にもかかわらず、シャナンは剣を構えてボイスと対峙していた。 「……驚いたな。痛みで、魔法の効果を打ち消すとは」 「パティがそこまでやってくれていて、私がいつまでも倒れているわけにはいかないのでな」 シャナンの服の、右わき腹の部分がどす黒く何かに湿って、黒い液体を滴らせていた。よく見れば、それが血であることがすぐ分かる。 シャナンは、自分のわき腹に剣を突き立て、その痛みで無理やり魔法の眠りから覚醒したのである。 「だが、その傷ではもはや、動くこともままなるまい。一撃で、気を失うだろうな」 そういうとボイスは、雷の剣を抜いた。 いくら重傷を負っているとはいえ、剣聖の呼び名も高いシャナン相手に迂闊に飛び込む愚を冒すつもりは、ボイスにはなかった。だが、あの体ではどうやってもまともに動くことなど出来るはずもない。あの傷である。距離を置いての雷撃なら、一撃で終わると判断したのだ。 「くっ……」 「悪く思うな。これも仕事でな……」 「シャナン様ーーーっ！！」 パティの叫びに、轟音が重なる。 しかしその直後、パティの見た光景は信じられないものだった。 ボイスの持つ雷の剣から放たれた光の蛇は、一瞬でシャナンの元まで到達する。それを人間が見切ることなど出来るはずもない。そのはずだった。まして、シャナンは重傷を負っているのだ。 しかし、なんとシャナンはその雷撃を剣で受け止めると、そのままボイスに向けて弾き返したのである。まさか雷撃が自分に飛んでくるなどと思っていなかったボイスは、避ける間もなくその自分が放った雷撃を直撃してしまう。 「ぐあああああああ！！！」 威力がさほどないとはいえ、それは彼らの基準の場合だ。並の兵ならば、一撃で殺傷しうるほどの威力である。ボイスが鍛え抜かれた戦士とはいえ、無事ですむはずもない。 「ば、ばかな……！？」 雷撃の衝撃から回復したボイスが見たものは、自分に振り下ろされる神剣の刃だった。 |
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パティが動けるようになったのは、そのすぐ後だった。腹部の傷は、出血はやや多いが、深くはない。むしろ、太陽剣によって奪われた体力のほうが深刻だったが、今はそれどころではなかった。 シャナンは、ボイスにトドメを刺すと、そのまま崩れるように倒れてしまっている。パティはなんとか立ち上がると、シャナンのそばに駆け寄った。ちら、とボイスの方を見やってみるが、こちらは完全に絶命している。しかし、シャナンの方も深刻な状態だった。 傷は、わき腹の一つのみ。しかしそこから、とめどなく血があふれ出している。このままでは、失血死の恐れすらある。 「ど、どうすれば……」 一応、応急手当のやり方くらいはわかっている。パティは、ともすると意識を失いそうな自分を叱咤し、まずシャナンの服をナイフで裂いた。そこで一瞬、絶句する。傷はわき腹を手のひらの幅ほどにも渡って切り裂いていたのである。多分ここまでしなければ、到底意識を保てなかったのだろう。 「ひ、ひどい……」 とにかく、まず血を止めなければならない。パティは迷わず自分の斬り裂かれた上着を脱ぐと、そのままナイフで裂いて、シャナンの体にきつく巻きつけた。しかしそのオレンジ色の服が一瞬で赤黒く染まり、あっという間に用を成さなくなる。 「だめ、これじゃあ。魔法で傷をふさがないと……」 パティは心底、魔法が使えない自分を呪った。少しでも回復魔法が使えれば、あるいは助けられるかもしれないのに、今の自分にはそれは出来ない。このままではシャナンが死んでしまう。それは決してあってはならないことなのに、今自分は何も出来ない。 「ううん。何かあるはず。何か」 シャナンを抱えて陣に戻るか。だが、すでにほとんど撤退しているので、後続のセリス達が来るまで友軍に会える可能性はない。セリス達が来れば、あそこにはコープルやラナ、セティらがいるので確実に助かるだろうが、そこまでシャナンがもたない可能性が高い。 「あきらめるな、パティ。まだ、何かあるはずだから」 必死に考えるパティは、何か使えるものがないか、とあたりを見回し、倒れたボイスが目に入った。一瞬、彼が何か持っているかもしれない、と期待したが、探してみても持っていたのは傷薬。かすり傷程度ならともかく、これほどの傷には役に立たない。 「私に魔法が使えたら……」 ないものをねだってもどうしようもない、とはわかってはいても、言わずにはいられなかった。 『これは剣っていうよりは、一種の魔法みたいなものなんだけどさ』 不意に頭の中に浮かんだ言葉。それは、確かデューの言葉だったか。 『おいらの切り札といえば切り札。パティにだけに教えてあげるよ。太陽剣、って言ってね。かすり傷でも、相手の体力を奪うことが出来るんだ』 デューはそういって、パティに太陽剣を教えてくれた。 『この技は、相手と自分の生命力を剣を通じて渡しあう。だから、実は失敗したりすると相手に生命力を奪われることもある。気をつけないとダメだけど、かすり傷一つでいい、ってところが便利でね。相手を立てなくするぐらいには、ちょうどいいんだ』 確か、どうやるの、と聞いたときに。 『これは剣っていうよりは、一種の魔法みたいなものなんだけどさ。魔法にも似たような効果を持つリザイアってのがあるからね。要するに、相手と自分の間で媒介――この場合は剣というか、実は血なんだけどね。これを通じて生命力の渡しあいをするんだ。ま、普通は奪うんだけどね。制御ミスしたら、奪われたりするから、気をつけるんだぞ』 そして最後にこう言っていた。 『別に武器は剣である必要は、実はない。なんなら、素手でもいい。どうやら血が媒介として必要らしい。だから、かすり傷は必要みたいだけどね。まあ、使わないにこしたことはないけど、こういう時代だ。パティも一つくらい、切り札持っていてもいいだろうしね。ファバルにはイチイバルがあるからさ』 血を媒介に、生命力を奪う技。ならば、もしかしたら。 今の自分の体力でそれを行ったらどうなるか、という事はすでに念頭になかった。 ただ必死に、パティはシャナンの傷口に手を当てると、呼吸を静め、シャナンに合わせる。太陽剣を振るう時のように。 ただし相手から奪うのではなく、自分の中の生命力を相手に注ぎ込むイメージで。 「お願いシャナン様。死なないでください……」 いきなり力が抜けて、上体が崩れ落ちる。太陽剣の逆は初めてだが、これほどとは思っていなかったのだ。それでもパティは、這うようにしてシャナンの傷口に手を当て、意識をただひたすらに、シャナンへと集中させる。 遠くで――実際はすぐ近くで――木々が爆ぜる音が聞こえる。もう間もなく、このあたりも炎に包まれるかもしれない。 だがそれでも、シャナンだけでも助かってくれれば。 そんなことを思いながら、パティの意識もまた闇に落ちていった。 |
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目が開いた時、最初に見えたのは白い天井であった。その後に、パティは自分が清潔な寝台で寝かされていたことに気が付いた。 周囲を見渡してみたが、ここがどこだかさっぱり分からない。とりあえず、命の危険のある状況ではなさそうだったが、周囲に人の姿も見えなかった。 「えっと……？」 なおもきょろきょろ、と部屋を見回す。 多分、どこかの城の一室だろう、とは分かった。華美な装飾はないが、全体的に広く取られた間取りや、高い天井がそれと判断させる。 大きな窓から見えるのは、見たことのない緑の山野。しかしその片隅に焼け野原が見えた時、パティはここがエッダではないかという考えに至った。 「って事は……勝った、のかな……？」 その時、がちゃ、と音がして、窓の逆側にある扉が開いた。入ってきたのはラナとシャナンだ。 「シャナン様、ご無事だったんですねっ」 その言葉にシャナンとラナは一瞬面食らったようになり、それから呆れ顔になる。 「……それはこちらの台詞なのだがな……パティ」 シャナンがそういう間に、ラナが近づいてきて、パティの額に手を当て、やがてにっこりと微笑む。 「うん。もう大丈夫。まったく、無茶しすぎよ。まあ、気持ちは分かるけど」 ラナはそういうと踵を返した。そして部屋を出て行く際にふと振り返って、 「じゃ、後は頼みます、シャナン様」 というと扉を閉じて、ラナの姿は消えた。 その間に、シャナンはベッドの横にある椅子に座る。 「……まずは礼を言わねばなるまいな。パティ。おかげで助かった」 「えっと……」 実は、あの時は必死だったのでよく覚えていない。ただとにかくシャナンを助けなければ、と思っていたのだ。 「あの後、少ししてからセリス達が到着してくれたのでな。それで、どうにか森がすべて焼けてしまうのは防げたし、あの剣士が死んだことによる傭兵達の士気の低下も大きくてな。エッダ攻略は上手くいった」 「じゃ、やっぱりここはエッダ？」 「ああ。あの時……私は、パティがいなければ死んでいただろうな。本当に礼を言う。ありがとう、パティ」 「あ、いえ、私はその、必死だったので……」 「それにしても驚いた。パティがあれほどの力を持っていたというのはな」 「え？」 「ボイスといったか。あの剣士。あれと互角に戦うなど、解放軍でもそう何人も出来ることではないぞ」 シャナンに褒められると照れてしまうが、パティはあれが自分の実力だけではなく、何かが力を貸してくれたようにも思えていた。 「正直、もう一回は無理だと思います……あの時、本当に必死だったので」 実際、どうやって戦っていたのだろう、と思う。自分でも信じられないくらい、あの時は冷静に、そして考えて戦っていた。もう一度やろうとしても、多分出来ないだろう。 「自信にはなっただろう？」 「え、ええ、まあ……」 「なら、大丈夫だ。まあ、もうあまりああいう無茶はしてもらいたくはないがな」 「え？」 パティは目を見開いて、聞き返そうとしたが、シャナンはそれより先に立ち上がった。 「明後日にはドズルへ向けて出発する。それまで、ゆっくり休んでおけ」 シャナンはそういうと、扉のほうへと歩き出す。 「シャナン様っ」 シャナンがノブに手をかけたところで、パティは思い切って呼びかけた。 なぜか、心臓が張り裂けそうなほど鼓動が早くなっている。 「あの、私、またこういうことがあったら、やっぱり同じことしちゃいます。だって私、誰よりも、シャナン様に死んでほしくない。シャナン様のことが、本当に、好きだから……」 そしてシャナンは、そのままノブをひねると、扉をゆっくりと開け、そこで一度手を止めた。 「私も、パティには死んでもらいたくはない、と思っている。……ファバルと同じくらいにな」 一瞬、パティは何を言われたのか分からなかった。やがて、その意味をゆっくり理解するにしたがって、体が震えているのが分かる。体が飛び上がりたい衝動に駆られ、同時に顔が真っ赤に紅潮しているのを自覚した。 「うそ……じゃないよね。夢……でもないよね」 パティは、今この瞬間が、現実であることにこの上ない幸せを感じていた。 |