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永き誓い・第四十九話




 シャナンらがエッダを陥落せしめた時から遡ること数日。
 エッダ攻撃部隊とほぼ同時にシアルフィを進発したドズル攻撃部隊は、戦場と定めた場所まであと一日、という距離に陣を張った。斥候によると、グラオリッターも、やはりその場所を目指して進軍しているらしい。
 やりにくい相手ですな、とアウグストがリーフに洩らした。
「そうなのか?」
「ええ。あの地形は、山が近くまで迫っていて、数に劣るこちらにとっては、数の差を活かされない都合のいい地形です。数に勝るドズル軍としては、より大軍を展開させやすい場所を選びそうなもの。しかしあえてその地形を選んできた、ということは、彼らはあの地形を有効に活用する戦術を取ってくる、ということです」
「戦術?」
「グラオリッターの長所をご存知ですか?」
「強固な防御力……なるほど」
「そういうことです。長期戦も覚悟したほうがいいでしょう」
 言われて、リーフとアレスは共に納得する。
 グラオリッターは、グランベル六公国の騎士団中、最強の防御力を持つことで知られている。時として鉄扉にも喩えられるその防御力から、グラオリッターの騎士を別名『鉄扉騎士』と呼び、『鉄扉騎士の扉を開くことは、いかなる者にも能わず』とまで云われるほどである。
 それ自体は誇張としても、そうまで云われるほどのグラオリッターの評価は、決して過大評価ではない。
「正面から軍列を並べての縦走突撃、か……」
「重甲冑騎士であれば、まだ騎兵で撹乱出来るけど、相手も騎兵だからね……アウグスト、どうする?」
 リーフに問われ、アウグストはしばらく腕を組んで考え込む。
 敵軍は、狭い戦場を逆に利用し、グラオリッターの圧力自体で圧倒する戦術を取ってくる。対する解放軍には、その圧力を撥ね退けるだけの力はない。
「取れる手は少ないでしょうな。実際、敵が兵力を頼みに出来る戦場を手に入れてしまっては、やはり勝ち目はない。むしろ、歩兵も多い我が軍では、騎兵にその機動力を存分に使われては、さらに勝ち目はないでしょうから。となれば、こちらはこちらの利点を最大限活かすことといたしましょう」
「こちらの利点?」
 リーフが首を傾げるのを見て、アウグストは卓の上にこの周辺の地図を広げた。
「お互いが戦場と見定めている場所はここ。西は人が上るのはほぼ不可能の崖があり、東は山岳帯のため、騎兵は入ることが出来ませぬ」
「……それはお互い、条件が同じだろう?」
「はい。お互いが騎兵のみであれば、ですな。しかし我が軍の半数以上は歩兵。また、少数とはいえ、飛行戦力もありまする」
 アレスとリーフは、アウグストの言葉にお互い顔を見合わせる。
「歩兵や飛行戦力なら側面攻撃が可能、ということか?」
 アレスの言葉に、アウグストが頷いた。
「そういう事です。確かに騎馬で山道を行くのは非常に困難ですが、徒歩なら不可能ではありますまい。そして、いかなる崖であろうと、飛竜や天馬の障害とはなりえませぬ」
「なるほど。とはいえ、歩兵はともかく飛行兵力はそう数はいないのではないか?」
 シレジアのフィー王女に従う天馬騎士団と、リーフの姉、アルテナに従う竜騎士団がいるが、合わせても百騎もいない。
「そうですな。本来なら、歩兵と騎兵と入り混じって、敵軍を壊乱状態に陥らせるのが目的でしたが……それはおそらく不可能でしょう。つまり、文字通り力と力の激突になります。ただ、敵が騎兵の機動力を活かしてこないと思われる以上、逆にこちらは敵の攻撃を受け止めて耐え、別働隊によって彼らの側背を突くことが可能となるでしょう。特にアルテナ王女は地槍ゲイボルグを持つ。いかなグラオリッターとて、殿下を止めることは叶いますまい。そうなれば、当然兵列が乱れる。勝機は、そこです」
 その後アウグストは、てきぱきと部隊の編成を大きく変更する指示を出した。
 正面をアレス、リーフらの率いるアグストリア・トラキアの騎兵部隊、その後衛にファバル指揮する弓兵部隊が控え、直衛にマリータ率いる歩兵部隊。そして、スカサハ、ラクチェ、ヨハルヴァを指揮官とする歩兵部隊が山間部を回り込んでグラオリッターの後背を突き、アルテナ、フィー、ミーシャらが率いる飛行部隊が、崖の上から奇襲をかける。
 元々そのような部隊展開の予定であったし、多少配分が変わっただけで、それほど本来の戦術と変更点があるわけではない。第一、解放軍にそれほどの戦術的な自由などありはしないのだ。現有戦力で、出来うる限りの効果を。その結果としては、このような戦術しかありえないのである。
 唯一、解放軍が帝国軍に対して優位にあることは、帝国軍が、解放軍の細かい構成を知らないことだ。
 元々混成軍である解放軍は、部隊編成も成り行きで構成されているところがある。かろうじて、アグストリアの遺臣やレンスターをはじめとしたトラキアの遺臣らを中心とした騎兵部隊。それに、イザークの戦士団を中心とした歩兵部隊がある程度。あとの兵は、兵士らそれぞれの適性に合わせて編成した部隊である。
 実は弓兵部隊というのは、先だってユングヴィで叛乱を起こした者たちの一部が解放軍に合流したことによって、初めて一軍として運用できるレベルになったものであり、それまでは遊撃部隊としてしか存在していなかった。
 そして他に、ドズル進軍部隊には含まれていないが、セティ、アーサーらを主将とした魔法兵部隊がある。これは少数ではあるが、その力は一軍にも匹敵する。
 あとは、アルテナを主将とする元トラキアの竜騎士部隊と、フィー、ミーシャを主将とする天馬騎士部隊。
 これらが解放軍の中核で、あとは途中で解放軍に集ってきた兵士達だ。彼らは、その適性に合わせてそれぞれの部隊に割り振られていて、当然もっとも多いのは歩兵部隊で、あとは騎兵部隊。極稀に、魔法の才能に恵まれたものが魔法兵部隊に割り振られていることがある。さすがに、飛行兵部隊は、生粋の竜騎士、天馬騎士以外の配属はない。
 中核部隊で最大の規模を誇るのはイザークの戦士団で、実際この戦いでも、半数はエッダ攻撃の部隊に割り振られている。その次が、アレス、リーフらが率いる騎兵部隊だ。
 そして今回、敵軍は、解放軍全軍の数と編成は大体把握していたとしても、今回のように分進した場合、自分達のほうにどれだけの戦力がどのような割合で向かっているかは、想像しか出来ないだろう。無論、ある程度の推測はできるし、実際こちらも無難な配分を行っているので、その予測はある程度正しいに違いない。だが、推測と実際の間にある差異こそ、解放軍が付け入ることの出来る隙にもなる。かつての、コノートの前哨戦のように。
「それにしてもいいのか? スカサハとラクチェはともかく、俺としてはヨハルヴァを重要な後背攻撃の部隊に入れることは、賛成しないのだが。それならば、マリータの部隊の方が確実だろう。実力云々というより……」
 アレスはその先は口を閉ざしたが、言わんとすることは明らかだった。
 今回のグラオリッターを率いてくるドズル公ブリアンは、ヨハルヴァの実兄だ。ヨハルヴァは、一度は父を手にかけているが、あれは兄を失った激情からのことである。実際、その後に彼はそれを悔やんでいたことを、アレス聞き知っている。リーフも追従するように頷いた。
 彼が裏切るとは思わないが、それでも故国の軍と、何より肉親と戦うということは、誰であろうともそうそう割り切れるものではない。
 そもそも、彼はこちらではなくエッダ方面への部隊に配すべきだったのでは、とアレスやリーフは考えている。そしてそれは、アウグストも同じだったらしい。
「私もそう思ったのですが……これは他ならぬ、ヨハルヴァ自身の希望でもあるのです」
 その言葉に、アレスとリーフは驚いて顔を見合わせた。
「まあ……実兄とは自分が戦いたい、ということでしょうが……」
「悪いけどそれは無理だね。神器に対するには、神器をもってするしかない。ブリアンは、十二神器中最大の防御力を持ち主にもたらすといわれる、聖斧スワンチカの継承者だ。対抗できるのは姉上かアレスか、あるいはファバルか……わざわざ、特に攻撃力の大きな神器を持つ者を、こちらに持ってきたわけだしね」
「そうだな。ブリアンが先陣を切ってくるとは限らんから、どう転ぶかは分からんが、まあ普通主将は、特に継承者であれば先陣を切って来るものだしな」
 その時、伝令兵が偵察に出ていたアルテナ、フィーらの帰還を伝えてきたので、話はそこで一度打ち切られた。彼女らの偵察結果を受けて、最終的な作戦が決定される。
 最も大枠は決まっている。
 まず正面激突でグラオリッターを止め、側面および後背から別働隊が攻撃。さらにアレスらがブリアンを討ち取り、さらにスカサハらの後背からの攻撃で敵軍の士気が挫けたところで、一気にグラオリッターを撃破する。これが解放軍の基本作戦だった。
 しかし、結果としてこの作戦が、兵の運用以外まるで異なる形になってしまうことなど、さすがのアウグストでも想像は出来なかった。

 その頃、別働隊である歩兵部隊は、指揮官であるスカサハ、ラクチェ、ヨハルヴァらを先頭にすでに陣を出立し、山間の道を進んでいた。
 春を迎えて間もない山道は、新緑の香りと優しい陽射しが気持ちよく、ともすればピクニックにでも来ているような気分にもなる。
 ふとラクチェは、キエの街にいた頃、近くの山にシャナンらと共にピクニックに行ったことを思い出した。あの頃はまだフェイアも彼らと共にいたし、他にも街の友達も少なからずいた。
 しかし、今自分が持つ荷物は、もちろんピクニックのためのものではない。今も食料や水も持っている。かつても身の安全のために剣を携行はしていた。そこまでは同じでも、目的はまるで異なる。あの時は、まだ大陸も比較的平和で、子供狩りなども存在しなかった。いくらか窮屈な思いをすることはあっても、人々は概ね平和に暮らし、ラクチェらもピクニックなどを楽しむ余裕があった。
 それから、ほんの数年。
 大陸が恐怖に覆われ、そしてラクチェ達が戦い始めて、一年。
 今ラクチェ達は、同じような山道を、戦いのために歩いている。
 しかも自分達だけではなく、後ろには千人以上の仲間達が続いているのだ。なまじ、先頭を歩くラクチェらは、正面には懐かしい光景が広がっているように思えるだけに、振り返ったときのその現実とのギャップは、どこか不思議な感覚すらある。
「こんな時でなかったら、ピクニック気分を満喫したいところだな」
 まるでラクチェの心中を察したように言ったのは、ヨハルヴァだった。ラクチェは驚いて振り返る。
「っと、不謹慎だったか。まあ、だが、今更思い悩んだところで、すでに賽は投げられてる。結果の目は、俺達が自分らで見届けるしかない。だろ?」
 おそらく、この部隊の中でも、ヨハルヴァの心中は一番複雑なところにあるだろう。そのヨハルヴァが逆にそのように言うことに、ラクチェはかすかな笑みを浮かべたが、彼の心中を察すると胸が痛んだ。
 彼はこれから、実の兄と戦おう、というのだから。
 それは彼自身が望んだことでもある。そこにどのような考えがあるのか、黙々と歩くヨハルヴァの表情からは推測も出来ない。
 ラクチェは、幾度か話し掛けようと思ったのだが、結局機会を逸していて、無言の行軍が続いている。
 その数刻後。解放軍の歩兵部隊は、山間に目立たないように陣を敷いた。とにかく、こちらに大部隊が回り込んでいることを、敵に悟られてはならない。そのためにわざわざ、麓からは見通せない道を行軍してきたのだ。そのため行軍速度が遅くなり、途中で日が暮れてしまったのだが、精鋭中の精鋭を選りすぐってきたとはいえ、それでも脱落者がいなかったのはさすがというべきだろう。
 火などの扱いにも極力気を使った。もし敵がこちら側にも斥候を出していた場合でも、空が宵闇に覆われてしまえばまず見つかることはないが、火があったら逆にすぐ見つかってしまうのだ。そのため、必ず火を囲むように板や枝によって柵を作り火を覆い隠す。また、飯炊きは必ず木の下で行い、炊煙を枝などで散らして、遠くからは見つからないようにする。
 あとは、見張りの兵以外は、早々に休ませた。実際、一日中歩き詰めだったので、兵士達はあっさりと眠りに就いた。
 ほとんどの兵が眠りに就き、完全に静まり返った陣を見回っていたヨハルヴァは、一通り巡り終わると、陣から少し離れた場所へと歩いていった。そこは、少し高台になっていて、麓まで一気に見渡すことが出来る場所なのだ。その、はるか山裾の彼方にかすかに見える灯りは、おそらくドズル軍のものだろう。
 そしてそこには、ブリアンがいるはずだ。ヨハルヴァは我知らず、腰から吊るしていた斧の柄を、強く握り締めていた。
「なんかみんな死んだように眠ってるわね。ま、仕方ないけど」
 突然の声に、ヨハルヴァは驚いて振り返った。現れたのは夜の闇よりも深い色の髪を持つ少女。
「なんだ、ラクチェか。どうしたんだ、こんな夜中に」
「なんだとは何よ。ヨハルヴァこそ何してるのよ」
「……いや、俺は別に……なんとなく、眠れなかったんで、一回りしてからちょっと、な」
「じゃ、私も同じよ」
 ラクチェはあっさりとそういうと、すたすたとヨハルヴァの方に来ると、すぐ横で座り込んだ。ヨハルヴァもなんとなくそれに倣う。
「明日、ね」
「ああ」
 何が、とは言わない。すでに分かりきったことだ。
「怖い?」
「そうだな……」
 ラクチェの問いに、ヨハルヴァはしばらく、言葉を捜すように夜空を仰ぎ見た。
「怖くないわけじゃないな。実際、兄貴は俺なんかよりはるかに強い。けど、そういう怖さじゃないな……多分」
 その先の言葉は続かない。だが、ラクチェにもなんとなく分かる。
 肉親同士、しかも兄弟で戦う、ということは、それだけで漠然とした恐怖を感じる。実際、ラクチェもスカサハと命を懸けて戦うことなど、考えたくもない。戦いたくなどない。それは、ヨハルヴァだって同じだろう。ましてブリアンは、ヨハルヴァにとっては最後の家族なのだ。
「ただ、正直俺はあまり期待しちゃいないんだ」
 ヨハルヴァはそういうと、ごろ、と横になった。月はないものの空は良く晴れ渡っていて、星々が逆に良く見える。その光はか細いものの、それでも空一面を明るくしてくれている気がした。
「兄貴は……なんつーか、親父に言わせると、じいさんの悪いところが特に良く似ちまったらしい。まあ俺はじいさんなんて覚えてないんだけどな」
「おじいさん?」
「ランゴバルトって、名前は知ってるだろう。まあ、ラクチェにとっちゃあまりいい名前じゃないだろうけどさ」
 その名前は、ラクチェは良く知っていた。
 セリスの父シグルドと、その父――つまりセリスの祖父――バイロンを罠にかけ、逆賊の汚名を着せた人物。しかし、あのバーハラの悲劇の前に、シグルドと戦って討ち取られ、以後ドズルはその息子ダナンが継いだのだ。
 一般的な評価としては、ランゴバルトは強欲な、どちらかというと悪いイメージをもたれていることが多い。反逆者シグルドに討ち取られた、ということでむしろその名前には悲劇性があってもおかしくはないのだが、あまりそういう話は聞かない。要するに、体制側――つまりアルヴィス――から見ても、やや疎ましい存在だったのだろう。
「ブリアンの兄貴は、なんかそのじいさんの、特に我の強いところが良く似ちまったって親父がぼやいてるのを聞いたことがある。要するに、自分の道理が最優先っていうか」
「仲、悪かったの?」
「どうだろうな。悪いつもりはなかったけど、あるいは無意識に避けていた気もしなくもない。まあ俺はイザークで、兄貴はグランベルだったから、そもそも会うこと自体滅多になかったけどな。ただ少なくとも、ここの兄弟ほどには仲は良くなかったと思うけどな」
 解放軍は、なぜか兄弟姉妹が多い。そしてほとんど例外なくそのいずれも仲がいい。中には、この軍に加わって初めて姉弟だと気付いたような例すらあるのだが、意外にあっさりと自分達の肉親を受け入れている。
 彼らに比べると、ヨハルヴァはまだ、少なくとも最初は恵まれていた。
 母親は幼い頃に亡くなっていたが、父はいたし、兄弟が離れ離れに――少なくとも理不尽な理由で――なることもなかった。もちろん、現在では肉親が相争う、凄惨な事態に陥っているが、これはあるいは回避できたのではないか、とヨハルヴァは考えている。
 解放軍に加わったことは、間違いではないと思っている。暗黒教団の暴虐を、彼はこれ以上見過ごすことは出来なかった。
 確かに、暗黒教団は聖戦においてロプト帝国が滅ぼされて以後、不当に弾圧されていた、という事実はあるだろう。それは、同情されるべき事実である。
 皇帝アルヴィスが暗黒教団の存在を認め、不当な弾圧を禁じた直後はヨハルヴァも反発はした。
 だが、良く考えたら、彼らの中にはやむを得ずその教義に染まるしかなかった者だっていたのだ、と今は分かっている。ロプト教団が隠れ過ごしていた場所で生まれた者など、他に選択肢などあろうはずもない。ヨハルヴァが、ドズル王子という肩書きを生まれながらに背負わされているのと同じだ。
 だが、だからといって暗黒教団が行う非道は、看過できない。彼らが、ただ己の存在を認めさせるためだけで留まり、他の存在と共存しようとして、それに反発された結果が今の戦争ではない。彼らは、かつて不当に人々を苦しめた、そのロプト帝国の復活を望み、そしてそれを事実上ほぼ成し遂げているという。
 今のこの戦いが『聖戦』と呼ばれる所以だ。
 だとすれば本来ならば、聖戦士の血を引くドズル家は、ロプト帝国を打ち倒すため、暗闇を祓うために戦わなければならないはずである。そして、その先陣を切って戦うのが、当主であり神器スワンチカを受け継ぐブリアンのはずなのだ。
 しかし現実は、スワンチカを振るうブリアンは、解放軍の敵として立ちはだかろうとしている。ヨハルヴァとしては、聖戦士としての矜持はないのか、と兄に問いたい。いや、問うつもりではあるが、ヨハルヴァはなんとなく兄のその返答が予想できていた。
 だから、怖いのかもしれない。
 その言葉さえ聞かなければ、あるいは最後に残った兄弟同士、手を携えてドズル家を再興することが出来るかもしれない、と思っているのかも知れない。その可能性がほとんどない、と分かってはいても、そう簡単に割り切れてはいないのだろう。
「最後の、肉親だものね」
「ああ。でも、だからこそ、もし倒さなければならなかったら、俺が兄貴を倒したい。兄弟の意地、とかそういうんじゃねえ。ただ、ここで兄貴を越えられなかったとしたら、俺は永久に兄貴を……兄貴達を越えることが出来なくなっちまう」
「気持ちは分かるけど……無茶はしないでよ。あなた一人の命って訳じゃないんだから」
 ラクチェの言葉に、ヨハルヴァはいつもの、どこか子供っぽさを残した笑みを浮かべた。
「そうだなあ。俺が死んだらラクチェが悲しむしなあ」
「な、何言ってるのっ! 勝手なこと言わないでよっ」
 ラクチェの声は、怒気をはらんでいるような強さだったが、顔を紅潮させていてはあまり説得力はない。
「まあ死ぬつもりなんかねえよ。今死んだら、ヨハンの兄貴にあの鬱陶しい『歌』とやらを延々と聞かされる気がするからな。そっちの方が、怖い」
「なにそれ」
「ああ。解放軍につくことを決めた時にな。もしどっちか先に死んだら、自分達の最高の方法で待っててやるって。で、兄貴がやることといったら、決まってるだろう?」
「ヨハンのもてなし……あ」
 思わず、笑みが漏れる。
「そうね。確かにそれは、かなり凄いものがあるわね」
 ヨハンは、なぜか酷く芝居がかった『詩歌』を作るのを得意としていた。その表現はとても独創的であったり、あるいは過剰なほどの華美な言葉を含むことが多く、聞いている方としては目が点になる以外のことは出来ない。
「そういえば、あのイザークで、あなた達と戦うかもしれない、と思った時、ヨハンから送られてきた手紙の文章がまた凄かったわ」
「ああ、あの時か。結局俺ら二人とも、降伏する、という書状を送り付けたからなあ。ま、兄貴もそうするだろう、とは思っていたんだけどな。ただ、ラクチェがいたのは驚いたな。噂では聞いていたけど、まさか同一人物だとは思わなかったし。しかし兄貴、何を書いたんだ?」
 するとラクチェは、笑いを堪えるようにしつつ、荷物から二つの封書を取り出した。それは、間違いなくその時にヨハンとヨハルヴァが解放軍に送った書状だ。
「まだ持っていたのかよ。そっちがまず驚きだぜ」
「だって、あなた達と戦わなくてすんだ、その大事な記録だもの。でね。ヨハルヴァのはまあ普通だったんだけど、ヨハンのが……」
 ラクチェは必死に笑いを堪えつつ封を開いた。中に入っていたのは、いかにもオシャレな装飾の施されたヨハンらしい紙で、その上に鮮やかな筆跡で文字が綴られている。そういえば、確かヨハンはやたら字が上手だったな、と思いつつその文面を読み返したヨハルヴァは、最初の数行を読んだところで吹き出した。

 星の瞳よ 漆黒の翼よ
 ここへ来て、耳を傾けておくれ
 我が心の 偽りなきを見んが為
 その刃を突き立てておくれ

 美しき響きの名を持ち
 きらめく星を纏う君よ
 その刃を受けたなら
 斬られて朽ちるも至福と思(おぼ)ゆ

 いかなる死も災いも
 君を汚すことなどできぬ
 おお、死の翼よ、愛しき君よ
 この想いが届かぬのなら
 いっそ果てまで連れ去っておくれ

「な、なんだよこれ……」
「でしょう? 私、何かと思ったわよ。で、最後にちょこっと用件書いてあるんだもの。しかも別の人の文字で。多分、あとで別の人が付け足したんでしょうね。オイフェさんにこれ見せた時、凄い困惑した表情してたわ」
 半ば呆れたように、ヨハルヴァは「だろうなあ」と言ってから小さく笑った。ラクチェもつられて、堪えていた笑いを解き放つ。
「しかし兄貴、ラクチェのこと知ってて書いたのか?」
「さあ……あまりにインパクト強すぎて、聞き忘れたかも」
 そういって、再び笑う。
 ひとしきり笑った後、ヨハルヴァは一息ついてから上体を起こし、遥か彼方に見えるドズル軍の陣営を見据えた。
「あまり気負わないで」
 ラクチェが手をかぶせてきた時、ヨハルヴァは初めて自分が痛いくらいに手に力を入れて斧を握り締めていることに気が付いた。
「あなたは一人じゃない。私だって、スカサハだっている。話し合いはあなたに任せるわ。けど、戦いとなったら、少なくとも私は戦うわよ。あなたと一緒に」
「……ああ」
 今回の作戦で、実はブリアンと戦う可能性が最も高いのは、実はこの部隊だった。
 ヨハルヴァは、あえてアウグストらに言わなかったことがある。それは、兄ブリアンの性格だ。
 ブリアンは、グラオリッターの力に全幅の信頼を置いている。ゆえに、ブリアンは最初に先陣を切ってくることはありえない。ブリアンが動くのは、戦局を決定すべき、と判断できた時なのだ。つまり、それまでは後衛に待機して、動くことはない。それをあえて言わなかったのは、どうしても自分がブリアンと対峙したかったからに他ならない。ただもちろん、スカサハ、ラクチェらを巻き込む格好になるので、二人にだけは相談したが、二人ともそれを了承しているのだ。
『ま、いざとなれば俺たち三人なら何とかなるだろう』
 とはスカサハの弁。
「言っておくけど、刺し違えても、なんて考えないようにね。そんなこと考えているなら、今この場にあなたを縛り付けて、私達だけで攻撃かけるから」
 それに対して、ヨハルヴァは少しだけ真面目な面持ちになった後、またいつもの少し悪戯っぽさを持った笑みを浮かべる。
「俺だって死にたくねえって。ラクチェ一人残しては、な」
「……バカ」
 言葉と同時に、ラクチェの上体がヨハルヴァに寄りかかる。
 一瞬か、あるいは永遠か。
 止まったかのようにも思える二人は、やがてどちらともなく唇を合わせていた。



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