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永き誓い・第五十三話




 マンフロイは、仰々しく首を垂れると、フリージ城失陥の報を己の主に伝えた。本来なら、それはグランベル帝国の領土が更に侵された愉快ならざる報告であり、報告する側は主の叱責に脅えるのが常であるが、マンフロイはむしろその報に愉悦すら感じていた。
「フン。フリージも落ちたか。存外、もたなかったな」
「今の解放軍の力は、それほど軽んじることは出来ますまい。あのヒルダごときでは、到底無理でありましょう」
 その声は、闇の中で響いたように錯覚させられる声だった。
 だがすぐ、それがその声のもつ雰囲気がそう感じさせたのだ、と気付くだろう。
 ヒルダというのは、彼らに忠誠を約した、フリージの主であったが、彼らにその死した者を惜しむ響きは、まったくない。
 その声の主二人がいるのは、地下の暗闇などではなく、荘厳な宮殿の、その中でももっとも装飾に満ちた部屋。強大なるグランベル帝国の皇帝が座すべき玉座の間なのである。
 その玉座に座するのは、グランベル帝国皇太子ユリウス。皇帝アルヴィス亡き今、彼がその玉座に座することは、別におかしな話ではない。正式に皇位継承を済ませていないとはいえ、彼以外に、このグランベル帝国を治めるべき者はいない。あくまで、形式だけを見れば。
「イシュタルはどうした??」
「ヴァイスリッターの出撃準備をしております。家族らの仇を討つとか。いかな解放軍とて、あの雷神とヴァイスリッターは容易ならざる相手でしょうな」
「まして、兵がことごとく死兵であればな」
 くくく、と冷笑というには、あまりにも陰のこもった笑い声が、ユリウスの口から洩れる。
「また、十二魔将をバーハラ近辺に配しました」
 十二魔将。かつてロプト帝国建国において多大な貢献のあった存在。そしてその魂は、ロプト神の力で転生――正しくは次々に依代となる肉体を乗っ取っている――を繰り返している、暗黒教団最大の戦力。かつての聖戦では、十二聖戦士に遅れを取ったが、今回は、かつてより遥かに力を増したロプト神――ユリウスの力によって、比較にならないほど強力な存在となっている。
「それから、ユリア皇女ですが」
 ぴた、とユリウスの笑みが止まる。
 彼の――正しくは彼の宿主の――実の妹であり、そして彼自身にとって最大の敵。
 彼としては即座に殺したいところだが、マンフロイがユリアを殺すな、という。無視してやってもよかったが、マンフロイの策に興味が出たので、彼に任せることにしたのだ。
「ヴァイスリッターの一部隊を率いさせて出撃させることに致しました」
「あの娘が我らの言うことに素直に従ったのか?」
「……さすがにそのようなことは。ですが、あの娘の意志など関係ありますまい」
 マンフロイはさも愉快そうに笑い、ユリウスの前で両手で珠を持つように手をかざした。ややあって、そこに暗黒が満ち、やがて本当に珠が出現する。真っ黒の、文字通り闇を満たした珠。
 そしてその中央に、白い影が見え隠れした。
「……なるほど。傀儡の術か」
「御意」
 傀儡の術。暗黒司教の一部の者達が得意とする術で、強力な催眠暗示をかけて対象を操る、一種の魔術だ。肉体と精神の両方を同時に犯す闇魔法ならではの術だが、マンフロイの傀儡の術は他の術者とは格が違う。彼のは、ただの催眠魔術などではない。本当に、闇の力で相手の心を縛り、さらにその肉体から闇を以って隔離、封印してしまうのだ。結果、心に闇を満たされた相手は、ただマンフロイの命令を聞く、文字通りの『傀儡』となるのである。今ここに見えるのは、ユリアの内部で闇に囚われたユリアの『心』なのである。
「ヴァイスリッターの兵の様に、心を砕いてしまえばユリア皇女が元に戻る可能性は完全に失せるのですが……」
「なぜしない?」
「さすがはナーガの後継者というべきでしょう。さすがの私でも、手を出すことが出来ませぬ。しかし、我らが手を下すまでもないでしょう」
 マンフロイの笑いは、さらに愉悦に満ちたものに変わる。
「心が砕けぬとて、今のユリア皇女は、闇に満たされております。もはや、我らの命令を忠実に果たす強力な魔術師(コマ)の一人でしかありません。そしてこれをヴァイスリッターと共に解放軍にぶつければ……くくくくく……」
「なるほど。奴等は自ら、この私を対抗しうる唯一の可能性を、殺さなければならない、ということか」
「左様でございます」
 マンフロイは再び仰々しく会釈をする。
「唯一の可能性は、私を殺して傀儡の術を解くことですが……それもまた、不可能……」
「地には死者の怨恨と呪詛が満ち、それは我が糧となる……そして我が力を受けたお前の力もまた、無限に高まって行く……解放軍も愚かなことよ」
「まったくです。魂の嘆きは、強き魂であればあるほど、強き力となる。深き嘆きもまた心地よかったですが、強き魂が散る様はまた、格別ですからね」
 この一年。解放軍は各地で戦い、そして莫大な数の戦士を屠り、この地までやってきた。
 だがその戦いの中で生み出された死者が、暗黒神への生け贄となっていたことなど、夢にも思わぬことだろう。本来、いかにロプトウスとはいえ、神竜王ナーガの力には抗いきれない。圧倒的な軍事力で勝っていたにも関わらず、百年前にロプト帝国が滅亡したのは、ひとえにナーガや、周囲の竜王達の力を受けた存在が強力だったからだ。
 だが、今回は違う。この大陸においてこの十八年――特にここ一年――で流された血と怨恨と呪詛は、ロプトウスに莫大な力を与えている。いまや、ロプトウスの力は、暗黒竜の王にも匹敵するほどであろう。それはすなわち、対極たる神竜王にも匹敵する、ということである。
 その時、伝令兵が雷神イシュタルの来訪を告げた。恐らく、出撃の報告だろう。
 イシュタル王女はどうやらユリウス皇子を愛しているようだが、もうすぐその望みは永遠となる、とマンフロイはほくそ笑んだ。
 確かに雷神相手に、解放軍が楽に勝てるとは思えないが、神器をいくつも保有する解放軍相手に、イシュタルが生き延びるとは思えない。イシュタルも、死を覚悟しての出陣であろう。
「雷神イシュタル、入ります」
「イシュタルか。どうした?」
 そう。お前も我が糧となる。そして我の中で永遠に生き続けるのだ……
 ユリウス――ロプトウスは、イシュタルをまるで、愛しい者を見るように見つめていた。

 フリージを発した解放軍は、バーハラの西の平原で、ついに帝国軍最精鋭であるヴァイスリッターと激突した。
 互いの数はほぼ互角。完全に正面から激突する野戦である。
 ヴァイスリッターは、別名を近衛騎士団ともいい、各公家がかつて所有していた各騎士団に相当する、バーハラ王家直属の騎士団である。各公家の騎士団がそれぞれの家の特徴を表した部隊編制であるのに対して、ヴァイスリッターは武器・魔法それぞれに長じた騎士による混成騎士団であるのが特徴だ。しかし、特化していないとはいえ、その実力は、他国の騎士団を圧倒するほどである、と云われている。真っ向からやりあうだけでも、相当な被害を覚悟しなければならない相手だった。
 しかし、今回はそれだけではなかったのである。
「くそ、一度退け!! 陣を立て直す!!」
 解放軍の左翼を預かるアレスは、ミストルティンを振り回しつつ一時退却を指示した。ヴァイスリッターの凄まじい圧力に耐えかねた戦列は、撤退命令にまるで塞き止められた水が溢れて流れ出すように、無秩序に後退していく。その様に慌てたアレスは、ただ一人殿で敵兵を食い止めていたが、突然強力な雷撃を受けて、たじろいだ。これほどの雷撃を放てる相手を、アレスは一人しか知らない。
「……雷神イシュタル……」
「もはや言うべき言葉は何もない……雷神イシュタル、最期の戦いをその目にしかと焼き付けよ!!」
「くっ!!」
 いくら魔を喰らう魔剣ミストルティンとはいえ、トールハンマーをどうにか出来るほどの力は、さすがにない。イシュタルから放たれた雷撃の、その半ばを喰らったところで、残り半分がアレスに襲い掛かる。
「ぐっ……」
 元々、今ここで雷神と戦うつもりはない。戦局が決している以上、今は兵を退かせるのが目的だ。
 アレスは周囲を確認し、友軍が十分に退いたことを確認すると、魔剣を一閃させた。先のトールハンマーを喰らっていた魔剣は、ため込んだその力を一気に放出する。それは、イシュタルとアレスの間に、巨大な亀裂を穿った。
「なっ……!!」
 さすがのイシュタルも、一瞬たじろぐ。その間にアレスは、馬首を返して戦場を一気に離脱した。背後で、イシュタルが何事かを罵倒している声が聞こえたが、それを気にするようなことはもちろんしない。
 結局、この日の戦闘は、雷神イシュタル一人のために、解放軍は各戦場で撤退を余儀なくされていったのである。

 その、アレスがイシュタルと対峙していた時間と、ほぼ同じ時。右翼遊撃部隊を率いていたスカサハは、目の前の光景を疑わざるを得ない状況にあった。
 累々と転がる人の屍。そしてその中央に立つ、少女の影。
「ユ……ユリア……?」
 今見た光景はなんだったのか。
 ヴァイスリッターとの乱戦の最中、突然沸き上がった光の柱。それが、敵味方問わずその場にいた者をことごとく殺し尽くした。そして、その光をスカサハは知っている。ユリアの操る強力な光の魔法。現在、この使い手は、今中央の陣にいるリノアン以外は、ユリアしかスカサハは知らない。
 そして、今その死者達の中央に立つ、紫銀の髪の少女は。
「ユリア!!」
 無事だとは聞いていた。それがどれだけ信じられない可能性であっても、あるいはどれだけありえないことであっても、僅かな可能性にでもすがりたかった。そして今、彼女はスカサハの目の前にいる。これは、夢ではない。
 だが、スカサハは駆け出すのを躊躇っていた。
 一体今、彼女は何をした?
「……ユリア?」
「ククク……脆イ者ダナ……。貴様モ死ヌカ?」
 スカサハは本能的な危険を感じて、その場から飛び退った。その直後にスカサハの立っていた場所に輝く光の柱が屹立する。
「見事ダ……ガ、コレハドウダ……?」
 突然スカサハの目の前に光の三角形が二枚、重なるように現れた。そしてそれが一瞬凄まじい勢いで回転したかと思うと、次の瞬間スカサハは弾き飛ばされていた。鎧などまるで意味のない、まるで直接肌を切り裂かれたような、あるいは焼かれたような痛みが全身を襲う。
「ぐっ……」
 もう一撃、同じ攻撃を受けたら多分死ぬ。それ程に強力な一撃だった。
「ズイブン丈夫ナノダナ……?!」
 ユリアが手をかざし、もう一撃を放とうとしたが、別の何かに気付いたのか、素早くその場を飛びのいた。その空いた空間を、剣閃が走る。
「スカサハ、無事!?」
「ラクチェ!?」
 ラクチェは素早くスカサハと敵の間に立ち、その相手を見てやはり硬直した。
「ユリア……?」
「間違いなくユリアだ。だが、何かに操られている。だから、殺さないでくれ!!」
「そ、そんなこと言ったって……」
「オ前モ……まんふろい様ノ邪魔ヲスルノカ……?」
 発せられている声は、確かにユリアのものであるにも関わらず、それでもその声はまるで別人のモノとしか思えなかった。まるで感情のこもっていない、意志のまるで感じられない声。
「ナラバ……死ネ!!」
「くっ!!」
 ラクチェはスカサハの腕を引っ張ると、思い切り横に飛んだ。直後に炸裂した光の柱から弾けた爆風が、容赦なく二人を焼く。
「あぐっ!!」
「ぐあっ!!」
 直撃よりはマシとはいえ、それでも全身を襲う痛みはどの魔法にも喩えがたい。
「こ、このままじゃ……」
「逃げるぞ、ラクチェ」
「え?」
 一瞬、ラクチェはスカサハの耳を疑った。
 目の前にユリアがいる。その状況で、スカサハがそういう決断をするとは思ってもいなかったのだ。
「ユリアが何かに操られているのは、俺だって分かる。だが、俺じゃあどうしようもない。だから逃げる。奴等がユリアを生かしておいたのは、多分こうやって、俺達にユリアを殺させるためだったんだ。なら、ここは戦わずに逃げるしかない!!」
「でも、次まで……」
「言うな!!」
 スカサハは言葉と同時に剣を振るうと、そのまま地面を斬り裂いた。その一撃の衝撃が地面を炸裂させ、濛々と砂塵を巻き上げる。そしてそれに紛れて、スカサハとラクチェは戦場を離脱した。

 結局この日の戦いは、解放軍の完敗だった。
 シャナンの部隊などはヴァイスリッターを撃破し、突破も可能な状態になったのだが、ここで突出すると敵中に孤立するため、兵を退かざるをえず、結果として解放軍は、半日ほど撤退して陣を立て直すことにした。そしてその席で、ユリアの生存がスカサハによって伝えられたのである。
「下衆め……よりによって俺達の手で、俺達の希望を砕かせよう、ということか……」
 レヴィンが吐き捨てるように呟いた。
「ユリアを元に戻す方法は、ないんですか!?」
「スカサハ、まだ怪我が治ってないんだから……」
 ラナの制止も、スカサハには聞こえていなかった。まるで掴みかからんほどにレヴィンの方へ乗り出している。
「……気持ちは分かるが、術者を倒さない限り、不可能だ」
「術者って……」
「ユリアほどの力の持ち主に、あそこまで完璧に傀儡の術をかけられる者など、いかに暗黒教団でもそうはいまい。恐らくは、暗黒大司教マンフロイ」
 場が一瞬静まる。魔皇子ユリウスと並ぶ、解放軍最大の敵。その力は、先日サラが体験してきたばかりである。
「それしかないのなら、俺がマンフロイを倒す!!」
「その前に、ユリアをどうにかしなければならない」
 レヴィンの言葉は、文字通り冷水だった。
「な……なぜ……」
「マンフロイは恐らく、ヴェルトマーにいる。バーハラより先だな。これはほぼ間違いない。だが、その手前にはまずヴァイスリッターとユリア、そしてイシュタルがいる。これらを全てどうにかしない限り、まずバーハラにすら辿り着かない。戦った者は分かると思うが、ヴァイスリッターもまた、全軍傀儡の術に落ちている。しかも、心が破滅しているだろう。傀儡の術というのは、相手の心を闇で包み、肉体を闇の意志で支配する術。だが、心が弱ければ闇はあっという間に心を喰らい尽くす。今のヴァイスリッターは、指揮官の命令に従順に従うだけの、ただの人形だ」
「じゃ、じゃあユリアは……」
 あれはほぼ間違いなくその傀儡の術だ。だとしたら、ユリアの心はもう喰らい尽くされてしまっているというのか。
「で……ここから先は、推測というより希望だが……ユリアは、ナーガの継承者だ。その精神力は並の人間とは比較にならない。だから……ユリアの精神がまだ生きている可能性は、ある」
 その言葉に、スカサハの顔がぱっと明るくなる。
「だが、術を解くことは不可能だ。術者を倒さなければならない。だが、ユリアを放って我々は先に進軍することは出来ない」
「なら、俺一人ででもっ!!」
「落ち着け、スカサハ」
「シャナン様……」
「お前一人でどうやってマンフロイを倒す? しかもバーハラ周辺にはまだ……」
 レヴィンは頷いてシャナンの言葉を引き継いだ。
「そう。バーハラ周辺に十二の軍が展開していることがすでに知らされてきた。その旗印は、かつて十二聖戦士に敗れたはずの十二魔将。聖戦士にも匹敵すると呼ばれたあの忌まわしき魔将達だ。それをお前一人で、どうやって突破するのだ?」
「………………」
 スカサハは声もない。確かに、それらを突破してヴェルトマーに到達したとしても、マンフロイに勝てるとは思えない。先にサラがマンフロイの元へ行ったのを迎えに行ったうちの一人で、イザークの剣士であるマリータは『何をどうやっても勝てるように思えなかったです。斬りかかったわけじゃないのですが、その、そういうレベルじゃなかった』と話している。マリータの実力をスカサハは良く知っている。そして彼女は、相手を過小にも過大にも評価するようなことは、まずない。
「上手く考えたものだ。この辺りの地形では、大きく迂回することも出来ない。つまり我々は、必ずヴァイスリッター、イシュタル、ユリアを倒さなければならないということになる」
「でも……!!」
 ユリアを殺せば、ナーガの継承者がいなくなる。あるいはヘイムの血を引くセリスやリノアンの子などに生まれるかもしれないが、そんな悠長なことはもちろん出来ない。
「安心しろ。策がまったくないわけじゃあない……パティ」
「は、はいっ」
 突然呼ばれたパティは驚いて、椅子から慌てて立ちあがった。
「シャナンから聞いたのだが、眠りの魔剣を持っているそうだな?」
「あ、ああ。はい」
 もうすっかり使わなくなっていたので、完全に忘れていた。盗賊時代には良く使ったが、解放軍に入ってからは全然使わなくなっていたので、確か荷物の奥の方に入れたままになっている。
「持ってますけど……それが?」
「すまんが、持ってきてくれないか」
「あ、はい」
 パティはなんとなく釈然としない表情のまま、会議室を出て行った。その間に、レヴィンが説明を開始する。
「ユリアの精神は、今普通の状態にないから、スリープの魔法等は通用しない。だが、眠りの魔剣の魔法は、厳密にはスリープの魔法とは異なるものだ。あれは、状態の停滞をもたらす魔法がかけられている。まああの剣は、それで精神を停滞させて、眠ったような状態にしてしまうので、『眠りの魔剣』と呼ばれているわけだが……」
 そこまで話したところで、パティが戻ってきた。手には、布に包まれた剣を持っている。
「はい、これですよね」
 レヴィンはパティの持ってきた長剣を受け取った。奇妙な形の刃を持つ、いかにもバランスの悪そうな剣である。
「ユリアの今の状態では、多分この魔剣の力でも、通用はしないだろう。普通ならな。だが、魔剣に込められた力を解放したら話は別だ」
「力を、解放?」
 スカサハとラクチェが同時に首を傾げた。
「そうだ。魔力を込められた剣、というのは、無限に魔力を生み出すわけじゃない。外部から魔力の補充が出来るタイプもあるが、大抵は作られた時に込められた魔力を使いきったら終わりだ。そしてこの『眠りの魔剣』ももちろん、最初に込められた魔力を使って相手を眠ったような状態に陥れている。だが、この魔力を完全に解き放ってしまえば、通常より遥かに大きな効果を得ることが出来る。そしてこの魔剣の力は、状態の停滞……つまり、時の停滞だ。この力が解放されれば、恐らく心ではなく実際に影響を受ける……つまり、ユリアを止めてしまうことが可能、ということだ」
「つまりその魔剣の力で、ユリアを完全に止めてしまい、その間にマンフロイを倒す、ということか?」
「そういうことだ、シャナン」
 おお、と周囲にどよめきが起きる。実際にはまだ、ヴァイスリッターと雷神イシュタルに十二魔将という障害があるのだが、それでも障害が一つ減るのは喜ばしい。それに、大半の兵にとっては、イシュタルもヴァイスリッターも倒すべき敵なのだが、ユリアだけはそうはいかないのだ。
「だが、問題がある」
 続いたレヴィンの言葉に、歓声が止まった。
「まず、魔剣を振るったものは、恐らくほぼ間違いなくその『停滞』に巻き込まれる。それがどの程度の範囲に及ぶかは私にも想像がつかないが、少なくとも剣を持っている者が巻き込まれない、ということはないだろう。そして……マンフロイを倒した後、戻れるとは限らない」
「おい、それじゃあ……」
 無駄じゃないか、と誰かが呟いた。
 確かに、ユリアを倒せないのはその後で光の神魔法ナーガを使って――これがどこにあるかは未だに不明なのだが――魔皇子ユリウスを倒してもらわなければならないからだ。それが、ユリアが戻ってこれないのであれば、まったく意味がない。
「ただ、ユリアが目覚めれば、そして彼女本来の力ならば、眠りの魔剣の威力を弾き返す可能性は十分にある。どちらにせよ、これは賭けだ。ユリアを無傷でやり過ごすにはこれしか方法はない。あとは誰が魔剣を振るうかだが……」
「俺がやります」
 スカサハが名乗りをあげた時、レヴィンは意外そうな表情は見せなかった。むしろやはり、という雰囲気だ。
「解放軍にとっては有能な戦闘指揮官が一人減ることになるが……まあ、お前ほどの技量がなければまずユリアに近付くことすらできんか」
「私からもお願いするよ、スカサハ」
「セリス様……」
「必ず私達がマンフロイを倒す。それまで、ユリアを……妹を頼むよ」
「はいっ」
「では決まりだな。決行は明朝。そしてユリアの戦域を突破した部隊は、そのまま半数がバーハラへ直行、十二魔将の陣を抜いて、ヴェルトマーを攻撃しろ。残り半数で、ヴァイスリッターを包囲、これを殲滅する。あとはイシュタルだが……セティ、ティニーお前達に一任する。策を指示するのであとで私の天幕まで来るように。以上だ。セリス、何かあるか?」
 レヴィンに促されて、セリスは一歩前に進み出た。
「今日は退いてしまったけど、もう私達には退くべき場所はない。そう思って戦おう。相手は確かに強いけれど、それでも私達は勝たなければならない。思えばここまで、数多くの戦いを潜り抜けてきた。あと少しだ。あと少しでこの大陸の暗雲を払うことが出来る。そして私は、ここにいるみんなの力なら、それは必ず成し遂げることができると思っている。その勝利のために、みんなの力を、私に……私達に貸してくれ!!」
 鬨の声が陣に上がる。それは遠く、バーハラまでも聞こえていたらしい。
 しかしそのバーハラに住まう魔皇子は、その声を聞いた時、ただ「贄が泣いているわ」とだけ言ったという。

 グラン暦七七八年夏。第二の聖戦と呼ばれた戦いの、その最終幕が今始まろうとしていた。



第五十二話  第五十四話

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