前へ 次へ

永き誓い・第五十五話




 戦場はただの一時として停滞することはない。解放軍と帝国軍、両軍合わせて四万近くにもなるこの戦いは、前代未聞の規模であり、たえず戦場の何処かで剣戟の音と、怒号と悲鳴、そして死が溢れていた。
 霧が濃かったのは一日目だけで、翌日からは逆に遠くまで見通しが利く、戦いなど似つかわしくない好天となっていた。
 両軍は互いに幾度か戦場を変え激突していたが、さすがにそうやすやすと決着がつくものではない。ただ解放軍も、無為に時を過ごしているわけではなかった。
 解放軍の今回の狙いは二つ。
 一つはもちろん、ヴァイスリッターおよび正規軍の撃破である。ヴァイスリッターの後ろに控えて、バーハラ近郊に布陣している十二魔将の軍は、今のところ動く気配はないが、かといって動き出さないなどという保証はどこにもない。そしてこれらが加勢した場合、数の上で解放軍は劣勢に立つ。加えて、兵の錬度は残念ながら敵の方が上だ。そのためにも、なんとしてもこの二つの合流を阻止するために、可能な限り早くヴァイスリッターを撃破しなければならないのだ。
 ただここで、解放軍にとってかなり有利な点が一つあった。
 傀儡の術の支配下にある軍勢は、確かに死を恐れない上、本来の人間の限界以上の力を発揮するため、通常の軍勢より遥かに強力である。だが同時に、死を恐れないがゆえに無謀な攻撃をしてしまうため、酷く効率が悪い。そのため、戦闘指揮官の存在が不可欠なのだ。そして今、ヴァイスリッター全軍を指揮しているのは――もちろんその下に何人かの指揮官がいるが、彼らは基本的に伝令役でしかない――雷神の異名を持つイシュタルである。
 イシュタルは、その異名が示す通り、極めて強力な魔術師であると同時に、極めて優れた戦闘指揮官でもあった。事実、昨日はこのイシュタルの指揮の前に、解放軍は撤退を余儀なくされたのだ。彼女の指揮は極めて的確で、解放軍の戦列の弱いところに兵力を集中させ、それによって解放軍全体の連携を崩し、各個撃破を行うのである。同数の場合には戦力が劣る解放軍は、各個撃破の前にはなす術がないのだ。
 だが、解放軍の軍師であるレヴィンやオイフェ、アウグストらもまた、やられっぱなしというわけではなかった。
 先日の敗戦を受けて、彼らは部隊を百人単位の部隊に再編成し、三角形型の指揮系統を完全に確立、その上で事前に部隊の役割を完全に明確にした上で、さらに予備戦力として遊撃部隊を編制しておいた。この予備戦力に、本来なら主力に当てるはずのアレスの騎馬隊と、アルテナの率いる竜騎士隊をあてたのである。これにより、ヴァイスリッターは兵力の効果的な投入をことごとく阻害され、その間に敵中に孤立しかけた解放軍は戦場を一時離脱、そして撤退する振りをして、駆けつけた友軍と合流、逆撃を加える、という戦術で効果的に帝国軍を撃破する。
『同数の帝国軍には絶対に対するな。戦う場合は、防御に徹し、友軍が駆けつけるのを待て』
 これにより解放軍は、攻勢に出る部隊と守勢に回る部隊を明確にし、かつこれを逐一変化させたため、イシュタルでも効果的な戦力投入を行うことが出来なかった。しかしそれでもまだ、解放軍は完全に優勢に立つことは出来ていなかった。
「やっぱり、シャナン達イザークの兵がいないのは辛いね」
 矢継ぎ早に指示を繰り返していたセリスが、ふっと息をついて、隣のレヴィンに漏らした。
「仕方あるまい。まあそれでも、彼らは帝国軍左翼を完全に突破してくれた。それで左翼部隊の指揮が一時的に混乱したから、こちらは左翼部隊にかなりの打撃を与えられているのだからな」
「まあね。それに彼らが成功しなければ、この戦いはそもそも勝ち目がないしね」
 今回のもう一つの狙い。それは、シャナンをはじめとしたイザークの部隊に、帝国軍を突破させ、さらに十二魔将をも突破してもらって、ヴェルトマーにいる暗黒大司教マンフロイを討つこと。
 もちろん、ヴェルトマーまではまだかなり距離があるため、今日明日にマンフロイが倒れる可能性はないが、それでも一刻も早くマンフロイを倒さなければならない。それは、解放軍の勝利に不可欠な、聖者ヘイムの力を受け継ぐユリアを取り戻すことに繋がるのだから。
「もっとも本来なら、マンフロイが相手であれば、アレスの持つミストルティンの方が相性はいいのだがな」
 マンフロイは当然だが強大な暗黒魔法の使い手である。しかも、恐らくその力は、ロプト神の力の増大に呼応して、さらに強大なものとなっている。
 確かにシャナンのバルムンクは非常に強力な武器であるし、シャナンは間違いなく解放軍最強の剣士だ。だが、こと魔法相手であるならば、魔を喰らうミストルティンの方が向いていると、レヴィンは思ったのだが、セリスはマンフロイを倒す役目を、迷わずにシャナンに任せた。
『シャナンは……多分この軍で誰よりも、マンフロイを倒したいと思っている。武器の力とかよりも以前に、私はその想いの強さから、シャナンに任せたいと思うんだ』
 それは、確かにレヴィンも納得できる理由ではあった。人の想いとは、時として神器すら凌駕するほどの力を生み出すことを、彼は――正しくはレヴィンではないが――知っている。
「いずれにせよ、これが最後の戦いとなる。長丁場になるとも思うが、気を抜くなよ、セリス」
 セリスはそれに、黙って頷くと再び戦場に視線を戻す。
 戦いは、まったく収束する気配はなかった。

「シャナン様、前方に五百ほどの部隊を確認できます。恐らく、十二魔将の部隊の一つかと」
 先駆けたロドルバンの報告を受けて、シャナンは一度進軍速度を緩めた。
 戦いが始まって三日目。
 ここまでは思った以上に順調に来れた。シャナン達は、帝国左翼軍を突破した後直進はせず、大きく南へ迂回し森の中を抜けてきたのだ。進軍速度は遅くなるが、余計な戦闘を――しかも十二魔将との――を避けたかったのである。だがさすがに、あと少しでヴェルトマーへの街道、というところで捕捉されたらしい。だがここで手間取ってしまっては、やり過ごした他の十二魔将の部隊が追いついてくる可能性がある。それは、何としても避けなければならない。恐らく、今前方に展開している部隊を突破すれば、あとは騎馬の速度ならそのままヴェルトマーまで抜けることが出来るだろう。十二魔将の部隊は、その大半が歩兵で構成されているからだ。
 イザークの部隊は総数約一千。数で押し切ってもどうにかなる。
「このまま突撃する。途中の敵には目もくれるな。また、足止めされた味方がいても気にするな。とにかく先に行け。一兵でも多く、ヴェルトマーへ突破するのだ」
 現状では、味方を気にして行軍速度を落とす余裕はない。この部隊の行動が、ひいては解放軍全体の命運を握っているのだ。
 シャナンはバルムンクを抜き、高々と掲げた。神剣が、陽光を受けて輝き、神秘的な光を放つ。その様は、まさに伝説の剣聖オードそのもののように、イザークの者達には感じられた。
「突撃!!」
 馬蹄が大地を蹴り、砂埃を巻き上げる。一千の軍馬の突撃は、騎士のそれとは違うが、それでも凄まじい圧力となって、十二魔将の軍に襲い掛かった。
 その圧力は、大抵の兵であればその威に押されて後退してしまうほどのものである。
 実際、十二魔将の軍は次々に解放軍に討たれていき、みるみる数を減らしていった。このまま殲滅できるか、とすら思えてくる。
 ところが、突然先頭を駆けていた兵が次々と倒れ伏した。
「なに!?」
 良く見ると、たった一人の剣士が、次々と兵を斬り伏せている。その圧倒的な剣技は、イザークの兵を圧倒していた。
 無論たった一人であるため、両翼の兵はそのまま突破しようとする。だが、中央が勢いを挫かれたのに動揺し、明らかに速度が落ち、そこを敵兵に狙われていた。
「くっ!!」
 ここで余計な時間をかけるわけにはいかない、と判断したシャナンは、自らその剣士に向かっていった。その前に一瞬、ラクチェとロドルバンの方に振り返る。
「ラクチェ、ロドルバン、このまま敵陣を突破、ヴェルトマーへ行け。私はあの剣士をどうにかしてから、すぐに追いつく!」
 ラクチェらの返答を待たずに、シャナンはそのまま駆けて行く。だが、ラクチェらも迷いはしなかった。すぐに両翼それぞれに別れ、先頭を駆け敵陣突破にかかる。
「……素早い状況判断。さすが……」
 解放軍を一人で足止めしてみせたのは、十二魔将の一人、ノインだった。
 ノインはなおも剣を振るったが、彼女一人で一千の軍勢を止められるはずもない。だが、仮に突破したところで、自分達の主である暗黒大司教に勝てるはずもない、ということをノインは分かっていた。だからただ、突破していく部隊を見送っている。
「それに……面白い獲物がかかったようですし……」
 ノインは自分に向かってくる一騎に、目を留めた。長い黒髪を風にたなびかせ、美しい反り身の長剣をもって迫る剣士。イザーク王子シャナン。その姿を、ノインはまるで愛しい者を見るように見つめていた。
「これ以上好きにはさせん。私が相手をする」
「……いいでしょう。お前達、手出しは無用です」
 ノインは、残った部下にそう命じると、剣を構え直す。残った部下――といっても、先の突撃で既にほとんどが殺されているのだが――は、ノインの命に従い、剣を下ろす。
「ほう。十二魔将でも作法を知っているのがいるのか」
「我らはロプト神を崇める誇り高き将。卑怯者と思われるのは心外だ」
 相変わらず、フルフェイスの下でくぐもった声は、男性か女性かの判断が難しい。だが、先ほどの剣技は、少なくとも手加減のいる相手とは思えなかった。
 ただ。
(……どこかで……見たことがある構えだが……)
 もっとも、十二魔将は依代となる肉体を乗っ取ることで地上にいるという。そして、剣士の十二魔将であれば、あるいはイザーク人の誰かを乗っ取ったのかもしれない。だとすれば、その肉体が覚えている剣技はイザークのものになるわけで、シャナンが既視感を覚えたとしても不思議はない。
「ゆくぞ!!」
 踏み込みの早さは、シャナンの想像を遥かに超えていた。あまりにも鋭く、深い。考えてみれば、十二魔将もまた、肉体の損傷を気にせずに人間の限界以上の運動能力を引き出しているのだから、この程度は予測すべきであっただろう。だが、シャナンもまた、普通の人間とは比較にならない力を持っていた。
 普通ならば、一瞬で胸を貫かれるようなその突きを、シャナンは落ち着いて剣で受け、逆に水平に薙いだ。その一撃は、まだ様子見程度のものであるが、それでも、並の剣士とは比較にならない鋭さと重さがある。だがそれを、ノインはこともなげに剣で方向を逸らし、勢いを殺してみせた。そして、剣が振り抜けて無防備になったところに、すばやく斬撃を繰り出してくる。だがそれは、シャナンの予測の範囲内であり、シャナンはそれを落ち着いて後ろに引いて避けた。
「……想像以上だな……。名は?」
 別に返答を期待した問いかけではなかった。
 だが。
「ふふふ……そういえば、名をまだ名乗っていなかったですね」
 ノインは心底愉しそうに笑うと――といってもフルフェイスでくぐもった声では判然としないが――少しだけ剣先を下げた。
「私は十二魔将の一人、ノイン」
「イザークのシャナンだ。もっとも、そちらは先刻承知のようだったがな」
 いくら十二魔将でも、解放軍の主だった将帥のことくらいは知っているだろう。それに、シャナンが持っているのは神剣バルムンクだ。十二魔将なら、それに見覚えがあってもおかしくはない。それに、ノインというこの将軍は剣士のようだから、あるいはオードと戦ったことがあるかもしれない。もっとも、だとしたらやはり油断できる相手ではない。オードの剣技、というのは今のイザークの剣の基本にある。それは癖とかいう以前のレベルで体に染み付いているものだ。それを読まれてしまう恐れはある。
(もっとも、オードの聖戦での戦いの記録はほとんど残っていないから、実際がどうだったかは分からないが……)
「名高きオードの末裔……かつての借りを返せるというものですね……」
 再び、ノインの剣身に力が込められる。シャナンも応じて、少しだけ腰を落として構えなおした。彼我の距離は、十歩あまり。だがこれは、お互いにとって間合いの極わずか外に過ぎない。
 息詰まる沈黙。そしてそれは、それまで地上を照らしていた太陽が一瞬翳った瞬間に、消滅していた。

「シャナン様、大丈夫かしら」
 先行したラクチェ、ヨハルヴァ、ロドルバンらは、一度二手に分かれた軍を再度合流させ、ヴェルトマーへの道を急いでいた。ヴェルトマーまでは、このまま騎兵で駆け続ければ丸一日程度の距離だ。報告によれば、ヴェルトマーには暗黒教団の司祭が若干名残っている程度で、後はろくな部隊がないという。
 今ついてきている兵はおよそ八百。十二魔将の陣を突破する際に、多少の犠牲者が出たようだが、同数以上の十二魔将の兵も討ち減らしているし、むしろ強行突破で、脱落がほとんどなかったのは、奇跡に近い。これだけいれば、ヴェルトマーに到達しさえすれば、戦闘など一瞬で終わるだろう。
 その意味では、シャナンが一人でもっとも手ごわいと思われた十二魔将をひきつけたのは、非常に正しい。
「シャナン様に限って万に一つもあるまい。たとえ相手が十二魔将であろうとも、だ」
 併走するロドルバンは、シャナンに全幅の信頼を置いている。彼にとっては、シャナンの力というのは神にも等しいものなのだろう。
「それは分かってるけど……」
「らしくねえなあ、ラクチェ。どうしたんだ?」
 逆側を駆けるヨハルヴァが、少しだけ心配そうにラクチェの方を見やる。といってもすぐまた正面を向いた。あまり乗馬に慣れていないヨハルヴァは、この速度で駆けるには少々技量に不安があるのだ。ただそれでも、この乗馬の技量も問われるこの部隊についてきたのは、もちろんラクチェがいるからであり、ラクチェもまた、ヨハルヴァの気持ちはとても嬉しかった。
「うん……なんていうんだろう。あの十二魔将を見たとき、すごい漠然とした不安感を感じたの。それだけ、といえばそれだけなんだけど……」
「ホントにらしくねえなあ」
「……あ、でもそれ、私も分かる……」
「パティも?」
 パティは乗馬に慣れていないため、今回はラクチェの後ろに乗せてもらっている。
「私もなんともいえない不安感、感じたの。理由は分からない。けど……なんだろう。女の勘……っていうのかな?」
「心配なら、戻ってみたら?」
 ラドネイが馬速を上げて、ラクチェに並ぶ。しかしラクチェは、首を横に振った。
「別に確信があるわけじゃないもの。それに、シャナン様は私とロドルバンにこの部隊を任せてくださったんだから、期待は裏切れない。大丈夫。そうかからずに、追いついてこられるわ」
 だがパティは、なぜかその時素直に追従できなかった。
 そして心の中に急速にもたげた不安感が、やがて心の全てを覆い尽くす。
「……パティ?」
「ラクチェ、ごめんっ」
 言葉と同時に、パティは疾走する馬から飛び降りた。しかも、何の衝撃も与えず、まるで消えたように。そしてパティは、地上で一度回転しつつ、鮮やかに受身を取り、すぐ立ち上がっていた。
「先に行ってて! すぐシャナン様と追いつくから!!」
「パティ!!」
「大丈夫だから!!」
 ラクチェは慌てて止まろうとして、思いとどまった。今は一刻も早くマンフロイを討つことが先決だ。それに勝る優先事項はない。
 ただの漠然とした不安だけで、行軍を反(かえ)すわけにはいかないのだ。
「パティ、ヴェルトマーで待ってるから!!」
 多分もう聞こえはしないだろう、とは分かっていても、ラクチェはとにかく大声で叫んだ。その視界の端に、手を振るパティの姿が映る。
「いいの?」
「大丈夫よ、ラドネイ。パティなら。それより、急ぎましょう」
 ラクチェは手綱を一度揺らし、軽く馬首を叩く。それに応じて、馬はさらに速度を上げる。
 その視界の先には、もうイード砂漠が見えつつあった。

「ごめん、ラクチェ。でも私の勘、すごく良く当たるの」
 実はシャナンと別れた直後から、この不安はずっと感じていた。ただ、戦場という一種異常な状態の中では、自分の勘を素直に信じることは出来なかったのだ。だが、ラクチェまでもが同じように感じているという。これは贔屓目ではなく、ラクチェと自分は、シャナンにもっとも近い女性だ。そう思っている。その二人が――つまり自分だけでなくもう一人も――不安に感じた、ということが、パティに自分の勘を信じさせる決定打をくれたのである。
 ただそれでも、今ここで行軍をとめるわけにはいかない。ならば、自分ひとりが戻ればいい。
 自分が戻ったところで、何が出来るということもないだろうが、だがなぜか、パティは戻らなければいけない、という焦燥感を感じていたのだ。
「結構馬で飛ばしてきたからなあ……走ってどのくらいかかるかなあ……」
 だがそれでも、急がなくてはならない。何かが、そう告げる。
 そしてパティは、まるで急かされるように、全力で来た道を戻る方向に走り始めたのだった。

 ぎん、という剣と剣のぶつかり合う音が、周囲を満たした。
 シャナンは正直、驚愕していた。同時に、自分が残った判断の正しさを感じていた。おそらく、ラドネイやロドルバンはもちろん、ラクチェでもこの相手には勝てなかっただろう。それほどに、相手の技量は卓越していたのだ。
 もっとも、シャナンも実は、神剣の力を使っていたわけではない。シャナンはシャナンで、神剣によってもたらされる自分の力の巨大さと、そして先日レヴィンから聞かされた話によって、聖戦士としての力を振るうこと自体に、若干の抵抗が、無意識のうちに生まれてしまっていたのである。
 それはあるいは、竜と人とは相容れないものであるという証なのかもしれない。だから、ロプトウスは大陸を力で抑えるのか。
 ただ、シャナンはそれ以外には手加減していなかった。
 実際のところ、確かにノインは強いが、技も力も速さも、そのいずれもシャナンは勝っている。ただ、なぜかノインはシャナンの動きをまるで読んでいるかのように、ぎりぎりで攻撃を避けるのだ。あるいはこれが、十二魔将の経験、というものなのだろうか。
「ふふ……戸惑っているようね、シャナン」
「くっ……」
 確かに、戸惑いはある。
 いくらイザークの剣の型を知ってるとはいえ、それは基本の型であり、シャナンの剣は多くの教えを経て、かなり異質なものになっている。それは、ホリンが教えてくれた異国の剣技や、オイフェが学んでいたグランベルの騎士の技などが混じっているからなのだ。
 しかし相手は、イザークの剣を知っている、というよりはシャナンの剣を知っているかのようなのだ。
 まるで、この相手と幾度も戦ったことがあるかのような、既視感にも似た感覚を、シャナンは感じていた。
 だが、それが何に起因するものなのか、分からない。
「ふふ……まだ分からないようね……なら!!」
 これまで守勢に回ってばかりだったノインが、初めて攻勢に出た。それは、イザーク人ならば誰もがやる、連撃による『崩し』である。だがこれは、シャナンにとっては至極読みやすい。
(所詮この程度か……っ!!)
 シャナンは動きのパターンを読み、次に繰り出されてくるタイミングに合わせて、その手首を斬り裂くように剣を振るった。その鋭さは、気付いてからでは遅すぎるはずの一撃。だが、剣が振りぬかれたとき、何の手応えもなかった。
(なにっ!?)
 読みきった、と思ったパターンを、ノインは逆に読んではずしてきたのだ。そして、剣が振り抜かれて出来た空間に踏み込み、突きを繰り出してくる。
(これは……)
 既視感がより鮮明になる。
 シャナンは踏み出した方の足で地を蹴ると、後ろに後退しつつ突き込まれて来た剣を弾いた。
(そうだ、あの時は……)
 シャナンは、逆の足でさらに強く地面を蹴り、半ば後ろに飛んだ。そして、そのシャナンのいなくなった空間に、ノインがつんのめるように突っ込んできたのである。もし剣を弾いただけであれば、そのノインの体当たりを受け、重心が後ろに傾いていたシャナンは完全に押し倒され、短剣などで喉を切り裂かれてただろう。
 そう。
 あの、ただ一度敗れたあの時のように。
「ま、まさか……」
「ふふふ……やっと、気付いたの? シャナン……」
 パチン、という音がして、ノインのフルフェイスの止め金が外された。そしてノインは、ゆっくりとその兜を持ち上げる。顔の半ばまで見えたところで、パチ、と頭の後ろで音がしたのは、髪止めが取れた音だろう。その音に半瞬遅れて、鮮やかな長い黒髪が溢れ出した。
 そしてその髪が落ち着いた時、ガラン、という音がして、シャナンはそれがノインの兜が地に投げ出された音だと気付いた。だがシャナンは、ノインの顔を見ることが出来なかった。
「どうしたの……? 久しぶりの再会だというのに……」
「バ、バカな……そんな……」
 シャナンの視界がゆっくりと上に、ノインの顔が収まるように移動する。長い黒髪の、イザーク女性の顔。その顔は、シャナンにとっては見間違えようもないものだった。
「な、なぜ……」
 口の中が渇いていた。かつてシャナンは、これほどに動揺した自分を知らない。イザークに来たばかりの時、シグルドの死を知らされた時以上に、体が震えている。
「なぜお前が……お前が十二魔将の一人なんだ、フェイア!!!」
 その、晒されたノインの顔は、確かに六年前、シャナン達がティルナノグへ逃れるその最中に死んだはずの、フェイアだったのである。



第五十四話  第五十六話

目次へ戻る