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永き誓い・エピローグ




「フィオ!! フィオはどこにいる?」
 晴れ渡ったイザーク王宮の一角で、壮年の男性の声が響き渡った。
 よく見れば、その男性が王家にしか許されない紋章をあしらった服を纏っていること、そして、国王にしか許されない略式の冠を戴いていることに気付くだろう。
 声を張り上げているのは、無論、イザーク王シャナンであった。バルコニーに乗り出して、大声で呼びかけている。
 他国の大使などがいたら、やはりイザークは宮廷の礼儀などなっていない国だ、と思われても仕方ないかもしれない。王が声を張り上げて人を呼ぶなど、いくら王の住まいである奥殿でも普通あることではない。
「フィオならいないですよ。なんか、川に遊びに行くとかなんとか」
 王の言葉に答えたのは、イザークでは珍しい、鮮やかな金色の髪の女性。深紫色のドレスを着こなしていて、見た目は見事な淑女だが、見た目に騙されると大変な目に遭う、とすでに有名になってしまっている、イザーク王妃パティである。
「またか。今日はグランベルから客が来る、と伝えてあったというのに……フェイアはどうした?」
「お父様〜、私はここです〜」
 突然頭上から響いた声に、シャナンは驚いて顔を上げた。すると、どうやって登ったのか、バルコニーまで張り出している木の枝の上に、小さな黒髪の女の子がちょこんと座っている。
「フェイア……また、下りられなくなったな?」
 フェイア、と呼ばれた少女はいたずらが見つかった子供そのままに、ぺろ、と舌を出した。
 その仕草は、ある種人の正常な判断を狂わせかねないほどに可愛らしい。
 フェイアは今年で四歳。イザーク王シャナンと、王妃パティの長女である。黙っていれば大変な美少女で、この先がこの上なく楽しみなのだが、同時にこの年齢で木登りはする、剣は持ちたがる、馬に乗りたがる――結局ポニーを与えたのだが――と大変なお転婆娘でもあった。
 シャナンとしては、今から将来が思いやられるが、いかんせんこの王妃の娘である。言うだけ無駄、と最初から諦めていた。それに実は、幼い頃の自分もあまり人のことは言えない。数少ない、シャナンが王妃にすら黙っている事実である。
「お父様、下ろしてください♪」
 しばらく呆れていたシャナンは、手を伸ばすとフェイアを抱きとめ、バルコニーに下ろした。
「まったく。下りられなくなるのなら、登らなければ良かろう」
「だって木の上の方が気持ちが良くて」
 一瞬、シャナンはパティに目を向けたが、パティは視線を逸らして何も言わなかった。どうやら、経験があることのようだ。ちなみに実はシャナンにもある。
「まあいい。今日はグランベルから客人がくるからな。一応、ちゃんとした格好をしておきなさい」
「一応、でいいんですか?」
 パティが分かっていて聞く。
「まあ、一応だ」
「ユリア様も一緒と聞きましたけど?」
「ああ。その様子だと、用向きも聞いているようだな」
 パティは黙って頷いた。
「よくよく、バーハラ王家とイザークは、関係があるみたいですね」
 その言葉に、シャナンは苦笑する。
「まったくだ」
 かつてこの地で、セリスは旗揚げをした。
 そして、本来バーハラの象徴であるはずの、光の神魔法ナーガを使うユリアも、グラン暦七八〇年の冬に、イザークに嫁いで来ている。
 もっとも、この結婚については相当抵抗があった。しかし、幸か不幸か、イザーク王国が――解放されたのが早かったことや元々暗黒教団の影響が少なく、あまり疲弊していなかったこともあり――急速に国力を回復し、グランベルの旧貴族らには脅威に映ったのを、セリスは利用したのだ。
 つまり『イザーク王国と誼を結んでおくことは、今後グランベル王国としても非常に利があることだ』としたのである。
 当時、すでにパティがイザーク王家に嫁いで来ていたが、パティは復興したばかりのヴェルダン王国の王女であり、いくらウルの血を引いている、といってもグランベル王国とは関係ない。そこで、バーハラ王家の王女であるユリアが、イザーク王国最大の貴族であるソファラ公スカサハの元に嫁いできた、というわけだ。それならば他の有力貴族の娘を、と主張した貴族は少なくなかったが、セリスが無理矢理押し切った。
 ただこの結婚は、もしナーガの継承者が生まれた時は、男子であればバーハラ家との養子縁組を行い、女子であれば必ずバーハラ家へ嫁ぐべし、という取り決めつきであった。しかし、それはすでに杞憂に終わっている。
 ユリアがソファラに嫁いだその翌年、グランベル王セリスと王妃ラナの間に生まれた第一子セリオが、ナーガの聖痕をもって生まれてきたからである。
 グランベルの貴族の喜びようは、それはもう大変なものだったらしい。
 しかし、今年六歳になったばかりのそのセリオが、このたびイザークに来る。理由を聞かされたシャナンは顔を顰め、それから責任重大だな、と呟いたものだ。
「自分では制御しきれぬほどの力の持ち主……か」
 シャナンにも覚えがないわけではない。ただ、わずか六歳の子で、剣であれ魔法であれ、それほどの力があるというのはすぐには考えにくい。しかも、その力を認識する過程で、彼は自分の肉親すら殺しかけている。
「大丈夫ですよ、きっと」
「ずいぶん簡単に言うな、パティ」
 ええ、とパティは頷く。
「イザークは、セリス様やシャナン様が育った場所ですし」
「そうだな」
 イザークに潜み続けていた期間は、決して短くはない。今でも、鮮明に覚えている。
 生活は楽ではなかったが、決して辛い思い出ばかりではなかった。
「ま、なるようになるだろう……が、その前に、肝心のフィオはどうした?」
「……さあ……?」
「シャナン様っ、セリオ王子来てませんか!?」
 パティが答えるのと、息を切らして、紫銀の髪の女性が駆け込んでくるのは、ほぼ同時だった。

「あ……れ……?」
 イザークの街は、少し離れるとあっという間に自然豊かな地形になる。
 これがグランベルだと、どこまでも穀倉地帯が続き、少し歩けば民家が見えるものなのだが、イザーク王国ではそうはいかない。イザークの主産業は牧畜と漁業、それに鉱物資源であり、イザークの街の周辺は放牧が行われる場所ではあるが、夏の終わりであるこの季節では、遊牧業の人々はもっと北のほうにいるため、この辺りは見事に無人である。
 そんな場所に、少年が一人でいるだけでも十分妙ではあるが、それが青い髪に深紫の瞳の少年、となると珍しいどころではない。
 少年は、まず自分のいる場所を確認した。
 遠く、高台の上に白く光るものが見える。多分あれは、城の尖塔だろう。とすると、イザーク城だろうか。
 自分が立っているのは、森と平原の境らしい。近くに、小川があるのも見える。
 確か、叔母と一緒に転移の術で来たはずだ。そして、イザーク王宮に着くはずだった。にもかかわらず、気付いたらこの森の入り口に一人である。
「ユリア叔母さん……?」
 さすがに心細くなって、一緒にいたはずの叔母の名を呼ぶ。だが、答えるものはいない。
「お、叔母さん〜!!」
「うわあっ!!」
 突然近くで聞こえた声に、少年はびっくりして振り返った。そしてその時初めて、自分のすぐ近くに人が寝ていることに気がついた。
「いきなりでっかい声だすなよ……って、お前、誰?」
 起き上がってきたのは、自分とそう年齢の変わらない少年だった。真っ黒の髪と同じく黒い瞳が、彼がイザーク人であることを如実に物語っている。
「えっと……」
「その髪の色だと、イザークの人間じゃないよね。グランベル?」
「う、うん……」
「ま、いいか。俺はフィオ。お前は?」
 いきなりフィオ、と名乗って差し出された少年の手に、彼は一瞬引いてしまう。
「こんなところで会ったのも、何かの縁だし」
 そういうと、勝手に手をつかんで、握手してしまった。
「で、名前は?」
「あ……ぼくは、セリオ……」
「ふ〜ん。じゃ、これからよろしくな、セリオ」
「う、うん。よろしく、フィオ……」

 それが、後に『光皇』と謳われるようになるグランベル王子セリオと、父同様『剣聖』の二つ名で呼ばれるようになるイザーク王子フィオの、出会いであった。
 後に二人は、無二の親友となり、数多くの逸話の残すことになるのだが、それはまだ先の話である。
 ただ、時代は確実に、次の世代へと移り変わりつつあった。



第六十話  後書き

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