英雄再び 第二幕



「う〜ん、良い気持ち」

 ナナミは大きく伸びをすると、ごろ、と横になった。陽が傾き始めているといって

も、まだ十分暖かい。それに、地面はまだ太陽の温もりを宿しているので、ぽかぽか

と気持ちが良いのだ。昼寝ならぬ夕寝には絶好の環境である。

「ナナミ、寝るなら宿行かないと、今はいいけどすぐに冷えるよ」

 義弟が心配して声をかけるが、義姉の方にあまり聞く気はなく、そのまま目を閉じ

ようとする。

 シュキも諦めて横になろうとした途端、いきなりナナミが起き上がり、二人はした

たかにお互いの頭に自分の頭を打ち付けてしまった。

「いたたた・・・どうしたの?」

「あれ?シュキ、いるよね。じゃああの子は?」

 ナナミが指差した先には、シュキと同じような赤い服を着て、黄色いスカーフをつ

けた少年がいた。ただ、シュキよりずっと年下だ。せいぜい十歳くらいだろう。

「ぼくそっくりの格好だね」

「面白そう、行ってみよ!」

 ナナミは言うが早いかさっさと立ち上がって少年の下へ走り出した。慌ててシュキ

も続く。よく考えてみたら別にシュキがナナミについていく必要はないのだが、幼い

頃からそうしてきたゆえの反射的行動である。ちなみに大抵はナナミの暴走の後始末

を、シュキとジョウイがする羽目になっていた。

「ね、ぼく、その格好、誰かを真似ているの?」

 ナナミはやや前かがみになって少年と目線の高さを合わせて訊ねた。

「シュキ将軍だよ!デュナン軍のね。あのルカ・ブライトを倒したって英雄だよ!!」

 なるほど。確かに服はシュキのものとほぼ同じだ。

「どうしたの、これ?」

「お母さんに作ってもらったんだ。かっこいいでしょ!!」

 少年は誇らしげに胸を張る。それから、シュキが自分とほぼ同じ格好をしているの

に気が付いたらしい。しげしげとシュキを見つめている。

「あれ、お兄ちゃんもシュキ将軍の格好してるね。お兄ちゃんもシュキ将軍に憧れて

いるの?」

「え・・・。う、うん」

 一瞬どう答えたらいいか分からなくて、シュキはひどく間の抜けた対応をしてしま

った。横でナナミが必死に笑いをこらえている。しかし直後の少年の言葉は、二人を

驚かせるに十分なものだった。

「ね、ね。シュキ将軍にあってみたい?」

 会うも何も、デュナン軍のリーダー・シュキは今ここにいる。彼以外にシュキとい

う名の十五、六歳の少年がいないと言う保証はないが、少なくとも、今ハイランド王

国と戦うデュナン軍のリーダーであるシュキは、ここにいる一人しかいないはずだ。

「あのね、少し前にうちの宿屋に泊まっている人なんだけどさ。『レイ』って名乗っ

ているけど、雰囲気が他の人と違うもの。多分あの人がシュキ将軍だよ」

 シュキとナナミは顔を見合わせた。少なくともこの少年のいう人物が『シュキ将軍』

である可能性はない。だとすればただの旅人だろうか。どちらにしても、少し興味を

覚えなくはない。

「その人、どこにいるの?」

 ナナミは早速持ち前の好奇心がうずきだしたらしい。

「えっとね。裏の方でいつも釣りしてる。あ、でも会えないよ。いっつも金髪のお兄

さんがいて、会わせてくれないだ。だからきっと、あの人がシュキ将軍だよ」

 少し変わった雰囲気をもった、しかもお忍びのような行動をとる人物。そういう人

がいると、英雄に憧れる少年ならば、あるいはそう思いたくもなるのかもしれない。

 シュキはふと、幼い頃に寝物語でゲンカクじいちゃんに聞かせてもらった多くの英

雄たちの物語に心躍らせたことを思い出した。

「ね、お兄ちゃんたち、シュキ将軍に会ってみたい?」

 二人は顔を見合わせた。正直、シュキも興味を覚えなくはない。二人はどちらとも

なしに頷いていた。

「じゃあさ、ちょっと待っててよ。その金髪のお兄さんが通してくれないだろうから、

ぼくが山の方まで行って、裏手側から大声で助け呼ぶようにするから。そしたらきっ

と、お兄さんどいてくれるし。その後ぼく、家に、あ、宿なんだけどね、そこに帰っ

てるから」

 言うが早いか、少年は走り出した。

「じゃ、行ってみよ、そこ。確か宿屋の裏手、だよね?」

 ナナミはナナミで、その少年の言う『シュキ』がどんな人物か見てみたい、という

気持ちが先走っているのか、すぐ走り出した。それでもしっかりシュキの手を引っ張

っている。

 言われた宿屋の裏手の道は、木がトンネルのように張り出していた。その道を登っ

ていくと、先の方に少し開けたような場所が見えてきた。その入り口に人影が見える。

なるほど。あれが少年の話していた『金髪のお兄さん』なのだろう。確かに鮮やかな

金髪の男性だ。頬に傷があるのは戦傷だろうか。少年は『お兄さん』と言っていたが、

なるほど。年齢の分かりにくい容貌の持ち主である。

「あ、あのすみません。ここ通るの、しばらく待ってもらえませんか?いえ、本当に

後少しだけ・・・」

 その男性はシュキ達を見ると柔らかな物腰で、しかし妥協しない、という強い意志

を感じさせる瞳でシュキ達を呼び止めた。だがその時。

「助けてーーーー!!お兄さんーーーー!!」

 まるでタイミングを計ったように先ほどの少年の声が響いた。目の前の男性はひど

く驚いて周囲を見回している。

「い、今の声は確か宿屋の息子さんの・・・」

 そして脇に置いてあった斧を取って走り出した。

「ちょっと、悪いことしちゃったね」

「うん・・・」

 それよりもシュキは、その『レイ』と名乗っている人物になぜか強く会いたい、と

感じていた。それがいったいどこから来る欲求なのかは分からない。ただ、何か自分

の中の何かが騒ぎ出している、そんな感じがしたのだ。

 木のトンネルを抜けた場所は、やはり下から見えたように少し広くなっていて、川

が流れている。その川縁で 釣り糸を垂れている人物が、多分少年の言っていた『シ

ュキ将軍』だろう。

「誰?」

 その人物は振り返りもせずに問い掛けてきた。別に足音を忍ばせていたつもりはな

いが、全くこっちを振り向かずに話し掛けてきたので、驚いて立ち止まってしまう。

「あなたは一体・・・」

「それはぼくが聞きたい。わざわざこんなところまで、どうしたんだい?」

 決して大きな声ではないのに、よく聞こえる澄んだ声。

 それから彼は振り返った。年齢は自分よりやや上だろうが、それほどかわらないよ

うに見える。ジョウイと同じくらいだろうか。深い緑色の布を頭に巻いているが、別

に髪が長いというわけではなさそうだ。

 なるほど。シュキと同じ赤色の服を着ているので、よく知らなければあるいはシュ

キだと思うのかもしれない。

「いえ、ぼくはその・・・」

 シュキがどう言おうか、と逡巡し始めたとき、いきなり先ほどの男性がものすごい

剣幕で戻ってきた。

「ぼ、坊ちゃん、大変です。宿屋のコウ君が!!」

 宿屋の子、ということは先ほどの少年のことだろうか。だとすればあれはただの芝

居で、別に大騒ぎするようなことではないはずだ。しかし、この剣幕は冗談とは思え

なかった。

 

「なんてことだ・・・あれほど山に入るな、と言ってあったのに・・・」

 宿の主人が肩を落とす。

 宿屋の息子である少年コウが、山賊にさらわれてしまったのである。最初、シュキ

達はそれがコウのしかけた芝居かと思ったのだが、どうやら事実らしい。金髪の男性

――グレミオという名前らしい――が目撃したというのだ。

 芝居の予定が本当に山賊が出てきてしまった、というのが実際のところなのだろう。

運が悪いといえばそれまでだが、その責任の一端は自分達にある。

「あの・・・」

「助けに行きましょう、坊ちゃん!」

 自分達が行きます、といいかけたところでいきなりグレミオが叫んだ。その声でシ

ュキの控えめな声は掻き消えてしまう。

「人をさらうなど許せるものではありません。なんとしても、コウ君を助けなければ」

 しかし、言われた方はあまり乗り気ではないのか、それとも単に表情の変化が少な

いだけなのか「うん・・・」と小さな声で呟いただけであった。「坊ちゃん」などと

呼ばれているということは、どこかの良家の子息か何かなのだろうか。そう見てみれ

ばそうも見えなくもない。

 しかし、奇妙な人物だ。何か強さを感じさせるように見えたと思ったら、今はひど

く脆弱にも見える。

「分かってる・・・でも・・・うっ」

 突然彼は右腕を抑えてうずくまった。手袋に包まれた右手から、かすかに光が漏れ

ている。シュキにはそれがなんだか、すぐにわかった。

 紋章の光。それも、普通の紋章ではない。自分の右腕に宿る力と同じ、真の紋章の

力だ。先ほど感じた胸騒ぎのような感覚は、これだったのだろう。

「大丈夫ですよ、坊ちゃん。ソウルイーターはテッド君と、そのおじいさんが守り通

してきた紋章でしょう。悪い紋章のはずがありません。まして、坊ちゃんが持ってい

るのですから」

 グレミオは、まるで彼を優しく包み込むように言う。その言葉で、彼は何かを決意

するように一度目を閉じた。

「・・・そうだね。行こう、グレミオ」

 彼はそう言うと立ち上がり、宿の人に「必ずコウ君を連れ戻します」と約束すると

出口のほうへ歩き出した。そのあとにグレミオが続く。

 そして、シュキの横を通り抜けるときに、ぽん、とその肩に手を置いてきた。

「君はまだ、失わない道を探せる。諦めるなよ」

 何を言われたのかを理解するのに一瞬の時間が必要だった。そのときには彼はもう

扉を出ようとしている。

「あ、あの。ぼくも行きます」

 考えるより先に口から言葉が出ていた。

「・・・すまない、助かるよ」

 そう言ったときの顔が、初めて年相応に見えた。

「うん、困った時はお互い様だもん。それに、それ、私達のせいでもあるし」

 シュキがやや後ろめたくて言えなかったことを、ナナミはあっさりと言ってしまっ

た。だけどグレミオという人は別に責めるような表情もせず、優しく微笑む。

「なんとなくね。タイミングが良すぎると思ったのですよ。まあ過ぎたことを言って

も仕方ないですから」

「すみません・・・」

「いえいえ。そんなことより、急ぎましょう」

 適当に武器と幾分かの食料などをとり出ようとしたところでナナミが「あ」と言っ

てシュキの方に振り返った。

「ビクトールさんとかに言っておかないと」

 その言葉に反応したのは、シュキではなかった。

「ビクトールさん?あの人、生きていらっしゃるのですか?」

 その言葉と同時に大柄の男が宿に入ってきた。ビクトールである。

「ふぅ。釣りってのも結構面白い・・・ってグレミオ?!・・・それにレイ!!」

 ビクトールが驚愕の表情のまま凍りついている。シュキとナナミはなんの事かわか

らず、顔を見合わせてしまった。

「どうした、ビクトール。でかい声出して・・・」

 そういって入ってきたフリックだが、その直後に先ほどのビクトールに負けないく

らい大きな声を出す。

「ビクトールさん、フリックさん。なんでこんなところに・・・あ、カスミさんまで」

 ビクトールの大きな体の影に隠れていたのは今回のロッカクの里への道の案内役で

あるカスミである。そのカスミは、二人のように大声は出さなかったものの、二人以

上に驚き、そして泣きそうな表情になっていた。その視線はグレミオではなくもう一

人を見ている。

「レ・・・レイさま・・・。まさか、こんなところで会えるなんて・・・」

「レイ・・・さま・・・って、まさか、トランの英雄のレイ・マクドール?!」

 ナナミの声が、宿に響いた。



第一幕  第三幕

戻る