英雄再び 第三幕



 各自、それぞれ話すことはあるのだろうけど、とりあえず今は少年コウを助けるの

が急務、ということでシュキ達にレイ、グレミオを加えた一行は暮れかかる山道を急

いでいた。グレミオの話によれば、山賊たちはコウを捕まえるとそのまま山奥に入っ

ていったという。この山は人が通れるような道はほぼ一つしかないため、それを辿れ

ばいいわけである。

 道中、ビクトール達の説明によって『坊ちゃん』と呼ばれていた人物の素性が明ら

かになった。

 彼の名はレイ・マクドール。三年前に南のトラン共和国が建国された時、その前に

あった戦い『門の紋章戦争』において、解放軍のリーダーを務めた弱冠十六歳の少年。

それが彼であった。

 しかし彼は、赤月帝国を滅ぼしたあと、その祝勝パーティーの席から姿を消したと

いう。本来であれば、彼がトラン共和国の大統領となるべき人物であったのだ。以前

トランを訪れたとき、レパント大統領が言っていた『本来大統領たる人物』とは彼の

ことだったのである。

 しかしその後、レイの行方は知れず、已む無くレパントがその職に就いたのだ。ビ

クトールやフリックはもちろん、カスミが驚くのは無理もない。それに、カスミはレ

イには尊敬する以上の感情を持っている気がする、とはナナミの言である。

 ただ一人、ルックだけはレイを見ても全く驚きもせず「久しぶり・・・。変わって

ないね」と言っただけであった。

「じゃあずっと二人で旅していたわけか」

 ビクトールの言葉に、グレミオが頷いた。レイは無言で歩きつづけている。

「・・・まあなんで国を出たとか野暮なことは聞かねえよ。けど、トランじゃみんな

心配したいたぜ?」

「・・・・・」

 不思議な人だ、とシュキは思った。

 どこがどう、と具体的にいえるわけではない。けど、なんとなくそう思った。

 年齢は自分とそう変わらないように思える。ただ、持っている雰囲気が違う。どこ

がどう、というわけではないが、そんな気がした。考えてみたら、カスミと同じ年の

はずで、自分よりも結構年上だ。真の紋章を持っている場合、年をとらない、と聞い

たことがあるから、その影響なのだろうか。

 そんなことを考えているうちに、あっという間に日が暮れてしまった。だが、ここ

で立ち止まっているわけにもいかない。こうしている間にも、山賊たちはコウをどこ

かへ連れて行こうとしているのだ。

 陽が落ちてどのくらい経ったのだろうか。木々の向こう側に炎の明かりが見えた。

この山道に分け入る者は、そう多くはない。まして、普通は怪物が棲息するこの道で

夜を迎えることを避けるために、一日で越えるように旅するのが普通だ。

「あれ・・・だな」

 見える人数は八人。グレミオは、よく顔は覚えていないけど確かああいう格好をし

た連中だった、と言い切った。ただ、コウの姿が見えない。

「まさか、もうどこかへ?」

「いくらなんでもそれはないだろう。どこかに縛っているんじゃないか?」

「どっちにしても、行きましょう!」

 フリックとビクトールの会話を遮るようにグレミオが歩き出した。慌てて二人も続

く。レイはすでに歩き出している。

 別に足音を殺すようなこともしなかったので、山賊と思しき三人は近づいてくる一

行にすぐ気がついた。

「あ?なんだ手前ら。俺達になんかようか?」

 首領らしき大柄の男が一行を睨んだ。体の大きさに見合う巨大な戦斧を持っている。

「コウ君を返してもらいます」

 グレミオが臆することなく言い切った。

 山賊たちはしばらく顔を見合わせた後、突然げらげらと下品な声で笑い出した。

「コウ?ああ、あのガキか。け、ガキと優男に用心棒一人で、俺達にケンカ売るつも

りか?やめとけやめとけ。死にたくなけりゃあなあ」

 確かにフリックとグレミオは傍目には優男にも見える。ナナミ、シュキ、ルック、

レイは明らかに子供だ。ビクトールだけはさすがに戦士に見えたのだろう。だが、そ

の後にも笑った山賊は、その首領だけだった。

「ん?どうした。お前らも笑えよ」

 首領は怪訝そうに自分の手下を見回した。その手下達は、そろって恐怖に凍りつい

た表情をしている。

「か、かしらぁ・・・。俺、こいつ知ってる・・・」

「お、俺もこっちのヤツ・・・」

「あ?こいつら有名人なのか?ったって所詮ガキだろうが」

 その言葉に手下達はまるで壊れた人形のようにぶるぶると首を振った。

「た、たしかこいつ、あのデュナン軍のリーダーシュキ・・・。あの、ルカ・ブライ

トを倒した・・・」

「なにぃ?!」

 ルカ・ブライトの豪勇の噂はこの地にも轟いている。そして、そのルカ・ブライト

を倒したデュナン軍のリーダーシュキのことも。

「そ、そうなのか?お、俺こっちのやつ見たことあるぞ・・・。確か、三年前に赤月

帝国を滅ぼした解放軍のリーダー・・・」

 そのときには首領も完全に凍り付いていた。手下は、というともう石化してしまっ

ている。

 その恐怖に駄目押しをするように、シュキが一歩前に踏み出した。

「ひ、ひぃぃぃぃぃ!!」

 直後、手下達はまるでくものこを散らすように四散して逃げ出した。後には腰を抜

かしてしまっている首領だけが残っている。

「さて、私達が何者か分かったところで、コウ君を返していただけますね?」

 グレミオがにっこりと笑って問い掛けるが、この場合それはむしろ逆効果だろう。

もっともそれでもちゃんとコウを返してくれれば問題はない。

「あ、あのガキはいねえ。こ、この先に化け物がいて、逃げ出した時に置いて・・・」

「なんだとお!!」

 ビクトールが首領の胸倉を掴んで持ち上げた。その拍子に首が絞まってしまってい

るのか、彼は苦しそうにじたばたともがいている。

「ビクトールさん、こんなことしている場合じゃないですよ!!早く助けに行かない

と!!」

 グレミオの言葉に、ビクトールははっとなって男を放した。男はげほげほと言いな

がらも這うように森の中に逃げていく。真夜中の森の中がどれほど危険なのかは分か

ったものではないが、ビクトール達がそこまで気を回してやる義理もない。

「急ぐぞ、ビクトール!」

 フリックが走り出した。それにグレミオ、ナナミ、シュキ、レイと続く。珍しくル

ックも走っている。

「とと、おい、待てよ!」

 慌ててビクトールも後を追いかけた。

 真夜中の山道とはいえ、月明かりもあるので転ぶようなことはない。

 どのくらい走っただろうか。一行は、周りの空気が変わったことに気が付いた。

「いる・・・な」

「あ、あれを!!」

 グレミオが指差した先に、一人の少年が倒れていた。慌てて全員が駆け寄る。

「コウ君、大丈夫ですか、コウ君!!」

 グレミオがコウを抱きかかえるが、彼は苦しそうにうめき声を上げるだけである。

「これは一体・・・」

「グレミオ、下がっていろ。何かが、いる」

 ビクトールは油断なく星辰剣を抜き放った。夜の紋章の化身が、淡い光を放つ。

「確かに・・・上か!!」

 同時に全員が四散した。グレミオとコウは、レイが引っ張っている。直後、何かが

上から、大きな羽音とともに降ってきた。半瞬遅れてしまったフリックが、その巨大

な影に包まれたかと思うと、突然目の前から消える。

「フリック?!」

「うわあああああ!!」

 ドン、という大きな音とともにフリックは上空から降ってきた。激しく全身を地面

にたたきつけられ、激痛で動けないでいる。

「こ、こいつは・・・」

 その時全員が、怪物の正体を見た。巨大な、蛾のような怪物の姿を。月明かりの中

ですら、禍々しさを感じさせる不気味な色合い。フリックはこいつにつかまれ、上空

から叩き落されたのだろう。

「グレミオ、コウを連れて下がって」

 レイはグレミオに向かって叫ぶと、棍を構えなおした。一瞬風を切る音が音楽的に

聞こえるほどに無駄のない構えだ。一瞬シュキはそれに見とれてしまうが、すぐ目の

前の怪物に意識を集中する。

 怪物は、その自重ゆえか、あまり動きは早くない。攻撃するために降りてくるとこ

ろを狙えばたいした事はないだろう。

「風よ。我が声に応え、その身を刃と成して我が敵を切り裂け!!」

 先制攻撃、とばかりにルックが風の刃を放った。風の刃の折り重なった竜巻が巨大

蛾を襲う。だが、魔法にも強い耐性があるのか、さすがにこれだけで落ちることはな

かった。

 直後、巨大蛾は奇怪な唸り声とともに、羽を大きく羽ばたかせた。そこから金色の

何かが降ってくる。

「これは・・・?」

 金色のそれは一行を全員――離れたところに逃げていたグレミオとコウ以外――に

降り注ぐ。特に斬りかかろうとしていたビクトールとフリック、それにルックはまと

もにそれを浴びてしまった。

「し、しまった。毒か・・・」

「しくじったぜ・・・」

「くっ、このぼくがこんなヤツに・・・」

 三人は辛そうにうずくまっている。

 レイとシュキも少なからず浴びてしまい、胸が焼けるような痛みに苦しんでいた。

カスミだけは、その天性の速さでまともに吸い込むのを避けたようだが、そこに、巨

大蛾の攻撃が襲い掛かってきた。

「きゃあ!!」

 つかまれるのはかろうじて避けたものの、その巨大な足で弾かれたカスミは、激し

く木に激突し、そのままずり落ちた。

「ぼ、坊ちゃん、逃げましょう、とにかくここは!!」

 だが、空を飛ぶ巨大蛾からそうやすやすと逃げられるとは思えない。まして、今は

真夜中。逃げるために森に入ろうものなら、さらに危険な目に遭う可能性すらある。

「・・・ソウルイーターよ・・・」

 シュキは驚いて顔を上げた。その目の前で、レイは右手の手袋を外している。その

手の甲には、闇の紋章に似た、だがそれより遥かに強力な力を感じさせる紋章が輝い

ていた。

「ソウルイーターよ。今、汝の生と死の理に従い、かのものにそに相応しき裁きを与

えよ!!」

 刹那、その紋章の輝きが増す。圧倒的な光の中に、シュキは死神の姿を見たように

思えた。そしてその直後。自分の紋章から今までにないほど強力な力が感じられる。

その溢れ出さんばかりの力の導くまま、シュキは右腕を巨大蛾に向けて突き出した。

そこから、先ほどのレイの紋章に負けないほどの光が溢れる。

 白と黒の光が、巨大蛾を包み込み、その直後、巨大蛾は文字通り消滅していた。二

つの紋章の、圧倒的な力によって。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 レイはただ黙って右腕の紋章を見つめている。その表情は、今までシュキが見てき

たどんな表情より、複雑に思えた。悲しみや寂しさなどいくつもの感情が折り重なっ

ているような表情だ。

「坊ちゃん・・・」

「もう、使わないつもりだったのに」

「だから言ったでしょう?それは、テッド君とおじいさんが、命を賭けて守り通し、

坊ちゃんに託されたのですから。だから、悪い紋章のはずはないですよ。坊ちゃんが

使ってる限り、大丈夫です。このグレミオが保証しますよ」

 そんな保証なんて、とシュキは思ったが、レイの表情はそれだけで和らいでいた。

この二人には、余人の入り込めない、何かがある。そんが気がする。

「それより、コウ君は!」

 グレミオが慌ててコウの容態を見る。だが、その表情は険しい。

「あの毒をまともに吸ってしまったみたいですね・・・。我々なら体力もあるから大

丈夫ですが、この子では・・・」

 コウの顔色はひどく悪く、また呼吸も安定していない。

「それは・・・やばくないか?」

 もう回復したのか、ビクトールがコウを覗き込んでいる。確かに、素人目から見て

もコウの容態はかなり危険な状態だと思える。

「こんなところではお医者様もいないし、バナーの村には医者はいないし・・・」

「グレミオ。動かないで」

 レイはそう言うと右手をかざし、ソウルイーターを輝かせた。

「レイ、何をするんだ?!」

 ビクトールが驚いてレイを止めようとするが、それはカスミに止められた。

「レイ様には、何かお考えがあるのです。だから・・・」

「ソウルイーターよ。かのものに一時の安息を与えよ。我が命あるまで、その命を預

かれ・・・」

 ふわり、と。まるでそんな音でも聞こえそうなほど柔らかな光が、ソウルイーター

に吸い込まれた。そして、その光の意味するところを、ビクトールとフリックは良く

知っていた。

「お、おい、レイ!!」

「大丈夫。まだ。グレミオ。これで悪化することはないから、今のうちにグレッグミ

ンスターのリュウカン先生に・・・」

 その言葉で、グレミオの顔がぱっと明るくなる。

「そうか、リュウカン先生なら確実ですね。あ、それでこんなことを?」

 レイは無言で頷いた。

 どう見てもコウは医者がいる街まで行くまで持つようには見えない。だから、レイ

は一時的に仮死状態にしたのだ。ここから行くのであれば、トランの国境まで行って

そこから国境警備隊の馬車で送ってもらうのが一番早いのだ。

「・・・なるほどね。生と死を司る紋章、ソウルイーターならではだ。使いこなせる

ようになったのかい?」

「・・・・・・」

 レイはそれには答えずに歩き出した。その後ろでルックは肩を竦めて見せる。

「妙な形でグレッグミンスターに行くことになったなあ・・・」

 フリックが誰に言うでもなくぼやいた。本当は、ロッカクの里に向かう予定だった

のに。もっともこれはこれで、フリックとビクトールにとっても三年ぶりのグレッグ

ミンスターである。それなりに楽しみではある。

「とにかく、急ぎましょう。コウ君だって、いつまでもこの状態ってわけにも行きま

せんから」



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