英雄再び 第五幕


 コンコン。

 扉が叩かれる音でシュキは目を覚ました。そのときに初めて眠ってしまったことに

気付く。

「どうぞ。ナナミ?」

 料理を教えてもらうのに飽きて、戻ってきたのかと思ったが、違った。入ってきた

のは、この家の主である。

「少し、いいかな」

「は、はい」

 シュキは慌てて起き上がって椅子をすすめる。レイはそれに座ると、緊張しまくっ

ているシュキを見てクスリと笑った。

「そう固くならなくてもいいよ。君だって、一軍を指揮する将軍だろう?」

 そういわれても、相手は建国の英雄だし、自分もかつて幾度となくその英雄歎を聞

いている。いわば、憧れだったのだ。それと自分が対等など、そう思えるものでもな

い。

「聞きたいことがあったんだ。君はなぜ、軍主という立場を引き受けたのかと思って

ね。聞けば、親友と戦うことになっているそうじゃないか」

 涼しい顔をして、非常に痛いところをついてくる。シュキはしばらく押し黙ってい

た。今まで漠然と考えていたことではあるけど、いきなりこう質問されると答えはす

ぐ出せない。

 そのとき、廊下からグレミオの声が聞こえてきた。

「みなさーん、お食事の用意が出来ましたよー」

「おや。とりあえず食事にしよう。別に今、答えを求めたわけじゃないからね」

 レイはそう言うと立ち上がり、部屋の外に出て行く。シュキはしばらく考えていた

が、開いた扉からにおって来た匂いに、とりあえず自分の食欲を満足させることを先

に選んだ。

 

「う〜ん、本当に美味しかったね、グレミオさんのシチュー」

「うん」

 ナナミが大きく伸びをするのにつられて、シュキも伸びをした。夜の涼気が心地よ

い。

「あ、グレミオさんにシチューの作り方のコツ、教えてもらったから今度シュキに作

ってあげるね」

「・・・・」

 無言なのはとりあえず余計な反応を示すと義姉の怒りが炸裂するからである。ふと、

少し前にハイ・ヨーにスープの作り方を教わった、といってシュキやシュウに振舞っ

た時のことを思い出した。あの後、シュウは二日ほど寝込んでいたはずだが自分は平

気だった。あの時ほど馴れとは怖いものだと感じたことはない。

「こら、シュキ。何か言いたい事があるならお姉ちゃんに言いなさい!!」

 いきなりナナミが掴みかかったきた。

「わ、わ、なんでもないよ、ナナミ」

 

 その二人の様子は、月明かりに照らされて屋内からもよく見えていた。

「仲のいい姉弟だよな、あの二人は」

「ああ。実際ナナミのおかげで、精神的に救われたヤツだってかなりいる。あいつら

には、この戦い、最後まで勝ち残って欲しいよな」

 フリックとビクトールが杯を傾けた。その空になったグラスに、クレオが新たな酒

を注ぐ。

「あなた達も生きているなら一度くらい帰って来ればよかったのに。フリックだって、

ビクトールが物忘れがひどいことくらい分かっているでしょうに。ビクトール任せに

したあなたにも、原因はあるわよ」

「う・・・」

 フリックとしてはぐうの音も出ない。

「それにフリック、いつになったら戦士の村に帰るんだ?この間寄って、生きている

らしいって教えたら『いつ帰ってくるんだ』って聞いてくれって頼まれてよ」

「あ、いや・・・」

 パーンの言葉に、フリックは目に見えて小さくなる。戦士の村の掟『成人の儀式』

はフリックはまだ終わっていないのだ。正確には、本人が終えればいつでも終わるも

のなのだが、彼はまだ終わっていないと思っている。だから故郷にも帰れない。

「うん、まあそのうち、そのうちな。そう、言っておいてくれ。そ、それよりグレミ

オやレイはどうした?」

 フリックはやや不都合になった話題を無理矢理変えた。

「グレミオは後片付け。レイは部屋にいる。ルックもな」

「カスミは?」

「野暮なこと聞くなよ」

「・・・ああ、そうか。でも、どうなるんだろうな」

 三年ぶりにあったレイは、雰囲気はともかく外見は三年前と全く変わっていなかっ

た。ルック同様に。

 真の紋章を宿すものは、不老不死であるという。実際に見るまで信じられなかった

が、全く変わっていないレイやルックを見ると納得せざるを得なくなる。それに、確

かにかつて『過去の洞窟』で会ったウィンディやテッドは自分達が知っている彼らと、

何ら変わりなかったのだ。

「・・・どうなるんだろうな、あいつも」

 ビクトールはフリックの呟きに答えずに一気に酒を煽った。

 

 三年ぶりの自分の部屋のベッドに、レイは横になって休んでいた。

 屋敷を管理していたクレオがちゃんとかかさず手入れをしていてくれたのだろう。

三年間、使っていなかったとは思えないほど小奇麗に掃除されていた。ただ、もちろ

ん生活感はない。

 目を閉じれば、今でもかつての暮らしが思い出される。父がいて、クレオがいて、

パーンがいて、グレミオがいて。そしてテッドがいて。幸せだった日々。あの時はた

だ帝国を信じていればよかった。だが、もうあの日々が戻ることはない。赤月帝国は、

自分自身の手で滅ぼし、父とテッドの魂は、右腕の中にある紋章が喰らったのだから。

 ソウルイーター。所有者に近しい人の魂を喰らうという呪いの紋章。その本質は、

全ての生命の生と死を司る。上手く使えば、あるいは人を死の運命からすら解き放つ

ことが出来るのかもしれない。だが、この紋章は呪われた名の通り、魂を求める邪悪

な意思を秘めている。

 先ほど、コウの命を一時的に吸った時は、必死だったのだが、だが今思うとよく上

手くいったと思う。

 同じ理屈で、テッドや父、それに過去にソウルイーターに喰われた人々を解き放て

れば、と思うが多分無駄だろう。ソウルイーターが喰った魂をそうやすやすと解き放

つはずがない。

 どちらが主人なのか、時々疑わしくなる。

 そのとき、控えめに扉を叩く音が聞こえた。

「だれ?いいよ」

「レイ様・・・」

 入ってきたのはカスミだった。さすがに普段の忍び装束ではなく、普通の服を着て

いる。ある意味、レイにはこの方が珍しく見えた。

「ゆっくりお話も出来なくて・・・その・・・本当にお久しぶりです」

「・・・そうだね。カスミも元気そうだね」

「その、私は・・・」

 カスミが何を言いたいのか、レイにはなんとなく分かっていたし、それ自体は嬉し

く思わないわけではない。けど、それに応えることは、レイには出来ない。それが分

かっているから、レイはカスミの言葉をさえぎるように言葉を紡いだ。

「三年、か・・・。みんなは、どうしてる?」

「え・・・あ、はい。キルキスさんはエルフの村を再建しました。シルビナさんも一

緒です。クロミミさんもコボルトの村の村長になっています」

 かつて共に戦った仲間達の名前を聞いて、レイは少し微笑んだ。だが同時に、寂し

さも覚える。彼らは時を刻み、未来へと生きている。その、当たり前のことが羨まし

く思えた。

「あとは・・・ロッカクの里も再建されました。ハンゾウ様もお元気です・・・」

 そういえば確かシュキがロッカクの里に来るはずだった、と言っていたのを思い出

した。考えてみたら、彼にも随分寄り道をさせてしまっている。

「それから・・・私も背が少し伸びたし・・・」

 言ってしまってからカスミははっと口を抑えた。だが、そうしたところで発せられ

た言葉が消えるわけではない。

 目の前にいるトランの英雄は、三年前とまったく変わっていないのだ。カスミはか

つてルックが言っていたことを思い出していた。

『真の紋章を宿すものは、永久に年をとらないし老衰で死ぬこともない』と。

「・・・ご、ごめんなさい・・・」

 泣きそうになっているカスミを見るのは、レイにも辛くないわけではなかったが、

だがそれでも今は自分が何を言っても無駄だし、また何も出来ないことも分かってい

た。

「・・・本当・・・だったんですね。ルックさんの言っていた言葉。信じたく・・・

なかったけど・・・」

「もう遅い。カスミも休んだほうがいいよ。デュナン軍の将軍が、そう何日も出かけ

ているわけにもいかないだろう」

 カスミは涙を抑えるように顔を手で覆ってそのまま出て行った。

「おやすみなさい、レイ様・・・」

「うん。お休み」

 閉ざされた扉の向こうで、駆け足で立ち去っていく音が聞こえる。自分でも何か言

葉をかけられるといいのだけど、それが自分に出来ないことはよく分かっていたから。

だからレイはそのまま明かりを消し、ベッドの上で目を閉じた。

「テッド・・・。君がどれだけすごいか、改めて分かったような気がするよ」

 その呟きは、夜の闇に飲み込まれ、誰の耳にも届いていなかった。



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