永遠の夢2



 カゼルとレーナが起きた時、すでに空は明るくなっていた。ディンの話では、特に変わったことはなかったという。
「とにかくここがどこだか分からないと、どうしようもないからな」
 正直今は方角すら分からなかった。太陽が昇ってくれば、と思っていたのだが、今にも雨の降り出しそうなほど重い雲が垂れ込めていて、明るくなったといってもどこが光源なのかすら分からない。木の年輪で見ようと思ったのだが、切ってみてもほぼ均一の年輪だったのである。
 唯一の手がかりになるかもしれない少女は、まだ昏々と眠りつづけている。レーナに言わせればただ疲れているだけなので昼――時間の感覚もおかしくなっているが――には起きるのでは、ということだ。
 それまでは、というと彼らには出来ることもない。迂闊に森の中に入って迷うよりは、動かずにいる方が安全だ。
 仕方なく彼らは、持っていた保存用の干し肉などを食べて、少女が目覚めるのを待った。少女はずっとレーナの膝の上で眠っていたらしい。なので、レーナはそのままの格好で眠っていたのだが、それで熟睡できた、というのは種族の違いなのかどうなのか、ディンにもカゼルにも分からなかった。
 どれくらい時が過ぎたのか、昼頃、という時に少女がわずかに寝返りをうった後に伸びをして、それから目を開けた。昨日の混乱の中では見えなかったが、髪の色と同じ、まるで吸い込まれるような深い黒――というより闇――色の瞳である。ある種、神秘的ですらあった。
「おはよう。お名前、言える?」
 レーナが優しく問い掛ける。
「あ、え……」
 予想した反応ではあるが、少女はやはり戸惑っているようだ。前に何があったかは分からないが、いきなり知らない人間に囲まれていたら、この反応は当然だろう。
「え、えっと……」
「あ、私はレーナ。こっちの人はカゼル。あの人がディン。そうねえ。あなたを守るナイトかしら」
 ディンとカゼルが「おいおい」と言いたそうにしていたが、レーナはそれをあっさりと無視する。また、二人もこと子供の扱いに関してはレーナのほうがなれている――カゼルは昨夜の話でさらに納得したが――のは分かっていたので任せることにした。
「あ……。あたしはティア……」
 少女の声はか細く、近くにいるレーナがやっと聞き取れる程度である。
「そう。ティアちゃん。それで、ティアちゃんはなんでこんな深い森の中にいるの?」
「に……げなくちゃ……」
「え?」
 レーナが聞き返したのには答えず、ティアと名乗った少女はレーナの手を抜け出すと、そのまま走ろうとする。だが、まだ体が回復していないのか、すぐふらふらしてしまう。木の根に引っかかって転びそうになるのを、慌ててディンが支えた。
「おいおい。どうしたんだ。別に誰も君を追ってなんか……」
 言いかけたところでディンは周囲の空気が変わったことを敏感に感じ取った。その緊張が他の二人にも伝わり、表情が厳しくなる。ディンはゆっくりとティアをレーナの方に押しやると、自分は剣を抜いて油断なく構えた。魔力が宿っている古代王国時代の品で、かなり強力なものである。カゼルも魔法の発動体を兼ねた小剣を抜き放つ。
 チリチリ、と皮膚が何かを感じている。今まで何度も危険な目には遭ってきた。その感覚が、これまで戦ってきたどんな相手よりも手強い何かが近づいていることを教えてくれている。
 レーナはティアを庇うように強く抱き寄せて、そのまま剣の柄を掴んでいた。逆の手はいつでも精霊魔法を紡ぎだせるように空けている。その時。
 レーナの耳に、何か、重量感のあるものが木々をなぎ倒して近付いてくるような音が聞こえた。しかも、かなり速い。
 レーナが二人に警告しようとしたその時。
 それは、森の木々をなぎ倒すようにして現れた。
「な、なんだこいつは?!」
 それは、少なくともディン達が知る知識の中にはいないものだった。立体感を失わせそうなその体色は、まるでそこが闇につながっているかのように黒い。その闇の中に、まるで浮き上がるように紫色に光る双眸があった。外観は今が昼間だからこそ巨大な人型である、と分かるが、もし夜に出てこられでもしたら、視認するのすら難しかっただろう。
「万能なるマナよ。眩きところより来たれ。一条の光となりて、我が敵を撃ち払え!!」
 カゼルの言葉と同時に、彼の小剣の先端から、轟音と共に電光が走った。だが、まるで闇に吸い込まれるように消えてしまう。
「光の中に住まいし全てを見つめるものよ。その力、いま一所に集いて我が意に従え」
 立て続けにレーナが光の精霊を集めて、そのまま叩きつけた。しかし、それもやはり闇に消える。
「そ、そんなバカな」
「魔法が……効かない?」
「ならば!!」
 ディンが勢いよく剣を振りかざした。怪物は避けようとするが、ディンはその回避行動を読みきって確実に怪物の体を捉えた。
 だが。
「な……!!」
 手ごたえがあると思って締めた腕の力が空振りをした。ただ空間を力いっぱい凪いだだけだ。何の手応えもない。
「ど、どういうことだよ!」
 そう言っても答えは返ってこない。そこに、突然闇が分かれるようにしてそれぞれが鋭い先端を持って襲いかかって来た。
「うわ!」
 ディンは至近距離であったがかろうじてそれを避ける。カゼルも半ば後ろに転ぶようにして避けることができた。だが。
「きゃああああ!」
「レーナ!?」
 ディンとカゼルの声が、唱和し、二人が視線を向けた先に、レーナが倒れていた。ティアを庇おうとしたのだろう。脇腹が大きく切り裂かれている。致命傷ではないだろうが、放っておくと危険な状態なのは明らかだ。
「くそっ!」
 ディンが続けざまに斬りかかるが、幾度か当たったところで手応えはまるでない。素振りをしているようなものだ。そしてそこに、さらに闇の刃が襲い掛かる。ディンはかろうじて避けるが、今度はカゼルが避けきれなかった。腕にかすった程度だが、それでも血がにじんできている。
「ディン、後ろに飛びのけ!」
 カゼルの言葉にディンは反射的に地面を蹴って飛びのいた。そこに、カゼルの魔法が炸裂する。
 グオン、という音がすると、まるで何かに掴まれたようにその怪物は動きが鈍くなった。
「重力制御の魔法だ。少し前に遺跡で見つけたやつ。とにかく、今は逃げるぞ。勝ち目はない」
 動けないのなら、とディンは思ったがあれは見たところ効果が広範囲に及ぶもののようだ。近づいたら巻き込まれるのは必至だろう。それに、剣でも魔法でもヤツを倒せないことはもう分かったはずだ。
 戦の神マイリーの信徒でもあるディンにとって、逃げることは何にも勝る屈辱ではあったが、だが勇気と蛮勇が違うこともまた、よく分かっていた。
「あの子を頼む。俺はレーナを担いでいく」
 本当はこの場で手当てをしたかったのだが、魔法の効果というのは永続ではない。その間に、出来るだけ離れる必要がある。
 ディンはレーナの肩と足を持つと、抱え上げてそのまま走り出した。まだ生きてはいることは、苦しそうに洩らされるかすかな声で分かる。とりあえずそれだけでディンは安堵した。カゼルのほうを見ると、女の子を背負っている。昔から力は弱かったから、そうしないと抱えられないのだろう。とにかく今はここを離れるしかない。
 二人は、体力の続く限り、とにかく走りつづけた。

 どのくらい走ったか、カゼルが先に疲れて歩けなくなった。いつのまにか女の子は気を失っていたらしく、全体重をカゼルに預けてる。
 振り返ると、怪物が追ってくる気配はない。安堵のため息を洩らして、ディンはレーナを横たえた。まだ辛そうにしているが、幸い出血のわりに傷は深くないようだ。ディンは傷口に手をかざして、静かに祈りを捧げる。彼が信じる、戦の神マイリーに。
「偉大なる戦の神よ。この、戦いにおいて傷つき、倒れた者に今一度立ち上がる力を与えたまえ……」
 ディンの手がかすかな光に包まれ、そしてその光が傷ついたレーナの傷を照らしていく。やがて、少しずつ傷口が塞がっていった。
「う……」
「レーナ、大丈夫だったか」
 レーナはすぐ意識を取り戻し、上体を起こした。しばらく周囲を確認するように周りを見回している。
「とりあえず、逃げた。勝ち目がなかった。……あ、傷、まだ癒えてないな」
 ディンがやや落胆したように言いながら、もう一度治癒魔法をかけようとしたが、レーナはそれを止めた。
「私はもういいです。あとは自分で。それより、カゼルさんの方の傷を見てあげてください」
 言われて、カゼルも腕を怪我していたことを思い出した。診てみるとこっちは逆に出血のわりに傷は深い。これで女の子を背負って走ったのだから無茶な話だ。無論、あの時はそうするしかなかったのだが。
「大丈夫か?」
「……ちょっと辛いな。頼む」
 ディンは頷くと手をかざして祈りの言葉を呟く。先ほどのようにディンの手が光り、そしてカゼルの傷がゆっくりと塞がっていった。
「どうだ?」
 カゼルは腕をぶんぶん、と振り回してみる。
「うん。大丈夫だ」
「それにしてもあれはなんだったのでしょうか……?」
 いつのまにか、自分の治療を終えたレーナが女の子――確かティアと名乗った――を抱きかかえている。
 彼女の傷は、もう破れた服と周りについた血以外何も痕跡を残していない。確か精霊魔法には、高位の司祭が使うのと同等の強力な回復魔法があると聞いたことがあるから、多分それを使ったのだろう。
「分からない。俺が賢者の学院で色々教わったけど、あんな怪物は聞いたこともない」
「忘れているだけじゃないのか?」
「お前と一緒にするな」
 座ったまま毒舌に毒舌で報いると、カゼルは膝の上に肘をついて、考え込む。カゼルが昔から思索にふけるときの癖だ。
「……魔法も剣も効かない怪物、というのは確かにいるんだ。ファントム、と呼ばれているやつでいわゆる幽霊だ。ただこいつは物理的にはなにもすることができない。人にとり憑いて悪さ……というほど可愛げはないけどとにかく迷惑をかけるだけ。けど、あいつは違った。確かに俺達を攻撃してきた」
 そこでカゼルは言葉を切り、ディンの方に向き直った。
「ディン、あいつに斬りかかった時、どんな手応えだった?」
「手応えもなにもない。まるで素振りしてるみたいだった」
「……実体がないのか?でも確かにヤツは俺やレーナを傷つけた……」
 カゼルは再び押し黙ってしまう。ディンも考えてはみるが、無駄であった。
 考えても考えても答えは出ない。分からないことが多すぎる。
 突然飛ばされた森。
 正体の分からない怪物。
 それに女の子。
 そもそも、このティアと名乗った女の子の存在自体がよく分からない。
 近くに村でもあるのかと思ったが、どうも違う気がする。それに、なぜあんな小さな女の子が一人で森の中にいるかも不思議な話だ。とにかく、彼女が気が付いたら話を聞いてみるしかない。
「様子はどうだ?」
 そういってティアを見つめたが、彼女は目を覚ます様子はない。ただ、怪我をしている様子もないので、そのうち目覚めるだろう。
 森は不気味なほど静まり返っていて、先ほどの怪物がこの森のどこかにいるなど、到底思えない。時折聞こえてくる鳥の飛び立つ音が、はじめはあの怪物におびえて飛び立つ音かと思ったが、どうも雰囲気的には違うようだ。
 あれほど圧倒的な力を持ちながら、こちらをゆっくり追い詰めるつもりなのか。
 いずれにしても、分からないことだらけというのは一番怖い。
 まず第一に。
 ここは一体どこなのか。
 まるで親とはぐれて迷子になった子供と同じだ。地図がなければ、大人だろうが子供だろうが結局迷子になるというわけだ。半ば、自嘲めいた笑みまで浮かびかけた時、カゼルが立ち上がった。
「どうした?」
「試してみる。単独になるから、危険だと思ってやらなかったんだけど」
 カゼルはそう言うと小剣を握って静かに古代語を紡ぎ始める。
「万能なるマナよ。我が翼となり、我が意を受けて天を翔けよ。その力もて、我を遥かなる天空へと導け」
 直後。
 ふわり、とカゼルの体が浮かぶと、そのまま空中で静止した。
「いわゆる飛行呪文だ。もし周りにヤバイのがいたら危険だと思ったからやらなかったんだが、そうも言ってられないものな。なんかもしあったら、すぐ戻るから心配するな」
 カゼルはそれだけ言うと、一気に空中へと消える。ディンはそれを呆然と見送っていた。
 確かに古代語魔法では可能だというのは話には聞いていたが、実際に目の前で人間が空を飛ぶのは初めて見る。そのすごさに、ある種感動してしまっていた。
 カゼルはというと、別の意味で気持ちが揺れ動いていた。やがて、カゼルは憔悴しきった顔で降りてきた。
「どうしたんだ?カゼル」
 するとカゼルはどか、と岩に座り込むと、やがて力なく口を開く。
「どうもこうもない。相当高いところまで上がって見回してみたんだ。だが……森しか見えなかった。森以外何にもないんだよ、このあたり一体は。少なくとも、見える範囲にはね」
 そんなばかな、とディンは言おうとしたが、この状況でカゼルが冗談を言うはずもない。
「見事に見渡す限り、森だけだった。はるか彼方、かすんで見える向こうまでね。つまり、どこへ行っても無駄ということさ。俺達は永遠に、この森から出ることは……」
「何言ってる!」
 ディンはカゼルの胸倉を掴むとそのまま引きずり上げるように立たせた。
「空から何も見えないだけで、木の下まで見たわけじゃないだろう。そんな簡単に、諦めるなよ」
 その言葉に、カゼルはしばらく何もいえずに呆然としていたが、やがて不敵そうに笑うと、ディンの手をゆっくり解く。
「すまん。そうだな。少し冷静さを欠いていた」
 そう言ってから地面に落ちた杖を拾う。
「冷静に考えてみよう。俺達は突然この森に飛ばされた。俺は最初<ゲート>かとも思ったがあれは必ず一対になって使われるものだ。たとえこちら側が多少壊れていたとしても、それなりの施設は残っているはずだ。だが、俺達がこの森に出現した場所に、そんなものはなかった」
 ディンの言葉に二人は頷く。
「そして今、俺は空から見たら見渡す限り森だった。俺の知る限り、これだけ広大な森は知らない。しかも、遥か彼方にも山脈が見えたわけでもなく、ただ延々と森だけ。そんな場所は、少なくともアレクラストにはない」
 ディンのレーナに緊張が走る。そんな途方もない場所に飛ばされて、一体どうしたらいいのかなど見当もつかない。
「で、考えられるのは二つ。一つは本当にどっかとんでもない場所に転送された可能性。もしそうならば、どうしようもない」
「ど、どうしようもないって」
「そのままの意味さ。まあなんとか、この森の果てを見つけて、この森を出て人里を探すか、さもなくばこの森の中で一生過ごすか」
「いくらなんでも……それは嫌です……」
 森の妖精とも呼ばれるエルフであるレーナでも、さすがにそれは遠慮したい。第一、ここで暮らしつづけたとしても、ディンもカゼルも、確実にレーナより先に寿命で死ぬのだ。最後には、自分独りになってしまう。
「もちろんだ。で、正直俺も、この広いフォーセリアでも、こんなすごい森があるかどうかは疑わしいと思う。仮にあったとしても、わざわざそこに飛ばしてくれる、一方通行の転送装置なんて、一体何の趣味で古代王国の人々が作る?……まあ処刑装置の一種、という可能性もなくはないが、ちょっと方法がまどろっこしすぎる」
 処刑装置、と聞いてディンとレーナは体を強張らせた。
「それで、もう一つの可能性だ。これらが全て、幻だとしたら?」
「おい、待てよ。おまえも見たろ。あの化け物のために、レーナやお前も、大怪我したじゃないか。あれや……」
 ディンはそういって、地面に生えている草を抜き取る。それは、どうみても幻には見えなかった。
「これらも全部、幻だって言うのか?」
「断言は出来ない。可能性の一つだ。古代語魔法で、今も伝えられているものの一つに<イリュージョナリービースト>と呼ばれる呪文がある。これは、幻の獣を出現させて、対象を襲わせるんだが、対象以外にはこの獣は見えない。そして、対象もこの獣が偽者だとは思えないんだ。強い精神力のあるヤツは気付くらしいけどな。でも、どちらにしてもその獣は、対象を襲う。そしてそれは、幻だというのに確実に殺傷力を持つし、剣で斬ることも出来るらしい。もしそれの、もっとずっと大規模のものがあるとしたら、このぐらいスケールのでかい幻だってありだろう」
 ディンは反論できなかった。元々よく分からない魔法の分野である。
「……じゃあ、一体どうしたらいいんだ?」
「分からん」
 カゼルはあっさりと言い切った。何かしらの答えを期待していたディンは、がっくりと膝を折る。
「お、おい……」
「これが幻である、というのも可能性の一つに過ぎないんだ。それに、仮に幻だとしても、古代王国の幻は現実と変わらないことが多い。そうだとしたら、何とかしてこの幻を作り出しているもの……多分魔法装置か何かを破壊すればいい。ただしあくまでこれが幻だとしたら、だ」
「その可能性はあると思います」
 それまで黙っていたレーナが口を挟んだ。
「ここに来た時から、奇妙な森だ、とは思っていたんです。目の前にあるのに、目の前にないような。その答えの一つとして、幻だというのはあると思います。……でも、断言は出来ませんけど……」
 レーナはそこまでで自信なさそうに口をつぐむ。ディンやカゼルとしても、これが現実であるよりは幻である方がありがたい。だとすれば、レーナの言葉を信用するしかない。正確には信用したい、というのが本音だ。
「じゃあ、この女の子も幻か?」
「いえ、それは違う気がします」
 レーナはいまだ気を失っているティアと名乗った少女の髪を優しく梳かしながら言葉を続ける。
「この子から感じられる精霊力は、本物だと思います。ちょっと普通と違う気もしますが。その、どう表現すればいいのか、分からないのですが……」
「あるいは俺達同様巻き込まれたか、だ」
「あの遺跡を抜けてか?」
 少なくとも、ディン達があの転送されたかあるいは幻を作る魔法装置か、とにかく遺跡の奥に辿り着くまでには、そこそこのトラップを潜り抜け、竜牙兵を倒さなければ行けなかったはずだ。
「何もあそことは限らない。たとえばあれが、実は普通のゲートで、その先に幻を見せる装置があって、このティアって子は別の場所から飛ばされてきた可能性だってあるんだから」
「あ、なるほど……」
 ディンは「うんうん」と納得して腕を組む。
 これぐらい単純なヤツなら、幻にもかかりやすいだろうなあ、などとカゼルは考えてぷっと吹き出してしまう。ディンはそれを見咎めて、訝しげな顔をしたが、特に何も言わなかった。
「ただあくまで今の話も、可能性でしかない。とりあえず、ティアちゃんが目を覚ましたら、話を聞いてみないとな」
「う……うん……」
 カゼルの言葉に反応したように、ティアが寝返りを打った。ややあって、眠そうに目を開き、それから周りを確認する。
「目が覚めた?ティアちゃん」
 レーナが首をかしげるようにしてティアの顔を覗き込む。光の筋のような彼女の金髪が、サラリ、と音を立てたように重力にしたがって流れた。
「あ……。あ、私、逃げないと……」
「大丈夫よ。とりあえず、あの化け物からはかなり離れたはずだから」
 レーナが言いかけたとき。
 少し離れたところで、木々が薙ぎ倒される音が聞こえた。何が来たか、はその皮膚の感覚が教えてくれている。
「お、おい。なんでこうタイミングよく……?」
「……まさか……」
 勝ち目がないことは分かっている。ディンが逃げよう、と言おうとしたとき、カゼルはそれを遮ってとんでもないことを言った。
「ディン。出来るだけ時間を稼いでくれ」
「な、無茶言うな。あれ相手にどうやって!!」
 そのディンの言葉と同時に、すぐ近くの木々が薙ぎ倒され、あの怪物が現れた。黒い、影のようなその外見は、もはや嫌悪と恐怖しか湧き起こさせない。
「マイリーの神官様だろう。ほんの少しでいい。頼む」
「わ〜ったよ!」
 ディンは半ばヤケクソのように言うと、怪物の前に立ちふさがった。
「悪いが、ここは通り抜け禁止だ」
 その言葉が通じたか分からないが、怪物はその体から四本の鞭のような触手のようなものを出し、ディンに向けて振るってきた。ディンはそれを、なんとか避ける。普通に戦っていたら、三回に一回は当てられてもおかしくないのだろうが、ディンは攻撃することなど、とうに考えから捨てていて、しかも周りに障害物となってくれる木が多くあったので何とかしのいでいた。
 だが、怪物の闇色の鞭が木々にあたるたびに、木々は撃砕され、あるいは切り裂かれていく。
「ったく、これのどこが幻なんだよ!!」
 それでもディンは、なんとか怪物の攻撃を避け続けていた。

「カゼルさん、いくらなんでもディンさん一人では無茶ですよ」
「分かってる。だが、今は仕方ない」
 カゼルは厳しい表情でレーナに言うと、ティアに向き直った。
「ティアちゃん、だったね。君はいつからあの怪物から逃げているの?」
 ティアはしばらく考えるように首をひねっていたが、すぐ考えるのをやめたらしい。
「忘れちゃった。ずっと、ずっと前から」
「でも君は、夜は寝るよね?そのときは?」
「……知らない。寝るときは、あの怖いのも見逃してくれてたみたい」
 レーナもそこまで聞いて、あまりにも不自然であることに気が付いた。
 確かにあの怪物は、ティアを狙っている。なのに、夜眠っている時に見逃すというのはおかしな話だ。あるいは起きている時に襲いたい、という残虐な性質だとしても、いくらなんでも奇妙すぎる。
「あと。君はどこからこの森に来たの?」
 するとティアは首を振った。
「覚えてない。あたし、ずっと前からここにいたもの。ただ、お母様がいい子にしてなさい、って最後に言ったことしか、覚えてない」
「それは、どこで?」
「おうち」
「……そのおうちは、最後にはどうなっていたの?」
「カゼルさん?」
 レーナにはカゼルの質問の意図がわからなかった。ただ、カゼルは何かを掴んでいる。だから、ここは彼に任せることにした。たとえ、ティアに中に恐怖の精霊が渦巻きつつあっても。
「おうち……。お母様がいた……」
「あとは?」
「赤かった。周りも、お部屋も。お母様、怖い顔してあたしを地下室に連れて行ったの。そしてそこで、言ったの。いい子にしてなさいって」
「なんで、赤かったの?」
 レーナはカゼルの掴んでいることは分からなかったが、カゼルがしようとしていることは分かった。彼は、ティアに記憶を辿らせているのだ。
「あ……かい……のは……」
 レーナはそこではっとなった。ティアの感情が、恐怖と悲しみで染め上げられていることに。
「カゼルさん!」
 だが、レーナのその言葉と同時に、ティアが虚ろな表情のまま、天を見上げて呟いた。
「火が……全部……お母様も……」
「そうだ。君はその時から眠ったままだ。ここは……ここは、君が本来いる場所じゃない。君は……」

 紅蓮に染まる街。戦いの、鬨の声が辺りを満たし、そして街の各所で剣を交える音が聞こえる。
 やがて、火矢が放たれ、街で一番大きな館にも火がついた。館の者達は逃げ惑い、あるいは恐慌状態に陥っている。
 そんな中、紅蓮の炎でその白磁の肌を赤く染め上げられた母娘が館の地下へと走っていった。肌の色に対して、髪は炎すら染めることの出来ない黒絹のような、黒。
 母娘は地下へ降りると、娘を寝台に寝かせた。娘はまだ眠くない、お母さんと一緒にいる、と駄々をこねる。それを、困ったように、しかし優しい笑みで見つめていた母親は、厳しい顔になって「我侭を言うものではありません」といって娘を叱る。その後、すぐもとの優しい顔になると、屈み込んで娘と視線の高さを合わせ、それから抱きしめた。
「いい子にしてなさい、ティア。お母さん、すぐに迎えに来るからね」
 そう言って涙を流す母親の額には、光を失った宝玉が輝いていた。

「う……」
「今のは……」
 ディンとカゼルは頭を振って起き上がった。辺りを見回すと、ぼんやりと何かが輝いて、それが部屋全体を照らしている。
 ここが最初の遺跡で、輝いているのがあの魔法装置だと気付くのに、少し時間がかかった。
 その魔法装置の横に、レーナが立っていた。その、美しい顔を涙に濡らして。
「レー……ナ?」
「この子は、五百年間もここでお母さんを待ちつづけていたんですね」
 レーナの視線の先には、水晶か何かのケースに入った、小さな女の子が「あった」。ただ、すでにミイラ化していて、元の容貌は想像もつかない。ただ、その鮮やかな黒髪だけが、生前の少女を思わせた。
「じゃあ、さっき見たのは……」
「五百年前にあったという、古代王国の崩壊の時のものだろう。この子は、そのときにここに入れられた。いつか助けられると思って。だけど、その機会は五百年間、訪れなかった……」
「でもそれじゃ、俺達が見たティアちゃんは?」
 確かにこの手で触れ、そして話したはずである。その感覚は、ディンにも残っている。
「それが、この魔法装置の本来の機能だよ。これは、他人と夢を共有するための魔法装置なんだ」
「夢を共有?」
 ディンとレーナの声が見事に唱和した。
「ああ。なんだったか、俺もよく覚えてないけど、元々はなんかの病だか精神的ななにかの障害を取り除くために作られたらしい。あるいは、あの怪物はそうなのかもしれない。ただその後、その機能自体がある種の道楽になったと聞いたことがある。これはそれだろうな、多分。本来は何かしらの準備をしなければならないんだが、装置が誤作動したのか、俺達が巻き込まれた。ただ、そのおかげで……」
 その時、ふわり、と音がしそうなほど柔らかい光が部屋に溢れ、それが一つの像を結んだ。漆黒の髪に、透けるような白磁の肌。
「ティアちゃん……」
「ごめんなさい、お姉ちゃん、お兄ちゃん。あたし、ずっと夢に逃げてた。夢の中で、ずっとお母さん待っていようとしたの。もう、いないのを認めるのが怖くて。もう、自分だっていないのに。誰からも忘れられて、誰もいなくなったのに。それが分かるのが怖くて。だから、分かっていたのに、ずっと自分も騙して、眠り続けて。ごめんなさい、お姉ちゃん、お兄ちゃん、迷惑、かけて。お姉ちゃんもお兄ちゃんも、怪我して。ごめんなさい、ごめんなさい」
 その表情は、光の中にあっても泣いているように見えた。いや、多分彼女は泣いているのだろう。
 でも。
 ずっと一人で、ただ孤独に待ち続けた少女。そんな彼女が、夢の中に留まり続けたいと思ったことを、一体誰が責められるだろうか。
「そんなことないわ」
 レーナはその光のティアに手を伸ばし、優しく抱きしめるように手を回した。
「迷惑なんかじゃないわ。寂しかったのよね?ずっと独りぼっちで。ずっと、この暗いところで。お母さんを待ち続けて。確かに、夢はいつか覚めるもの。でも、あなたがいたことは、私達が忘れない。あなたは、確かにここにいた。あなたがずっとここにいたから、私達はあなたに会えた。あなたがここにいて、生きていたことは、私達は忘れない。ずっと、覚えているわ。だから……」
 その時、レーナが一筋の涙を流しているのに、ディンだけが気が付いた。
「ありがとう……お姉ちゃん」
「お母さんに、よろしくね」
「うん。本当にありがとう、お姉ちゃん、お兄ちゃん達」
 もう一度、ティアはレーナに抱きついた。レーナはそれを、優しく抱きとめる。
 ティアが消えたとき、彼らは光の中で、確かに聞いた。彼女と、彼女の母親の声を。

 地上に出たのは、多分せいぜい数日振りのはずなのに、とても久しぶりの気がした。
 太陽の光に、一瞬目が眩む。
「結局、なんだったんだろうな、あの子は」
 ディンがぼやいていた。
「古代王国の崩壊に巻き込まれた、不幸な女の子、ですよ」
 多分レーナはティアと自分の子を重ねたのかもしれない、とカゼルは感じていた。
 何の罪もなく、ただ『古代王国の貴族』に生まれたがゆえに殺されていった多くの人々。彼らは、全てが邪悪と言うわけではなく、むしろ優しい人々だってたくさんいたはずなのに。
 しかしそのほとんどは殺され、運の良かった極わずかな人々が、今もどこかに生き延びているのだろう。かの有名な、ラムリアース王国の王族は、確か古代王国の貴族の末裔だと聞いたことがあるが、これは多分相当な例外だ。多くの人々は、彼女の母親のように、蛮族達によってなぶり殺しにされたのだろう。
「あの子、幸せだったのかなあ」
 ディンがふとぼやく。
 カゼルにも、それは分からなかった。レーナも、答えずに眩しそうに太陽を見つめている。
「でもきっと、今ごろお母さんに逢っていますよ」
 レーナの言葉に、二人は頷いた。
 考えても仕方ない。きっとそうだと、三人ともなぜか疑わなかった。
「それより、早くタラントに戻りましょう?せっかくお仕事終わって、報酬もらったのにまだ乾杯、ってやっていないんですから」
「そうだな。暗い話は、抜きにしてな!!」
 ディンが勢い良く走り出す。カゼルは慌てて後を追った。そのすぐ後にレーナが続く。
 太陽の光の中に、三人は一瞬ティアの笑顔を見た気がした。


 お母さん、あたしね、すごい冒険してたんだよ。こわい怪物から逃げててね。それで、優しいお姉ちゃん達に会ってね……



永遠の夢・前編  永遠の夢・資料

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