永遠の夢1



「ツイてないときってこんなもんなのかなあ」
「そういうものでしょうか……?」
 のんびりとした、しかし建設的とはいえない会話に、風を切る音が続いた。それに怒鳴り声が重なる。
「のんびりしゃべってないで手伝えよ!!」
 風を切る音はそのまま、刃物が肉を斬り裂く音へと続く。わき腹を深くえぐられた巨大な熊は、そのまま自らの体を支える力を失ってゆっくりと倒れこんだ。だが、すぐ後に別の熊の獰猛な牙が、たった今、剣を倒れた熊から引き抜いた戦士を襲う。
「っと、ととととっ!」
 かろうじてその牙を後ろに飛んでかわした戦士は、素早く剣を構えなおした。直後、その背後からかすかな光が漏れ始める。
「万能なるマナよ。光の礫となり、我が敵、我が望むものを撃て!!」
 訳すとそういう風に言っているらしいが、学のない身には意味不明の言葉の羅列でしかない。とにかく、こういうことをすると魔法が発動する、ということは知っている。ただ、自分の後ろから撃たれるというのは、たとえあたらないと分かっていても気持ちのいいものではない。瞬間、体を硬くしてしまう。
 予想通り、弾かれるように飛び出した光が、熊の体を直撃した。致命傷、とまでいかなくてもかなりの痛手のようだ。動きがかなり鈍くなっている。さらにそこに、音楽的、とも思える声が響いた。精霊語、というものらしいが、やはりこれも学のない身には分からない。
「光の中に住まいし全てを見つめるものよ。その力、いま一所に集いて我が意に従え」
 精霊語を解するのであれば、このように唱えたことは分かるだろう。
 分からない者には、やはり突然光の塊が生まれて、それが不規則に動いて熊を直撃しただけが見える。
「止めを!」
「わかってるって!」
 長剣を横に倒した構えで、一気に熊の横を駆け抜ける。そしてそこで、思いっきり振り抜いた。肉を断つ十分な手ごたえ。
 直後、熊は先に倒れた同胞を追うように、折り重なって倒れた。

「結局ここがどこだか、分からないわけか?」
 剣についた血を拭いつつ、戦士は口を開いた。剣の柄に戦神マイリーの聖印がくくりつけられていることから、彼がただの戦士ではなく、神官戦士であることが分かる。その彼は、自分のすぐ横で焚き火にあたっている女性の方に振り返った。問われた方は、少しすまなそうに下を向いている。
「はい。というより、普通の森じゃない気がします。なんていうのでしょう。目の前にあるのに、目の前にないような」
 考えながらしゃべる時の癖だろう。エルフ特有の長い耳が金色の髪の間から出て、ピコピコと動いている。
「レーナのせいじゃないよ。気にするな。ディンが猪突猛進だから悪いんだ」
「俺が……!いや、まあ確かにあのトラップを動かしたのは……俺だけどさ。でもカゼルだってけしかけたじゃないか」
「う……。そうだけど、まあそれはそれ。結局みんな運がなかったって事で。それに誰かケガしたわけでもなし。とりあえずもう暗くなってきたし……」
カゼルと呼ばれた青年は、ディンの追撃をかわすと、手にした樫の杖を手にして、静かに何事かを呟いた。ややあって、杖の先端に光が灯る。<ライト>の呪文だ。
「とりあえずこれで明かりはしばらくは平気。で、その子は目を覚ました?」
 カゼルは杖をかざしてレーナのほうに向き直る。その膝の上には、長い黒髪の少女が眠っている。年は十二、三歳くらいか。
 魔法の頼りない明かりの中にあっては、なおさら少女の髪は黒く見えた。肌の白さがかえって無気味に見える。
「この子、なんでこんな森の中にいたのでしょう?」
 レーナが少女の髪をなでながら呟いた。

 そもそもは、カゼルの持ってきた話だった。近くの山中に、遺跡が見つかったらしい、というのである。
 ディン達は、ちょうど別の仕事でタラントから離れた村まで護衛の仕事で来ていて、報酬も受け取りこれから帰ろう、としていたところだった。
 遺跡というのは、五百年前まで栄えていたという王国の遺跡である。すでに滅びてから五百年も経つというのに、未だにあちこちで新しい遺跡が見つかるというのだから、かつてどれほど栄えていたのか、想像もつかない。
 この遺跡には、かつての繁栄を示すように、多くの宝物が眠っていることが多い。金銀宝石、時には金では買えないほど貴重なもの――現在では製造技術の失われた魔力の込められた品々――があることもある。そして、これらを当てこんで生計を立てる者達――傭兵などもいっしょにされているが――を総称して『冒険者』と呼んでいる。そしてディン達もその『冒険者』なのである。
 普通、遺跡などは大抵もう別の冒険者によって荒らされていて、まともに金になるものなどありはしないのだが、新しい遺跡は別だ。正しくは、新しく発見された遺跡だが。
 とにかく、まだ宝物が中にある可能性があるのである。もしかしたら、一生遊んで暮らせるだけの宝を手にする事だって出来るかもしれない。その魅力ゆえに、命の危険を承知で冒険者を続けるものが多いのだ。そして、ディン達もその例には漏れなかった。もっとも、レーナは多少理由が違うらしいが、その辺はディンもカゼルも聞いたことがないし、また、無理に聞き出そうとは思っていなかった。
 無論、遺跡には危険もある。古代王国には魔法によって人造の兵士を作り出す技術もあり、それによって宝を守らせていることが多い。ただ、ディン達は並のゴーレムなどであれば十分撃破する自信があったし、なにより新しい遺跡を最初に探索する、という欲求には誰も抗えなかったのだ。
 しかし。
 かなり奥深くまで入ったところで、彼らは大きな魔法装置を見つけた。からくり式というわけではなさそうだ、というのはカゼルの言葉。彼は、賢者の学院で魔法を修めるまで、針金一本で普通の鍵など開けてしまうような仕事をしていたのである。
 ただ、魔法装置と分かっても、何も説明がなかったので、三人にはさっぱり分からなかった。それで、とりあえずカゼルがディンに適当にいじってみろ、などと言ったのである。魔力反応がなかったから発動するとは思わなかったのだ。そして突然装置が発動し、気が付いたら彼らは森の中にいたのである。
 そこへ聞こえた悲鳴の元に行ったら、熊に襲われている黒髪の少女を見つけた、というわけだ。

「多分<ゲート>だったんだ……とは思う。ただあれは普通一対になっているものだから、飛ばされた先にも装置があるはずなんだよなあ。あるいはこの子も、あれで飛ばされたのか……」
「じゃあこんな女の子が、あの遺跡の中まで入って来たってのか?」
 どうみてもせいぜい十二、三歳程ぐらいだ。ディン達は遺跡の魔法装置にたどり着くまでに、数回竜牙兵などを撃破してきている。少女が先行していたとはとても思えない。
「別にあれとは限らないさ。どっか別の場所から、とかね。実際この子みたいにきれいな黒髪は、見たことないし」
 カゼルはもう一度レーナの膝の上で眠っている少女を見た。はっとするほど白い、白磁のような肌に、まるで闇を塗りこめたような黒髪。少なくとも、西部諸国ではまずお目にかかることはない。
「どっちにしても、この子が目を覚まさないと、俺達も動けないよなあ」
 ディンが諦めたように剣を枕代わりにして横になった。
 星が見えれば、あるいはここがどの辺りか分かりそうなものだが、残念ながら今は星は空が雲に覆われていて見えない。そうでなくても、うっそうと木が茂っているので、まともに天測など出来ないだろう。
「とりあえず先に寝るぜ。なんかあったら起こしてくれ」
 ディンはそういうとさっさと目を閉じてしまった。普段から「いつでもどこでもすぐ寝れて、すぐ起きれる」のが特技だというだけのことはある。
「寝ちゃ……いましたね」
「ほっとけ。とりあえずしばらくは俺達で見張っていればいいさ。レーナも疲れたら寝ておけ。その子は俺がみるから」
「いえ。大丈夫です。この子を起こすのもかわいそうですし」
「寝ているだけか?」
 カゼルは少女の顔を覗き込む。あまりにも白いが、だが顔色が悪い、というわけではないようだ。生来、こういう肌の色なのだろう。
「はい。眠りの精霊は、正しく働いています。きっと気を失って、そのまま眠ってしまったんだと思います。朝になれば目を覚ますでしょう」
「そういうものなのか?」
 眠りの精霊、などといわれてもいまいちピンと来ない。地水火風の四大精霊は、古代語魔法の力で見ることは出来るが、精神の精霊など、本当にいるのか、と疑いたくなる時もある。実際、自分のこの感情が、全部精霊力の発露だといわれると気味が悪い。自分で考えているのか。それとも、精霊の気まぐれが自分の感情なのか。
「あなたも疲れていますね。眠られては困りますけど、楽になさった方がいいですよ」
「そんなことも分かるのか、精霊って」
 するとレーナがくすりと笑った。
「違いますよ。あなたがそういう顔をしているからです」
「あ、ああ。ごめん」
 出会ってからもう一年以上経つのだが、レーナは相変わらず丁寧で、どこかのんびりとした話し方をする。もうそれに馴染んでいて、それが彼女のしゃべり方だと分かっているから、他人行儀だとは思わない。
 考えてみたら彼女の年齢を教えてもらったことはないが、エルフである以上、人間より遥かに長い寿命を持つはずだ。最近まで無限であるとすら思われていたのだ。とすると、彼女の年齢も実際には自分達の、あるいは十倍以上だろう。エルフは寿命が長い分、精神的な成長に時間がかかる、といわれている。実際どういうものかは分からないが、そのとおりだとするならば、レーナはかなり年上――実年齢以上に精神的に――ではないだろうか。
「そこで謝る、というも変ですよね」
 レーナはまたくすくすと笑った。
 どうも子ども扱いされているなあ、とは思うのだが、彼女の年齢はもちろん雰囲気などを考えると仕方ないのかもしれない。カゼルはディンよりは大人のつもりでいる――実際の年齢はディンのほうが一つ上なのでそう言うといつも文句を言われるが――が、彼女にかかったら同じなのかもしれない。
「う……ん」
 レーナの膝の上で寝ている少女が寝返りをうったようだ。少し体を動かして、楽な姿勢をとろうとしているのだろう。レーナはそっと手を添えて、少女の体勢を直してあげた。
「慣れてるんだね」
「そうですね。そうかもしれないです。ちょっと懐かしいですし」
 レーナはそういって愛おしそうに少女を見つめた。
「私、こう見えても子供がいたんですよ。ずっと昔に死んでしまいましたけど」
 カゼルは自分の表情が驚愕を彩っていることを自覚した。実際、彼女がエルフである以上、実際の年齢など知れたものではない。子供がいてもおかしくはないだろう。
 だが、今目の前にいる彼女は、人間ならばせいぜい十七、八歳程度に見えるため、子供がいるとは想像も出来ない。
「五百年前。あの古代王国と呼ばれているカストゥール王国が滅んだ時、いわゆる貴族だった人たちの一部が、私達エルフに保護を求めたのです。実際、その人は貴族であっても人々に分け隔てなく優しくて、領民にも慕われていました。私達エルフとも仲が良く、時々森に遊びに来ていたのです」
 その話で、少なくともレーナが五百歳以上というのは分かる。古代王国と現在呼ばれているカストゥール王国が滅んだのは五百年ほど前だからだ。しかも、その時に子供がいた、ということはその時でもかなりの年齢だったのだろう。今や伝説に近い伝承となっている古代王国のことも、彼女にとっては生きている間の出来事なのだ。カゼルはぜひその時代のことを聞きたいと思ったが、彼女はあまり知らないだろう。あの時代、エルフは外部との接触を極力断ち、古代王国には関わらなかったと聞いている。レーナのような例は、むしろ稀だろうし、彼女も森を出ていたわけではないだろう。
「その時、長老が下した決断は、外部とは一切関わらない、というものでした。つまり、その人たちを見捨てたのです。でも、私の夫はそれを納得できなかった。だから、一族に隠れてこっそりその人たちを匿ったのです。しかし、それを見逃すほど長老達も甘くありませんでした。ともすれば、古代王国に与する者、として自分達も殺されてしまう可能性があるから」
 レーナの声が、悲しみを帯びる。
 あの五百年前の古代王国崩壊は、単純に古代王国の人間が滅ぼされたと思っていたが、実際にそう単純であったはずはないということを、カゼルは改めて思い知った。
「結局その人たちは蛮族――当時はそう呼ばれていたのですけど、その人たちに引き渡されそうになりました。それが、どうしても納得できなかった夫は、引き渡され、処刑されようとするその人たちを助けようとしたのです。私が止めるのも聞かずに」
 レーナの感情が強く悲しみに彩られている、というのは精霊使いではないカゼルにも、容易に想像がつく。
「結局、あの人は行ってしまった。私は行けなかった。怖かったから。でも、私の子は、夫についていってしまったんです。そのことに気付いた私は、急ぎ後を追おうとしましたが、村の人々に止められました。『これ以上無用に関わるな』と言って。『村の掟を侵した者はすでに村のものではない』と。村の人は、私の夫と息子を見殺しにしたんです」
 確かに、関ればエルフの村も襲われる可能性があったのだろう。おそらく蛮族――自分の祖先にあたるのだがこの場合そう呼びたくなる――がエルフが余計なことをしてきた、と詰め寄ってきたとしても、『掟を破る愚か者は我らの村にはいない』などと言って知らぬ存ぜぬを通したのだろう。確かに、村を守るためにはそれが最善なのかもしれない。だが。
「悲しかった。もう死にたい、と思えるほどに。嘆きの精霊にとり憑かれたんじゃないかってくらい泣きました。でも、村の人たちはそんな私を、誰も慰めてはくれなかった。なぜだか分かりますか?」
 カゼルには想像もつかない。黙って首を振るしかない。
「永い時の中では、そのような悲劇はいくつもありえる。けど、永い時間がいつか解決してくれる。全ての解決を、私達エルフは時に委ねているのです」
 カゼルには理解が出来なかった。ともに泣き、笑い、怒る。自分達にとって当たり前のこと。それが彼女らエルフでは異端とされるというのか。
「それからどれくらい時が流れたのでしょうか。森のはずれに行ったとき、一人の人間に会いました。その人は、私の話を聞いて泣いてくれた。見ず知らずの私の夫と子供のために。そして、夫と子供を、勇気ある、尊敬に値する者だ、と言ってくれました。それからです。外に、人に興味を持ったのは」
「今は……?」
「悲しくない、といえばうそになります。でも、それに押しつぶされたりはしない。正直を言えば、そんなヒマすらないですし」
 そのときのレーナの笑顔には、翳りはない。
「ま、確かにな。こんな猪突猛進バカと一緒にいれば、退屈はしないよ。こんな体験もそうそうできるもんじゃないしな」
 カゼルの言葉に、ディンのいびきが重なった。
「ったく、幸せそうに寝やがって」
 どこだか分からないのに、熟睡――実際には何かあればすぐ起きてこれるのだから熟睡というわけではないだろうが――できる神経は羨ましく思える。
「……すみません……」
「へ?何が?」
「あまり聞いて楽しい話じゃ、なかったですね」
「いや……」
 カゼルは小さくなりかけていた焚き火に枯れ枝を放り込み、杖の先で突いて火の勢いを強くした。
「レーナと会ってからもう一年。俺もディンも、あえて訊ねようとは思ってなかったけど、時々レーナが沈んだ表情になっているの、気にしていたんだ。だから、話してくれてなんとなく安心した。こいつもこれで、けっこう人のことを気にする性質だしな」
 カゼルはそういいながら今度はうって変わって静かに寝息を立てているディンを杖でこづいた。
「起きちゃいますよ、ディンさん」
 レーナもそういいながら止めるそぶりは見せない。
 もっとも、それで起きない方もなかなかに頑固ではある。

 数時間後。
 交代の時間になって起きたディンが「なんか夢見が悪かったなあ」と言っているのを聞いてて、カゼルとレーナはディンに気付かれないようにくすくすと笑っていた。



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