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竜騎士団壊滅




 その報告がリーフ王の元にもたらされたのは、『それ』が出現した当日の夜だった。コニールの街から早馬で半日。まさしく驚異的な速度での報告といえる。
 即座にリーフは、世界各国に対して転送通信の発信を命じ、また、主だった重鎮に会議室に集まるように指示する。
 そして、改めて先のグランベルからの通達を確認し、それから決意を込めて宣言した。
「もう隠しておくことも出来まい。明朝、暗黒教団の蜂起を公表する。併せて、全軍に出撃を命じる。トラキア大公にも連絡しろ。それからディオン」
「はいっ」
 横に控えていた王子は、父の言葉に緊張した声で返事した。
 無理もない、とは思う。物心ついた頃から、常に命を狙われて過ごして来たリーフと違い、ディオンが生まれた時には、すでにトラキア王国は安定の時期に入っていた。物心ついた頃には、大陸はすっかり平和を取り戻しており、ディオンはその中で育ってきたのだ。
 確かに、ディオンは剣や槍、それに戦のやり方を学んでいるし、その技量はリーフをも凌ぐ。だがそれは、あくまで平和の中で学んだことであり、実践を伴うものではない。
 だがそれは仕方のないことだ。それに、リーフ自身、再びこのような緊迫した状況がおとずれるとは、思ってもいなかったのだ。
「麾下の竜騎士全てを出撃させろ。先行し、現地でアリオーン大公と合流し、以後、彼と共に我々が到着するまで、敵をその場に封じ込めろ。おそらく敵は、その『闇の竜』以外にもいるはずだ」
「はいっ」
 緊張はしている。だが、堅くなりすぎているということは、どうやらなさそうだ。
「今日は早目に休め」
「はい」
 ディオンが部屋を出て行くのを見送り、その後にいくつかの指示を発して、会議は解散となった。
 しかしリーフはなおも会議室に残って、地図を凝視した。
 闇の竜が出現したという場所は、コニールの街のすぐ南だ。そして、サラが住んでいたのは、そのコニールの街。いなくなったというティア。偶然で片付けたいのが本音だが、それが希望的観測に過ぎないことを、リーフは分かっていた。
 理由は分からない。だが、敵はロプトウスの力を、どうやら引き出すに至っていると見るべきだ。
 継承者がいなければ、神器はその力を発揮できない。それは、絶対の法則だ。
 とはいえ、彼らはロプトウスの力を、少なからず解放できているのも事実である。
 その鍵となっているのが、ティアなのか、それはリーフには分からない。
「問題はその強さか……」
 リーフはかつての解放軍でも数少ない、ロプトウスの力を操るユリウスと直接戦った経験を持つ。
 ミレトスの手前で出現したユリウス皇子の力は絶大で、リーフは文字通りなす術がなかった。あの、圧倒的ともいえる重圧感は、他に感じたことがない。
「リーフ様……」
 ナンナが、不安そうにリーフを見る。
 彼女もまた、ユリウスの力を目の当たりにした一人だ。そして彼らの目の前で、フィンが殺されたのだ。
「大丈夫だ。ロプトウスの魔道書は確かに敵にあるだろうけど、継承者なしでユリウス以上のことなんてできるはずはない」
「はい……」
 だが、それでナンナを安心させることは出来なかったらしい。
 実際それは、リーフも感じていることだった。
 第二次聖戦において、ユリウスは完全にロプトウスとして覚醒したと云われている。だが、セリス、ユリア二人の前に敗れた。今、継承者なしでロプトウスの魔道書がその力を振るったところで、抗えるはずはない。そんなことは、分かりきっていることだ。
 まさかナーガの継承者を予め暗殺しておくといった対応をしたのかと思ったが、今のところソファラのユリア公妃も、グランベルのセリオ王子も害されたという報告はない。それに、それこそロプトウスの魔道書を奪うよりはるかに難しいだろう。片やかつての解放軍随一の魔道士で、片やシャナン王に手ほどきを受けた剣の使い手だ。魔法の技量においても、母ラナや叔母ユリアをも凌ぐとも聞いている。
「さあ、今日はもう休んだほうがいい。私ももう少ししたら休むから」
「はい、リーフ様もご無理をなさらず」
 ナンナはそういうと、先に寝室に戻っていった。入れ替わりに入ってきたのは、二人のもう一人の息子、セネルである。
「どうした、セネル」
「ぼ……私には、出撃命令はないのですか」
 セネルは今年十四歳になる。しかし、いかんせんまだ子供であり、一兵も指揮する権限も持ってない。もっとも、セネルと同じ年の頃に、ディオンはすでに竜騎士として十分な力を示しており、その一員として認められていたが、これはセネルが力不足であるというより、ディオンがずば抜けているというだけだ。
「ない。もう少し布陣を整える余裕があれば考慮するが……すまないが今回はコノートに残ってくれ」
「そんな……僕が、力不足だからですか!! 僕だって戦える、兄上には負けない!!」
「セネル……」
 セネルはリーフの父キュアンの子供の頃に生き写しの様に似ている。リーフは父のことをほとんど覚えてはいないのだが、それでも後に絵画などで見たことはある。その顔でこういうことを言われるのは、やや不思議な感じがするのだが、かといってここでセネルの我侭を聞いてやるわけにはいかない。
「我侭を言うな。それに、お前にも、重要な役割があるだろう。ディオンが出撃し、私も出る。母さんは、誰が守るんだ?」
「それは……」
 無論こんな論法には意味はない。実際には、十分な守備兵は置いて行く。だが、ここに残る王族は、確かにセネルとナンナだけになるのだ。
「さあ、もう寝なさい」
「はい……」
 来たときの勢いはどこへやら。すっかり消沈したセネルは、「おやすみなさい」という小さな声を残して、扉の向こう側に消えた。
「大変ですね、あの年頃の子は」
 それまでずっと黙っていた大将軍グレイドが、笑いをかみ殺しながら言う。
「フレアにもああいう頃があったのか?」
「ええ……まあ、あの子の場合、ああいう発露ではありませんでしたが……その、名前で悩んでいたことはあるようで」
「ああ、なるほど」
 フレア、というと女性の名前のようだが、グレイドとセルフィナの子フレアは、れっきとした男性である。
 すでにバーハラの士官学校を卒業しており、現在は大将軍グレイドの補佐として働いている。
 仕官学校時代から飛びぬけた戦術眼を持っており、フレアの作戦によって動いた軍は、通常の何倍もの働きを示すのだ。今回、大規模な戦いになるとは考えにくいが、それでも彼の才覚はリーフにとっては重要な戦力である。
 そんな彼の唯一の悩みは、その名前と、容姿だった。
 別に悪いということはない。いや、むしろ非常に秀麗といっていい容姿の持ち主だ。ただ問題は、非常に女性的であるということだろう。
 母であるセルフィナに非常によく似ていて、数年前、セルフィナが髪を同じにして、軽く化粧をさせたら、グレイドが一瞬セルフィナが若返ったのかと勘違いしたほどである。ちなみにこの話は門外不出で、リーフがなぜ知っているかといえば、その場に居合わせたからだ。その時セルフィナは大笑いしたのだが、当然フレアは憮然とし、数日間は口を聞かなかったらしい。ちなみにリーフは……思いっきり笑ってしまった。
「まあ、あの年齢くらいだと、あれが普通なのかもしれないな。だが今回、セネルのことを気にしてやる余裕は、今のところない」
 戦いが大規模になれば、指揮官としてのセネルが必要になる可能性はある。それは彼自身の才覚以前に、彼がトラキア王子であるということが意味を持つからであるが、実際セネルも、あと何年か経てば、戦士として、騎士として成長するとリーフは思っている。だが、今はまだ早い。幼兵に経験を積ませるような余裕は、今はない。
「……はい」
 グレイドもまた、かつての聖戦を戦い抜いている。それに、ロプトウスの力を目の当たりにした一人でもある。
 なす術もなく、次々と殺されていく兵士達。あの光景は、今も忘れることが出来ない。
「まあ、継承者もいないし、それにこちらには最初からナーガがある。なんとかなるさ」
 リーフは努めて明るく言うと、グレイドと共に会議室を辞した。

「くそっ」
 セネルは手に持った枕を、思い切り壁に投げつけた。
 投げつけられた羽根枕は、ぼふん、と抗議の音を上げて壁から落ちる。
 一応納得して父の元を辞したが、部屋に戻ってくるとまだ納得できていない自分がいる。
 実際分かってはいる。兄は自分に比べても、格段に優れている。
 剣や槍を扱う技術、馬術、兵を動かす能力、全てにおいて、自分は遠く及ばない。
 まして兄はゲイボルグの継承者だ。兄があの神器を握った時の力は、壮絶の一言に尽きる。実際、父ですら、槍ではすでに兄に敵わない。自分が兄に勝てるはずはないのだ。
 別に、兄が自分より優れているのがただ悔しいわけではない。ただ、父や兄を助けたい。そう思っていても、その場さえ与えてもらえないのでは、力の示しようもないではないか。
 自分だって十分力になれる、そう思っているのに。
「くそっ」
 もう一度、八つ当たりをしようと、もう一つの枕を握ったところで、こんこん、と扉を叩く音がした。
 一瞬、父が思い直してくれたのか、と思ったが、扉の向こうから聞こえたのは、父の声ではなかった。
「あの、お茶をお持ちしました、セネル様」
 城付の侍女の声だ。その中でも、手際がいいので王家付きに近い扱いを受けているほど有能な侍女である。名は、ザヴィヤヴァ、といった。
「僕は頼んでないぞ」
「いえ……ナンナ様が持ってくように、と……」
「母上が? いいよ、入って」
 さすがに母の差し入れを無碍にはできない。
 セネルの声に応じて、がちゃ、と扉が開くと「失礼致します」と入ってきた。
 話に聞いたところでは、もう二十歳以上だというが、セネルにはどうしてもそうは見えない。年齢に対して不似合いなそばかすや、短く切られた髪が、活発な印象を与え、彼女を若く見せているのだろうが、さすがにセネルにそれを分析する力はない。
「あらあら……なるほど、ご立腹でしたか」
「そーだよ。分かったならさっさとお茶を置いて出てってくれ」
 いたずらの現場を見られた子供のようだ、とこの場を見たら誰もが思うだろう。実際、ザヴィヤヴァもそう感じた。
「いけませんよ、王子。ものにあたるようでは」
 ザヴィヤヴァはそういうと、壁際に落ちていた枕を拾い、ぱんぱん、と軽く手ではたくと、元通り寝台に戻す。
「うるさいな。ヴィアに僕の気持ちが分かるものかっ」
「ええ、分かりませんとも。そんなお子様な我侭は、ヴィアには分かりません」
「なっ……」
「少なくとも、ものに当たるというのは子供じみた行動だと思いませんか?」
「ぐっ……」
 セネルは言い返そうとして、ぐっと堪えた。
 そんなことは分かっている。これはただの我侭だ。父の言うことは正しい。だがそれを正面から指摘されて、素直に頷けるほどには、セネルはまだ大人ではなかったのだ。
「僕だって戦える。十分に、父上や兄上の力になれるんだ。だから……」
「ですからリーフ陛下は、貴方にこのコノートの守りを託されたのではないのですか?」
 実際には、セネル以外にも多くの騎士が残る。だが、旗印としてのセネルには、確かに意味があるのだ。もっとも、ナンナ王妃も残るので、こちらの方がよりその意味合いは強いが。
「僕は戦場で戦いたいんだ!! 戦って、僕が力になれることを証明してみせる!!」
 はあ、とザヴィヤヴァは呆れたように溜息を吐いた。
 そして、持ってきたお茶をカップに注ぐと、黙ってセネルに出す。
「でしたら、まず今陛下がお与えになった役目を、まずお果たしになることです。それが出来て、初めてその次の力を示すことが出来るのですから。ディオン殿下だって、最初から一軍を率いていたのですか? 違いますでしょう」
「それは……」
 確かに、ディオンとて最初から竜騎士を率いる立場にあったわけではない。最初は、従卒に等しい身分だった。ただディオンは、自らの『王子』という立場を利用せず、一騎士として力を示す努力を重ねてきた。その結果、若輩であるディオンを、多くの竜騎士が指揮官として盛り立て、また、指示に従うようになったのだ。
 対してセネルは、自分の力を磨く努力はしてきたつもりではある。だがその努力は、兄に遠く及ばないことも、今は分かっている。子供の頃から、常に兄は自分の先にいたが、それが決して『兄だから』という理由ではない。だが分かっているからこそ、なおさら悔しいのだ。
 まして今回は、セネルが生まれてから初めての、大規模な戦いになる可能性がある。そこで活躍できれば、引き離された兄との距離を少しでも縮められるのではないか、という期待がある。だがそれも、戦いに出ることが出来なければ何の意味もないではないか。
「セネル王子は、王子でやるべきことをまず果たされるべきです。それも出来ないようでは、やはり陛下は王子を評価してくださりませんよ?」
 ザヴィヤヴァの言うことは正論だ。それはセネルにも分かっている。ただ、分かっているからこそ納得できないと感じるのも、この年齢の男の子特有のものだということも分かっていた。
(弟ももう少ししたらこんな風に我侭になるのかしら)
 ザヴィヤヴァはふと、年の離れた、最近少しだけ生意気に――見えるように――振舞い始めた弟のことを思い出した。
 ザヴィヤヴァの家は聖戦まではそれなりの勢力のある家だったらしい。らしい、というのは、もう二十年以上も前のことなど、覚えていないのだ。しかし、本家が帝国時代に暗黒教団に極めて協力的であり、取り潰されてから以後、勢力は減退し、弟が生まれた頃には、領地もすべて抵当に入っていて、家は借金しかない状態だった。弟を生んだ半年後に母は亡くなり、父も後を追うようにその一年後に亡くなった。
 まだ幼い弟を抱えて、ザヴィヤヴァはなんとしても生き抜いていかなければならなかったのである。
 幸い、大陸全体が繁栄の時代を迎えていて、働き口を探すのはそれほど難しくなかった。ザヴィヤヴァがメイドという仕事を選んだのは、なんとなく仕事振りを知っているから、と言うだけだった。両親が死ぬまで、一応家にもメイドはいたのだ。
 それがどこをどうしたことか、気付いたらそれなりに評判のメイドになっていて、今ではトラキア王家に仕えるようにまでなっていた。これまででも最も給金もいいし、それに弟の事に関しても、国で教育を受けさせてくれるように計らってもらうことになっている。家の再興まではまだ道は遠いが、当面、弟のために、と生きてきた道は報われつつある。
 今年十歳になる弟は、今はコノートの街にある私塾に通っているが、もう少ししたらあるいは官吏になるための教育を受けさせることも出来るだろう。本来、それらの教育は貴族か、あるいは富裕層でなければ受けられないようなものであり、その意味ではもう自分としてはこれ以上ないほど恵まれている、とも思う。
 ただ、この先の弟の未来が拓けているか、というとそれは分からない。
 没落貴族の子であることを、あるいは引け目に感じたり、それによって理不尽な壁に当たることだってあるだろう。セネルの姿は、あるいは弟の数年後なのかもしれない。もっとも、そう感じると、畏れ多いことながら、この我侭も愛しく思えてしまう。
「わかったよ、どちらにしても、僕は今回出撃は出来ない。なら、コノートを立派に守る。それでいいんだろ」
 別にザヴィヤヴァに言い訳をする理由など、これっぽっちもないのだが、それに気付かないのもまた、セネルが、というより男の子が男の子たる所以なのかもしれない。それがおかしくて、ザヴィヤヴァはセネルに見えないように小さく笑った。
「そうなさいませ。では、ヴィアは失礼いたしますね」
 きびきびと、と表現するのがぴったりの歩調で、ザヴィヤヴァは手早く目に付いた調度だけ整えると、部屋を出て行った。
 セネルはそれを見送った後、なおもどこか納得できていない気持ちを押し潰すように、ベッドに突っ伏していた。

 翌朝。
 早朝には、ディオン率いる竜騎士は、すべて南の空に飛び立っていった。同時に、王宮から外門へ至る大通りは、露店を出さないように兵が配され、街の人々はそれで、即座に『何かあった』と察することが出来た。
 そして、朝も早いうちに布告が出され、コニールの街の南で暗黒教団――ロプト教団と区別する名称である――が蜂起したこと、それがかつてない規模であること、それに対してトラキア王国の全軍をもって当たることが布告された。
「街の様子はどうだ?」
「反応は様々ですが、パニックになるということはなさそうです。リーフ陛下ならば、という雰囲気ですね」
「そうか」
 そうはいっても、説明を求める市民も少なくはない。また、そうかからず『闇の竜』の存在が人々にも伝わり始めるだろう。この目で見ないことには、判断を下すことは出来ない。
 だが、リーフの知る限り、ユリウスの顕現させた『竜』よりも強大なのではないか。その可能性を、リーフは恐れていた。
 かつて、ミレトスで直接相対した時、そして最後に、セリス皇子、ユリア皇女が二人で相対した時。ユリウスが竜を顕現させたのは、その二回だけだ。後者の時は、リーフは決戦地たるバーハラから遠く離れていたため、その力を感じる程度しか出来なかったが、最初の時はそれを間近に感じている。だが、それでもその竜の大きさは、人の十倍程度。だが今回、コニールの街からもその巨大な姿がはっきりと見えると言う。それは、かつてより遥かに巨大だということではないのか。
 無論、大きければ強いというわけではないだろう。だが、それだけの大きさを顕現させられるという事実は、やはり相手の力の大きさを表しているようにも思える。
「何、大丈夫ですよ、きっと陛下がたどり着かれる頃には、もうディオン殿下とアリオーン大公閣下が、討ち果たしておりましょう」
 ランスリッターの若い騎士の楽観が、今のリーフにはむしろ羨ましかった。
 彼は聖戦を経験していない。ゆえに、あの闇の力の恐ろしさを知らない。
 思えば、聖戦からもう二十年以上経っている。第一線にある騎士は、いずれも聖戦の時はまだ幼子や乳飲み子だ。
 戦後も、あの暗黒時代の影は、深刻な人不足を起こしていた。本当の働き盛り、といえる三十台の者が、今あまりにも少ない。それは、子供狩りの影響である。イザーク王国が他国より大きく成長できた理由の一つが、この子供狩りによる被害が非常に少なかった、という理由もあるのだ。
 ゆえに、今のランスリッターは、その大半が戦争を知らない世代である。あるいは聖戦を戦い抜いた者もいなくはないが、多くは老齢で第一線に立つほどの体力は、すでにない。
 かくいうリーフも、今年で三十九歳。年老いた、というにはあまりに早いが、かといって若い頃ほどの無理は利かない。とはいえ、そんなことを言うと今回も先陣を切るアリオーン大公は四十四歳、竜騎士団長ディーンも四十三歳になる。彼らに比べたら、まだ若い方だろう。
「我々も昼には出陣する。ナンナ、セネル、後は任せるぞ」
「はい、リーフ様」
「いってらっしゃいませ、父上」
 セネルはまだ納得しきっていない様子でもあったが、それでも今はこれしかない、と思ってくれたらしい。
「若くないのですから、ご無理をなさらないで下さいね」
「うん。出来れば本当に、ディオンがさっさと終わらせてくれることを期待してるさ」
 ナンナの言葉に、リーフは微笑しつつ応える。
 本当にそうなってくれればいい。楽観的な、と言われようが、戦いなどすぐ終わるにこしたことはないのだから。
 だが、そのリーフの願いは、出陣した翌日の朝、最悪の報告で破られることになる。

 コノートを発したディオンは、麾下の三百の竜騎士を引き連れ、一路南へと飛んだ。目指すはコニールの街。その街の近くにある砦に駐屯、その後アリオーンと合流し、『敵』を把握、場合によっては攻撃もかける。
 馬ではどう飛ばしても一日はかかる距離だが、飛竜にとっては半日の距離もない。風に乗った飛竜は、早馬の数倍の速度で空を行くことが出来るのだ。
 程なくディオンは、目的地に着いた。さすがに、南トラキアから来るアリオーン大公らが率いる竜騎士は、まだ到着していないらしい。
 この砦は通常は無人であるが、このような有事のために――これまでほとんどなかったが――国内各地に設けられた砦の一つで、コニールの街の東の山間にある。コニールの街までは徒歩でもそう遠くないが、見通しは利かない。山の稜線が邪魔になって、特に南側はほとんど見えない。
 これは軍事拠点としてはかなり致命的な欠点ではあるが、元々この砦は空を飛ぶ竜騎士に対抗するために作られたものである。また、砦の周囲にはいくつかの見張り台があり、それらの間で松明の明りによる連絡手段が確立しているのだ。
 ディオンは低空飛行でこの砦に入ると、すぐに見張り台を機能させるように命じた。
 話の通りなら、南側の見張り台からならば、その『竜』が見えるはずだ。
 かくして、報告はもたらされた。だが、その報告を行った兵の顔は恐怖に凍りついていた。
 そしてその報告を確認するために、見張り台へ向かったディオンもまた、同じ表情をすることになったのである。

「こ、これが……」
「ロプトウスだと……いうのか?」
 日暮れになって到着したアリオーンとディーンは、ディオンとまったく同じ表情をすることになった。
 二人とも、かつての聖戦を経験し、また、アリオーンは間近にユリウスの力を感じたことすらある。
 だが。
「……あのユリウス皇子より、強力かもしれん」
 そのアリオーンの呟きは二人を凍り付かせた。
 三人とも、あの中心にあるのがロプトウスの魔道書であろうことは知っている。だが、継承者がいないということも聞いている。そのはずだ。少なくともリーフはそう言っていたし、アリオーンもディーンも、セリス王が偽りの情報を渡すとも思えない。
 だが、だとしたらあの強大さは一体何なのか。
「いずれにせよ、迂闊に手は出せない。奴が移動し始めたらその限りではないが……それでよろしいか、ディオン王子」
 アリオーンの言葉に、ディオンは頷いた。
 竜騎士団では、団長のディーンがトップにあり、彼はトラキア大公たるアリオーンに仕えている。そのアリオーンはリーフ王に忠誠を誓約しているが、ディオンはトラキア王国の王太子であっても、竜騎士団の中では、ディーンの部下として竜騎士団の一軍を率いる将でしかない。だが、アリオーンはディオンを尊重し、彼の意見を聞くようにしている。
「正直、あれほどとは思わなかった……」
 ディーンの言葉に、アリオーンも頷いた。
 巨大である、とは聞いていた。だが、まさか山ほどもある巨躯であろうとは、思いもしなかった。
 夕闇の向こう側に見たので、はっきりとは見えなかったが、それでも夕闇の中でも映えるほどに暗いそのシルエットは、見間違えようもない。
「あれがもしかつてのロプトウスと同じ力を持っているとしたら……ナーガの……ユリア公妃か、セリオ王子の到着を待った方が良いかもしれませんな」
 ディーンの言葉には、若干の悔しさも混じっている。
 国内で起きた争乱に、自国の力だけで片をつけたい気持ちはある。だが、この状況は、どうやらトラキア一国だけの問題ではないような気がする。
「そうだな……」
 今のところ、ここ以外で暗黒教団が蜂起したという――ここについても暗黒教団が蜂起したといえるかは疑問だが――話はない。とすれば、大陸の戦力をここに集中できる。そうなれば、光のナーガの力ならば、ロプトウスに対抗できるはずで、あの竜さえどうにか出来れば、あとはどうとでもなるだろう。
 だが。
「た、大公閣下!! 竜に、竜に動きが!!」
「なに!?」
 三人は慌てて、南側の見張り台へと飛んだ。
 陽は完全に落ち、夜の闇が周囲を満たしてはいるのだが、今夜は満月に近い月が昇っており、むしろ夕闇より明るいくらいだ。
 その、銀色の光で照らされている地上で、まるで黒インクを落としたように闇がある。その輪郭は竜をかたどっており、圧倒的な重圧感を、ずっと感じさせられていたのだが、それがはっきりと分かるほどに増大していった。
「な……なんだ?」
 キィィィィィィィィィ……
 耳鳴りに近い音が、周囲に響く。直後、竜の首が、大きく鎌首をもたげ、そしてその先端――口にあたる部分――から『闇』が溢れた。
「なっ!!」
 誰がその言葉を言ったかは分からない。ただ、大地を這うように突き進んだ闇は、まっすぐにコニールの街へと向かい――その一角を『通過』した。崩壊する城壁。まるで、闇に『喰いちぎられた』ように、城壁は無残な破壊痕を残して吹き飛んだ。その内側にあった家屋もまた、粉々になっている。
 途方もない射程距離と破壊力だ。その威力たるや、神器に匹敵する。
「全軍出撃!! 直ちにあの竜を殲滅する!!」
 アリオーンは即座に号令した。
 勝てるとは思えない。だが、少なくとも攻撃をかけることで、相手に攻撃をさせる余裕を失わせることは出来るはずだ。
 こちらには、神器でも随一の破壊力を持つ、天地二槍もある。
 それにこれ以上、あの力がトラキアを傷付ける様なことはあってはならない。
 月夜の空に、数百の飛竜が舞った。ある種それは、幻想的ともいえる光景だ。
 アリオーン、ディーン、ディオンの三人に指揮された竜騎士は、それぞれに鮮やかな隊列を描き、竜へと突進する。
 攻撃をかけることが目的ではない。だが、かく乱するにしてもある程度近付かなければならないのだが――
 ――逃げて――
 一瞬、確かに何か聞こえた。ディオンは驚いて、周囲を見回す。だが、誰もディオンに話しかけてはいない。
「……誰だ!?」
 言葉と同時に見えたのは、誰かの顔だった。表情は、判然としない。ただ、泣いているようにも見えた。
「君は……」
 その瞬間、アリオーンらをはじめとした、全ての竜騎士達の視界は、闇に染まった。
 一条の光も射さぬ、完全な闇。それが、先ほどの攻撃と同じものだと気づく前に、彼らの意識は途切れた。

 翌朝、リーフの元にもたらされた報告は、文字通りリーフを慄然とさせた。
『竜騎士団、全軍壊滅。大公アリオーン、竜騎士団長ディーン、王太子ディオン、いずれも生死不明』
 それが、この『黒の処断』の最初の犠牲者だった。




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闇の咆哮 >


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