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聖王倒れる




 その日は本来、春分祭の初日であった。
 人々はこの日のために色々と準備をし、また、何日も前から祭りの日が来るのを指折り楽しみにしていたものだ。
 だがその日、人々の間にあったものは祭りを楽しむ人々の笑顔ではなかった。
 代わりに満ちていたのは――恐怖に慄く悲鳴。
 そしてそれは、大陸の主だった都市のほとんどで、例外なく起きていたのである。

 マズル・コーリアスは、さっきまで自分は運が良い、と思っていた。
 これまでは、ごく平和な生活をする、どこにでもいる少年だった。
 しかし、幼い頃から何度も聞かされていた十二聖戦士のサーガ、そして生きた伝説達――セリス王やリーフ王――のサーガと、その物語を彩る幾人もの英雄達。いつか自分もそうなるのだと、英雄に憧れ続けていた。
 そして退屈な田舎を飛び出し、バーハラまで来たのは、特に理由があったわけではない。ただ、英雄になるにはやはり大きな街であるほうが良いだろう、と思っただけである。軍人になり、いずれは騎士になって見目麗しい姫君とのロマンスなどと――少年の夢は果てしなく広がる。その第一歩として、彼はバーハラの門をくぐった。
 そしていざ、さてどうやって軍に入ろう、と思ったら――なんと軍で傭兵を募集していたのである。
 これは運命に違いない――マズルは迷うことなくそれに応募した。
 剣には少し自信がある。村では、大人も含めて誰も自分には敵わなかった。多分自分より強い人はたくさんいることはいるだろうが、自分だっていつかはそのくらいになってみせる。自分に足りないのは経験だけだなのだ。そのためにも、この傭兵の募集は、まさに自分が栄達するための道と、自分に足りない経験を提供してくれる最高の場所だったのだ。
 さらに彼は自分の幸運を強く確信する事態に出会う。なんと、マズルが配属された部署に、この国の王子と王女が現れたのだ。
 名前しか知らない、今はまだ雲の上の存在が、声をかければ届く距離を通った。それは、自分の未来を感じさせた。
 王子の名はセリオといい、あの聖王セリスの息子にして、神器を継承する身であるという。神器という、伝説の中の存在に等しいそれを継承するということが、どういうことなのか、マズルには正直良く分からない。単に『すごい』としかいえない。ただ、その王子はごく自然な感じで、非常に秀麗ではあるが、すごく馴染みやすい雰囲気を持っていた。
 そしてもう一人の王女――マズルにはこちらのほうがより気になった――は、輝くような金色の髪と吸い込まれそうな紫の瞳の女性だ。シア、という名前しか知らないが、自分とそう年齢は変わらないようにも見える。グリーンのドレスがとても似合っていて、まさに深窓の姫君、という理想がそのまま現れたようにすら思えた。
 残念ながら(当然だが)彼らはマズルに会いに来たわけではなかった。マズルが配属された部隊の副隊長に会いに来たらしい。
 傭兵部隊の隊長は正規兵が務めるが、副隊長は傭兵が当てられている。マズルはそれならば自分だって、と思ったが、まだ自分には実績がない。だが実力を示せば、副隊長はもちろん、いずれは騎士として認められることだってありえるはずだ。そうなれば、先ほどのあの美しい姫と話す機会だって当然あるだろう。
 それに、少なくとも、この国の王子と王女がわざわざ会いに来るということは、副隊長も傭兵でありながら、名のある戦士なのだろう。だとすれば、まず彼に認められるようになれば十分だ。
 そう思ったところで、彼はもう一度その副隊長と王子、王女の方を見て唖然とした。
 副隊長は、いつもフードを被っていて、その顔が見えなかったのだが、さすがに王子や王女と話す時は外した。その時見えたのは――その下にあったのは、驚くほどに美しい銀色の長い髪の――女性だったのだ。一緒に話しているシア王女と比しても遜色ないその美貌は、だが、良く見れば年齢はやはり自分とそう変わらないように見える。
 あるいはもしかしたら、あの副隊長は、どこかの貴族の出で、わけありで傭兵などしているのかもしれない。サーガでもよくある話ではないか。でなければ、王子や王女が直接会いにくる理由などない。
 やはり自分は、運がいい――マズルは、そう思っていた。
 戦いが始まるまでは。

「久しぶり、だね」
 およそ友人に会いに来たとしか思ってない口調――いや、実際そうなのだろうが。
 だが、その声の主の本来の身分――グランベル王国第一王子――を考えれば、こんな場所にいて良いはずは、断じて、ない。ないはずだ。
「そうですね、王子」
 溜息を吐きつつ、答える。
 声には半分以上、呆れの感情が込められている。これとて、狭量な王子なら『不敬罪!!』とかで捕らえられかねないが、目の前に立つ王子がそんなことを気にする性格ではないことは、良く知っていた。
「貴女なら、傭兵としてじゃなくても良かったのに」
 こちらはその妹――つまりこの国の王女だ。
「そうそう、個人的な知己で特別扱いされるわけにもいきませんし」
「相変わらず、だね。まあ、アルフィリアらしいけど」
 アルフィリアと呼ばれたその女性――マズル達の部隊の副隊長――は、もう一度溜息を吐いた。
 なんでこんなことになったのやら、と思うが……多分自分は悪くはない、と思う。悪いのはこの王子たちだ。多分、きっと。
 大体、バーハラの傭兵や冒険者が集まるような酒場に、王子や王女が伴も連れずに来るなど、誰が考えようか。
 元々自分は結構浮いていた。まだ二十前の年齢で、しかも女の身一つで傭兵をやっているのは珍しい。しかも自分はあまり人を寄せ付けない、そんな雰囲気があるらしい。それゆえ、良く一人で仕事をしていたのだが、そこに現れたのがこの二人だ。
 評判の傭兵を見に来た、と言っていた。それは嘘ではなかったのだろう。
 身なりや断片的な話の内容から、彼らが上流階級に属する人間であることは、容易に想像がついた。だがせいぜい、騎士か下級貴族だとばかり思っていた。それほど頻繁ではないが、二ヶ月に一度くらい酒場で会うことがあり、他愛ない話を肴に酒を酌み交わしたことも何度かある。
 その彼らがグランベルの王子と王女だと分かったのは、ついさっきだ。
 路銀がやや心許なかったアルフィリアは、ちょうど良かったので今回の募集に応じた。
 登録を終えたアルフィリアは、城内にセリオがいるのを見つけたのである。他に貴族はいなかったので、妙なところにいるな、と思い声をかけたのだが――。
 そもそも、それほど珍しくない名前とはいえ、この国の王子と王女と同名だった時点で、気づくべきだったのかもしれない。ただ、自分に非があるとすれば、せいぜいそのくらいだ。その、はずだ。
「こんなところにいてもいいのですか、お二人とも」
 王女はともかく、王子は軍を率いる立場にあるはずだ。こんなところで、世間話に興じている暇などあるのだろうか。
「うん。でもまあ、編成はもう終わってるし……」
 セリオはそこで声を潜めた。
「『敵』がどこから来るのか、どういう形で来るのかが分かってない」
 その時の表情は、先ほどまでのセリオの表情とはまるで違う。一瞬で、アルフィリアもまた、気を引き締めた。
「一体今回の敵、というのは……?」
 突然の傭兵の募集には、当然だが誰もが不穏な気配を感じずにはいられなかった。だが、その理由について、軍からは『同盟国にて大規模な反乱の気配があるため』としている。だが、自国領内でないのであれば、基本的に軍を出す理由はない。にも関わらず集められた、ということは、その反乱が飛び火してくる可能性がある、ということである。
 だが、第二次聖戦が終わってから二十年以上が経過している。ここ十数年は、大規模な反乱はおきてはいない。大陸は平和であり、治安も安定している。実際傭兵の仕事などはどんどん減っていて、アルフィリアも真面目に転職を考えるべきかもしれない、と思っているほどだ。
 そんなとこにあったこの大々的な傭兵の募集は、渡りに船ではあったが、不信感は拭えない。
「まだ、なんともいえない。ただ、暗黒教団である可能性は、高……!!」
 突然、セリオが姿を消した。一瞬光の円が見えたことから、転移魔法を使った、ということはかろうじて分かったが、驚くべき発動の速さだ。
 そして直後、凄まじい轟音が、バーハラ全体を震わせた。

「な、なんなんだ!!」
 戦いというのはもっと格好よくて、騎士と騎士が剣を競い合い、指揮官は知略の限りを尽くした華麗な戦術を披露し、兵士は指揮官の命令に従って整然と行動してその戦いを勝利に導く。そういうものだと、思っていた。
 だが、今目の前で行われているのは、そんな華麗さなど微塵もない。
 泥臭さすら感じる乱戦が展開されているだけだ。
 先ほど響いた轟音の正体は、誰にも分からなかった。ただ、街の人々が『遠くから何か黒いものが飛んできて、それにお城から白い光が飛び出して激突した』というわけの分からない話だけが聞けた。問題はその後だ。
 突然、街の人々の一部が暴れだした。いや、暴動などというものではない。
 街の人々が、あろうことか武器を持ち、その隣人に襲い掛かったのである。
 これに対して、傭兵隊には直ちにその鎮圧が命じられた。
 だが。
 外に出たマズルの目の前で起きていた戦場は、兵士と兵士が戦うものではなく、暴れ狂う市民と兵が戦う、ありうべからざる光景だったのだ。
 さらにそこに、アルフィリアから発せられた命令はマズルを驚愕させた。
「武器を持って暴れる市民は、極力取り押さえるようにしろ、ただし、それが困難な場合は殺傷も已む無し」
 騎士とは、いや、軍隊とは無力な市民を守るための存在ではないのか。少なくとも、マズルはそう思っていた。
 敵を倒し、味方を助け、そして戦いを勝利に導く。それが英雄ではないのか。
 それが、いくら暴動を起こしているとはいえ、已む無き場合は殺害せよ、などと……。
「うがああああ」
 呆けていたマズルに、市民の一人が斧を振りかざして迫ってきた。マズルは慌てて、その斧を剣で受ける。重い金属音と共に、衝撃が腕から足へと抜けていく。その、斧を振りかざしてきたのは、どう見てもごく普通の街人だ。ただ、その目だけは正気を失ったように、赤い。
「止めろ!! 目を覚ませ!!」
 必死に呼びかけるが、相手は聞く様子がない。
 いつまでも支えきれない、と感じたマズルは、攻撃を逸らそうとしたところで、その逸らす先に女の子がいることに気がついた。
 まだ六、七歳くらいの、青い髪の女の子だ。長い髪を、左右に束ねた、瞳の大きな子で、あどけない表情で、不思議そうにこちらを見ている。
「に、逃げろ……!!」
 もしマズルが冷静であれば、この状況の異様さに気づいただろう。これだけ混乱する街中で、この年齢の女の子が一人で、しかも平然と歩いているなど、あるはずはない。
「うん。でもリィ、お仕事があるの」
「え?」
 直後不思議な音律が聞こえ、マズルは焼け付く様な痛みと共に吹き飛ばされた。幸か不幸か、マズルに切りかかっていた男も一緒に吹き飛ばされたので、マズルの頭に斧が振り下ろされることはなかったらしい。
「な……」
 剣で斬られた痛みとは、まるで違う。殴打された痛みとも違う。一番近い痛みは火傷だが、それとも違った。
 上着はボロボロになっていて、かろうじて革の胸当てと肩当だけが残っている。そして、むき出しになった肌は、わき腹から背中方向にかけて黒ずんでいた。そこはすでに感覚がない。
「あ、が、ぐっ」
 それは、闇魔法の一つ、ヨツムンガンドの威力だったのだが、マズルにそれが分かるはずはない。そして、吹き飛んだマズルのところに、先ほど『リィ』と名乗った少女が、とことこと近寄ってくると、不思議そうに首を傾げる。
「あれぇ? お兄ちゃん、まだ死ななかったんだ。やっぱリィ、まだ弱いんだねぇ」
 一瞬、背筋が凍った。
 今、この少女は何を言ったのだ。
「ちゃんとしないと、怒られちゃうの。だから、ちゃんとやるね」
 少女は手をかざす。先ほど聞こえた不思議な音律が、再び聞こえた。それは、間違いなく少女の口から紡がれている。
 唐突に、少女のかざされた手がかすんだ。いや、間に何かが挟まって見えなくなっていく。それは、闇が間に出現しているのだ。
 だが、次の瞬間、少女はその『闇』を散らせてその場を飛びのいた。半瞬後、少女が立っていた空間を光閃が通過する。それは、壁に当たってカチン、と音を立てて落ちた。投擲用の短剣である。
 それに続いて、銀色の影がマズルと少女の間に飛び込んだ。
「生きてる!?」
 副隊長のアルフィリアだ。とすると、さっきの短剣を投じたのも彼女なのか。
 そのアルフィリアは油断なくその少女に剣を向ける。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、副隊長。そんな女の子に何を……」
 言いかけたとき、アルフィリアはまさに踏み出そうとする。その瞬間、マズルは驚くべき速さで行動していた。
 がつ、と剣と剣がぶつかる音が響きわたる。
「な……何を考えているの!?」
 マズルはアルフィリアとリィという少女の間に立ち、アルフィリアの剣を受け止めていたのだ。
 良く体が動いた、と思う。そして自分でも驚くほど速く動けている。アルフィリアの剣の鋭さは、マズルのそれを遥かに凌いでいたにも関わらず、だ。
「ど、どんな理由があろうが、こんな女の子に剣を向けるなんて間違ってる!! 俺はそんなことのために戦うんじゃない!!」
 そうだ。
 どんな理由があろうと、こんな女の子を殺そうとするなんて間違っている。それは、英雄のやることじゃない。
「バカなことを!! どきなさい!!」
 アルフィリアがマズルの横を駆け抜けようとする。マズルはそれをさせまいと、アルフィリアに剣を振るった。
「邪魔をするなら……!!」
 続いて繰り出されたアルフィリアの剣は、いずれも本来マズルでは受けきれるはずのない鋭さだった。だが今、マズルは何かにとりつかれたかのようにそれらを受けきった。それは、マズルが本来持っていた資質が、この状況で開花したのかもしれないが――。
「ありがとう、お兄ちゃん。これでリィ、お仕事が出来るね」
 声だけ聞こえた。だが、彼女が何をしているかを確認する余裕は、ない。
 そして、マズルは再び先ほどと同じ衝撃を受けた。その瞬間、アルフィリアはマズルの視界から消える。
 倒れ伏したマズルの、暗くなる視界に見えたのは、少女へと剣を振るおうとするアルフィリアの姿だった。

 広大な、バーハラ王城の謁見室。そこで、セリスは指揮を執っていた。
 市街の混乱に対しては、街の衛兵と傭兵で当たらせている。敵の狙いが読めない以上、今、主力たる騎士を出すのは得策ではない。混乱の規模は大きいが、セリスは今回、騎士を温存できるように、大々的に傭兵を募集している。何とかなるはずだった。
「状況は?」
「市街の混乱はまだ治まる様子はありません。ただ、傭兵部隊がかなり効率よく対応しており、程なく収束できると思われます」
「そうか」
 セリスは、騎士の報告に頷いた。
 横にいるラナは、不安そうな表情をセリスに向ける。
 さすがにこんな混乱は予想はしていなかった。まさか、街の人々までも利用するとは。
 ただ、幸い募集したばかりの傭兵が上手く対処してくれている。バーハラの戦力は、騎士団であるヴァイスリッターが五百、それに従騎士や歩兵を合わせて約二千、合計三千弱の兵がいるが、それでは足りない恐れがある、と考えて、セリスは即座に傭兵を募集したのだが、これが幸いした。街の人々に被害が出るだろうが、これはもう避けようがない。せめて、最小の被害で住んでくれ、と願うばかりだ。
「他の地域の情報はまだないか」
「はい。状況が状況ですので、近郊都市からの報告もままならず……ぐっ……あっ」
 それまで普通に報告していた騎士が、突然、苦しそうに突っ伏した。
「どうした!?」
 セリスは驚いて、玉座から降り、騎士に駆け寄る。普通ならまずしないが、セリスはそういう王だった。
 だが。
 次の瞬間、鮮血が飛び散った。セリスの纏う青を貴重とした王服が、血の赤に染まる。
「え……」
「陛下!?」
「セリス様!!」
 まるでスローモーションのように、セリスは仰向けに倒れる。直後、騎士は血のついた剣を握り締めたまま、さらにセリスに剣を振るおうとしたところで、その振り上げた腕が吹き飛んだ。
 剣を持ったままの腕が、宙を舞う。
「父上!!」
 どうやったのかは、分からない。ただ、今まさに謁見の間に入ろうとしていたセリオの声が、謁見の間に響いた。
 腕を吹き飛ばされた騎士は、殺意――というより狂気――に満ちた目で、呆然と立ち尽くす兵から槍を奪うと、あろうことかその、本来騎馬兵用の槍を、セリオに向かって投じた。ありえないほどの膂力である。
 だが、セリオはそれをこともなげに避けると、二十歩以上の距離を一瞬で縮め、その騎士の懐に飛び込んだ。
「……すまない」
 光が踊った。誰の目にも、そうとしか見えなかった。
 次の瞬間、騎士は残った腕、そして両足と首が、ことごとく切り離されていた。
 なぜか血は、一滴も流れなかった。
「父上!!」
 セリオはそれに見向きもせずセリスの元に駆け寄る。
「大丈……夫……だ。お前がその様に慌てるな……士気に関わる……」
「動かないで下さい、父上」
 セリオは言うが早いか、セリスの傷口に手をかざす。そこから光が溢れ、セリスの傷は急速に塞がっていった。
 おお、と周りから声が漏れる。
 だが、傷口が完全に塞がってもなお、セリスは苦しそうな表情のままだった。
「これは……」
「セリス様、大丈夫ですか?!」
 ラナの言葉に、セリスはかすかに頷くと、気を失った。典医がすぐに呼ばれ、セリスはすぐ寝室に運ばれる。
 だが、バーハラの悪夢はまだまだ終わる気配を見せていなかった。

「う……」
 まどろみに沈んでいた意識が覚醒した時、最初にいきなり猛烈な激痛が全身を襲った。このまま死んだ方がマシだと思えるほどの痛みだ。
「あ、あ、ああああああ」
「気付いたようね、マズル」
 必死に痛みに堪えていると、すぐ横に、意識を失う最後に見た人物のうちの一人がいた。
「バカにもほどがあるわ。何を考えていたの」
 その冷ややかな目は、マズルをたじろがせるに十分であった。おそらくほとんど年齢が変わらない、しかも女だというのに、この迫力は一体なんだというのか。
 それに、今ここはどこで、戦いはどうなったのか。
「戦況は収束気味。市街の混乱は治まりつつあるわ。ここは街の教会。負傷兵の仮の収容所になっている」
 マズルの考えを先読みしたように、アルフィリアが言う。そして、先ほどの問いの答えをマズルに求めるように、睨み付けた。
「あ……あんな女の子を殺すなんて、ま、間違ってるだろう、どう考えたって!!」
「貴方、確か戦うのは初めてね。ということは、人を殺したこともないんでしょう?」
 思わずマズルは息を呑んだ。
 殺す、という行為。それを自分がやると考えたことはない。だが、今自分が生業としようとしたのは、それを行うことである。
「けど、戦場ではどんな相手が敵だろうが、倒すしかない。殺さずに制することが出来ればそれに越したことはないのでしょうけど、そんな状況は滅多にない。それが分からないなら、貴方はこの仕事、下りなさい」
 その時になって、ようやくマズルは思い至った。
 戦うということ。戦場で活躍するということ。それは、戦場で、より多くの敵を『殺した』ということに他ならないということを。
「俺、は……」
「ま、すぐ結論出さなくてもいいわ」
 そういうと、アルフィリアは立ち上がる。実際、暇ではないのだろう。
 その時、マズルははっと思い出した。あの、小さな女の子はどうなったのか。やはり、アルフィリアが『殺した』のだろうか。
「あ、あの女の子は……」
 アルフィリアはぴた、と立ち止まると、心底呆れたような表情で振り返った。
「とんだお人好しね。自分が殺されかけた相手の心配なんて……あの子は生きてはいるわ。あの中で、数少ない『自分の意思で』戦っていた子だからね。捕らえて、王宮に引き渡したわ」
 少なくとも死んではいない、ということがわかって、マズルは安心した。安心すると、疲労が体を包み込む……が。ここで眠りに落ちれれば良かったのだが、痛みがそれを許してはくれなかった。

 バーハラ王宮は騒然となっていた。
 セリスが斬られ、しかも重態だという。傷はすぐセリオ王子が治したらしいが、起き上がることが出来ないらしい。
 良くも悪くも、バーハラはセリスの存在が大きい。かつての解放軍の盟主であり、聖王とも謳われるセリスがいるからこそ、バーハラの人々はいかなる危機があろうと乗り切れる、と思ってこれまで来ていた。
 実際、第二次聖戦後も、決して順風満帆だったわけではない。
 表立ってセリスに刃向かう貴族が連合を組んで内乱状態になりかけたことだってある。あるいは、暗殺されかけたこともあるし、狂気にとらわれた暗黒教団の信徒が街で暴れて混乱したことだってあった。他にも、記録にも残せない数々の陰謀、暗殺劇は、それに関わった人々の記憶に血文字で記された、消えることのない裏の歴史だ。
 だがそれでも、セリスは偉大なる王として君臨し、バーハラの人々はセリスがいる限りは、この平和は続く、と信じるようになっていた。
 その王が倒れた。これは廷臣達に、グランベル王国自体に亀裂が入ったかのような錯覚を覚えさせたのである。
「セリオ……」
「父上、無理をなさらず」
 セリオは何度も治癒魔法をかけたが、セリスは快癒しなかった。サイアス、ラナ、そしてセリオは、これは呪いだろう、という結論に達した。あの騎士がなぜあのような凶行に及んだのかは分からない。だが、今回の暴動と無関係であろうはずはない。
「お前が、私に代わって指揮を執れ。私の代わりになる者はお前しかいない」
「しかし……」
 未だ立太子の儀を終えていない。何より、自分の身に宿る秘密が、自分がこのバーハラの主になるということに対して、躊躇いを感じさせる。
 それに、この年齢になってなおも立太子の、継承の儀を終えていないことに、不信感を持つ廷臣がいることも事実だ。
 それはセリオの、指導者としての資質への疑念になっている。
「お前なら、大丈夫だ……。私以上に上手くやれる……いつまでも日陰にいようとするな。お前のことは、私が一番良く知っている。大丈夫だ、お前なら、闇に呑まれたりはしない」
「父上……」
「それから……自分の力を恐れるな。お前の力は、あるいはこのためにあったのかもしれん。力を恐れるあまり使わずに、逆に被害を広げることもある。遠慮するな。お前は立派に、力を制御して見せたじゃないか……」
 あの、暴動の寸前。セリオは、どこからか飛来した『闇』を知覚したのである。
 それは、強力で、そして純粋な『闇の魔力』の塊だった。アルフィリアの前から消えた時、セリオはそれを感じたのである。
 即座に迎撃しようとしたセリオは、だが、剣ではそれを振り払えないことを理解した。それほどに、その『闇』は強大だったのだ。
 已む無くセリオは、実に十数年ぶりに、自らの魔力を解放したのだ。
 これまでも、治癒魔法などは使ったことはある。だが、『光』を解放したのは、かつてナーガを手に取り暴走した時以来だった。
 そして、『闇』はセリオの『光』によって完全に相殺され、消滅したのである。
「頼むぞ、セリオ……」
 セリスの目が閉じる。セリオは慌てて呼気を確かめたが、どうやら気を失っただけらしい。
「私に……」
 なおもセリオが戸惑っていると、背中をバン、と思い切り叩かれた。
「シ、シア……」
「お兄様、父上のお言葉ですよ。大丈夫。きっと、やれます」
 こんな時でも、シアの言葉はなぜか場を明るくさせる。それは、セリオの心にある迷いをも吹き飛ばすかのようだった。
「分かった。まあどっちにしても、私がやるしかないからね。……母上。父上のことを、お願いいたします」
「ええ。貴方達も、がんばって。もう、十分やっていける年齢なのだからね」
 かつてセリスは、十九歳で解放軍を挙兵した。トラキアのリーフ王に至っては、十七歳になる前に、レンスターを奪還している。それも、強大な帝国に逆らって。
 それに比べれば、自分達など楽なものだ。

 グラン暦七九九年春、バーハラ。
 グランベル王セリスは呪いに倒れ、第一王子セリオがその全権を引き継いだ。
 このことに混乱する者がいなかったわけではないが、事態は、混乱することすら許さないほどに早かった。




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