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剣聖二人




 ダーナは、見事なほどに廃墟と化していた。
 百二十年ほど前は、小さな砦しかない、砂漠の入り口の街とも呼べない規模の集落だったと言う。
 元々交通の要衝ではあった。
 トラキア半島から、大陸中央へ向かうには、ルートは二つある。
 一つが南トラキアのルテキアから細い谷間の街道を北に抜け、ミレトス地方へと入る道、もう一つがターラ、メルゲンと抜けダーナを通って大陸中央へと抜ける道だ。
 この二つの道は、距離的には非常に近いのだが、両方とも谷底を抜けるような道であり、二つの間には険峻たる山があって、相互に行き来する事は出来ない。そして、街道が整備されたロプト帝国時代、経済の中心はミレトス地方にあったため、必然的に、南トラキアからミレトスへ入る道が多用され、ダーナ周辺はあまり整備されなかった。
 それでも、北トラキアからミレトス方面へ楽に抜けられるように、とこの二つの道の間の山を巨大なトンネルで貫通させる工事が実施されたらしい。莫大な人員――ほとんどは奴隷――と費用をかけたが、失敗に終わっている。
 しかし第一次聖戦後、ダーナは、ダーナの奇跡のあった地――『聖地』として栄えた。さらに、南北トラキアが分裂し、グランベルが北トラキアに近付いた事で、南側のルートはグランベル、北トラキア共に使いづらくなり、結果として北側のルートが多用されるようになる。そうなれば、その中間地点としてのダーナの価値は上がり、交易の中継点としても栄える事になったのである。
 だが今、ダーナにその面影はない。
 あるのは、高熱によって黒く焦げ、崩れかけた粘土作り――この地方は木材が少ないので家は粘土で作られている――の建物だけだ。
「酷い……」
 フリージの騎士クレオは、半ば以上呆然と、その光景を見ていた。
 すでに季節は夏。
 イード砂漠にも接するダーナは、遮るもののない強い陽射しが容赦なく照り付けるが、日が傾き始めると、途端に冷え始める。
 ダーナは、黄昏時になると、白く塗られた家々が鮮やかな紅に染まる様子が美しい、と評判だったのだが、今は、まるで空よりも先に地上に闇が降りてきたのではないか、と思うほどに黒く塗りこめられている。
 戦乱が始まって、すでに四ヶ月が経過していた。
 最初こそ、大陸各地はずたずたに荒らされ、一時期は全ての国々が滅ぶのではないか、とすらいわれるほど、悲惨な情勢になっていた。グランベルの聖王セリス、アグストリアの獅子王アレスらが斃れたという事実が、悲観的推測に拍車をかけていたというのもある。
 しかしその後、倒れたセリスに代わって全権を引き継いだセリオ王子は、父王以上の指導力を発揮、グランベル国内の争乱をわずか二ヶ月でほぼ鎮圧した。それに一月遅れて、アグストリアでは王太子アルセイドが、シレジア王国の援軍を受け、アグストリアのマディノを占領していた海賊軍を撃破、アグストリア国内の暗黒教団の戦力をほぼ駆逐している。
 最初こそ謎の集団の反乱、とされていたが、現在、すでに敵が暗黒教団である事は、セリオの名で公表されている。ただ同時に、セリオは『ロプト教団』に対して、不当な迫害をすることなきよう、とも布告していた。
 さらにセリオは、各地のロプト教団員を、可能な限り軍や教会で保護――無論反乱に与していない者のみ――している。このおかげで、人々がヒステリックにロプト教団員を殺す、という事態は避けられている。
 そして、ようやく国内が落ち着いた頃、セリオはアグストリアを鎮圧し、一部のアグストリアの援軍と共に来たシレジア王国の援軍を、グランベル国内で編成した援軍と共に、トラキアへ派遣した。
 今回の戦乱において、最も被害を受けているのがトラキア王国だった。その被害のほどは、実はまったく分かっていない。
 というのも、最初に大陸中に『闇』の攻撃が降り注いでから以後、各国はその対処に手いっぱいで、他国を省みる余裕はなくなっていた。被害のなかったシレジアは雪で動くことが出来ず、トラキアに唯一援軍に向かったのがイザーク軍だったのだが、そのイザーク軍がダーナで壊滅的な被害を受けた、と報せられたのは、戦乱の一月後である。
 幸いにも、シャナン王らは無事だったが、イザーク軍の被害は致命的で、セリオは急遽、エッダから神官団を派遣している。
 その後、イザーク軍は一度エッダへ――すでにメルゲンは暗黒教団によって制圧されていたため、突破不可能だった――転進している。
 そしてようやく、グランベル、アグストリア、シレジア、イザークが連合軍を編成し、ダーナまで戻ってきたのである。
 イザーク軍を壊滅させるために、街中に火を放った、とは聞いていた。だが、これはあんまりではないか。
 ダーナには、少なくとも三万人はいたはずだが、生きている者は皆無らしい。全員、焼死したということか。
「想像以上だわなぁ、これは」
「オルヴァ殿……」
「まあ、起きちまったことは変わりようがねぇ。ただ、もうこんな事はあっちゃいけねえな」
 クレオも無言で頷く。
 砂漠特有の、夕暮れ時の乾いた冷たい風が、二人の間を吹き抜けた。到着した時、すでに日が暮れつつあったから、街を視て回る余裕はなかったが、視て回っても何もないだろう事は想像に難くない。むしろ、焼け焦げた死体があちこちに転がっている可能性を考えると、ぞっとする。
 軍勢はダーナの南、メルゲン谷の入り口に駐留している。ここで部隊を再編成した後、メルゲンを攻略する予定だ。
 連合軍の大将はイザーク王シャナン。バーハラで、セリオがセティ王と話をして決めたらしい。
 セリオが推薦し、セティもこれに同意した。この戦いに参加している人物で、国王はイザーク王シャナンとシレジア王セティの二人。そしてセティは、年齢やかつての経験もある事から、セリオのこの推薦に反対はしなかったらしい。
 副将は当然シレジア王セティである。
 軍を構成するのは、グランベル各公家から派遣された騎士、傭兵、シレジア軍、イザーク軍だが、このうち最大のものはイザーク軍――信じられないことに、あのダーナの大火でも、七割以上が生きて逃げ延びたらしい――とシレジア軍である。ゆえにこの二人が主副の将軍を務めるのは自然な流れだった。
 もっとも、各公家の全軍を合わせるのであれば、最大の軍は『グランベル軍』と言うことになる。だが『グランベル軍』を率いるべき人物がいない。今回、セリオはバーハラに留まったままなのである。
 ただ、この戦力はかつての解放軍よりも強大であった。
 総数でも、およそ二万。これは、第二次聖戦時の、解放軍の最終的な戦力に匹敵する。
 さらに、継承者の数と神器の数が違う。
 イザーク王シャナン、シレジア王セティはもちろんのこと、その後継者も同行している。
 また、炎のファラフレイムを継承するエティス公女は、イードの守りを固めるために動けなかったが、雷のトールハンマーを継承するシャリン公女は、今回、略式ではあるが、グランベル王の代理たるセリオ王子の前で継承の儀を済ませ、連合軍に参列している。
 さらにドズル公ヨハルヴァとその妻ラクチェ、聖斧スワンチカを継承するヨハン公子、ユングヴィ公レスターと、その子シルヴァ、ヴェルダン王子にして聖弓イチイバルの継承者エルメイア、エッダの教主コープル、クロスナイツを率いるデルムッド。
 そしてイザーク、ソファラの侯爵スカサハと、その妃ユリア。
 神器の数だけでも、ナーガ、トールハンマー、フォルセティ、バルムンク、スワンチカ、イチイバル、バルキリーと十二神器中、半分以上がこの軍に遣い手がいる事になる。
 しかしそれでも、楽観は出来ない。
 一つには、トラキア王国内の情勢がまったく分からない、というのがある。
 セリオ王子は、今回の連合軍に先立ち、少数の傭兵を援軍としてトラキアに派遣したらしいが、それからも連絡はないらしい。トラキア王国は、その地形の特殊性ゆえに、メルゲンとルテキア、二つのルートを塞がれると、陸路ではまったくといっていいほど孤立する。さらに、今回の戦乱以後、イザークからの海路は海流が不安定になっていてほとんど出来ない上に、イザークとトラキア半島の航路は、そのほとんどがトラキア側の船で運用されていたのだが、この戦乱が始まってからは、一度もトラキアから船が来ないらしい。また、イザークから船を出さなかったわけではないが、ことごとく海岸付近で暗黒教団に上陸を阻まれたという。この事から、少なくともトラキア王国は、そのほとんどが暗黒教団に制圧されている事だけは明らかだった。
 この、焼け崩れた街を見ると、トラキア王国内がどうなっているのか、という事が想像されてしまう。
「トラキアは……無事なのでしょうか」
「分からん。だが、トラキア王国はグランベルにも比肩しうる強大な国家だ。そうそう、滅亡するとも思えんが……」
 その時、かさ、という音がして、二人は驚いて振り返った。
 壊滅した街とはいえ、逆に言えば人が隠れるには適した場所だ。敵兵が潜んでいないとも限らない。
 だが、現れたのは灰色の髪の、年齢はオルヴァスよりさらに上に見える男だった。やや暗くて分かりにくいが、その纏っている服はイザークのものらしい。
「失礼。驚かせたか」
 腰に佩く長剣は、わずかに反身がある。イザークの剣士特有の武器だ。
「イザークの方ですか?」
「ええ」
 イザークの人間、ということは、二ヶ月前のダーナの戦いでの生存者だろう。
「っと、失礼。私はクレオ・ウィエ。フリージの騎士です」
「お……自分は、オルヴァス・フレジア。同じくフリージの騎士です」
 オルヴァスが自分の事を『俺』と言わないのは珍しい。基本的に彼は目上に対してすら、時々『俺』と言ってしまうのだが、年配の、それも自分達より先達という雰囲気をさすがに感じ取ったのだろう。
「私はジーン・フェナー。ご覧の通りイザークの戦士です」
 そう言って、ジーンは彼らに近寄ってきた。その時になって気付いたのだが、よく見るとオルヴァスより年長ではあるが、さほど年は離れていないように見える。髪が灰色がかっていたから年配だと思ったのだが、どうやら元々そういう髪の色らしい。
「イザーク……にしては、珍しい髪の色ですね」
 イザーク人は基本的に全て黒髪だ。他国人の親を持つと、たまに違うこともある――ソファラの現在の公子は両方母ユリアと同じ銀髪らしい――から、彼もそうなのだろうか、と思ったが、彼の答えは違った。
「私は元々コノートの出身で。縁あって、二十年近くイザークにいますが」
「コノート……」
 となれば、現在の状況はとても心配だろう。トラキア王都コノートの情報は、現時点では皆無に近いのだ。
「失礼だが、二ヶ月前の戦いに、貴殿も?」
 オルヴァスの言葉に、ジーンは頷いた。
「ええ。彼らの火計にやられました……といっても、あれは火計とすら呼べない。文字通りの意味で、道連れにしようと、ただそれだけを考えられた行動だった……」
 あの、二ヶ月前のダーナ攻略戦時。
 ジーンは、その目の前で爆発した炎で、死んだと思った。
 だがその直後に聞こえたロドルバンの声が、彼を生かした。
「柱を!!」
 それだけで、ジーンはロドルバンの意図を察した。自分のすぐそばにあった、天井を支える支柱に剣を振るい、その半ば近くまで切り込みを入れる。
 直後、爆発。だが、その爆発の衝撃で、柱はあっさりと折れ、そして爆発の影響を受けて天井が崩れ落ちた。その衝撃で床が崩れ、ジーンらは階下に叩き落される。幸い、ジーンは階下にあった兵士用の寝台に落下、大きな怪我もなかったが、ロドルバンは逆に運悪く石畳の上に落下、しかもその上から崩れた瓦礫が彼に降り注いだのである。
 他の四人も何とか無事だった。
 そして彼らは――ロドルバンはジーンが担いだ――砦の外に出て愕然とした。街の全てが、完全に火に包まれていたのである。
 ジーンらは、潜入に使った隠し通路から城外へ脱出できたが、砦に潜入した兵のほとんどは炎によって生きながらに焼かれ、死んだ。
 フィオ王子やスカサハ公爵の生存がひたすら気がかりだったのだが、彼らも無事だった。
 だが、イザーク軍の受けたダメージは小さくなかった。全軍の三割は炎で死亡、残りも、重傷者が半数を超えた。無傷の者はほぼ皆無。とてもではないが、戦いを続ける事など出来る状態ではなかった。
 それから三ヶ月。
 イザーク軍は、再びダーナに戻ってきた。
 ダーナに思い入れのなかったジーンだが、これからはもう、ダーナを忘れる事はできそうにない。
 あるいは、イザークにとってダーナは、ひたすらめぐり合わせの悪い地なのかもしれない。
「ご無事で何よりだったですね」
 クレオの言葉に、ジーンはやや皮肉げに笑った。
 それを見て、クレオは悪い事を言ったのか、と慌てたが、差し当たり言うべき言葉が見つからない。
「あ……その……」
「生きていればこそ、ですしね。貴方も、私も」
 オルヴァスのフォローに、ジーンはそのまま「そうですね」とだけ言って、再び廃墟と化した街を見た。
 見ると、他にも人が何人かいる。もうかなり薄暗くなってるので、顔は判別がつかないが、姿から、多いのはやはりイザーク人のようだ。
 と、そのうちの一人が手を挙げて、こちらに向かって歩いてきた。すぐ後ろには、従卒なのか、もう一人がついてきている。
「おーい、ジーンじゃねえか?」
 最初、イザークの誰かかとも思ったが、違った。その者はグランベルの装束を――それも公爵家に連なる事を示す服を――纏っていたのである。
「……ヨハン公子」
 顔が分かるようになって、ようやく誰であるかが分かった。
 ドズル公子ヨハン。現スワンチカの後継者である。
 彼の母ラクチェはイザーク王家出身であるため、たまにイザークへ来る事があった。イザーク王宮でも他国人のジーンは珍しかったのだろう。その時、何回か話した事がある。
「シャナン陛下にはご挨拶はされたのですか?」
「ああ。今は父上と母上がお会いになってる。難しそうな話になりそうだったから、俺は席を外したんだ」
 本来なら神器を持つヨハン公子こそが、シャナンらと並んで先頭に立つべきなのだが……彼にそういうことが向かないのは、たまにしか会わないジーンもよく知っていた。
「っと、失礼。フリージの騎士殿……かな? 俺はヨハン。ドズルの公子だ」
 ヨハンはクレオとオルヴァスに気付いて、彼らに向き直る。
 いきなり挨拶された二人は、ややあっけにとられてヨハンを見る。
 ドズル家というと、当然だが斧を能く使う。ドズル家の騎士団、グラオリッターも、主武器は斧であり、当然、公家も得意とする武器は斧である。だが、今ヨハンは斧ではなく長剣を持っていた。それも、クレオやオルヴァスが持つような直刃のものではなく、わずかに反りのある、イザーク風の長剣だ。
 無論彼らも、現ドズル公妃ラクチェが、イザーク王家の出身であり、自身も卓越した剣腕を誇る事は知っているが、ドズル家の公子は斧を使うもの、という思い込みが――しかも聖斧の継承者なのだ――あったのである。
「これは失礼いたしました。フリージ騎士、オルヴァス・フレジアと申します。以後、お見知りおきを、殿下」
 さすがに年の功か、回復したのはオルヴァスの方が早かった。
「クレオ・ウィエと申します。同じく、フリージの騎士です」
 クレオも慌ててそれに倣う。
「おう、よろしく。って、ジーンの知り合いか? っていうかようやく再婚する気になったのか?」
 一瞬、場が静まる。そしてようやくその意味が分かった時、まずクレオが「はい!?」と素っ頓狂な声を上げた。
 大体、まともに考えたらオルヴァスとクレオの方が、まだ年齢は近いはずなのだが。
「殿下……彼らとは今この場で知り合ったばかりです。相変わらずですね……大変でしょう、この方の従卒は」
 ジーンは苦笑しつつ、ヨハンの後ろに控えていた少年に声をかけた。
「え、あ、まあ、その……」
「おい、否定しろよ、ウィル……それにこいつは従卒じゃねえよ。俺の友人だ」
 突然ジーンに話を振られた、従卒と言われてしまったのは、アーウィルである。
 ヨハン個人に雇われたアーウィルだが、そのまま文字通りヨハンの従卒のように扱われた。ちなみに、ヨハルヴァやラクチェとも対面するハメになったが、彼らは揃って「息子をよろしく」とまるで嫁(?)にでも出すようにアーウィルに頼んだのである。
 要するに、あの両親ですら、この息子を持て余していたらしい。
 そのあたりの事情を察したのか、ジーンは一人苦笑している。
「しかし……本当によく無事だったな、ジーン」
「ええ、運も良かったようです。ですが、ロドルバン殿は……」
「聞いた。……だが、もう好きにはさせねえ」
 ヨハンはそう言うと、南へと視線を転じ、その方角を睨み付けた。
 その先には広大な谷があり、その奥に城砦がある。
 その城砦の名を、メルゲン、と言った。

 作戦会議は、それほどかからなかった。
 これだけの数の軍勢である。下手な小細工を弄する必要はない。
 メルゲン谷は谷とはいっても、その幅は十分に広く、大軍を余裕をもって展開する事が出来る。メルゲン谷での戦いは、基本的に数の勝負になるのだ。
 かつて、このメルゲン谷が戦場となった事は少なくない。
 近いところでは、セリス達の解放軍とフリージ王国の戦い。これは、解放軍が策によって、フリージ軍に快勝している。
 他にも、グランベル帝国が成立したばかりの頃、フリージ軍が、マンスター地方を制圧したトラキア王国と戦った戦場も、このメルゲン谷だ。あの時は、トラキア王国の将の裏切りで、やはりメルゲン谷を守る側が破れている。
 そして、ほとんど記録すら残っていないが、遥か昔、グラン共和国とトラキア地方にあったという国家――名が残っていない――も、やはり最初の激突はここではないかと云われている。だとすれば、やはり勝ったのは攻め手だろう。
 地形だけ見ると、守る側が有利な地形にしか思えないのだが、なぜかここを守る軍は全て敗退している。
「まあ、太古の昔の戦争はともかく、過去二回は裏切りと策略だからな。ただ、今回は正攻法だ」
「そうですね。神器を扱う者で切り込み、一気に城砦へ迫る。普通なら城砦攻略は厄介ですが、今回はその問題すらありませんし」
 シャナンとセティの言葉に、一同頷いた。
 普通であれば、城壁を持つ城砦の攻略は、容易な事ではない。
 だが、神器を持つ者がこれだけいると、話が変わる。特に、セティのフォルセティは、その強大な風の力で、弓を無効化することもできるし、城壁に肉薄してしまえば、バルムンクやスワンチカの破壊力で城門を破壊することができる。
 ただ、彼らには懸念事項があった。
 これまでにも幾度かあった『闇』の攻撃だ。この場に参列している者で、あの『闇』の攻撃に晒された者はいない。ただ、話によるとファラフレイムと同等かそれ以上とすら思えるほどの破壊力を、しかも広範囲に撒き散らすらしい。もしそれが軍列を直撃したら、たまったものではない。
 最大の対抗手段は、ユリアの持つナーガである。ただ、ナーガだけで対抗できるのかは未知数だった。
 だがこれに関しては、それ以上の対策を練っても無駄、というのが彼らの結論だ。
 乱暴だが、短期的に対策を講じれる相手ではない以上、時間を費やすだけ無駄なのだ。
 そのために、継承者達がいる。
 ユグドラル大陸は、現在統治者のほとんどが、聖戦士の血と力を継承する存在だ。それは、彼らが神々の血を引くから、無条件で崇められているわけではない。
 彼らはその力を持つがゆえに、人々の前に立ち、有事の際に人々を守る。その役目を負っているのだ。だからこそ、人々は自分達を守ってくれる聖戦士を崇め、敬うのである。
 今回、各部隊の先頭に立つのは、いずれも継承者か聖戦士の血を引く者である。
 最悪、『闇』の攻撃があったとしても、聖戦士の力で何とかする。その覚悟が彼らにはあった。
 布陣についても、特に問題なく決定された。
 軍全体を中央と両翼に分け、中央をイザーク軍、左翼をシレジア軍――百名ほどはアグストリア軍――、右翼が残るグランベルとヴェルダンからの軍だ。右翼は基本的に、遊撃軍という位置付けである。
 右翼を構成するのはフリージ家、エッダ家、ドズル家、ユングヴィ家の軍と、ヴェルトマー王家だ。各部隊を率いるのはフリージはシャリン公女、エッダ家はコープル司祭、ドズル家はドズル公ヨハルヴァ、ユングヴィはユングヴィ公レスター、ヴェルトマーはエルメイア王子だ。また、右翼軍の総括として、ヨハルヴァがその役にあたった。
 中央は無論シャナン、左翼はセティが率いる。
 翌日、連合軍はダーナを発し、メルゲン谷の入り口で布陣した。ここからメルゲンの城砦までは、馬で駆ければすぐである。
 そしてその翌日。
 連合軍は進軍を開始した。

 ――愚か者どもが――
 ――神の怒りを受けるがいい!!

 それは、まさに突然であった。
 連合軍は、正面からメルゲンに進軍していた。無論、太陽が明るく、また、この地域は滅多に太陽が陰る事もない――はずだった。
 だがその時、空が暗くなった。
 誰もが、何事か、と空を見上げる。そこにあったのは『闇』そのものだった。
 いや、よく見るとわずかに陰影がある。そして、その陰影は不規則なわけではなく、何かの形――竜を象っていた。
 それが、地に降りその巨大ない首をもたげる。
 誰も、言葉はなかった。言葉を発する事も、恐怖を表現する事も出来なかった。
 絶望。まさにそれが、全軍を覆い尽くそうとしていた。その時。
「――光(ナーガ)よ!!!」
 軍列の最前線に、突然まばゆい光が溢れる。それは、瞬く間に巨大な光の竜を象り、その頭を黒き竜へと向けた。
 そして、光が放たれる。同時に、闇の竜もまた、咆哮と共に闇を放った。その、濁流のような光が闇と激突した瞬間、大気が弾け、大地が震えた。
 その衝撃は、遥かアルスター近郊でも感じられた、と後の記録にはある。

「ぐっ……!?」
 ユリアは、その予想以上の衝撃に身を振るわせた。
「ユリア!?」
「だ、大丈夫です、スカサハ……」
 だがその言葉の直後、ユリアが膝を折る。
「そん……な……」
 かつての戦いが終わってより二十年が経過しているとはいる。だが、自分の力がさほど落ちたとは思っていない。そもそも、聖戦士の力は竜族の力であり、竜族は不老であると伝えられる。それはつまり、聖戦士の中に眠る竜族の力もまた、不老であるということだ。
 無論、その力が肉体に依存する聖戦士であれば、年齢と共に衰えることは否めないだろうが、ユリアの力は、そのほとんどが魔力に依存しており、また、ユリアは自分の魔力が二十年前に比べて大幅に劣ったとは思っていない。
 確かに、全力でナーガを使うのは、実に十二年ぶりだ。かつて、セリオがその力を暴走させた時以来である。だがかといって、力を発揮できない、ということはない。少なくとも、かつて兄ユリウスを滅ぼした時と同等の力を、ユリアは放っている確信がある。
 にもかかわらず。
「そん……なっ……。ユリウス兄様以上……なん、て……」
 しかも、ユリアとは異なり、闇の竜には余裕がある。それは明らかだった。
 その時。
 ごう、という音と共に、ユリアの放つ光と並び、猛烈な、わずかに光すら放つ風が闇に激突した。
「セティ様!!」
 左翼先頭にいたセティが、フォルセティを放ったのである。
 さらに――。
「天地(あめつち)を繋ぐ光。刹那なるその輝きよ。大いなる天の咆哮、その御力たる雷神の鎚を、今ここに遣わし給え!!」
 細い、しかし朗々たる少女の声。そしてその直後、今度は右翼最前線から、ナーガにも劣らぬ、眩い輝きが闇に襲い掛かる。
「こ、これが……!!」
 それは無論、フリージ公女シャリンの放ったトールハンマーである。
 シャリンのすぐ後方に控えていたクレオとオルヴァスは、その圧倒的な力に驚き、またわずかに恐怖すら感じた。
 シャリン公女の力はすでに知っていた。
 最初の騒乱以降、戦力的にがたがたになったフリージが持ちこたえられたのは、シャリン公女の力といっていい。
 彼女の放つトローンの破壊力は、クレオらが放つそれとは比較にならないほどであった。その彼女が、神器たるトールハンマーを使えば、この程度は当然なのだろう。それでも、目の前で見るその威力は、もはや説明する言葉すら浮かばない。
 だが、この三つの神魔法の攻撃でもなお、闇の竜は身揺るぎ一つしない。
「なんて化け物だ……」
 ヨハルヴァが舌打ちする。
 いくらなんでも、三つの神魔法があれば対抗できると踏んでいたのだが、こうなると炎のファラフレイムの継承者がいないことや、魔法に対抗できる神器であるミストルティン、ティルフィングの二振りがないのが痛い。
 手助けしたくても、自分にその力はない。何より、まるで何か圧力があるかのように、前に進めない。幾人か、援護の魔法を放ったものがいるのだが、それらもまた、すぐ掻き消えてしまうのだ。
「こればっかはもう、祈るしか……?!」
 ヨハルヴァは、その光景を見たとき目を疑った。
 中央から二人、闇の竜に向かって悠然と歩き出す者がいたのである。それは、遠目にもシャナンとその息子、フィオであることがすぐ分かった。
「な、おい、あいつら何を!?」
 無論その光景は、本陣にいるイザーク兵が真っ先に気付いた。
「陛下!! 殿下!!」
 ジーンらが慌てて追いかけようとするが、前に進むことすら出来ない。
「……フィオ、お前も出来るようになっていたのだな」
 その、圧倒的な圧力の中を、シャナンとフィオの二人は、何もないように進んでいた。
 確かに、彼らにも圧倒的な圧力がかけられていたのである。それは、ロプトウスが持つ『闇の結界』とは異なるもので、単純な重圧においてはそれを上回るほどのものだったが――。
「父上に昔聞いていなかったら、とても。ですが、これなら……」
 だがその圧力は、二人を完全にすり抜けてしまっていたのである。
 あらゆる攻撃を無効化する力。それが、三星剣の一つ、月光剣の真の力なのだ。
「ならば、これはお前が使え」
 言葉と同時に、シャナンは腰に佩いた剣を鞘ごと、フィオに投げてよこす。反射的にフィオはそれを掴み――
「父上!?」
「お前なら使いこなせよう。闇を打ち払うのは、お前に任せた」
 それは、神剣バルムンクだった。
 シャナンはそのまま、闇の竜へと駆けていく。
 しばらく逡巡していたフィオは、だが、それを迷うことなく鞘から引き抜く。淡く、金色に輝く刀身が、姿を現した。
 すぐ目の前には、闇と、光、風、雷が激突している。そこから弾かれた威力が、フィオの周囲にも降り注ぐが、彼はまるでそれらが見えないかのように、剣の切っ先を、その闇と光がぶつかり合う場所に向ける。
「おおおお!!」
「殿下!!」
 聞こえない、と分かっていても、ジーンは叫んでいた。
 フィオが、バルムンクを構えて、その光と闇の激突する、まさにその場所に突っ込んで行ったのだ。
 誰もが、フィオ王子が気が違ったのだ、と思った、その時。
 ごう、という音と共に、闇と光、風と雷とが入り混じったその魔力の濁流が、天空へと弾かれた。
「え!?」
 一度定まった流れにより、魔力がことごとく天空へと散らされる。数瞬後、先ほどまでの力の濁流がウソであるかのように、その場は静まり返っていた。
「魔法を……剣で!?」
「……シャナン王は!?」
 誰かのそんな言葉で、誰もがシャナンが走り去った方へと視線を動かす。
 そして彼らは、信じられない光景を見た。
 翡翠色の美しい光が、まるで流星のごとく流れ、闇の竜に降り注ぐのを。
 そして、闇の竜が光に包まれ、その光が晴れた時、すでに闇の竜はどこにも存在していなかった。

「第一関門突破……と言うところか。だが戦いは――」
 シャナンは視線を南へと向ける。そこには、谷底とその上空を埋め尽くす、数万の、人と異形の軍があった。




< 歌姫の風

紅き河 >


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