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バーハラの宮殿。グランベル帝国の中心たる王都バーハラのさらに中心、国王の住まうその広大な宮殿の、王家の私的なエリアである後宮の、さらに奥。王家の人間のみが使う、そして今は誰も使わなくなっている部屋に、小さな祭壇のある部屋がある。 そこは、本来であれば小さな祭壇だけが置かれている、さほど大きくもない部屋なのだが、今、その部屋の中央には人の頭ほどの球体が置いてあった。色は、矛盾した言い回しになるが、透き通るような『黒』である。 その部屋に、セリオは一人、半ば呆然とたたずんでいた。 「限界が近いのは分かっていたけど……間に合わなかったか……」 憔悴しきった声で、呟く。 「……そうやって、ロプトウスを抑えていたのか」 セリオは、突然聞こえた声に、二重の意味で驚いて振り返った。 自分が、背後に人が立つのに気付かなかったことも驚きだったし、何より、その声の主に驚いた。 「父上……無茶を!!」 治ったのか、などとセリオは聞かない。セリスが回復するには暗黒の魔力の根源を断たなければならない事はわかっている。そしてそれはまだ、断たれていない。 「少し歩くくらいなら出来るよ。寝てばかりだと、いざ治ったらまったく歩けなくなっていた、などということになりそうだからな」 セリスはそういうと、壁際にある長椅子に座り込んだ。その様子からは、歩くのすら辛い、というのが容易に見て取れる。 「父上……」 「おかしいとは思ったのだ。私が囚われている呪いは、間違いなく強力な死の呪いだ。だが、囚われてから半年、呪いはほとんど進行した様子はない。聞けば、アグストリアのアレス王も同じようなものだという」 セリスは一度言葉を切り、大きく深呼吸した。話すだけでも、相当な負担になるのだ。 「この呪いは、外部から強力な魔力を送り込んで進行するタイプらしい。となれば、魔力供給が断たれているということになる。そして……もう一つ、あの強大すぎる闇の攻撃が、ここ数ヶ月ほとんど行われていない」 そこで、扉の向こうからもう一人現れる。セリオの母であり、セリスの妻のラナだ。 そのラナは、無茶をするセリスをややたしなめる様に見たが、「似たもの同士ですよね、親子だけあって」と言って苦笑した。 「母上……?」 「お前はロプトウスの継承者でもある。いわば、ロプトウスの魔道書は、本来お前に従属する存在だ。だが今、ロプトウスは何らかの強大な力を受けて、お前の手すら離れていた。だがそれでも、ロプトウスを押さえ込む事が出来る――ロプトウスの魔力と同質の魔力を持つお前が、結界を張っていたのだろう。この、大陸全てに」 さすがにこの言葉には、ラナも唖然とした。 「よく……お分かりですね」 「分かるよ。自分の息子だからな。お前は、攻撃的な魔力を振るうことを、ひたすらに恐れている。だから、防御的な力で、ロプトウスを押さえ込もうと努力した。だが、お前の予想を遥かに超えて、ロプトウスの力が増大していた。すでにお前自身が限界に近かったが……先に触媒が限界に達したようだな」 セリスはそういうと、セリオの背後にある黒い球体――本来は魔水晶と呼ばれる、魔術書を作るための『核』となる魔力を蓄積、増幅する性質のある水晶――を見た。それの表面は本来、磨き上げられ最高級の陶器と同じくらい滑らかなのだが、今そこには大きな亀裂が走っている。 あまり知られていないが、これは、バーハラに伝わる宝具の一つである。魔水晶そのものは珍しいものではないが、ここまで巨大で、かつ純度の高いものはまず存在しない。無限の魔力を吸収し、任意の形で放出する事が出来るといわれる至宝であり、大陸にただ一つしかない貴重なものだ。 「それにいくらお前が膨大な魔力を持つとはいえ、この半年、まったく眠らずに魔力を放出し続けるのは限界だ」 「眠らずに!?」 ラナは驚いたが、セリオの沈黙は、父の言葉を肯定していた。 「昼は政務に精励し、夜はこれを媒介にして、結界に魔力を送る。そんな無茶をすれば、いくらお前でも限界が来るのは明らかだった。ロプトウスは、すでにお前の縛鎖を断ち切った。いくらお前でも、もはやロプトウスを抑える事は出来ん――そのままならばな」 「父上?」 「セリオ。ナーガとティルフィング、そしてロプトウスを継承しろ。これは、グランベル国王セリスとしての命令だ」 「し、しかし……!!」 セリオは今も覚えている。忘れた事など、あるはずはない。父を、叔母を、そしてその友人達を容赦なく攻撃した自分の事を。だからこそセリオは剣を鍛えた。魔力に頼らなくていいように、だ。 「セリオ。シャナンに師事していたなら、こうも言われたはずだ。『お前が持つ力は、お前がその役割を果たすためにあるのだ』と。そのお前の役割が、今この時なのか、それは私にも分からない。だが、今、この状況を打開するためには、お前の力が必要だ」 セリオはそこで一息ついた。 「おそらく、ユリアでは力不足だろう……ユリアがナーガで勝てるのなら、お前は人任せになどせず、自分で出陣した。だが、おそらく『今の』お前でも力不足だ。お前が、自らの『封印』を解放しなければ、おそらく今回の敵には勝てない……違うか?」 セリオからは言葉がない。 「今のお前の力でも、ナーガを振るうユリアとほぼ互角の力を、持っている。だが、そこまでだ。だからこそお前は、ロプトウスの魔力を押さえ込む事に、この半年の間努めて来た。それを、ユリアが討ってくれる事を。実際、勝算はあったのだろうな。お前がそうそう人任せにするとは思えんし」 「父上には……敵いませんね」 その言葉は、セリスの推論を肯定していた。 「半年前の時点では、これで確実に勝てる、と踏んだのですが……」 セリオは、ヒビの入った水晶に視線を向ける。 「本当に、ここ数日で、ロプトウスの力が私の意志から完全に離れてしまった。対策を講じなければ、と思ってたところに――」 それより先に、ロプトウスの力が解放されてしまった、とセリオは続けた。 「二重三重の意味で、お前にとっても誤算は多かっただろうな。そもそも事態の収拾に半年近くもかかる事も予想外だっただろう」 むしろそれが最大の誤算でした、とセリオは疲れた表情で呟いた。 「せいぜい二ヶ月かそのくらいで事態を収拾して、ロプトウスと対峙できると、踏んでいました。ですが……」 ダーナの壊滅、それに伴う全軍の行動の遅滞、予想以上に早く崩壊したトラキア王国の戦力。敵の戦力を見誤った、といえばそれまでだが、だとしても、それによって生じた被害のあまりの大きさに、セリオならずとも慄然とする。 そして、あるいはセリオが最初から継承を済ませていれば、これらは発生しなかったかもしれないのだ。 「お前が、自分の力の解放を恐れる気持ちは分かる。正直に言おう。私も怖い。だが……」 そこでセリスは、ラナを振り返った。ラナは、それだけでセリスの視線の意味を察したように、力強く頷く。 「お前は、私とラナの子だ。いや、私達の子としては出来すぎなほどに、立派に成長してくれた。そのお前を、少なくとも、私とラナは信じている」 「私も信じますわ、お兄様」 その場にいた三人が、驚いて振り返った。だが、この王家の禁域であるこの場に、こんな時間に来れる人間は、この場にいる三人以外、一人しかいない。 「シア……」 「立ち聞きとは行儀が悪いな、シア」 セリスの言葉には、嗜めるような口調はないが、シアは憤然と父に向き直った。 「立ち聞きではありません。偶然通りがかったら聞こえただけです。で、話に割ってはいるタイミングがなかっただけです」 それを立ち聞きというのだが、とは誰もが思うところだが、ここまで堂々とされると、返す言葉はない。 「どこから聞いていた?」 「お兄様が、ロプトウスの継承者であるというところもお聞きしました」 セリオの表情が凍る。シアはそんな事はまるで気にしている様子もなく、ずんずんとセリオの前に立った。顔が下を向いているため、表情は分からない。だが、突然兄が暗黒の継承者であった、という事実は、一体どれほどの衝撃であろうか。セリオにも、それは想像が出来なかった。 「シア……私は……」 そのセリオの言葉は、シアの強烈な平手打ちで遮られた。打たれたセリオも、それを見ていたセリスもラナも呆然としている。 痛いほどの沈黙の中、シアは顔を上げ、セリオを睨みつけた。その顔は、泣いているようにも、怒っているようにも見える。 「ロプトウスの継承者だからなんだというのです? お兄様は、グランベル王子セリオは、間違いなく私の兄上です。多少ぼけてますけど、ロプトウスの継承者だろうが、暗黒の魔人だろうが、それは絶対変わりません。そして、私がお兄様を信じる理由は、それで十分です」 「シア……」 「むしろ!!」 びし、とシアは人差し指をセリオに向ける――人を指差すのは行儀が悪いといつも言われているが、シアはいつもセリオにだけはこれを良くやる――と、半ば以上怒気をはらんだ瞳でセリオ、そして両親を睨んだ。 「その事を、これまで私にだけ秘密にしていた事が許せません!! お父様もお母様もです!!」 セリオは言葉を紡げずに、口をただ開いては閉じた。セリスもラナも同じである。 「そ……その、すまなかった、シア。別にお前を信じていなかったわけではないのだが……」 聖王と呼ばれるセリスでも、こういう娘には弱い。 「いーえ、許しません。よって、戦いが終わったら、お父様もお母様もお兄様も、私のお茶に付き合っていただきます!!」 「シ、シア……?」 「だから兄様!!」 びし、と目の前に突きつけられた指に、セリオは思わず後退る。 「ちゃんと寝て、回復して、そしたらさっさとこの戦いを終わらせてきなさい!!」 「は、はい」 逆らえば、これ以上のシアの怒りが炸裂する。そう思うと、誰も何もいえない。 この場にいるのは、大陸最強の継承者と、その両親のはず……だったが、その誰もが、怒れるシアには、まったく逆らうことが出来ない、ということを、思い知っていた。 |
コノートの会議室は、沈痛な雰囲気に満たされていた。そこには、先日の、あの戦勝に祝う雰囲気は、欠片もない。 「結界を解いて、全軍で出撃する。戦力が分散されてしまうが、かといって見殺しに出来るはずもない」 シャナンの言葉は、提案ではなく確認事項に過ぎなかった。 大陸全土を襲った黒き雨。神器を用いた結界で守られていたコノートは、幸いにも無傷だった。だが、その雨が染み込んだ大地から生まれた異形の怪物たちは、すでにその数を数万に膨れ上がらせ、コノートを取り囲んでいる。しかしそれも、ごく一部に過ぎない。 黒き雨は、それだけで甚大な被害を出していた。それでも、多くの人々はそれの異常を感じ取り、屋内に逃れていた。 幸いにも、黒き雨に家屋を破壊するほどの威力はなかったらしい。だが、本当の災厄はそれからだった。 黒き雨の降った日の、その翌日。最初の凶報が飛び込んできた。異形の怪物が大地から突如として現れ、人々を襲っている、というのである。幸い、自警団総がかりで倒したが――それはほんの始まりに過ぎなかった。 次々に現れる怪物たちは、尽きることなく出現し、近隣住民はコノートへ逃げようとして――そのコノートが、数万の怪物に囲まれている事を知ったのである。黒き雨から二日後の事だ。 「包囲網を撃破し、住民を守る。移動が可能ならば、近隣の住民もコノートに収容する。コープル、一時的だが、結界を解かざるを得ん」 シャナンの言葉に、コープルは頷いた。 「止むを得ないでしょう。あの数、神器なしでどこまで抗えるか……ですが、やるならすぐ、です」 その言葉は、やはり決定事項であった。 「夜明けを待って、全軍を出撃させる。各部隊の担当地域は、追って通達する。各自は、麾下の部隊の出撃の準備をしてくれ」 シャナンのその言葉を合図に、その場にいた者たちは、即座に立ち上がると、麾下の兵への出撃を命じるために、会議室を後にした。 後に『悪夢の十日間』と呼ばれた絶望の日々が、始まろうとしていた。 |
文字通り闇の底に沈みこむように眠っていたセリオに、突然その声は響いてきた。 (――もう……止めて――) その声は、結界が壊れた時に聞こえたものと、まったく同じだ。 だが、今周囲は闇を塗りこめたように暗く、何も見えない。 『誰、だ……?』 (私を……私を止めて――) 再び聞こえる声。 (貴方なら――貴方なら私を、殺すことが出来るから――) 『殺す!?』 驚いて振り返る。だがそこにあるのも、やはり闇だ。 (お願い――これ以上、私は――) 『待て!! 君は、一体――』 急速に闇が晴れる。その最後の刹那、かすかに見えたのは―― 次に見えたのは、天へと突き出された自分の手。その先に見えたのは、見慣れた――ただし半年振りの――自分の寝台の天蓋だった。 「今のは……あの女の子は一体……」 間違いなく初めて見る少女だった。金髪と思ったが、今思い返すと銀髪にも思える。ただ、その儚げな印象が、逆にセリオの心に焼き付いた。 だが、何よりも。 「どこかで……会った事が、ある……?」 絶対にない、と言い切れるにも関わらず、その少女の面影に、セリオは懐かしさにも似たものを感じていたのである。 |
シャナンらが、再出撃を決めたその日の朝。バーハラもまた、出陣しようという人物がいた。 グランベル王子セリオ、その人である。 セリオはこの半年もの間、ほぼ不眠不休でロプトウスを押さえ込み続けていた。無論肉体は限界が来るので休ませていたが、精神は休むことなく活動を続けていたのである。そしてその負荷は、肉体も蝕んでいた。 シアに休め、といわれたセリオだが、最初即座に出発しようとした。しかしセリスもラナも、そして何よりシアもそれを許さなかった。それでも行こうとするセリオを、なんとシアは剣――刃は止めてあるが――で叩きのめしてしまったのである。 別にセリオが手加減したわけでも油断していたわけでもなく、セリオが、すでに剣を掲げる体力すらなく、精神力だけで動いていたというだけに過ぎない。 体は重く、というよりほとんど意思どおりに動かず、シアの――剣士としての実力は実は騎士級なのだが――攻撃を捌けず、叩きのめされたのである。 「私にすら勝てないようなその状態でいって、何ができるんですか!!」 シアの言葉は、セリオに反論を許さなかった。 そしてセリオは、十分な食事と睡眠を強要されたのだが――実際、寝台に就いたセリオは、文字通り泥のように眠ってしまった。 そして、セリスやシアらも心配するほど眠り続け、目を覚ましたのは、実に三日目の未明、つまりシャナンらが出撃を決意した、その同じ夜だった。 眠る前には簡単な食事だけで済ませていたセリオだが、さすがに丸二日以上眠り続けては、体は空腹を訴える。 深夜であったにも関わらず、かなりの量の食事が用意され――実はほとんどラナとシアが作った――セリオはほとんどを平らげた。実際、相当お腹がすいていたらしい。 そして、まだ太陽が昇るよりも前に、セリオはバーハラの大聖堂にいた。 かつて、魔皇子ユリウスと、セリス、ユリアが決着をつけた場所であるこの大聖堂は、無論この二十年の間に完全に修復され、今では多くの儀式の時に使われる。そして今、セリオは継承者として、最も重要な儀式に望もうとしていた。 といっても、その場にいるのはセリオの他、シアとセリス、ラナだけである。 セリオは祭壇の正面、一段低いところにいて、その斜め後ろにシア、祭壇の横にセリスと、彼を支えるラナがいる。 「まあこんなものは形式だし、この早朝に司祭達を起こすのもなんだからな」 セリスはそういうと、ラナから離れ、ゆっくりと祭壇の上、セリオから見上げる位置へと移動する。 そのセリスの服装は、この間とは異なり、グランベル王の正装である。そして、その手は聖剣ティルフィングがあった。 「本当は、細かい宣誓やらがあるんだが……まあ、いまさらだ」 ならばそんな無理をしなくても、とセリオやシアは言ったのだが、セリスは頑として聞かなかった。あとでラナにだけ洩らしているが、セリスは、いつかセリオが聖剣を受け継ぐ時を、楽しみにしていたのである。 「取れ、セリオ。聖剣ティルフィングの継承者として、お前の力を示せ」 その様は、本当に呪いに囚われ、体力を著しく失っている者なのか、というほどの威厳と貫禄に満ちていた。 セリオは、そのセリスの手にある、鞘に納まったままの聖剣を恭しく受け取ると、そのまま数歩下がる。そして、その柄に手をかけた。だが、そこで動きが止まる。 「抜け、セリオ。お前ならば、大丈夫だ」 なおも逡巡していたセリオだが、やがて意を決して聖剣を抜き放った。 直後。 セリオの全身から、まるで濁流のような黄金色の光が溢れ出す。 「これが……ティルフィング……!!」 シアの声は、半分を感動に、半分を驚愕に彩られたものだった。 「……分かってはいたが……私の時以上だな……」 ややあって、その光の濁流は収まったが、セリオはなおも呆然としたように己自身と、その手にある聖剣を見ている。 「どうだ、セリオ?」 「……不思議な感覚です。力が、溢れてくる。今なら、剣でシャナン王に勝てるかもしれないくらいに」 「ティルフィングを使えば勝てるだろうな。だが、シャナンもお前と同じか、それ以上の力を、バルムンクを持つと出してくるぞ?」 その言葉に、セリオは複雑そうな顔になって「やっぱり勝てないですね」と笑った。 「魔力は、変わらないか」 「……どういうことですか? お父様」 シアは不思議そうに首を傾げた。過去の兄の暴走の例から考えれば、神器を継承したとき、兄の魔力は爆発的に上昇すると思っていたのだが。 「どうやら、お前の魔力の封印は、ナーガか……あるいはロプトウスにあるようだな」 「その様です」 「封印?」 シアがなおも分からない、というように聞き返す。 「ああ、シアは知らなくて当然か。聖戦士の中でも、継承者というのは、その身に莫大な力を内包している。一般的に、継承者は、神器が力を与えてくれると信じられているが……違うんだ。あれは、力の『封印』に過ぎない」 セリスの言葉に、シアは驚いて兄を見た。 「継承者の肉体には、神器を振るった時に顕現する力が、元来備わっている。ただ、それは強力な封印を施され、普段は絶対に発揮されない。神器を握った時以外はね。だが、どうやらセリオの魔力に対する封印は、ナーガかロプトウス――あるいはその両方にあるようだ」 「多少は魔力が上がったとは感じれますが……ロプトウスの影響を突破して、転移を行えるほどではないようです。正直、期待していたんですが」 セリオが残念そうに言う。もっとも、彼自身予期していた事でもあった。 「仕方あるまい。すぐに出るか?」 「はい。馬をどう飛ばしても、コノートまでは十日はかかります。正直、丸二日間寝るつもりもなかったので、すぐにでも」 「そうか。だが、無理をするな。着いたら体力限界、なんて事になっては……」 「そしたら私が、許しません」 「怖いから、無茶はしないよ」 その二人のやり取りに、セリスとラナは思わず笑っていた。 「それから、これを持って行きなさい」 セリスはそういうと、ラナが差し出した封書を、そのままセリオに渡す。 「これは?」 「私の……というか、ラナに代筆を頼んで、私は署名しただけだが。シャナンとセティ王への親書だ。シャナンはともかく、セティ王はお前がナーガを継承する事に、なおも反対する可能性はあるからな」 「父上……」 「さあ、もう時間はないのだろう? 行って来い。そして、終わらせて来るんだ」 「分かりました、父上……いえ、陛下」 「お兄様、無理はなさらぬよう。フィオ様の足手まといになったりしたら、許しませんよ」 「肝に銘じておくよ」 セリオはそういうと、聖剣をベルトに固定し、踵を返して走り出した。聖堂のすぐ脇に、すでに馬を待たせてある。その先にも、街道の先々に選りすぐりの駿馬を待たせるように、セリオが眠っている間にセリスは手配していた。 黒き雨の影響で、大陸各地は大混乱に陥っているが、少なくともグランベル国内での混乱は、極めて小さい。おそらくセリオは、こうなる可能性も考慮して、各地に騎士や兵を派遣していたのだろう。軍として移動するならば二ヶ月は見なければならない行程だが、馬術に優れたセリオならば、おそらく十日もあればコノートに到達する。その間、コノートがもてばいい。 セリオがナーガを継承すれば、この戦いは終わる。それは、セリスにとって確信に近かった。 |
「楽な地域を割り当てられたと思いたいけど……」 アルフィリアは、派遣時に言われた騎士の言葉を、期待半分に反芻していた。 トラキアの傭兵部隊が割り当てられたのは、コノートの南東にある街、テュロスだ。本来の人口は二千人程度のあまり大きくもない街の上、コノートの南東から先には、海岸沿いにいくつか村があるだけで、大きな街はここが最後となる。よって、それらの村の収穫物が一度は通る街のため、それなりに栄えていた街なのだが――今この街は、人口が五千人ほどに膨れ上がっていた。 無論、コノート及び近隣の村々からの避難民がいるからだ。 ちなみに、傭兵部隊にいる者は誰も知らなかったが、リーフ王が逃亡時代を過ごしたフィアナ村の人間も避難してきている。 街には無論自警団があり、規模は二百人ほど。これはそのまま、アルフィリアの指揮下に入った。 主戦場となるであろう場所はコノートの南から南西にかけての地域であり、確かにこの地域はそれほど激戦にはならないかもしれない。実際、怪物どもの数も少ない。ある程度掃討したら、と言う事になっているが、ここ数日で敵の数が減る様子はない。ただ、守りきれないほどでもなかった。 守り続けていれば、事態は改善される。そう思うしかないし、また、まだ希望はある、と。 少なくとも彼らは、そう思っていた――。 |
「くそ、いい加減に倒れろ!!」 カールの剣が深々と腹部を切り裂いているのに、その怪物は倒れなかった。溢れ出す血の色は、不思議な事に人間と同じ赤。だが、人間ならもちろん、獣であろうと致命傷と思われる一撃も、怪物にはさほど効果がないのか――あるいは痛みがそもそもないのか――怪物は倒れる様子はない。 そしてそのまま、あろうことかその腹部に食い込んだ剣を掴み、その鍵爪のある手を振り上げてきた。 剣を離して逃げるべきか、剣を無理矢理引き抜くべきか――カールは一瞬判断に迷った。剣を離せば回避できるだろうが、武器を失ったところに来る怪物の攻撃を捌ける自信は、、もちろんない。だがこのままでは――。 「伏せなさい!!」 突然響いた声に、カールは反射的に首をすくめた。そこを、文字通り暴風が駆け抜ける。 ドカン、と表現できそうな音が聞こえ、カールが恐る恐る顔を上げると、やはりそこには怪物がいた――が、その首はなかった。 直後、何かが落ちる音がして、怪物の首が地面に落ちた。 首だけを見ると、やや鼻の短い犬か狼にも見える。 「大丈夫? 奴らを動けなくするには、普通の傷じゃダメ。それより、四肢をつぶした方が確実よ」 半分予期していたが、現れたのはセフィア公女だった。 アグストリアの騎士は、コノートの東の地域を任されている。数が百騎と少なく、かといって他国の指揮下におくことも難しかったため、比較的少数で何とかなる地域に回されたのである。この辺りには村がいくつか点在しているのだが、現在村人は一つの村に集まっている。これを守りきるのが彼らの役目だが――。 「問題はいつまでか、ってことですね。どう思います?」 セフィアはそういうと、持っていた大剣を軽々と肩に乗せる。 絶世の美少女が、血に濡れた鎧を纏い、身の丈以上もありそうな大剣を肩に乗せている光景は、異様を通り越してある種の美しさと迫力があった。 ヘズルの神族は一般人より遥かに力が――見た目では分からなくても――強いと聞いた事があったが、どうやらそれは真実らしい。 「さあ……向こうに限界がある事を祈るしかないと思いますが」 「そうなるかしらね……」 街壁などがない村で、周囲を守る木の柵以外には防壁はないが、大きな村ではないので、百名足らずのアグストリアの騎士でもどうにかなる。だが、いつまで守り続ければいいのか。それが、分からない。 ある程度の安全を確保したら、コノートへ移動する事になっているが、この村にいる人間だけでも、三千人はいる。三千人を百人で守りながら移動するのは、当然だが不可能だ。つまり、事実上敵をほぼ掃討しなければならない。 すでに戦い続けて三日、だが、敵は次から次へと湧いて来る。 終わりなどあるのか、とは誰もが思うところだ。 ただ、セフィアもカールもなんとなく分かっていた。 おそらく、そんな事は誰にも分からないであろう事が。 |
「天地を繋ぐ光。刹那なるその輝きよ。大いなる天の咆哮、その御力たる雷神の鎚を、今ここに遣わし給え!!」 声だけなら非常に可愛らしい詠唱が響いた。しかしそれを可愛いと思うより先に、轟音が周囲を支配する。 雷のトールハンマーの、巨大な雷鎚が、怪物の中央に炸裂した。そこから放射状に散った雷光は、それぞれが意思があるかのように敵を捉え、焦がす。 それでも、逃れる敵がいないわけではない。だがそれは、続いて放たれる雷撃と騎兵の槍の前に次々と撃破された。 「トールハンマーがあるから激戦区担当になったってところかしら?」 シャリンの言葉に、クレオは「それもあるとは思いますが」とだけ返す。 のんびりと応じる余裕がなかったのだ。 最激戦区と目されたのは、無論コノートだが、その次に激戦と目されていたのが、コノートの南西にあるシャンタウの街である。 レンスター、アルスターからコノートへ続く街道沿いにあり、現在も重要な交易の中継点だ。この周囲でもコノートに次いで大きな街で、平時でも人口は一万を数える大都市である。現在の人口は三万人以上になっており、街の外にも人が溢れていたのだが、外にいた人々の一割ほどは、最初の黒き雨で死に、さらに三割ほどは、直後に襲来した怪物に殺されたらしい。 この街の防衛には、フリージ、ユングヴィ、エッダの公国軍と、ヴェルダン王国の軍を中核とした部隊があてられた。 神器においても、雷のトールハンマー、聖弓イチイバル、聖杖バルキリーの三つがあり、軍としても最精鋭であった。 「しっかし、だんだん敵の形状が無節操になってきた……な!!」 言葉の最後に鋭い槍の一撃が重なり、人型の、ただし頭は首が長く、顔も長い、牙を供えた怪物の、その首を正確に貫いていた。 頭だけ竜であるかのような怪物である。 そのまま力を込め、槍を横に薙ぐ。槍の刃によって、首の半ばを切断された怪物は、どちらに倒れるかを迷っているかのようにふらついたあと、結局うつぶせに大地に倒れこんだ。 敵は実にさまざまな形状の怪物がいた。 共通してるのは、人より一回り大きな体躯と、鍵爪や牙を備えている事である。あとは装備も外観も様々だ。 翼を持つもの、四足で駆けるもの、腕が四本あるものなど、実に多彩だが、とても感心する気にはなれない。 すでにシャンタウの防衛に入って五日が過ぎているが、敵の手が緩む様子はない。唯一の救いは、夜になると敵の動きが鈍ることだ。だが、以前のように完全に休止するわけでもない。 敵の数は日に日に増えており、コノートまで移動するのは不可能に等しい。元々、三万人もの人を移動させること自体不可能なことだ。 夕暮れになり、日が完全に落ちると、ようやく敵の手が緩む。 最初、連合軍はシャンタウの街の外で防衛線を形成したのだが、敵の数が多すぎるため、それは不可能と判断し、今は街壁に拠って防衛戦を行っている。 幸い、シャンタウの街の街壁は非常に堅固で、しばらくであれば持ちこたえられる。だが、それとていつまで続くか、となると――それは誰にも保障できる事ではなかったのである。 |
コノートは、暗鬱とした雰囲気の中にあった。 すでに日は落ちて、敵の動きは鈍くなっている。 コノートに残った軍はシレジアとイザーク、それにドズルの軍だ。総数はおよそ一万三千。その全軍をもって、敵をコノートの第三街壁の外で食い止めていた。そうしなければ、人々を収容できなかったのだ。 完全に崩れ去っている第一、第二街壁はどうしようもないが、第三街壁は一箇所だけが大きく崩落しているだけで、あとは全部無事である。その箇所には即席の柵を作り上げ、昼夜問わず防備を固め、それ以外は街壁を利用するようにしている。 すでに、戦いが始まって五日――黒き雨が降ってから、七日が過ぎている。 コノートを囲む戦力は日に日に増加し、すでに撃って出ることすら難しい状況だ。セティのフォルセティやユリアのナーガでも、敵の軍勢に一時的に穴を開ける事は出来るが、壊滅させるのは不可能に等しい。 不幸中の幸いといえるのは、敵軍が戦術的な行動を取らないことだ。 無秩序にただコノートに侵入しようとするだけなので、飛行戦力は天馬騎士と魔法兵部隊で、地上の戦力はイザーク、ドズルの軍で押しとどめる。この戦いで特に活躍していたのがイザークのフィオ王子とシレジアのクローディア王女だった。 シャナン、セティの二人は、第二次聖戦の折にも最強の継承者と云われていて、今もその力は健在であるが、かといって丸一日中戦い続ける事など不可能だ。だが、二人は連続して神器を使う時間を減らし、自分が使わないときはそれぞれの後継者に使わせていたのだが――この二人の力はずば抜けていた。 フィオは元々、シャナンとほぼ互角の剣技を誇る天才である。彼の操る流星剣の威力は、父シャナンと比しても、なんら遜色はない。 そしてクローディアは、その一撃の威力こそセティに劣るが、その攻撃範囲が段違いだった。 元々フォルセティの攻撃範囲は、神魔法の中でも特に広い方だが、クローディアのそれは、セティのそれのゆうに十倍以上に及んだのである。しかも、敵味方が入り組んだ戦場であっても、まるで全ての味方の動きを把握しているかのように、敵だけにその風の刃が襲い掛かったのだ。 これは、クローディアのセティをも超える風の精霊との相性が成せる業である。 だがそれでも、戦局は一向に好転しなかった。コノートを囲む敵軍の数は日に日に増加し、逆比例するように友軍の疲労は蓄積する。以前とは異なり、夜であっても完全に活動を停止するわけでもないため、ゆっくり休む事すらままならないのだ。 「くそっ、いつまで続くんだっ!!」 ヨハンは、荒々しく椅子を下げると、どか、と座り込んだ。 士官用の食堂は、戦いを終えて疲れた人々でごった返している。 ヨハンの苛立ちは、おそらくこの城に、いや、この地域にいる軍属全員の気持ちだったが、同時に答えられる者はいなかった。 もっとも、すぐ横に座ったアーウィルにとっては、まだそれだけ怒鳴る元気がある事実の方が驚きだ。 フィオ、クローディアらほど目立ちはしてないが、ヨハンの働きもまた凄まじいものである。聖斧スワンチカが振るわれる度、複数の怪物が砕け、その屍を乗り越えてくる怪物の攻撃を全て受け止め、また砕く。スワンチカの、絶大な防御力があればこそ、とはいえ、その胆力には驚嘆するしかない。 とはいえ、いつまでももつはずはないのも分かっていた。 だが、ここが陥落したら、今度こそ終わりだ。何より、今この地には、大陸最強の力が揃っている。これで勝てないとなれば、ここが崩れたあとの大陸の命運は考えるまでもない。 (アルフィリアは無事だろうか……) 彼女の部隊がコノートの東に向かった、というのは知っているし、ここに比べたら危険度は低いはずだ。だが、もし何か強力な戦力が彼女のいるところにも来てしまった場合、彼女に対抗策はない。 「すまねえなあ、ウィル」 「え、な、何が?」 考え事をしていたので、ヨハンが話しかけていたのに気付かなかったらしい。 「お前巻き込んじまって。俺に雇われたりしなけりゃ、こんなとこで死にそうな思いして戦わなくてすんだんだろうし」 「いや、それはどうだろう。公子のそばの方が多分安全だったと思うけど。雇われてなくても多分雇われていただろうし、そうなったら多分もっと危険だったんじゃないかな、とは」 「あ、そか。お前傭兵だもんな」 がく、とアーウィルは危うくスープの皿に突っ伏すところだった。一体自分は何だと思われていたのだろう。 「失礼、隣、よろしいですか、公子」 「あ、おお」 現れた人物には、ウィルは見覚えがあった。確かイザークの――。 「ジーン、久しぶりだな。同じ城にいるはずなのに」 ジーンは「そうですね」と応じると、食器を手に取る。 「そっちも辛そうだな」 「いえ……公子ほどでは。それに……」 「先の聖戦よりはマシ、か?」 するとジーンは、急に真面目な顔になる。 「そうは……もう申せません。正直に申し上げて、少なくとも現在のこの状況ほどに、解放軍が追い詰められた状況は、私は知らないです。初期から参戦されているシャナン陛下やセリス陛下らなら違う感想もあるかもしれませんが……」 先の聖戦において、解放軍が劇的にその規模を拡大したのはコノート攻略後だという。ジーンも解放軍に参加したのはそれ以降であり、それより前の戦いは知らないのだ。 だが、少なくともコノート以降の戦いで、ここまで悪い状況を、ジーンは知らない。一番苦しかったのは、おそらくペルルーク攻略直後だが、それでも今ほど悪い状況ではなかった。何より、あの時の相手は人間だったのだ。 「どうにかなるんかな、この戦い……」 日に日に増える敵。そしてまだ、このすぐ南には、竜騎士団を一撃で粉砕するほどの力を持つ敵がいるのだ。その尖兵相手にすらこれほどてこずっていて、勝つ事が出来るのか。そして、敵の首魁が動いたら、自分達になす術があるのか。それは、恐るべき想像であった。 |
目が回るほど忙しい、というのは、多分こういう状況なのだろう、とザヴィヤヴァはどこかずれた事を考えていた。無論、考えながらも手は動く。歩みも進む。 直接戦闘に出る事のないザヴィヤヴァだが、死の危険がないとはいえ、その忙しさは尋常なものではなかった。とにかく、圧倒的に人手が足りないのである。食事の用意や衣服の洗浄はもちろん、時には治療の手伝いや物資の運搬その他雑用何でもやらされていた。 城から出る事がなくなってから、もう半年以上が経過している。だがその中にあっても、ザヴィヤヴァは、微妙な雰囲気の違いから、現在の戦況を類推する事が出来た。無論、彼女に軍事的な判断力などはない。ただ『なんとなく大丈夫』とかその程度が分かるだけだ。 そして、今の雰囲気は――絶望。 かつて、家を失った自分が囚われかけた感覚。それを、この城にいる全員が感じつつある。絶望した人の末路は哀れだ。自暴自棄になり、全てを棄ててしまう。自らの命すらも。 そして、未来に何の希望をもてない現状は、それを最も誘発しやすい状況なのだ。 だが、だからといって何が出来るわけでもない。 その無力さが、悔しい。 「ザヴィヤヴァ」 突然名を呼ばれて、ザヴィヤヴァは驚いて顔を上げた。声でセネル王子かとも思ったが、彼女をちゃんと名前で呼ぶ、ということはセネル王子ではない。 「ディオン殿下。あ、はい。何か御用でしょうか」 こういう時、顔は似ていないが、やはり兄弟なのだと思う。驚くほど、声が似ていると思える時があるのだ。 「用ってほどじゃないんだけど、奥にいる父上とセネルに、お茶を持っていってあげてくれるかな。忙しいと思うけど、ザヴィヤヴァのお茶飲めば、少しは落ち着くだろうから」 「あ、はい。かしこまりました」 そう答えてから、ザヴィヤヴァはディオンが、まるで現状に絶望していない事に気がついた。 「ん? 何?」 「あ、いえ。その……殿下はまだ、希望を失っておられないのだと……」 言ってしまってから、ザヴィヤヴァは慌てて口を塞ぐ。だが、ディオンは気分を害した様子はなく、むしろ笑っていた。 「まあそうだね……実際戦局は辛い。というより……このままでは、私達は負ける」 はっきりと、しかも指揮官クラスの人間が言うと、その事実は物事を前向きに――あるいは楽天的に――捉えるザヴィヤヴァの心にも、突き刺さる。やはり、自分達は全員助からないのではないか、という恐怖が、鎌首をもたげてくる。 「けどね」 ディオンは、そんなザヴィヤヴァの恐怖も吹き飛ばすように、にこりと笑った。 「多分大丈夫だって、なぜか私はそう思えるんだ」 ザヴィヤヴァは思わず目を見張った。何の根拠もなくそういうことを言う人ではないはずだと思っていたのだが。 「まだ彼が……セリオ王子がいる」 一瞬、ザヴィヤヴァはディオンの言葉の意味を図りかねた。そしてその名前が、確かグランベルの王子であり、ナーガとティルフィングの継承者の名であると思い出す。 「でも……今の状況でティルフィングが加わったとしても……」 歴代最強のナーガの遣い手であるユリアでも、現状を打破できないのだ。いまさら、聖剣ティルフィングが増えたところで、いかほどの事ができるというのか。 だが、ディオンはその質問には答えず、ただ笑っている。 「まあ、普通に考えたら、そうだよね。私も、根拠があるわけじゃないんだけどね。……じゃ、お茶よろしくね」 ディオンはそれだけ言うと、立ち去る。ザヴィヤヴァは不思議そうに首を傾げていたが、すぐ自分のやるべき事を思い出すと、お湯を受け取るために階下に下りていった。 |
闇が、ついに鎖を解き放とうとしていた。その、数十年ぶりの解放に、闇はその身を喜びに打ち震えさせている。 「おお……ついに……!!!」 それは、呪いに満ちた歓喜の声。 「陛下が……!!!」 世界の全てを呪い、己の罪を省みず、失われた栄光だけを求める者の声。 「我らが神よ……!!!」 そして――闇は完全に解放された――。 |
戦いは夜明けと共に始まる。動きの鈍くなっていた怪物たちは、夜明けと共にその動きを活発にし、無秩序な攻撃を開始するのである。 だが、あまりに数の多い都市部ならともかく、アルフィリアらが担当した村に来る怪物の数はさほど多くもなく、また、アルフィリアの指揮によって、効率的に戦っていた傭兵達は、この七日間の間、ほとんど犠牲者も出さずに戦い抜いていた。 幸か不幸か、この辺境の村では、全体の戦局までは目が届かないため、『いつか援軍は来るはずだ』という希望的観測が悲観的観測に勝り、士気はむしろ高いほうであった。 だが。 この日襲ってきた敵は、動きが違った。構成が変わったわけではない。 野獣とも言うべき敵は、そのことごとくが極めて効率的に攻撃を集め、傭兵達を次々にその牙にかけていったのである。 「くそっ!! 突然なんだって!!」 しかも、怪物単体の強さも上がっている気がする。マズルの振るった剣は、敵の腕に食い込んだが、切断するには至らない。 「しまっ……!!」 剣を離しても間に合わないタイミング。だが、怪物の爪がマズルを捉えるより先に、轟音を伴った光が怪物の顔面を焼いた。 「ウルク、すまない!!」 一瞬怪物の動きが止まった隙に、マズルは剣を振りぬく。怪物の右腕が落ち、直後、ウルクの剣が左足を半ば以上切断した。それで怪物は、自らの体重を支えきれずに倒れてしまう。 「な……なんだって、急に」 一息つこうと思った直後、まさにその二人の間を光が駆け抜けた。 その光は、ウルクとマズルに襲いかかろうとしていた翼を持つ怪物を撃ち、怪物は苦悶の表情を浮かべて落ちる。 「一瞬でも止まったら死ぬわよ!!」 これほどの威力のライトニングを放てるのは、この部隊にも一人しかいない。 「隊長!!」 アルフィリアはそのままマズル、ウルクと背をあわせる格好になる。すでに周囲は、怪物たちに囲まれつつあった。 「作戦も何もないわね、これじゃあ。各個に応戦、としか言えないわ。でも、一体なんで急に……」 「あれぇ? おにいちゃん、おねえちゃん、ひさしぶりだねぇ?」 突然響いた声は、およそ戦場に相応しくない、無邪気さとあどけなさを感じさせた。 「なっ……」 だがその声に、マズルとアルフィリアは聞き覚えがある。 怪物たちが、恭しく――少なくとも三人にはそう見えた――道を開ける。 「ここにいたんだぁ。ねえ、リィとあそぼう? ね?」 現れたのは、六歳かそこらの、蒼い髪と瞳の少女。マズルもアルフィリアも、その少女は見覚えがあった。 「リー……リア……」 名を呼ばれた少女は、それが嬉しいのか、にっこりと笑って、三人に対してややぎこちない会釈をした。 |
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