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急転1




 崩れかけた瓦礫の向こう側に、目的のものが見えた。その前には、幾重にも瓦礫があるはずなのに、見える。いや、視えるのだ。そしてそれをどうしなければならないかも、分かっていた。いや、それ自体は指示された事柄だからか。
 意識を集中する。だが、意思はない。ただ、指示されたことだけをやるだけだ。何を考える必要があろうか。
 やがて、瓦礫全体がかすかに揺れ始めた。ぱらぱらという音とともに、瓦礫のひとつが少しずつ振動する。やがて、大きな音を立てて、その瓦礫がぐしゃぐしゃにひしゃげた。
 それを皮切りに、瓦礫が次々と同じ運命を辿る。やがて何もなくなったその場所に、最初に視ていた――視覚以外の感覚であったが――ものが、視認できるようになる。

 同時刻某所。
 その光景を大型映像投影装置(プロジェクター)で見ていた幾人かの人物から、感歎の声が漏れた。幾人かの視線を受けて、最後列の中央に座っていた人物が、誇らしげに立ち上がり、何事かを説明する。
 それすら、見えていた。だが、だからといって何もしようとは思わない。命じられてないのだから。


******


 目が覚めた。
 あまり気分がいいとは言いがたかった。以前の記憶の夢は、気持ちのいいものではない。
 何も考えていなかった自分。人形のような、機械のような自分は、今では不気味で、本当に自分なのかすら疑いたくなる。
 本当にあれは自分の過去の記憶なのか。あるいはもしかしたら、自分が過去のものだと思っていることは、実は全部想像に過ぎず、自分はただの妄想癖の持ち主では、とも思う。
 だが、そうではないこともわかっている。
 想像だけで、あれだけの夢は見れない。そして、自分に染み付いている感覚は、想像の中で作られたものではない。なにより、自分の中の何かが、あの夢が確かに現実であったことを知っている。
 ふと横を見ると、沙羅の寝顔が見えた。
 沙羅の家の寝具は、大きなベッドがひとつあるだけなので、それに二人で寝ているのである。
(私は一体、なんなのだろう?)
 その疑問は、いまだに沙耶を捕えて離さない。その問いに答えてくれる者は、誰もいない。自分自身で見つけるしかないのだ。だが、それに極力触れたくない、と思う自分がいる。過去を極度に恐れている自分が。
 時計を見ると、まだ短針が3の数字を指している。もう少し寝よう、と思って振り返ったとき、沙羅と目が合った。彼女も、起きていたのだ。
「眠れない?夢を見たのね」
 沙耶は小さくうなずいた
「大丈夫だから。私は、ここにいるから」
 沙羅はそういうと、沙耶の頭を抱き寄せた。沙羅の心臓の音が聞こえる。ぬくもりが伝わってくる。
「安心して眠りなさい。私は、いつだって沙耶のそばにいるから」
 魔法のようだ、と沙耶はいつも思う。沙羅の言葉、その一言一言の持つ響きが、いつも沙耶を安心させてくれる。
 そして、沙耶はいつのまにか小さな寝息を立てて眠っていた。

 変わらない日常が過ぎていく中、いつのまにか、季節は再び冬に変わろうとしていた。
 現在のこの地域――日本島と呼ばれる地域のほぼ全域ではあるが――の季節は、五月ごろまで冬が続き、それから春になっていく。そして、八月ごろにもっとも暖かくなる。だがそれでも、かつて環境破壊が最も進んでいた二十一世紀初頭には三十五度はあったといわれている一番暑い時期の気温も、せいぜい二十度前半までしか上がらない。逆に、冬は最も寒くなるのが一月から二月で、大体マイナス十度ぐらいまでは下がる。北のほうだとマイナス二十度にもなるらしい。
 沙耶が、沙羅の元にきたのは五月の末だった。考えてみてれば、十度もないような気温で、しかも夜中に雨に打たれていたのだから、よく死ななかった、と今でも思う。運がよかったのだろう。沙羅が通りかからなかったら、と考えるとゾクッとする。
 当時は、本当に生きようが死のうがどうでもいいと思ったが、もうそうは思わない。毎日が楽しいし、沙羅がいる。学校の子供たちとも、すっかり仲良くなれたのだ。退屈だと思うことはない。
 季節が冬に変わりきる時期は、昔とあまり変わらない。要するに夏がなくなってしまった、ということだが、正直沙耶は寒いのはともかく暑いのは――八月頃だと、たまに三十度近くまで上がる――苦手だった。本当に三十五度などという気温になったら、倒れてしまいそうだ。
 沙羅も同じように暑いのは苦手らしい。世界には、大天災の環境激変で一年中四十度以上の気温になってしまったようなところもあるらしく、二人ともそこに住むことだけは遠慮したい、と思っている。
 暦では十一月。秋が終わり、冬になろうとしている。もう気温は高くても十度程度であり、日本島(旧本州)の北のほうでは、もう雪が降り始めているという話だ。
 冬が厳しくなり始めると、やはり街全体が、少しずつ活動を鈍くする。市場なども活気がなくなる。作物が取れなくなるのだから当然だ。企業に管理された都市では、農作物などは温室栽培などで一年中変わらぬ供給が約束されているが、その庇護下にないスラムではそうはいかない。冬にも作れる作物や、また、温室などをなんとか自力で造って栽培する人たちもいるが、やはり限界はある。
「さびしい季節なんですね」
 沙耶の正直な感想である。寂しいといえば、真冬は学校がほとんどない。十二月からは一週間に沙羅は二日、沙耶は一日だけでいい、となっている。このあたりに住む人々は、冬になると仕事が少なくなり、子供たちをかまう余裕が出る。そうなるとわざわざお金を払わなくても、自分たちで読み書きを教えたりできるし、何より子供にかまってやれるという行為自体にも、意味があると思われている。
 沙耶としては、子供たちに会えないというのは寂しいが、子供たちにとっては、普段あまり遊んでもらえない親たちと過ごすというのは、楽しいことなんだろうな、とも思う。
 沙羅から、泊りがけでピクニックに行こう、という相談を持ちかけられたのはそんな十一月の半ばだった。
「ピク……ニックですか?」
「そ。まあ要するに遊びに行くだけだけど。考えてみたら、沙耶が来てから半年。一緒に遊びに出かけたことなんてなかったものね。ちょっと季節的には寒いけど、でもいいものよ、実際。山登りとか。どう?」
 どう?といわれても沙耶にはよくわからない。けれど、沙羅と一緒に出かけるのはいいな、と思うので、反対する理由もない。
「はい。あの、でもどこに?」
 沙耶のその返事を聞くと、沙羅は嬉しそうに地図を広げてきた。この周辺の地図だ。
「ここまでは、高速軌道通路(エレウェイ)を使うの。ちょっと高価だけど、まあ仕方ないわ。昔は私たちスラムの人間には、使わせてすらくれなかったことを考えると、マシになった方よ。で、ここからは歩き。目的地はここ」
 どうやらかなり前から考えていたようだ。沙羅が最後に指差した先には、芦ノ湖と書いてある。
「昔はとっても有名な観光地……って今もそうなんだけどね。ここでいいかしら」
 そう聞かれても、わからないから言いようがない。けど湖、というのはなんか行ってみたい気がしたので、沙耶は首を縦に振った。
「じゃ、決まりね。まあもうちょっとちゃんと計画詰めるわね。んじゃ、とりあえずこれはこれで、と」
 沙羅は地図をしまうと、沙耶を促して夕飯の準備に取り掛かった。


******


 暗い室内では数人の男たちが、壁にかけられたプロジェクターを凝視していた。そのうちの一人が口を開く。
「……まさかこんな近くにいるとは思いもしなかったな。まさに、灯台下暗しというところか」
「確かに、生きているのであれば、身を隠すにあれほど適切な場所はあるまい。よく考えたものだ」
 その中では一番若い男が挙手して発言を願った。数人の年長者がその発言を認める意を、手で伝える。
「いえ、どうやら報告によると、あれは記憶を失っているようです。でなければ、こうも近くにはおりますまい。あそこに迷い込んだのも、おそらくは偶然かと」
 男はそこで一度言葉を切る。かすかな動揺が、他の老人たちの間に拡がっている。その様を、男はほくそえむように見回した。無論、薄暗い室内でそれに気付く者などいない。
「となると、もう使い物にならない可能性もあるのか」
 すると男は、手元のパネル端末を操作して、新たなる画像を映し出した。複雑なグラフが次々と変化していく。普通の人には、意味などわかりそうにないものだが、この部屋にいる者でこれが分からない者はいない。
「測定器(センサー)の結果です。潜在意識の中に沈んではいるのですが、どうやらその性能はまったく落ちていない、といってもよろしいでしょう」
 再び、室内がざわつく。
「よかろう。回収を命じる。可能な限り速やかに、そして……」
「わかっております。できることならば無傷で。であれば、万に一つを考え、『彼ら』を使ってもよろしいでしょうか?いくら記憶を失った状態とはいえ、その力がまったくなくなっているわけでもなく、あるいは何かしらの要因で元に戻らないとも限らないので」
 数瞬の沈黙。その沈黙を破ったのは、ここにいたものではなかった。
「よかろう。だが、彼らを使う以上、失敗は許されん。よいな。確実に捕獲せよ」
 部屋についたスピーカーからの声。だが、部屋にいた全ての者が平伏していた。
「御意。全ては我がクロリアのために」
 男の返事が、その場を締めくくった。

 静まり返った室内に、人の気配はない。だが、人影はあった。数は三十ほど。それが、本当に人であるとすぐ分かる人はまずいないだろう。そこにいる者たちは、本当に存在するのか疑わしい、と思えるほどその気配がなかった。皆無といってもいい。
 身じろぎ一つしないその影達は、よく見れば、いずれも年端もいかない少年少女であると分かる。下は十歳程度から、上は十七、八歳ぐらいだ。
 その部屋を見下ろす位置にある部屋から、ガラス窓越しにその人影を静かに見下ろしている数人の人物がいた。一人は、先ほど老人達に報告をしていた男だ。年齢は三十歳にはなっていない、というくらい。その彼より、やや若い白衣を着た人物が、彼に何事かを説明している。彼はその説明を聞きつつ、手元の資料を眺め、やがて何事かを指示した。それに応じて、白衣を着たうちの一人が、パネル端末を操作した。ランプがいくつか点灯し、室内音声が出力可能になったことを示す。
「B04、F01。指令室(オーダールーム)へ」
 声に応えるように、その部屋にいたうちの二人が動き出して扉に向かう。その他の者は、身じろぎ一つしない。
「良く訓練されている。これからも、調整を頼むぞ」
 若い男が恭しく頷くのを横目に、その男は、危険な輝きをその瞳に宿してその部屋を立ち去った。

******


 木枯らしが吹き抜けるようになった十二月の上旬。
 沙羅と沙耶は、芦ノ湖にピクニックに出発した。学校は休みを取っている。
 横浜の外に出るのは、沙耶には初めてのことだった。そもそも、沙羅の家周辺から離れることすらほとんどなかったのだ。
 市内は、乗合バスで移動し、スラムと企業との間を仕切る外壁のところで、スラム内での身分証とスラム外出許可申請書を見せる。一般には、スラム内にいるのはほぼ犯罪者と見られている。それが偏見であることは、誰もが分かっているのだが、いまだに改善される様子はない。そのための外出許可申請書なのだ。
 その後に持ち物検査。といっても、今回彼女らがもってきているのはお弁当とピクニックの道具だけだ。不信に思われるようなものは、何もない。これも、至極あっさり終了した。
 一通りの手続きが終わると、外出許可証が渡される。期間は一週間。この間だけは、認められた区域に限りだが横浜の外――企業の管理する地域に入ることができる。
 その後は、エレウェイの駅に向かう。これは、いわゆる磁気軌道列車(リニアカー)である。そこで切符を買うときも、外出許可証を必要とする。さすがに、ちょっと高い。沙耶も思わず顔を顰めてしまった。  エレウェイはあまり人は乗っていなかった。この寒い時期にわざわざ出かけるような人はいないと言うことだろうか。
 それでも数人、同じような目的なのか、お弁当らしきものを持った家族連れと思われる集団がいくつか見える。紅葉はもう終わりつつあるとは言え、冬間近の山々の散策、というのも悪くないのだ。
 エレウェイに乗っていたのはほんの二十分ほどであった。その間に、外の風景はめまぐるしく変わっていき、整備された都市区画から、自然が目立つ山間の風景になる。
 沙耶は、少なくとも記憶のある範囲ではこれだけの自然は見たことはないし、多分失った記憶の向こう側にもないような気がする。たまに断片的に見る記憶でも、このような鮮やかな色を見たことはない。自然を見る、という行為をしたことなどなかったのだろうか。
 降りた駅名は『芦ノ湖入り口』とあった。駅を降りたところに、駅から芦ノ湖までの道筋が示された地図がある。どうやらここから芦ノ湖まで、というのはハイキングコースになっているらしい。
 地図には、いくつか見所、というような場所も指示されていて、また、今の時期はここが見所、というような指示もある。
 何の変哲もない鉄版の地図に見えるのだが、実は極薄型映像表示装置(パネルディスプレイ)である。今日の天気や、大気の状態に応じて、どこで何が見えるか、などが常に最新の情報に更新されているのだ。
「よかったわ。天気が良くって」
 沙羅が嬉しそうに空を見上げた。
 確かに、気持ちがいいくらい綺麗に晴れてくれている。本で読んだ、抜けるような青空、というのはこのようなものを指すのだろう。
 かつて、大気汚染が深刻化し、この日本島では特に問題になっていた。二十世紀末から二十一世紀初頭の話である。その後、少しずつの努力によって、わずかながら自然環境は人間によって保護される形で生き永らえていた。だが、あの大天災のあと、人間は自然環境を破壊してしまうような有害物質を出す工場などのほとんどを失った。そして、その直後から、自然環境は急激にその生命力を高め、半世紀経った現在では、相当回復している。これは何も、この日本島に限った話ではないらしい。
 大天災というのは奢り高ぶった人類に、地球がその罰を下したのだ、という人物もいる。特に宗教関係者に多いが、時々学者ですらそういうことを言うものもいる。実際、それほど見事に破壊され、自然が甦ってきているだから、そう思うのは無理もないのかもしれない。
「富士山、見えるみたいよ」
 富士山、というのは本の知識では知っている。この日本島でもっとも高い山。火山であるのに、大天災でも噴火しなかったらしい。その美しい姿は、霊峰とも神山とも云われている。図書館にある本の写真で何回か見たが、とっても綺麗だと思った。
「それは、楽しみです」
「んじゃ、行きましょうか」
 沙羅の言葉で、二人は寒さの方が強くなった、かつて箱根と呼ばれていた地域の道を歩き始めた。




邂逅2  急転2

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