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その日、ランドマークタワーでは、表向きは特になんの行事もないことになっていた。だがこれは、別段不思議なことではない。 近年、テロなどに見せかけた要人の暗殺などが多発している。そのため、どの企業でもVIPの動きは常に極秘にされているのだ。 ランドマークタワーのある横浜の港湾地区は、そのほとんどがクロリアの私有地となっている。 港湾地区は、大天災のときの大地震と高波などによってそのほとんどが崩壊し、使い物にならなくなった。 それをクロリアは買い上げて整備し、かつてツインタワーと呼ばれた二つの巨大なビル、ランドマークタワーとスカイツイストタワーの二つを崩壊した上層を放棄して改修し、この横浜スラムの拠点としているのである。 横浜スラムは、現在日本島にあるスラムの中でも、最大規模のスラムのひとつである。 最初こそ、企業はスラムの整地を推し進めようとしたが、現在では逆に多数の企業の中立地帯として、それぞれの企業がこぞって新製品などを売り出す。実際、スラム、とはなっているが、横浜の経済規模は決して小さくないのだ。それでもなお、大きな建物の改修が行われないのは、それらの工事が可能な業者の全てが企業体に属しており、そういう工事を行うこと自体が横浜に影響を与える行為である、として互いに牽制しあっているからなのである。 ツインタワーのある港湾地区は、そういう暗黙の協定が結ばれるより前に、クロリアが買い上げたのだ。そのため、横浜スラムにおいても、クロリアの影響力は他の企業よりやや大きい。 これまで、そこにあるのはごく普通の研究施設だと思われていた。だが、どうやらそれだけではなかったようだ。 クロリアの特殊能力者の研究はスパイラルタワーで行われている。これは間違いない。だとすれば、ランドマークタワーには模擬戦を行うための施設でもあるのだろうか。とにかく、ここで特殊能力者の研究成果が何かしら発表されることは間違いない。 それもクロリアの要人が来るというのだから、かなり重要なものだろう。そこでクロリアの行ってきた数々の実験の証拠となる資料を奪取する。 実際には他の企業とて、似たような、非人道的な行いはやっているのだろうということは分かっている。だが、それは少なくとも今は問題ではない。 自分たちの人生を無茶苦茶にしてくれたのが、クロリアである、というのが問題なのだ。その復讐のために。そしてこの先、クロリアによって不幸になる人々がこれ以上増えないために。そのために彼らは今まで、長い時を耐えてきたのだ。 |
そんな中、彼らほどの使命感を持っていないのがいた。沙耶である。 彼女は、別にクロリアに対して、明確に恨みがあるわけではない。 確かに、沙耶自身はおそらくクロリアで育成された過去を持つ。だがその記憶は未だに曖昧で、実感が湧かない。それに、辛かったとは思うけれども、それに対して怒りを覚えることもないのだ。 沙羅を連れて行かれた、という恨みはあるが、逆にいえば、沙羅を連れ戻せるのであれば、それでいいのである。あとは静かに暮らせれば文句はない。 もちろん、実際にはそうは行かないことも、わかってはいた。 自分とクロリアの関係。それは、自分が望む望まないに関わらず、付きまとうものであろう。だとすれば、クロリアと戦って、もう自分に手を出せなくなるまでにすれば良いのだが、果たしてそれにはどうしたらいいか、となると分からない。だから、彼らに協力しているのだ。 そんな沙耶の思惑をよそに、襲撃計画は周到に準備され、組織全体の雰囲気も徐々に高まってきた。 いよいよ、襲撃まで一週間後、となった日の夕方、訓練の終わった沙耶は、いつものようにぼうっと川縁にたたずんでいた。 時々、足元にある石をつかんで川に向けて投げた。石は放物線を描いて、川のほぼ真ん中に落ち、ぽちゃんという音を立てて一時的に水面に波紋を広げる。 だが、いくらゆっくりとした流れとはいえ、波紋は池のようにいつまでも残らない。川の流れで消されてしまう。 「どうした。随分呆けているじゃないか」 誰が来たかは、見なくても分かっている。だから、沙耶は顔を上げずにそのまま水面を見つめ続けていた。 「私たちのやろうとしていることって、今の石に似ているなと思えてしまって」 沙耶はそういいながら、もう一つ石を投げ込んだ。陣は意味がよくわからず、ただ沙耶と同じように流れに消されていく波紋を見ていた。 「クロリアはあまりにも巨大……。そう、ちょうどこの川の流れのように悠然としている。そんな中に石を投げ込むような行動をしても、意味があるのでしょうか」 陣は何も答えずに、沙耶の横に腰掛けた。そして、自分もおもむろに適当な石を一つ取る。 「確かに、ただ石を投げ込むだけじゃ、効果はない。けど、投げ込まれたのが普通の石じゃなければ。まあ例えが悪いが、毒を含んでいたら効果はある。見た目の効果は小さくたっていい」 「私たちが毒?」 「今の例えだとな。あるいはあの川が毒で、俺たちが検出薬でもいい。それで、川がどれだけ汚れているかを他の人に教えることができる。そう思えば無意味じゃない。まあ沙耶がそう感じるのは無理もないか。クロリアにそれほど恨みがあるわけじゃないだろう」 図星だ。沙耶は思わず顔を伏せてしまった。クロリアに恨みを持つ人たちに比べて、なんか自分がここにいるのはひどく不純な動機のような気がして、恥ずかしかったのである。 みんなを裏切っているつもりはないのだが、そんな気がしてしまうこともある。 「気にすることはない。全員が、それぞれの結果を目指す方法が重なっているから、組織が成り立っているんだ。乱暴だが、そういう考え方もある」 沙耶はちょっとびっくりしたように顔を上げて、陣を見た。彼はいつもの無愛想な表情のまま、川を見つめている。 「あなたの目的は何なの?」 沙耶が聞いたのは、ほんの興味本位であった。陣はクロリアに親を殺されている。普通に考えるなら、その復讐だ。けれど、沙耶は漠然と復讐というのが空しいものだと思っている。一体彼は、この戦いの先に何を見ているのかがふと気になったのだ。 「俺の目的か?なんだろうな。別にいまさら、復讐しようとも実はあまり思ってない。確かにやつらは憎いが、やつらを皆殺しにするなんて不可能だ。けど、泣き寝入りしていたら親父たちは浮かばれない。だから、やつらに自分たちの罪に見合う代償を払わせたいんだろうな、俺は。それが組織の目指すものと合致している。だから、俺はここにいるんだ」 「色々考えているのね……」 沙耶はそれ以上何もいえなかった。 自分は、というと沙羅に会えるかもしれない、というだけでここにいるのだ。 崇高な使命感もなければ、正直言って仲間意識もあまりない。さすがに、最初に出会ったマリアや陣は別だが。 もちろん、彼らを助けたいとは思っているし、自分の力が役に立つのは嬉しいし、彼らに死んでほしくもない。ただ、結局目的が違うのだ。 「そう堅く考えなくてもいいだろう。俺達はそれぞれ、自分の目的のために動く。目指す結果が違うのは当然だろう。いいんだよ。それで力になってくれていると思ってもらえれば」 随分乱暴な意見だが、言いたいことは分かる。自分のことを案じてくれる人がいる、というのが、なぜか嬉しくて、沙耶は微笑んで頷いた。 それに、自分が迷っていたらそれだけで惨事を招きかねない。ならば、今は戦うことだけを考えよう。 沙耶は、結局未だに特殊能力は覚醒していない。普通の兵士としての能力は、確かに飛びぬけているのだが、ある程度の訓練を受けていて、かつ特殊能力も使える陣などと模擬戦をやるとまず勝ち目がない。 特に念動能力者(サイキッカー)と戦う時は、絶対に複数でかからなければ勝ち目はない。彼らは手も触れずに銃を暴発させてしまうなど、簡単にできるのである。 「私、そんなに強くないわ。あなた達の足手まといになりかねないし……」 ここでいう「あなた達」とは特殊能力者を指している。彼らは、組織内でも十人程度しかいないが、その能力は各自、普通の兵士数十人に匹敵する。もっとも、その能力自体を産み出してくれたのが、いずれも敵であるクロリアの技術、あるいはクロリア自身というのは皮肉な話だ。 「そんなことはないさ。あんたにはまず間違いなく能力が眠っている。要は、きっかけだ。もっとも、そんな力なんてないほうがいいのかもしれないけどな……」 陣のその気持ちは、なんとなく沙耶には分かった。 人の本来の力を超えた能力。彼らが持っているのはそういう力だ。手も触れずに銃を暴発させることもできるし、並の銃弾ならば弾くことだってできる。 持たざるものからしてみれば夢のような力だが、これがあるばかりに彼らは各々地獄のような思いをしてきたのだ。 だが、だからこそ、これ以上同じ思いをする人達が出ないようにしたい。それは、陣も沙耶も強く感じていることだった。 「どっちにしても、あと一週間だ。逆に言えばまだ一週間もある。今から悩んでいると、本番で潰れることになるぞ」 これでも彼は彼なりに、沙耶を心配してくれているのだろう。愛想が悪いのは、クロリアで『調整』された結果なのかもしれない。本来は優しくて、愛想のいい性格ではないだろうか、などと沙耶は勝手に考えた。そして沙耶は愛想の良い陣を想像しようとして、失敗した。思わず吹き出してしまう。 「なんだ?いきなり笑い出して」 陣が怪訝そうに訊ねるが、これは普通誰でも聞くだろう。その態度と、一瞬想像しかけた愛想の良い陣とのギャップがおかしくて、沙耶はさらに笑い出してしまった。 ようやく笑いを止めて、沙耶が説明した後、陣が憮然とした表情になったのは言うまでもない。 |
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三月二十三日。いよいよ、襲撃は明日である。 すでに昼前には全員出発している。各々バラバラに―といってもいくつかの班に別れて―港湾地区の近くへ向かったのだ。 沙耶は、仲間と一緒に横浜の中心街へ向かった。この辺りはかつて沙羅と一緒に住んでいた場所だ。あれから三ヶ月しか経っていないから、当然そう変わっているわけはない。わずか半年しか住んでいなかったはずなのに、やはり懐かしい感じがすた。できれば、学校の子供達に会っていきたい、と思ったがさすがに思いとどまる。 今回は、沙耶は知人などに会うわけにはいかい。作戦上目立つ行動は取ってはならないのだ。 沙耶にとって、気が楽になれたのは、同じ班員がマリアとシンであったことだ。 これは彼ら自身も希望したことで、沙耶としても嬉しかった。いくらもうあまり気にしなくなったとはいっても、陰口を叩いてくれたような人と一緒にはなりたくない。マリアやシンは、陣と同じく沙耶を庇ってくれていたのだ。 「何があったって、私達は沙耶ちゃんの味方だよ」 マリアがそう言ってくれたことが、沙耶にはとっても嬉しかった。 改めてみるツインタワーの一つ、ランドマークタワーは、本当に大きく見えた。よくもまあ、これほどのものを建造したと思う。しかも、これが建造されたのは、百年以上も前だというのだから、驚きである。かつては地上から二百メートル以上の高さがあったという。一体そんな大きなものを造って、何に使ったのだろうかとも思うが、今それを知っても仕方ないだろう。 「沙耶ちゃん、そう気負わないでね。今までの訓練通りやれば、大丈夫だから」 沙耶がタワーを見つめているのを、緊張していると勘違いしたようだ。 「大丈夫。クロリアの奴等なんて、俺にかかれば、ザコだぜ」 シンが、腕をぶんぶん振り回した。彼は銃器の扱いはもちろんだが、それ以上に格闘技の達人であるのだ。 「あ、いえ。でも、少し緊張しているかもしれません」 緊張、というのとは少し違う。気持ちが昂ぶっている、という感じだ。 もうすぐ沙羅に会えるかもしれない、と思うからだろうか。いてもたってもいられない、という感覚である。 「今から緊張していたら明日大変だよ。今日はゆっくり休もう。全ては明日だ」 マリアは沙耶を促すと、宿へ向かう。 宿は、ランドマークタワーが見える場所にある建物で、組織の協力者が提供してくれたものだ。 部屋は二つあって、当然マリアと沙耶で一部屋。シンがもう一部屋を使う。 食事は、すでに持ってきていたものを食べる。シンは本当は市街へ食べに行きたかったらしいが、さすがに迂闊な行動をとるべきではない。 簡単な食事が終わってから、彼らは最後の打ち合わせを行った。三人がテーブルにつく。そのテーブルの真ん中には港湾地区の地図と公のデータベースで公開されていたランドマークタワーの見取り図、それにクロリア内部の協力者が提供してくれたランドマークタワーの部分的なの見取り図がある。当然だが、その二つの見取り図には食い違う点が多い。 「作戦開始は明朝八時。情報通りなら、クロリアの連中は十時に研究所に来る。私達はここから港湾地区に入る」 マリアはそういって、一枚目の地図の一ヶ所を指差す。かつて、地下連絡通路が通っていた場所だ。現在でもこれは、放棄されただけで使うことは出来るという。通路の出口はタワーのすぐ傍だ。 「そこで十二時まで待機。時間になったら対人レーダーを無力化しつつタワーに接近する。その後……」 マリアは二枚の見取り図を取り出した。 タワーは当然だが多くの入り口がある。 ただし、使用するのは当然普通の出入り口ではない。目的はあくまで、クロリアの行ってきた実験データの奪取だ。VIPの誘拐は二の次である。 マリアの示した入り口は、本来研究資材などを搬入するためのものである。資材に隠れつつ侵入しようというのだ。 他の班では納品している業者と入れ替わる、という手も使うというが、その手を使うためには身分証明が必要で、とても全員分は用意できなかったのだ。 「あとは正直言って、中に入ってから判断するしかない。文字どおり手探りだね」 「あの……」 「ん?」 「とりあえず、どちらに向かうのでしょう?地上地下とあるようですけど……」 沙耶に指摘されて、マリアは腕を組んで考え込んだ。 「そうなんだよ。どっちに行けば良いのか。それが問題でね。まあ結局、その場での雰囲気とかで判断するしかないよ。あとは、陣達から連絡があるだろう」 その名前が出たとき、沙耶は少しだけ寂しさを覚えた。本来なら、あるいは自分も彼と一緒だったかもしれないのだ。自分の能力が覚醒していれば。それができなくて一緒にいけない、と思うとなぜか悔しいような悲しいような気がする。 「ま、細かいこと打合わせても、結局行き当たりばったりさ。マリアの計画じゃ」 シンの発言の報いは、マリアの拳骨だった。ゴン、というかなり大きな音が響いて、シンは声も出せないのか、頭を抑えてうつむいて震えている。 「……ってえなあ!いきなりグーで殴らなくてもいいじゃねえか」 「うるさいよ、あんたは。そうでなくても沙耶ちゃんは緊張しているんだからね」 「だから俺はその緊張を解いてやろうと思って……」 「だったらもう少しマシなこと言いなよ。それじゃ、余計緊張しちゃうだろうが」 そこまで聞いたところで、沙耶はついに吹き出した。緊張は確かにしていたが、もうすっかりどっか行ってしまっている。あるいはこれも、二人とも沙耶の緊張を解すためにやってくれているのかもしれない。 「ホラ。沙耶ちゃんの緊張、解けた……」 再びマリアの拳骨が飛ぶ。 さながら姉弟漫才のようなそのやり取りは、結局夜遅くまで続いたのだった。 |
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何も見えない空間だった。ただ、感覚があるような気がするから、多分自分はいるのだろう。ひどく不安定な、それでいて安定しているような、そんな感じだ。 「来てはダメ……沙耶。お願い。今のあなた達では……」 その声を沙耶は聞き間違えようがない。間違いなく、沙羅の声だ。 「沙羅?沙羅なの?どこ?」 自分の声は聞こえる。しかし、発した声はまるで闇に吸い込まれて消えてしまっているような気がする。だが、それでも沙耶は呼びつづけた。 「沙羅!」 静寂。やがて、また同じ言葉が続いた。 「来てはいけない。止めて。沙耶……」 かすれそうな、だが確実に届く声。しかしそれも、どんどん小さくなる。やがて完全に聞こえなくなってしまった。 |
「沙羅!」 跳ね起きたとき、沙耶の横にいたのは沙羅ではなくマリアだった。今の沙耶の声で目が覚めたのか、マリアは眠そうに目をこすりながら沙耶のほうを振り返る。 「……どうしたんだい?まだ早いよ。もう少し寝ないと……」 言われて時計を見てみると、まだ朝の三時を示している。そこでようやくあれが夢だったのだと気が付いた。だけど、あの声は間違いなく沙羅だったはずだ。 「緊張しているの?でも、寝ておいたほうがいいわよ。明日は、長いから……」 最後に寝息が重なる。マリアは再び眠りに就いたようだ。 沙耶は、ふぅとため息をつくと、ベッドから立ち上がって、窓の方に向かった。そこからは、ツインタワーがよく見える。まだいくつかの窓が明るい。まだ研究をしているのか、あるいは明日の準備をしているのだろう。 もし先ほどの夢が、本当に沙羅からのメッセージだとしたら、やはり沙羅はあそこにいるのだろうか。 沙羅は「来るな」と言った。沙羅の言葉に従うなら、あるいはそうした方がいいのかもしれない。だが、この行動は沙耶一人の意思で行っているわけではない。いまさら止めることなど出来ない。 仮に、あそこに沙羅がいるのであれば、それは自分にとっても大変都合がいい。 自分は、少なくとも沙羅が知る自分よりはずっと強くなっている、という自信がある。きっと助け出すこともできるはずだ。 タワーの明かりは、あちこちが消えたりついたりしている。そして、その中の一つに沙羅がいる。どこかにいる気がする。沙耶は、それを疑っていなかった。 |
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一度起きてしまったわりには、目覚めは非常に快適だった。むしろ、マリアのほうがやや眠そうで、これは深夜に沙耶が起こしてしまったためかもしれない。 シンが、眠そうなマリアを見て「また低血圧かよ」とからかった直後に拳骨が飛んだ光景は、昨日と同じだった。思わず笑いが洩れる。 もっともその直後、顔を洗って戻ってきたマリアには、眠そうな気配はどこにもなかった。 簡単な食事の後、各自装備の点検をする。拳銃、電磁誘導銃(レールガン)と弾倉、収納式の高周波振動剣(ソニックブレード)、それに空気清浄機能(エアフィルター)付の酸素マスク、スプレー式の傷薬、通信機能付きの小型携帯式端末、多目的ゴーグル、電波検知機、電波吸収装置などの電子機器。電磁誘導銃以外は全部同じケースに入ってしまう。電磁誘導銃だけは大きいので分解するしかない。さすがにこれをもって街中を行くわけにもいかない。ケースに収納して、潜入する直前に組み立てるのである。 「いまさら問題があるわけもないね」 マリアは自分の点検が終わると、ケースを閉じて、沙耶やシンの方に目をやる。二人も、ちょうど終わったところだった。 時計を見ると、七時半を指している。 「んじゃ、行こうか」 マリアの言葉に、二人は静かに頷いた。 |
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港湾地区のすぐ近くまでは、何事もなく行くことが出来た。もっとも、ここに来るまでに何かあるようではどうしようもない。 港湾地区は、大天災によってかなりの区域が海に沈んでしまい、現在では堤防などによって、ある程度の陸地を確保している状態だ。ただそれでも、その広さは二千ヘクタールにも及ぶ。 その外周部は、威圧的というほどではないが、金網に囲まれていて、一般人は入ることが許可されていない。所々に資材搬入用の入り口があるが、当然ガードマンがいるし、入場は厳重に管理されている。まして今回は、当然だが普段より警備が厳しい。 正面突破をしようものなら、確実に捕縛されてしまうだろう。もちろん、彼らにそんなつもりはない。 港湾地区との境である金網を大きく迂回して、「立入禁止」と書かれた鉄板が壊れかけたシャッターに貼り付けてある地下通路の入り口に来た。 念のため、電波検知機を作動させる。さすがに、大天災以降破棄された通路に、センサーなどは設置していないようだ。何の反応もない。 「あの……」 沙耶がここで不安そうな顔になる。 「どうしたの?怖い?」 「いえ、半世紀も前に破棄された通路だと、ちゃんと向こう側まで通じているのかな、と思ったので……」 マリアはニッコリと笑い「大丈夫なの」といって、端末を起動させる。そこには、この通路の見取り図が示されていた。 「二年前のものだけどね。音響探知器で調べたもの。一応、ここもクロリアの施設だからって調べたことがあるんだよ。これによると、多少崩れてはいるけど、少なくとも敷地内までは行けるはず」 なるほど。当たり前のようだが、事前調査は完璧だったんだな、と改めて感心した。 シャッターが閉じているといっても穴だらけで入るのに苦労はない。この周辺は、いまだに再建の手のつけられていない場所で、こんなことでもない限り、わざわざ訪れるものなどいないので容易に入ることが出来た。ただ、当然だが明かりはない。少し歩くと、あっという間に暗くなる。 多目的ゴーグルを、赤外線視野に切り替える。すると、赤く染まった視界が開けた。ゴーグルから投射された赤外線に映し出された視野だ。さすがに、あちこちにヒビが目立つ。 入って一分ほどは、緩い下りの傾斜になっていて、やがて下へ降りていく階段が現れた。 「じゃ、いくよ」 マリアの声で、二人は同時に頷き、歩みを進めた。先頭はシン。次が沙耶。マリアがしんがりだ。 階段は意外に長かった。多分十五メートルは降りただろう。 そこから再び通路になっている。思っていたより、ずっと広い。考えてみたら、かつては商店などが並んでいたというのだから当然だろう。よく見ると、当時をしのばせるような看板などがそのまま放置されている。当時の人々は、おそらくここがこのようになるなど想像もしなかっただろう。 静まり返った通路に、三人の足音だけが響く。ラバー加工された靴底は、極力音が出ないようになっているのだが、それでもこうも静まりかえった空間では、その、靴底が地面をこするかすかな音すら聞こえてくる。 いや、それだけではなく、お互いの呼吸や心臓の音も聞こえてきている気がする。多分、気のせいではないだろう。 そのせいか、自然息も潜めてしまう。まあ実際、大きな声を上げて話すわけにもいかないし、事態が事態なだけに、ここだって無警戒という保証はない。三人は、緊張した面持ちのまま、静かに歩き続けた。 通路は、瓦礫などが多く、あまり歩きやすいとは言えなかった。崩れきった通路の両脇は、まるで本で読んだお化け屋敷のようだ。いきなり幽霊が現れても、驚きはするが理不尽だとは思わないかもしれない。 実際、大天災のときには少なからず犠牲者は出たという。地震で崩れた瓦礫の下敷きになったり、怪我したりした者は多かったらしい。さらにその地震の直後、大津波によって一時期ここは水没していたというのだ。 その後、クロリアの手によって再度陸地となった港湾地区だったが、さすがに彼らも地下には手を付けなかったのである。 供養もされなかった人々は、いったいどこへ向かうのだろうか。 ふとそんな考えに囚われた時、シンの声が聞こえて沙耶は我に返った。 「どうやら、とりあえず中継点までは来れたみたいだな」 シンの言葉で、二人は少し安堵の息を吐く。前方を見てみると、ゴーグルがなくてもかすかに明かりが見える。 「確認してくる。ちょっと待っていろ」 シンが気配を殺して先行する。沙耶はついていこうとしたが、マリアに止められた。 少しして戻ってきたシンは、手で小さく、「OK」というサインを出す。それで、二人は大きく安堵の息を吐いた。 「第一段階突破。あとは……」 マリアは腕時計を確認する。 「思ったより早く着いたね。あと三時間弱。その間に、準備を済ませようか。もっとも、少し離れた方が良いけど」 マリアの言葉に、二人は頷いて少しその場を離れる。五分ほど歩いたところで、あまり崩れていないところを見つけて、そこに入った。 「とりあえず一休みだね。他の連中、上手くやってくれているといいけどね」 「こればっかりは、文字どおり、神のみぞ知るってやつだからなあ」 確かに、ここまで自分達は無事に来れたけれど、他の班の人達が順調かなんて分かりはしない。あるいは、もしかしたら誰かが捕まって、今回の襲撃計画が露見している可能性だってあるのだ。 「心配性だね、沙耶ちゃんは」 マリアが、沙耶の心境を察したように、頭に手を置いた。沙羅の手は、繊細で優しかったが、マリアの手は大きくて暖かい気がする。沙羅とは別の感覚ではあるけど、落ち着ける。 「大丈夫。みんな、今日のために今までがんばって来たんだ。きっと、上手くいく。それより、あたし達も準備だ」 マリアはそういうと、背負っていたサックから、ケースを取り出して空ける。沙耶とシンも同じようにサックからケースを一つ取り出した。黒い、持ち手だけついたケースに入っているのは組み立て式のレールガンだ。弾は二種類。貫通力の高いタイプと、炸裂型。これが交互に五十発ずつ入っている弾倉が三つ。それぞれが入っている弾倉が一つずつ。 かつての火薬で飛ばしていた銃と違って、薬莢と火薬が必要ないレールガンの弾倉は、火薬式の機関銃に比べ、かなり小型化された。一秒間に最大二十発の弾を撃つことの出来るレールガンは、その威力と反動の小ささにおいて、現在では間違いなく、携行可能な銃器の中でもっとも優れたものである。暴発の可能性が小さいといった、安全性も高い。 無論、欠点はある。磁気誘導で弾を撃つため、ある程度の銃身の長さが必要とされる。そのため、いまだに拳銃サイズまでは小型化することは出来ていない。また、威力を持たせようとすると、どうしても銃身が長くなってしまう。 もっとも、現在では銃身が三十センチもあれば、鉄甲弾で厚さ十五ミリの戦車装甲を貫くことが出来るほどの性能になっている。従来の防弾チョッキなどは、全く役に立たない。大口径のレールガンは、一撃で戦車を破壊することも可能だ。ただ、銃身が二十センチ以下になると、十分な威力を持たすこともできない。 今回持ってきたレールガンは、一般的な――銃器に一般的という言い方が当てはまるならだが――タイプである。分解すると非常に小さなケースに入れることが出来、組み立ても簡単で、企業軍や傭兵などが、もっとも良く使うタイプだ。同時に、おそらく今回でも内部の警備では使われていると考えて間違いない。 十五分ほどで、三人ともレールガンの組み立ては終了した。あとは待つだけだ。 |
「昨日、夢を見たんです」 どれくらい経ったのか、ふと沙耶は口を開いた。やや退屈そうにあくびをしかけたシンは、そのあくびを止めて、沙耶の方に向き直る。 「沙羅の声が聞こえました。でも、姿は見えなかったんです。ただ、声だけ」 「……それで、なんて?」 マリアは、静かに続きを促した。 「『来てはいけない』と。それ以外は良く覚えてません。でも、沙羅の夢を見たのは初めてです。実はとっても気にはなっていたのですけど、今更中止なんて出来るはずもないですし、それに私、その夢で沙羅がやっぱりランドマークタワーにいるような気がして……」 「心配するな。沙羅さんがどういう人だったかは分からないけど、俺達は決して無駄死にするためにここまで来ているんじゃない。沙耶ちゃんは沙羅さんを助けることを考えればいい。ランドマークタワーにいるならなおさらだ」 「そ。どちらにしても、私達には後退することなんて出来ないんだから、だったら後悔することのないように前に進むんだよ。そうすりゃ、きっと道だって開けるさ。それにね」 マリアはそういうと沙耶を自分に抱き寄せた。マリアの暖かさ、鼓動が伝わってくる。 「私だって緊張しているんだ。でも、沙耶ちゃんがいるから戦える。なんかそういう気がするんだよ。大丈夫。あたし達が沙耶ちゃんを守ってあげるから。陣も、そう考えてるよ」 いきなりここで思いもしなかった名前を出されて、沙耶はひどく驚いた顔になった。なぜか顔が熱い。 「あ、あのなんでここに陣さんが……?」 「とぼけちゃダメだよ、沙耶ちゃん。陣のこと好きなんだろう?」 いわれた方は、というと文字どおり晴天の霹靂、という表情になっていた。だが、その直後に顔が熱くなる理由が、自分には分からない。 「わ、私は沙羅が好きなんです。別に陣さんは、大切な仲間ですけど、その……」 その反応を見て、マリアはクスクスと笑い、シンはただ必死に笑いを堪えている。こういう状況でなかったら、多分彼は大笑いをしていただろう。 なんかひどくからかわれた気がして、沙耶はぷうと頬を膨らませた。 「まあまあ。まずは生きて帰らないとね。そしたら、またからかってあげるから」 なんかひどく引っかかる気がしたのだが、気が付いたらもう時間は昼近かった。 途端シンから笑いが消え、戦士の表情になる。静かにレールガンをとり立ち上がった。マリアも沙耶もそれに倣う。 「さて、パーティーの始まりだね。もっとも、あたし達は招待状なしだから、正面ゲートからドレス着て入るわけにはちょっといかないけどね」 「ま、どうせドレスなんて似合わないしな、マリアは」 シンがいらないことをいって、昨夜のようにマリアに殴られた。 三人は静かに歩みを進める。 沙耶にとってもそしてクロリアにとっても、長い一日が始まろうとしていた。 |