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そこは、奇妙な部屋だった。 必要最小限の生活器具は揃っている。にも関わらず、ここが生活するための空間とは、なぜか思えない。 そして寝台の上で上体を起こしているのは、沙羅であった。そして、その視線の向かう先に、男が一人立っている。 「まさか君に転移能力(テレポーテーション)が使えるとは思わなかったよ。さすがに自分までは跳ばすことは出来なかったようだが……こうなると我々でもSC01の追跡は不可能に近い。まあ君がそれだけの力を持っている、と分かっただけでも、収穫としようか」 沙羅は、その言葉に一ミリグラムの感嘆も示さなかった。 「じゃあさっさと私を調べるなり解剖するなりしたら。月宮さん」 その言葉に、月宮は少し目を見開き、それから小さく笑う。 「ほう、随分話してくれるようになった。嬉しいよ、SR01……いや、沙羅」 そして月宮はこんこん、と部屋の壁を叩いた。 「気付いているとは思うが、この部屋は模擬戦闘空間(シミュレーションホール)と同じく、無効化力場(ヴォイドフィールド)で覆われている。例え君が、自分自身をテレポートさせることができるとしても、ここからの脱出は不可能だ」 沙羅は表情は変えず、だが内心で歯軋りをしていた。 ヴォイドフィールドはクロリアの開発した力場発生装置(フィールドジェネレーター)で、特殊能力をほぼ無効化する。この技術の応用が、恐らく沙羅が捕まった時に使用された精神封縛網(サイコネット)だろう。しかも、この部屋のヴォイドフィールドは、壁を覆っているだけではなく、部屋中に発振されている。これにより、沙羅は力をほとんど使うことが出来なかったのだ。 「そう怖い顔をしないで欲しいものだな。まあ君も反撃の機会を窺っているのだろうが」 いまここで、月宮を人質に取って逃げ出すことが可能なら、沙羅もそれをしていた。 だが、現在の沙羅の体力は大幅に消耗している状態で、かつ沙羅は素手での戦いなどは得意ではない。 このあたりは、沙耶とはかなり異なっていた。そもそも、身体があまり強くないのである。あるいはこれは、実験体故なのかもしれない。 「まあそのうちSC01……沙耶君にはここにご招待するつもりだ。その時まで、休んでいるといい。せっかくの感動の対面の時に、体力がなくてやせ衰えていたら、心配させるぞ?」 この男にとっては、これでも一応冗談のつもりらしい。だが、もちろん沙羅は笑う気にはなれなかった。 「あなたのシナリオの通りに動くつもりはありません。勝手にして下さい」 月宮はため息を一つ吐くと、まあいい、といって部屋を出て行く。閉ざされた部屋に残ったのは沙羅一人。 「沙耶。お願い。ここには来ちゃダメ。私にとらわれずに自分の道を歩んで……」 だがそれが、沙耶には無理であろう、ということは想像が出来た。自分が同じ立場でも、やはり見捨てることなんて出来ないだろう。 だがそれでも、そうして欲しい、と願わずにはいられない。 「お願い、沙耶……」 沙羅のその独語は、低い稼動音を響かせる壁に吸い込まれ、誰も聞いてはいなかった。 |
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「なるほどな。まあ罠だった、ってことだろうな」 酒場の主人――壊という名らしい――は陣からの説明を聞き終えると、一言、そう言った。 「大体、素人集団があのタワーに攻撃をかけるってだけでも無茶な話だ。まして向こうには、特殊能力者がわんさかいるってぇのに」 「わ、私達は素人じゃ……」 沙耶が思わず反論する。 「俺らからしてみたら素人だよ、お嬢さん。まあ錬度は高かった。それは認める。純粋な戦闘力だけなら、傭兵にだって負けはしなかったろうな」 この時代は『傭兵』という職業が日本にも存在する。 かつては反政府組織に雇われたりするのが傭兵だったが、今では主に企業に雇われる。もちろん、企業も軍隊を保有していて、その錬度は決して低くないのだが、こと戦闘における駆け引きや判断力に関しては、戦い慣れている傭兵の方が企業軍の上を行くのだ。特に、ゲリラ戦や拠点破壊、といった能力は企業軍の比ではない。企業軍は、あくまで警備組織が拡大したものに過ぎないのだ。 この藤沢にはそういう傭兵が多い。現在では、一人で仕事を請け負ったりする――仕事の内容は護衛から暗殺まで様々だが――者も集団でチームを編成している者、あるいは傭兵団を運営している者全てを総称して、傭兵、ということもある。 「まあ確かに、スパイラルタワーに攻撃をかけるよりは、ランドマークの方が楽だったろうが、それでも要塞並の警備だってのは分かってたはずだ。しかも特殊能力者がいるとなればなおさらだな。クロリアの特殊能力者部隊は、一人で傭兵数百人に相当する――傭兵仲間じゃクロリアにだけは手を出すな、ってのが暗黙の了解になってるくらいだ」 「だから今回の援助要請に傭兵ギルドが応えなかったのか?」 傭兵が増えれば、当然それらに仕事を効率的に斡旋する組織が発生する。 傭兵ギルド、と呼ばれているのがそれだ。かつては、各街ごとにそういう傭兵に仕事を斡旋する組織があったのだが、十年程前に、これらが統合されている。少なくとも、関東地区においては。これに属していれば、大きな傭兵団からフリーの傭兵まで、それぞれ能力や人数に応じた仕事の斡旋を受けられる、というわけだ。 そして今回、組織も傭兵ギルドに依頼をしていた。だが、傭兵ギルドは頑としてその依頼を引き受けなかったという。 「そういうことだ。クロリアだけはタブーなんだよ」 「なぜそこまで恐れる?」 壊は少し渋い顔になった後、テーブルの上のコーヒーを一口飲み、陣と沙耶を見比べた。 「十数年前にな」 壊は覚悟を決めたように口を開いた。 「傭兵ギルドが依頼を受けて、ある場所の防衛を一個中隊で行っていた。そして……彼らは一人として帰ってこなかったという」 思わず二人は域を飲む。 「監視カメラに残された画像から判明したことは二つ。一つは、襲撃をかけたのがクロリアであったこと。まあこれは予想もされていたのだがな。そしてもう一つが――襲撃者が特殊能力者で、そして人数は僅か三人だったということだ」 壊はそこで言葉を切り、コーヒーをもう一口すすった。 「それ以後、クロリアはタブーになったんだよ。ましてそこに特殊能力者がいる、と分かったから協力しろ、なんて言ったら迷わず断るぜ、連中」 二人に言葉はない。だが、だからと言ってやめられるものではなかった。 「まあ、そんな場所に戦技訓練だけ受けた連中が行くのは、無謀だったということだ。どちらにせよな。いくらそっちにも特殊能力者がいたとはいえ……」 「分かってる。同じ程度の能力者なら、向こうの方が力の使い方は、遥かに上手かった」 「どっちにしても今は何も出来まい?まあ、部屋貸してやるから休んでいけ。しかし、とりあえず当面はどうする気だ?」 「とりあえず、沙耶の家に行く。着の身着のままだったしな。その後は、考えていない」 「そうか。まあ、なんだったらまた来い。手助けくらいはしてやる」 「……考えておく」 陣はそういうと、あてがわれた部屋に入っていく。沙耶も、そのとなりの部屋に入った。 部屋はベッドが一つと、小さな机だけ。窓は頼りない小さな窓が一つだけ。だが、もう暗いため採光などは全然気にしてなかった。 沙耶はそのベッドに、倒れこむように突っ伏す。 「つか……れた……」 その言葉を発した時、沙耶は既に半ば以上眠りに落ちていた。 |
翌朝、陣と沙耶は壊に礼を言って出発した。壊は「役には立つだろう」とわざわざ偽造の臨時登録票も渡してくれた。 これは、藤沢のような、企業管理都市(キャピタル)でありながら出入り自由な区画がある街特有のシステムで、身元が明らかではなく、企業籍のない旧地区の人間に対して、とりあえずの身分保障をしてくれるシステムである。『臨時』となっているが、これから正式に企業籍に登録するものは稀だ。特に有効期限もないため、大抵はそのまま利用され続ける。さすがに、発行から一年以上経っていると、他地域では見咎められることもあるが、藤沢内では問題にならない。一応発行はちゃんとした審査も行われるため、これをもっていれば少なくとも数ヶ月は身元が保証されていることになる。このような臨時登録票は、日本島では藤沢以外に二十ほどの都市が発行している。実は最近、横浜でも発行しようという動きもあるのだが、横浜は、対外的には完全なスラムであり、また、企業の利害が複雑に絡み合っているため、実行できていないのが現状だ。 とりあえずこの登録票のおかげで、陣と沙耶は楽に横浜に戻ることが出来た。これがあれば、公共交通機関を利用できるし、オートチェックになっている横浜入り口の検問所も何の問題もなく通過できたのだ。 横浜に入ってしまえば、あとは道慣れたものである。バスと徒歩を使って、昼過ぎには沙羅の家に到着した。 「……なんか、久しぶり……」 ほんの数ヶ月ぶりだというのに、なんだかずいぶん久しぶりのような気がする。 「とりあえず、中に入ろう。正直、ちょっと寒い」 「そうですね」 鍵は当然かかっていたが、前に服を取りに来た時に置いておいたスペアキーはそのまま置いてあったので、あっさりと入ることができた。 「ここが沙耶の家か」 「というより沙羅の家です。私は居候でした」 陣はきょろきょろと見回している。考えてみたら陣はここに来るのは初めてなのだ。 「崩れかけた家を直したものらしいですが、快適ですよ」 家の中は思ったよりきれいだった。埃がたまっているのは仕方のないことだが、それもそれほどひどくはない。幸い空き巣などにもやられなかったようだ。もっとも、入ったところで盗むものなどはほとんどない。あるとすれば。 沙耶は駆け足で寝室に向かった。 「確かここに……」 沙耶は寝室にあるタンスの引出しの一つをしばらくごそごそとやっている。ややあって、期待した感触が手に触れ、それを掴むと手を引き出した。 「あった。これ。いざというときのお金です。きっと、こういう時のためのものですよね」 沙耶が取り出した紙袋には、かなりの量の共通紙幣が入っていた。普通に生活すれば三ヶ月は食べていける額だ。 「備えあれば、か。なかなかに強(したた)かな人なんだな、沙羅さんって」 「……そうですね」 そう言って沙耶は微笑った。 「これからどうするんだ?」 「う〜ん。とりあえず……」 沙耶は腕を組んで考え込んだ。当面の生活費は確保したとはいえ、ただ暮らしていくというつもりもない。沙羅を助けるという目的があるのだ。 けど、何をどうしたらいいか、となるとさっぱり分からない。何から手をつければいいのか。 陣はとりあえず疲れた、というようにソファに倒れこむ。しかしそのソファから埃が舞い上がって二人とも咳き込んでしまった。 「とりあえず、掃除からするか。その後食事。その後に考えるくらいの時間は、あるだろうさ」 舞い上がった埃で咳き込みながら、陣が提案する。 沙耶はもちろん同意した。 |
「あの、起きていますか?」 「ああ」 沙耶の言葉に陣の声はすぐに返ってきた。 沙耶がベッドで寝て、陣はとりあえず埃を払ったソファで寝ている。沙耶はベッドの方が大きいから、と言ったのだが陣はさっさとソファで寝てしまったのだ。本当は別の部屋で寝ようとしたのだが、沙耶が寂しいといって同じ部屋にいてもらっているのである。それに元々、他の部屋は掃除をしていない。 「これからどうするか、ずっと考えていたのですが……」 食事の時は二人とも、いいアイデアが浮かんでいなくて、結局明日にしよう、となったのだ。 「私に、もう一度力の使い方を教えて下さい」 「……そのつもりだ。沙耶にはあの沙羅さんに匹敵する能力が眠っている気がする」 「沙羅に匹敵する……ではなくて、沙羅と同じ、じゃないでしょうか?」 沙羅の言葉に、陣は返答に窮した。 「いや、特殊能力者というのは普通個々人でまったく違う能力が……」 「分かっています」 沙耶は陣の言葉を制した。 「私と沙羅が、同じ遺伝情報をもっているかもしれない、つまりクローンである可能性」 「……否定は、出来ないとは思う」 陣はやや躊躇しつつ頷いた。 「無論、彼女が誤魔化しているだけで姉妹という可能性だって十分にある」 むしろその確率の方が高い、とは思っている。 確かに、クローン技術は発達している。今の時勢、極端なことを言えば脳さえ無事なら、元の人間を完全に再生することも可能だといわれている。無論それには、莫大な時間がかかるし、万に一つ本当に脳だけ無事で、あとは破棄するしかないようなことになったとしたら、脳を維持するだけでも莫大な費用がかかり、実際には不可能に等しい。ただ、もし肉体のスペアを作っておくことが可能なら、脳さえもクローンで作り上げられるのではないだろうか。 特殊能力は、その力の根源が全て人間の脳にあるといわれている。もし、強力な特殊能力者の脳をコピーし、そのコピー人間が特殊能力を使うことが出来るとしたら、それは特殊能力者の増産を可能とすることになる。現在では、クロリアですら既存の能力者の能力を強化することしか出来ないはずだが、もしそれが可能ならそれは途方もない力をクロリアが手にすることになるのだ。 沙羅が強化された能力者で、沙耶はそのクローンである……その可能性は、完全に否定できるものではない。 その場合、沙耶は一体何者となるのか。考えても、恐らく答えは出ない。 それに、そこまで完全なクローンはまだ知られていない。実際、複雑な構造を持つ人間の脳だけは、クローンコピー出来ないといわれているのだ。まして、特殊能力者ならばなおさらだろう。それならば、彼女らが姉妹である確率の方が遥かに高い。年齢も、せいぜい十年程度しか離れていないのだ。 「そうですね……けどなんとなくですが、私と沙羅は姉妹ではないと思います。そんな気がするんです」 「……そうか……」 それは、陣もなんとなく分かった。一度、ちら、と会っただけなのだが、あれだけ似ているにも関わらず、姉妹だとは思えなかった。あとで関係を考えてみて、姉妹が一番妥当だろう、と思えただけなのである。それに、仮に二人の関係がどうであっても、それはあまり重要ではない気がする。 「まあ、いいんじゃないか」 陣は沙耶のほうに向き直る。 「姉妹だろうがクローンだろうが同じようなものだ。ただ、二人は強く引かれ合っている。それは間違いない。沙耶は沙羅さんを助けたいんだろう。ならそうすればいい。正直俺も、沙羅さんと沙耶の関係はわからない。だが、たいした問題じゃないとも思う。ただ同時に、沙耶はもう一度、沙羅に会わなければならない――そんな気はするな」 「……はい。私も、それは感じてます」 会って何がどうなるのかなんて、検討もつかない。ただ、もう一度会わなければならない、と思う。沙耶のそれは、確信に近かった。 「とりあえずそれはともそれとして……住む場所はどうする。ここでいいのか?」 「それは避けたほうがいいと思います。ここは、私のことを知っている人がいますから、いつか発見されると思います。私は多分ここで暮らしているときに彼らに見つかったのでしょうから」 実は、今日もこの家に誰か帰ってきていると気付かれないように、暗くなってからは明かりをつけずにさっさと眠ってしまったのだ。 「そうか。なら明日も早くに出たほうがいいな。人目につかないほうがいいだろう。この先行く場所だが……あてといってもほとんどないなあ」 「当面の生活費はあるとしても、それも無限じゃないですし……」 ひどく問題が極小化した気がするが、これはこれで重要な問題である。沙羅を助ける前に、自分達が飢え死にしてはたまらない。 「仕方ない、一度壊のところに行こう。あのおっさんなら、なんか仕事とかも見つけてくれると思う。あんまり頼りたくはなかったんだがな」 「……なんでです?」 これは完全に興味本位の質問だ。だが問われた方は、なんともいえない複雑な笑みを浮かべていた。 「またガキ扱いされる」 思わず沙耶は吹き出していた。 「で、でもほかにないですしね」 「……もう寝ろ。明日早朝に出るぞ」 陣はやや不機嫌そうに、沙耶に背中を向けて毛布に包まってしまった。 「はい。おやすみなさい、陣さん」 沙耶はあらためて陣がいてくれてよかった、と思った。自分一人では何をしたらいいのかも分からなかっただろう。人に頼ってばかりだけどでもいつか自分も頼られるようになりたいと思いつつ、沙耶は眠りに身を委ねた。 |