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決戦2




 さらに二ヶ月が過ぎた。季節は一年で一番過ごしやすい季節になっている。ごく稀に気温が三十度近くまで上がることもあるが、普段はせいぜい二十度台前半で非常に過ごしやすい。それに街に緑が溢れているのはなんとなく気持ちがいい。常緑樹でもこの季節は生き生きしている気がする。
 決して、沙羅やクロリアのことを忘れることはなかったが、それでも少しは開放的な気分にはなれる。ただ、それでも沙耶は寒い季節も嫌いではなかった。それは、あるいは沙羅とであったのがそういう季節だったからかもしれない。陣に言わせると、生まれた季節を人は好きになるものらしいぞ、ということだったが、さすがに沙耶は、自分がいつ生まれたか、など分かろうはずもない。以前の記憶が戻ったとはいえ、それは昔になればなるほど酷く曖昧で、まるで霧の中の記憶のようなのだ。もっとも、誕生日などは元々知らなかったと思う。さしあたって、祝ってなどもらってなかったのは間違いない。だから沙耶は、自分の誕生日は沙羅に拾ってもらった日、と思っている。
 彼らの周囲の状況は、あまり変わっていなかった。
 沙羅の力の覚醒は、どうやら頭打ちになっている。あるいは、これが限界なのかもしれないが、陣は、そもそも能力の限界、というのは個人が勝手に枷をはめてしまっているのではないか、と考えていた。
 特殊能力は、意志の力だ。だが、普段それを意識することはない。
 特殊能力者――たとえば念動力を持つものにとって、手を触れずに物を動かすのは、当たり前のことなのだ。感覚的には、手で持つのと変わりはしない。だが、かといって念動力を持たない人がそれを出来ないのは別におかしいとは思わない。言い換えれば、腕を事故などで無くした人が、手で物を持てなくて当然だというのと、感覚は似ている。だが、別にその『腕』がないことを奇妙に思うことはない。
 しかし、手でコップを持つのと、重いものを持つのでは意識の仕方が違う。手でコップを持つなど、意識を集めるまでもなくできることだが、重いもの――たとえば大きな荷物など――を持ち上げる時は、その一瞬、持つことに意識は集中する。あるいは、細かい作業をする時などは、手の動きに意識が集まる。これと同じ事が、念動などにも言える。重いものを持ち上げようとする時はそれなりに意識を集めないと容易いことではないし、細かい動きをさせようとすると、意識を集中させ続けることが必要にうなる。つまり、手で物を持つにせよ念動で持つにせよ、意識を集めることにより、より大きな、あるいは正確な動作が可能になるのだ。そして、肉体という枷がない分、念動には限界がないような気もする。
 このことは、頭で理解してもなかなかうまくいかないが、陣はこれによって飛躍的に能力を上げることが出来たのだ。ただ、念動以外の能力は、あるいは眠っているのかもしれないが、とにかくできる、と思うことが当たり前にならないためにどうしようもないらしい。
 対する沙耶は、最初こそ強く意識して能力を振るっていたが、現在では極自然にそれを行える。しかも元々、かつての陣かそれ以上に強力だったため、陣のように力を強化する必要すらほとんどなかった。おまけに念動だけではなく、非常に多才だったため、どちらかというとそれらの能力を使いこなす方に力を注いでいたのだ。
 二人とも、今なら半年前のランドマークタワー襲撃時に、目的を完遂できたかもしれない、と思えるほどになっている。
 だが、あの時と違い、今の彼らには情報網がない。
 壊の情報が唯一の便りで、これも実はかつての組織と同じレベルの情報網ではあるのだが、それでもなお、沙羅の行方はようとして知れなかった。
 ただそれで、二人とも焦ることはなかった。なぜかは分からない。ただ、いつか必ずチャンスはある、という確信めいたものが、二人にはあったのだ。
 鍵を握るのは、間違いなく月宮だろう。
 月宮の地位は二ヶ月前と変わっていなかった。これまでの速さが異常だったからそれほど不思議ではない。ただ二人ともなにか不気味な感じがしていた。あの時に受けたあの男の印象は、そして二ヶ月前にディスプレイ越しに見たとき、感じたある種の化け物じみた感覚は、時が経てば経つほど危険なものだという感じが、どんどん強くなっていたのである。そしてそれは、予感にとどまらなかった。

 七月も半ばを過ぎ、時々蒸せるような暑熱の日が増えてきた。陣は今日は一日外で警備の仕事の予定だったので、出来れば涼しくあってくれないかな、という期待を込めてディスプレイをつけ、天気予報のデータをダウンロードしたが、データは無情にも今年一番の暑さ――なんと最高気温三十二度――を示していた。挙句、昨日一日降った雨のため、湿度が非常に高く、気温以上に暑く感じるでしょう、と無責任に報じている。
「……勘弁してくれ……」
 言ったところで仕事がキャンセルできるわけではない。陣はやれやれ、と言いながらもう一つ、あるキーワードを入れて情報を検索、ヒットしたものをダウンロードする。キーワードは『月宮一樹』。とにかく彼の動向が唯一の手がかりである彼らのとっては、これはもう日課だった。もっとも、情報が引っかかることは多いのだが、有用な情報であることは滅多にない。彼の立場だと、公的な情報ネットワークに流れる情報があるのは不思議ではないのだが、同時にどうでもいい情報であることが多いのだ。
 ところが、今回はなんとレベル2の記事――記事にはその重要度に応じてレベルが設定されていて、レベル1からレベル8まである。レベル1は国家、あるいは企業に何かしらの重大な異変があったときのもので、レベル2はそれに次ぎ、国家あるいは企業で、かなり大きな変事、あるいは出来事があったときのものである――があった。そこには、彼の名とともにその肩書きが変わったことを示している。
『クロリアコーポレーション極東地域マネージャー月宮一樹』
 巨大企業クロリアの最大市場である極東地域の総支配人(マネージャー)。それはいうなれば、クロリアという巨大企業の、事実上のナンバー2を意味する。極東地域のマネージャーというのは、クロリアの他の地域のマネージャーより、明らかにランクが上であり、そしてマネージャーの上司は社長しかないのが、クロリアの体制なのだ。
 以前が日本支社副社長だから、これは大抜擢といえる。しかも月宮の年齢は三十一歳。これは異例というより、もはや異様とも思える人事だ。
 データは、その後にずらずらと彼の華麗な経歴を並べている。特にここ数ヶ月の、日本支社の業績はめざましいものがあり、前総支配人が引退を表明したのに伴う抜擢、と記事には書いてある。ふと気になった陣は、前総支配人の経歴を簡単に調べてみた。年齢は六十四歳。引退には、まだ早すぎる。そして、月宮を指名したのは、ほかならぬその前総支配人らいし。こうなれば、少なくとも月宮の持つ力を知る二人ならば、何が行われたか、考えるまでもなかった。
 しばらく二人は無言でいたところに、突然メールの着信を知らせるアラームが鳴った。また壊からだろう、と思った陣は、メール受信画面を開き、そこで凍りつく。それは、沙耶も同じだった。
 差出人の所にあった名前には『月宮一樹』とあったのだ。
「もう気付かれていたというわけか……あるいは……」
 おそらく今も監視されているのだろう。普通の人間ではなく、特殊能力者によって。
「いい趣味じゃないですね……」
 陣はそれに小さく笑い、それからメールを開いた。いまさら彼が、自分たちにこんな方法で罠を仕掛けるとは思ってない。
 ヴィジュアルメールが起動され、メールデータが読み込まれる。一瞬の間をおいて映し出されたのは、忘れもしない月宮一樹本人だった。若干印象が以前と違うのは、あるいは白衣ではなくスーツを着ているからだろうか。だとしても、その醸し出す雰囲気が、以前より遥かに邪悪――というよりは凶悪に見えるのは、気のせいではないような気がする。
「お久しぶり、というべきかな。沙耶君。そして確か……蓮条陣君だったね。コードA08と呼んだ方がいいかな?」
 まるで親しい友人に出したような語り口調だ。だが、雰囲気があまりにも邪悪に思える。
「君たちを見付けたのは、実はそう前じゃないんだ。私も色々と忙しかったのでね。一月ほど前からだ。随分仲良く暮らしているので邪魔するのも気が引けたしね」
 他の人物に言われたらちょっと照れてしまうところだが、この男に言われるとむしろ嫌悪感が増す。余計なことは言いからさっさと用件を話せ、とか思うと、それを受けたように月宮は言葉を続けた。
「多分今の君たちが一番知りたいのは沙羅君の安否だろうね。結論から言うと、彼女は無事だよ。今も私の元にいる」
 思わず二人とも安堵の表情を浮かべた。出来るだけ考えないようにしていたのだが、すでに殺されている可能性だって十分にあったのだ。
 もちろん、彼が真実を話している、という保証などどこにもないのだが、今の彼らにとっては信用するというより信用したかった。
「君達は当然沙羅君を取り戻したいだろう。で、私は沙耶君を……できれば陣君、君も手に入れたい。本当なら取引と行きたいのだが……私は沙羅君を手放すつもりはないし、君達も私の元に唯々諾々と来るつもりなどないだろう。これではさすがに、取引にはならない。だが、このままではお互いの利にならない」
 月宮はそこで言葉を切る。まるで、画面の向こうの人間が困惑の表情を浮かべているのを楽しんでいるかのように。
「さて。そこでゲームをしようじゃないか。ルールは簡単。君たちが沙羅君を取り戻すか、あるいは私達が君たちを捕まえるか」
 二人は思わず顔を見合わせた。
 これしか方法がない、と思っていた方法を、向こうから提示してきたのだ。
 それすら彼は見抜いていたかのように、にっこりと――知らぬ者が見たら、本当に優しそうに――微笑んだ。
「どうやら交渉成立かな。ああそうそう。私もそれほど暇でもないので、期限を九月いっぱい、と区切らせてもらう。あと一月半だな。これを過ぎたら、悪いが沙羅君は二度と目覚めないようになるだろう。殺しはしないが、生きてもいないという状態になる。場所は前と同じランドマークタワー。今日から九月いっぱいまで、そのどこかに沙羅君はいる。無論、期限内であるならばいつ来てくれても構わない。装備などを整える時間も必要だろう。これでもかなり好条件を提示したつもりだ。あとは君たち次第。まあ、がんばってくれたまえ」
 それでメールは終りだった。見返してみようと思ったが予想通りデータは残っていない。
「向こうからこういう形でアプローチが来るとは思わなかったな……」
 陣はじっとディスプレイをそのまま見つめていた。沙耶が横からディスプレイの電源を切る。
「でも、これで沙羅の情報は入ったじゃない。私は行くわよ」
「百パーセント罠だぞ」
「分かってるわ。それは」
 こうも自信たっぷりに誘ったのだ。彼が改心して沙羅を解放する気になったのでなければ、罠でないはずがない。もっとも、罠といってもあからさま過ぎるが。かといって、彼が改心したとはとても思えない。
「でも私達には他に手がかりもないもの。彼が言った通りだとしたら時間もない。もしあなたが行かないって……」
 そこで陣は沙耶の口に手を当てた。
「誰がそんなこと言ったよ。俺も行くさ。そのためにこの半年近くやってきたんだからな。ただ、準備は万全にしていくぞ。どうせいつでもいい、なんて言っていたところで奴等が油断しているときなんてありはしない。ならばこっちも、完全に準備を整えてから行く方がいいからな」
「ありがとう、陣さん」
 なぜか嬉しいのに涙が出てきた。けど、それは決して恥ではない。沙耶には今、それが分かっていた。

 それからの彼らはあわただしかった。一応銃器も用意する。はっきり言えば、銃器などに頼らずとも彼らは十分な攻撃力がある。ただ、銃で対応できる相手は、極力銃で対応することにした。特殊能力者だけを配置しているとも思えなかったからである。
 どうせ動きは筒抜けだろう、と開き直って二人は堂々と――もちろん普通の人の目にはつかないように――武器を集めた。期限を切ってきたということは、逆に言えばそれまでは手出ししてこないだろうというのもある。
 武器の手配は、全て壊に頼んだ。彼は傭兵の仕事を仲介する立場上、武器の売買の仲買もやってくれるのである。
 とりあえずその日は仕事に行った陣だが、翌日から仕事を全てキャンセルし、準備を開始した。
 決行は、半月後。九月一日。別に大して意味があるわけではないが、なんとなくキリのいい日にしよう、としたのだ。
 壊はとりあえず何も言わずに武器を集めてくれた。
 一方で、仲間を助けに出そうか、と言ってくれたが、これは二人とも遠慮した。確かに、普通の人間相手なら、壊の言う仲間達は有効だろう。だが、特殊能力者相手には無力だ。それは、戦闘技術とかそういうレベルの問題ではない。言うならば、両手足を失った人間が殴り合いで普通の人間に勝てないのと同じなのだ。
 八月二十五日に、二人は届いたという武器を受け取りに行った。そこには、ケースに収まった注文通りの武器が二式、置いてある。
 磁気誘導銃(レールガン)、閃光弾(フラッシュグレネード)を始めとした各種無力化手榴弾、対人誘導弾頭(マンブラスト)、それにセラミック製の針(ニードル)。
 二人はそれら一つ一つを確認し、動作を確かめた。
「止めても無駄か。だが命を粗末にはするな」
 壊は、やや寂しそうに呟く。陣は、レールガンを確認する手を止め、壊の方に向き直った。
「すまないなじいさん。だが俺達だって死ぬつもりはこれっぽっちもない。だが戦わなければこっちがやられる。だから行くのさ」
 壊は、少し離れたところで念入りにレールガンのチェックをしている沙耶を見て、ため息を吐く。
「お前は……ともかくなあ。あんな娘っこが戦場に立つ……か。いい娘なのになあ」
「ああ。だが、俺以上に、彼女の方が……」
「分かってる。だが、どうしても俺は、あんな娘っこが戦場に立つのは、やっぱりどっかおかしいとしか思えん……」
「戦う決意をした者に男も女もない。昔そう言っていなかったか?」
「彼女はまだ子供じゃないか。……いや、だからこそあんな子供にまで戦闘技術を教え込む奴等のやり方は許せるものでないのかも知れんな。まして……」
 そう言いながらマガジン弾倉の入ったケースを渡す。
「特殊能力者、か。だが、忘れるな。お前は俺の息子だ。あの子も、俺の娘みたいなもんだ。だから、必ず生きて帰って来い。いいな」
 陣は無言で弾倉の入ったケースを受け取ると、しばらく無言で作業をする。そのあと、思い出したように壊の方をチラッと見た。
「あんたからそんな台詞聞けるとはな……。必ず、生きて帰るよ。それだけは、絶対に」
 確たる保証など何もない約束。だが、そういうことで自分に、なんとしても生き残るんだ、と強く言い聞かせている気がする。
「死にたくは、ないさ……」
 そう呟くと、陣は荷物を全部まとめて立ち上がった。
「どちらにしても向こうから招待状があったんだ。このパーティーは欠席できない。ならばせっかくのお誘い、着飾って行くさ」
 そこまで言ったところで、陣は壊が自分を不思議そうに見ているのに気が付いた。
「なんだ?」
「いや、喋るようになったものだ、と思ってな。俺が拾った頃なんて、必要なければ一日口をきかないことだってあったというのに。沙耶ちゃんのおかげか?」
 壊は、同様に装備を確認し終えてこっちに歩いてくる沙耶を目で示した。
「そう……かもな。俺以上に辛い過去をもつ子ががんばっているんだから、という気になってると思う」
「どうしたの?」
 その沙耶の顔には過去の悲惨さは感じさせない。そして陣は知っている。沙耶は、戦いのときですらその相手のことを思いやるような優しい性格であることを。本音を言えば戦わせたくない。自分一人で何とかしてやりたいと思う。だが、沙耶は決して承知しないだろう。
「いや、なんでもない。それじゃあ、ありがとよ。世話になりっぱなしで、すまん」
 二人はこの後、家を引き払って隠れることにしている。監視者の能力がどのくらいかは分からないが、沙耶も遠視は出来る。少なくとも、一度監視者を倒し、潜伏すれば、そうそうは見つからないだろう、と踏んでいた。すでに、監視者の居場所はわかっている。
「ふん。礼を言うなら武器を返しに来るときに言え。あくまでそれは貸したんだからな」
 一応武器の代金は払いはしたのだが、実はそれは破格なのである。実際、これだけの装備を整えるのには、相当お金がかかるのだが、壊が格段に割り引いてくれたのだ。
「壊さん……」
「沙耶ちゃん。一つ約束してくれ。また、この店にきてくれる、と。いいな」
「……はい。必ず。今度は、沙羅と一緒に来ます」
 すると壊は、にっこりと笑った。まるで、孫にでも対するかのように。
「ああ、それは楽しみにしてる。だが、無茶はするなよ」
「壊さんこそ、お酒、程々にして下さいね」
 壊はその言葉を聞くと、こりゃあやられた、というように笑い出した。そしてそれから、意地悪そうな顔になる。
「沙耶ちゃんが帰ってこなかったら、自制きかんなあ」
「じゃあ絶対、帰ってきますから」
 沙耶はそういうと、壊に抱きついた。壊は少し驚いて、それから沙耶の頭を撫でる。
「いいな。無理はしちゃいかん。引き際を心得てこそ、生き延びることも、目的を達することも出来るんだ」
「はい。行って……来ます」
 沙耶はそういうと、陣とともに店を出た。その閉ざされた扉を見て、壊は無言で、酒の入ったグラスを掲げ、そして小さく、彼が信じる神への祈りを捧げていた。

******


 九月一日。まだ暖かい陽射しが降り注ぐ季節だが、この日はあいにく曇り空だった。
「さて。いつ来るかな、彼らは」
 今やクロリアの極東地域――クロリアがもっともシェアを持つ地域――の総支配人となった月宮一樹は、半月ほど前から、本来いるべきスパイラルタワーの極東総支配人室ではなく、ランドマークタワーの管制室にいた。無論、沙耶と陣を待っているからである。
 情報によると、彼らは五日ほど前に監視者を倒し――といっても気絶させただけらしい――行方をくらましている。その後の行方は、全くわからない。
 どうやら遠視能力を無効化することを覚えたらしく、行方を追うことができなくなっていたが、どうせ彼らがここに来るのは分かっていることだ。焦る必要などない。約束の期限まではあと一月。ぎりぎりまで待たされることも、あるいは楽しみが先に延びるだけだ、と思うと、彼は自分の中の何かがぞくぞくと震えるのを感じた。
 月宮は、すでにクロリアの全実権を握っているに等しかった。
 社長である黒崎はすでに彼の言いなりで、他のマネージャーなど歯牙にかける必要もない。こうなると、次の目標は、他の企業である。だが、月宮はこれに敗北することなどまるで考えていなかった。クロリア以上に、というより自分とその直属の部下以上に、特殊能力者の研究が進んでいるところなどありはしない。そもそも、他の企業はすでにこれらの研究を放棄してしまっている。仮にこの先、特殊能力者の力に気付いた他の企業が研究を始めるとしても、それはすでに手遅れであり、彼らはただ、月宮と彼の抱える特殊能力者の部隊に蹂躙されるのを待つだけである。そしていずれは、全てが月宮一樹という個人を頂点に戴くようになるのだ。ただ、そのために絶対に必要なのが、全能力者の中でも、最も特殊な存在である沙羅と沙耶――SR01とSC01の存在だったのだ。
「さて。囚われの姫君を助け出すナイトの出番は……今日はまだかな……」
 行方を晦ましてすでに五日。来るならそろそろではないか、と見ているのだが、これはこれでいつ来るのか、というのが分からないのはかなりもどかしい。
 時計を見ると長針と短針が綺麗に重なっている。正午だ。
 待っていても仕方がないからとりあえず食事でも、と月宮が考えた直後、それは来た。
 ドン、というものすごい音と共に、タワー全体が振動した。同じような音が続き、その都度激震がタワーを襲う。
「何事だ。報告しろ」
 さすがに何が起こったのか分からないのでは、対処の仕様がない。だが、オペレーターからは、この状況ではまともな返答は帰ってこなかった。
「分かりません。何かが、高空から降ってきています!」
 報告というより半ば悲鳴だ。月宮は状況が分からずとりあえず窓から外を見た。その目の前を、一瞬何かが通過する。その直後。
 地面の一部が陥没し、同時に爆音が響いた。タワー全体が振動し、ぎしぎしと悲鳴をあげる。
「な……一体何が」
「報告します。落下物は一定ではありません。重量が五トンから十トン程度のものが高度約三千メートルから投下されている模様です」
 その報告で月宮は即座に何者の仕業か理解した。こんな芸当をやれる者はそうはいない。
「やってくれる……。A,B班、直ちに上空へ向かいこの不届きなことをしている奴を地上に引き摺り下ろせ。生死は問わん」
 月宮の命令に応えて、二十人の少年少女がタワーから出てきて次々と宙に浮かびあがる。だがその中心に突然爆発が生じた。完全に不意をつかれた何人かが、その爆発にあおられて地上に落ちる。
「な、なんだと」
 月宮は慌てて地上を見て、驚愕した。そこには上空にいると思っていた沙耶がいたのである。しかももっているのは対人誘導弾頭だ。
「悪いけど手加減している余裕はないの」
 そのまま二射目を発射する。しかし今度は全員が防御していた。だがそこに何度目から天空からの落下物が地上に炸裂する。すさまじい音と共に砕けた地面は粉塵を巻き上げ、、周囲の視界はその影響でほとんど利かなくしてしまう。
「まずSC01を捕らえろ。上空はあとだ!」
 その命令を受けて対人誘導弾頭のダメージを回避した者達が沙耶に殺到する。
「とても相手にはできないわね、この数は」
 一人一人なら負ける気はしないが、この数ではさすがに勝負にならない。
 沙耶は手元で手榴弾のようなものを炸裂させた。直後、閃光が溢れる。モニターで見ていた月宮ですら一瞬視界を奪われた。
 そしてその視界が回復したとき、すでに沙耶はそこにはいなかった。特殊能力者たちは完全に光の影響を受けたため、まだ視力が回復していない。
「おのれ……。随分周到に準備をしていたのだな。だがその程度でどうにかなると思うな」
 実はこの段階で、月宮にはかなりの誤算があったのだ。まさかこうも効率よく、ダメージを与えてくる手段を、彼らが取れるとは思っていなかった。
 いくら特殊能力者とはいえ、沙耶も陣も戦闘自体に関しては――前の組織で戦技訓練は受けていたにしても――素人だと思っていたのだ。だが、沙耶はともかく、陣は組織に属するまでに、壊に一通りの傭兵技術や戦術も教え込まれているのである。
 ゆえに彼は、敵を倒すに最も効率的な方法を選んだのだ。
 敵を一点に集め、そして行動を制限し、そこに最も強力な攻撃を叩き込むことによって敵を殲滅する、という手段を――。
 直後。再び上空から物体が落下してきた。しかも、今度は複数である。爆音と、舞い上がる土砂。外に出ていた能力者達は完全に混乱状態になってしまっていた。彼らに登録された想定状況には、これほど無茶苦茶なものはないのである。
 タワー外部の視界は完全に爆煙に覆われていて、すでに何も見えない。どうしたことか、電磁的にも乱れまくっていて、レーダーもまるで使い物にならなかった。そしてそこに、タワー内部をモニターしていたオペレーターが、こちらもやや悲鳴混じりの報告をする。
「SC01、タワー内部に侵入した模様。またA08も共にいるようです」
「ばかな。やつらは一体どこにいたんだ!?」
 言ってから月宮はA08――陣がどこにいたか、一体彼らが何をやったのかに気が付いた。彼は寸前まで高度三千メートルにいたのだ。そして、最後の爆撃――といっていいだろう――と共に下りてきたのだろう。そして混乱に乗じて沙耶と合流、突入したというわけだ。
「まさかこうも見事に正面から突破されるとは思わなかったな」
 月宮は二人の映っているモニターを見た。だがすぐに映らなくなる。おそらく破壊されたのだろう。
 正面ゲートにはフル装備させた警備兵を一個中隊は待機させておいたのだが、どうやら彼らの相手にはならなかったようだ。足止めくらいの効果は期待したのだが、それも果たせなかったらしい。
「C、D、E、F班は全員侵入者を捕縛、または行動能力を奪え。A、B班の状況はどうか」
「ぜ、全員やられています。いえ、生きてはいるのですが……」
「な、なんだと……?」
 月宮は少なからず戦慄した。いくら混乱し、状況判断能力を失っている状態とはいえ、二十人もの特殊能力者を一瞬で倒したというのか。
 彼はここに来て、相手は、少なくとも侮ることの出来る相手ではない、と認識した。
「……S班を待機させろ。全員だ」
 その言葉を聞いたとき、オペレーター全員に緊張が走った。
「S班……し、しかし彼らはまだ最終調整が終了しておりません。ともすればタワーの崩壊も招きかね……」
 オペレーターはそこで口をつぐんだ。月宮がすさまじい形相で、彼を睨んでいたのである。
「た、直ちに待機させます」
 大慌てで命令を伝達するオペレーターの後ろで、月宮は一人ほくそえんでいた。




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