10月21日 10月23日

10月22日 リオ到着 フラメンゴ海岸公園、ニテロイ



 アトランタから……何時間だろ?
 まあ12時間くらいはかかってるんですけど、とにかくGPS表示によるとリオ間近!!ということで早速窓から外を……おお~リオだ~。というわけで20年ぶりのリオの写真を飛行機からパシャリ。
多分リオ北部だとは思うんですが。目立つランドマークが見当たらないので良く分からない……。しかしこの写真でリオが港町だと思う人はいないですよねぇ(笑)
 さて、程なく無事着陸。
ご苦労様、ということで再び飛行機をパシャリ。しかしすでに太陽の明るさが違いますなぁ。まあ時間も違うけど……
 ちなみに時間は22日の朝7時過ぎ。ほぼ定刻どおりに着いてくれました。時間だけ見るなら、およそ18時間で着いた計算になりますね。日付変更線の妙です(笑)
 無事入国審査を終えて、晴れてブラジルへ入国!! 実に20年ぶりのリオ、ガレオン国際空港です。
 荷物が出てくるのにずいぶん時間がかかって、本当に無事乗せ換えられているんだろうか……などと不安にも感じましたが、それも大丈夫で、到着ゲートをくぐると、父が待ってました。一週間ぶり(笑)<結婚式で帰国してたから
 で、父の車でガレオンから一気に父の自宅へ。私にとってはものすごい懐かしい光景が続きました。
 ここでポルトガル語(ポル語)豆知識というか。
 リオデジャネイロのことは、アルファベットで記述すると"Rio de Janeiro"となります。ちなみにこれは『一月の河』という意味で、かつてこの地を発見した人が、ガナバラ湾の口のあまりの狭さに(東京湾の半分以上の広さの湾なのに、その入り口は2kmもない→ガナバラ湾の地図(google))、ここが河口であると勘違いしたがゆえに名づけられたわけですが……。
 この記述、もちろん英語圏での発音は『リオデジャネイロ』になります。無論日本でも『リオ』と呼ばれています……が。実はこれ、ポル語だと『オデジャネイロ』になるんです。っていうか、ポル語だと『R』の発音はラ行じゃなくてハ行になるんですよ。有名どころだと、たとえばブラジル料理として知られている『シュラスコ』はこちらでは『シュハスコ』、もっと有名どころでサッカー選手の『ロナウド』『ロナウジーニョ』は『ホナウド』『ホナウジーニョ』になります。
 というわけで、リオのことは『ヒオ』と言うのですね。……カタカナで記述すると妙ですね(笑)。当然私と父はずっと『ヒオ』と言い続け……このせいで相方はしばらく戸惑ったそうです。ごめんなさい(汗)
 他にもポル語の特殊発音はいくつかあります。たとえば、語中のsはザ行発音になります。分かりやすい例は『Brasil』ですね。他国語の表記では『ブラジル』と発音させるために必ず『Brazil』となってるでしょうが、ポル語だと『Brasil』でブラジル、と読めます。ちなみに、ブラジルの古い切手だと、表記は『Brazil』なんですよ。これはちょっと不思議。多分海外に郵便を出す時、分からないからじゃないかと思いますが。ブラジルという国名の知名度が低かったとか。
 逆に、単語の頭のHはア行発音です。ポル語でもホテルは『Hotel』と書くのですが、この発音は『オテゥ』となります。
 それと、ca,co,cuはそれぞれ『カ』『コ』『ク』ですが、ce,ciは『セ』『スィ』となります。cidade(都市)などがあります。
 また、単語の末尾がeだった場合、発音は『エ段』ではなく『イ段』になります。tomate(トマト)が『トマチ』とかleite(牛乳)が『レイチ』といった具合です。これは一部固有名詞にも適用され、Catete宮殿は『パラッセオ・ド・カテチ』となります。
 他に特殊文字として、aの上に~が乗った文字があります。ほぼao同時表記で使われるのですが、これで『アン』という読み方に。たとえば日本のポル語は『Japão』で、発音は『ジャパオン』です。これは他にもあった気がしますが、使うのはほとんどこれだけだった気がします。また、子音の上に^やダッシュのような記号が乗ることもあり、これによって発音は大幅に変わります。
 あともう一つ、特殊な文字があって、cの下に~を縦にしたような尻尾がつく文字があります。『ç』こういう字です。当然標準のシフトJISなどにはない文字ですので……実はこのページはUTF-8で記述されています。ちなみにサ・ソ・スだけあります。これとce,ciでサ行の音を表現するわけですね(sがザ行ですから。ただし、ssと続くとサ行発音になります)。有名どころではポンジアスーカルと呼ばれるあの山。ポルトガル語で表記すると『Pão de açucar』で、一つ目のcの下に~がつくんです。見ての通り、最初の『Pao』のaも~が乗ってるので、正確な発音は『パン・ジ・アスーカ』となります。あとはイグアスも『Iguaçu』です。
 ついでにこれはほとんど経験則ですが、ポル語で良く単語と単語の接続に使われる『de』ですが、通常の発音は『デ』です。ただ、次に来る言葉が子音で始まる場合『ジ』となるみたいです。これは英語の『The』と一緒ですね。
 閑話休題。
 ともかく父のマンション(こっちではアパートといいますが実質は一緒)に到着……玄関抜けたらいきなり海が。
いや、分かってはいたんですよ。海沿いだし。凄い高い(15階以上です)し。とはいえ……この光景を毎日家から見れるってのは相当贅沢といえるんじゃないでしょうか
 まあ父のアパートについては今日の最後にまとめて紹介します。
 とりあえず、荷物を置いて一休み……と行きたいのですが、なんせ時差が十二時間です。つまりきれいに昼夜逆転してるわけです。もしこれが長期滞在なら、ちょっとのんびり時差をあわせるというのもありですが、そんなことをしてたら時間がもったいないです。
 というわけで、無理矢理時間合わせ開始。
 まずはシャワーを浴びて人心地。それから朝、ということで朝食。
 いきなり果物の山です。メロン、パパイア、マンゴ、パイナップルなど。日本ではどれも高価ですが、こちらでは一番高いパイナップルでも、1つR$6くらいです(R$=REAL、こちらの通貨で、1REALはこの時は約50円です)。その他に至っては、kgあたりでR$2とかそういう値段です。なのでこちらの人は良く果物を食べます。というわけで私たちも今後、ほぼ毎朝まず果物を食べて、それからパン、という朝食でした。多分リオにいた間に食べた果物の量、普通日本で食べる一年分に匹敵した気がする……。
 ちなみにブラジルの一般的な朝食はもちろんパンですが、アメリカほど凝ってません。果物がある以外は、実はあとはパンとハム、チーズ、最後にコーヒーというスタイルです。無論所得によって大きく変わるのは当然ですが、たとえば卵たついたりということはほとんどないそうです。
 まあそんなこんなで食事が終わって、とりあえずまずは散歩です。
 父の家はフラメンゴ海岸通り(Praia do Flamengo)の端っこ(ボタフォゴ側)にあります。リオのことを少し知ってる方にはすぐ分かると思うんですが、歩いてフラメンゴ海岸公園に出れます。なので、いきなりリオならではの景色を満喫できるわけです。
 ちなみに日本ではリオというとコパカバーナ、イパネマ海岸が有名ですが、私は個人的にはそっちよりフラメンゴ、ボタフォゴ海岸の方がいいと思ってます。なんせこっちはポンジアスーカルが見える。
 というわけで父も良く使うというお散歩コースをごー。
家から歩いて20分ほど。ボタフォゴ海岸とコルコバードの丘です。この角度の写真は日本ではあまり見ませんが、リオ市内で地上から海と一緒にコルコバードが見れる数少ないアングルです。
家から歩いて20分ほど。フラメンゴとボタフォゴの間の道です。見えるのは有名なポンジアスーカル。まあこの名前を知らない方はちょっと多いかもしれませんが(コルコバードの方が有名ですから)、この姿を知らない方はいないと思います。ちなみにこの山がガナバラ湾の入り口の西側になります。こんな奇岩がででん、といきなりあるわけですよ。
家から歩いて10分ほど。これはフラメンゴ側からのポンジアスーカル。ちなみにリオの海岸通りは、本当にものすごく広く道が取られてて、特にこのフラメンゴ~ボタフォゴ海岸沿いは4車線の道が2本、3車線の道が2本、一車線の道が2本あります。それも道の間はかなり広く、木々も植えられてます。さらにそれに加えて自転車用、歩行用の道が一番海に近いところにあります。この都市の設計思想というか『海の魅せ方』は素晴らしいです。
 ちなみにリオの季節は日本と逆ですから、現在春。なのですが、暑いと思ったら全然で、むしろ涼しいくらいでした。というかこの日は特に海岸沿いは風が強かったです。
 凄く過ごしやすい天気でした。

 さて、とりあえず食後の腹ごなしも終わってお昼ご飯……。とりあえず出てくる出てくる……。
 っと、その前に説明せねば。
 この国に仕事で来る日本人は、大抵高所得者に分類されます。父の場合、ちょっと特殊ですがやはり同様です。で、この国ではそういう人はメイドを雇うのが一般的で、父も当然雇ってます。マルレーニ、という父とほぼ同年代(一つ上)のおばさんがその方で、とっても優しそうな人でした。ちなみにかつて父がブラジルにいた時もこの方だったそうです。
 で、食事も当然この方が作ってくれるわけです。ちなみにもちろん会話はポルトガル語……というわけで私もほとんど忘れてるので、父が主に通訳(笑)。ちょ~~~~~~~~~~~~っとなら分かるんですが。
 食事が終わったら、今度は車でお出かけ。とにかく今日は寝ないで頑張って、無理矢理時間感覚を合わせようという算段なんです。
 で、普通ならコルコバードの丘、とか行くところですが……なんか天気が曇りがちになってきたので、ニテロイに行くことに。
 ニテロイ、というのはガナバラ湾の東側、つまりリオの対岸にある果物の産地の街で、『微笑みの街』などとも呼ばれるそうです(これは後で知った)。私の記憶では、むしろでっかい海産物の卸売市場がある街なんですが(ぉ
 それはともかく、このニテロイに行くには2つの方法があります。1つが船で渡る。これは普通の船と高速水中翼船があります。が、当然車はダメ。で、もう一つがニテロイ大橋という橋を渡る方法。これは車だけです。歩きで渡る人もいるらしいですが。
 ちなみにリオの交通事情ですが、圧倒的なまでに車社会です。少なくとも、この街で『生活』するなら車なしには生活できません。ただし、慣れてないとまともに走ることは不可能です。リオの道は、そのほとんどが一方通行です。幹線道路は大体両方向整備されていますが、それでも慣れてないとまず迷います。その他の道もほぼ碁盤目状にあるのですが、一方通行だらけなので一筆書きのような難しさがあるんです。
 電車は、というと、地下鉄が存在し、これはかなり便利です。少なくとも、フラメンゴ地区あたりからセントロに行くのはかなり便利。後はバス。こちらもかなり整備されてます。まあごく稀にあるバスジャックに巻き込まれないことは祈るしかないですが。でも父の話では最近は滅多にないそうな。
 で、地上電車は、というとこれはほとんどありません。というのも治安が……。ちなみに私はかつてブラジルに4年弱住んでましたが、ブラジルで地下鉄以外の電車に乗った記憶はありません。ブラジルは、都市と都市の間については、鉄道網に関しては絶望的なまでに整備されていないんです。輸送の要は水路と自動車です。だから沿岸地域が栄えたわけですけど。日本に住んでいると信じられない気分ですけどね……。
 あとこちらの車の運転は荒いです。ありえない割り込みとか平気でやります。バスでさえも(爆)。というか何より怖いのがバスです。運転が凄く上手いのは嫌というほど分かるんですが、あのでかい車体で、わずかな隙間に平気で割り込んできます。はっきり言って怖いです。渋滞の時の車線争いはもはやバトルです(爆)。かつてはあまり気にしませんでしたが、免許を持ってる今では、なんつー怖い街だ、と思いました。多分ですが、ここに比べたら日本で交通マナーが悪いといわれる大阪や名古屋でさえ、模範地区に早変わりじゃないかと……(爆)
 ちなみに交通ルールの悪さは歩行者も同じです。信号があろうがなかろうが、赤だろうが渡れると思ったら渡ってきます。たとえ高速道路であろうとも、です(大マジ)。また、轢いてしまったとしても日本みたいに歩行者有利なんてことはないそうです。むしろ歩行者の信号無視とかであった場合『轢かれたほうが悪い』くらいの勢いだそうで……。
 まあそんなわけで、ニテロイ大橋を渡ってニテロイ側へ。
ちなみにこのニテロイ大橋、南米では最大の橋で、長さは14km、海上部分だけでも10kmもあるというとんでもない橋です。これが湾を横切る形で存在するのだから、湾の奥に大型船は入れない……なんてことはなく。橋の一番高いところは、なんと海上から80mもあるそうです。つまり、25階建てのビル以上に相当するわけで。ちなみに現在世界最大の豪華客船である『ボイジャー・オブ・シーズ』でも全高はわずかに48m。帆船の日本丸も46mですから、余裕で下をくぐれます。
 というわけでこの橋を渡って一路ニテロイへ。ちなみに晴れているとニテロイの橋上から見るリオの景色も中々なんですが……曇ってたのでイマイチでした。残念。
 さて、ニテロイに来たわけですが、あいにく天候は曇りがち。まあそれでも対岸から見るリオはそれなりだったのですが、ちょっと面白い場所に行きました。それは、ポンジアスーカルの対岸、つまりガナバラ湾の入り口の東側の先端。ここには何があるかというと……要塞があります。しかもなんと今も軍事エリアに指定されている場所が。
 要塞の名はサンタクルス。
 1555年に作られ、以後幾度となく外国船を退けてきたそうです。っていうか本当にこのガナバラ湾は攻めにくく守りやすい地形でして。
 リオの地形図見ていただくと早いのですが、この街は神戸や横浜など比較にならないほど、海岸近くまで山(というより奇岩)が迫ってます。有名なコパカバーナ海岸も、実はリオ中心地区との間にはでっかい奇岩が横たわってます(今は切通しで道がありますが)。しかも恐ろしく起伏に富んでます。熱海のような地形ともまた違うんです。というかこんな場所日本には多分ありません。
 で、比較的平坦で街を作るに適しているのが、湾に面したエリアです。当然、港を作るには最適の場所であり(なんせ津波なんて全く関係ない)ここに街が栄えたのは、もはや当然というべきでしょう。
 で、そのガナバラ湾の入り口は、かつて河口と勘違いされたほどに狭い、しかも切り立った奇岩ではさまれた、2kmもない細い水道しかないんです。その両端に大砲を備えた要塞があるわけで……。ちなみにリオ側の要塞は今も現役の要塞(といっても要塞としての機能はもうなく、軍事施設というだけですが)で一般人は入れないんですが、ニテロイ側は多少ゆるくなってて、案内人がついていれば入ることが出来ます。というわけでせっかくなので入ってみました。
要塞の入り口。機関銃を持った兵士が見えますね。もちろん機関銃は本物です。ちなみにここにいる兵士の総数はちょっと分かりませんでしたが、多分50人程度はいるんじゃないかと思います。
要塞の突端部。左に見えるのはポンジアスーカル、右に見えるひときわ高い山がコルコバードの丘です(拡大画像なら山頂にかすかにキリスト像が見えます)。大砲も見えますね。ちなみに大砲は古いのから新しいのまでたくさんありました。ある意味、この要塞の歴史とも……。
要塞の歴史。ポルトガル語が分かるなら訳してみても面白いと思います。結構戦闘してたみたいですし、ここに残らない海賊の襲撃なんてそれこそたくさんあったでしょうねぇ。
要塞の牢獄。監獄として使われていた時期もあるそうで、こんなのが5~6ほど並んでました。写真では大きさは分かりにくいかもですが、幅は2mほど、奥行きは10mくらいでしょうか。ちなみにこの中になんと15~20人も詰め込んだそうです。で、さらにこの正面に処刑場があるんです。つまり、彼らはこれから処刑される人を見させられる……
さらにえげつないのがこれ。その処刑場(絞首刑)のすぐ下にあるんですが、なんとこれ、死体を海に流す場所らしいです。つまり罪人の目の前で処刑され、そのまま見てる前で海に捨てられる……ちょっと怖いですね。
 これ以外にもいい景色もあったんですが、曇りがちだったのでここでは紹介しません。もっと素敵な写真があるので、別のところで紹介します。
 要塞を見終わった後、ニテロイの父お勧めの店でちょっと飲み物を飲んだところで雨が降ってきたので、リオに戻りました。帰宅したら夕食が待ってました。
 で、夕食はそれはもう美味しかったのですが……りょ、量が……。
 ちなみにブラジル人は本当に良く食べます。というかまあ……ぶっちゃけ太った方が多いです。まあそれも……これだけ食えば当然だよなぁ、と。まあそういう夕食が出てきました。頑張ったんですが……。ちなみにマルレーニは私らが残したので『美味しくなかったの?』と心配されてましたが、必死に説明しておきました。通訳お願いしつつ(笑)
 ……ただ。
 最後に、デザートが出てくるんです。ブラジルの場合。
 んで。これが、クレーミデレイチ(Creme de Leite)、直訳すると牛乳クリームなんですが、まあ要するにブラジルのお菓子を作るための専用クリーム(甘い)があって、これを使ったプリンを出してくれたんです。ちなみにこれ、私が前にブラジルにいた時のメイドさんも良く作ってくれて、ちょっと甘いのですが私も結構好きで……ぱくり、と一口。
 ………………………………甘い。っていうか甘すぎる。
 相方は完全に閉口してました。というか、私もこれはいくらなんでも甘すぎでは、と確認してもらったけど、レシピは間違ってない、むしろ砂糖を減らした、とのこと。とはいえとても食べられたものではなく、やむなく辞退……。
 ですが。これは後日談がありまして。
 実はこのプリン、本来はクレーミデレイチの甘みだけで作るお菓子。つまり砂糖は入れないはずなんです。なんですがそこに砂糖なんて入れたものだから……甘くなるのは当然。つまりマルレーニが間違えたんですね。これは後日発覚し、私も相方も安堵しました。いくらなんでもあれは甘すぎだった……。とりあえずあれなら砂糖なめた方がマシでした(爆)
 まあそんなこんなで、ブラジル一日目は終了。シャワー浴びて、21時にはもう夢の中でした。
 で、最後に父のアパートを紹介します。
ベランダから見える光景その1。これはフラメンゴ公園の南側に向かって撮ったもの。道が広くて、木々が多いでしょう。まあここは特に道と道の間も広い場所ですけど。ちなみにリオ(の南側)の道はそのほとんどに街路樹があって、とても綺麗です。観光都市の顔ですからね~
ちなみにこの中央やや右に小さく見えるのが、ニテロイのサンタクスル要塞。手前に見える島のようなのがその対岸。というわけでガナバラ湾の入り口の狭さが感じられると思います。
ベランダから見える光景その2。これはフラメンゴ海岸です。大きな道路は高速道路。ちなみに無料。その向こう側は全部公園です。テニスコートとかもあります。この日は涼しくてあまり海岸に人は出ていませんでしたが、暑いと日光浴に来る人がたくさんいます。ここは湾内なので波も静かですしね。海岸の先に突き出している施設は空港です。サントス・ドゥモン空港といって、リオとサンパウロを結ぶシャトル便専用空港とも。多い時は3分おきに離着陸してます。
ベランダから見下ろした写真。三車線の道路の向こう側に、さらに四車線の高速道路があります。ちなみに翌日から行く朝の犬の散歩では、この道路は信号もなしにほいほい渡ってました。こっちに長くいると交通ルール守らなくなりそうです(マテ)
三つ上の写真の夜。高い照明灯は本当に明るくて、まるで光には困りません……が。これに油断してほいほい出歩くのは危険。この治安の悪さがリオ最大のネックなんですよねぇ。
三つ上の写真の夜。やはりとても明るいでしょう。ちなみに暑いとやっぱり海岸には多くの人が夜でも出ています。新宿じゃありませんが、不夜街リオは伊達ではありません。夜でも車の通りもほとんど減ることなく。騒音というほどじゃないんですけどね。
アパートの外観。リオにお住まいなら、これで父の家の場所は大体絞れそうですね(笑)。ちなみに築30年以上は経っている、結構古いアパートです。ブラジルは地震がないので、家が崩れるなんてことは火事でも起きない限り滅多にないんですよ。このアパートだってほとんどレンガ積みみたいな工法で建てられているはず(笑)
アパートの食堂。手前が居間です。食事は家でする場合ほとんどここでしてました。
こちらが居間です。外の光が強すぎて薄暗く見えますが、実際にはそんなことは全くなく。ホントは朝食はベランダで、と洒落たいところなんですが、朝は日差しが強くて曇ってるとかじゃないとベランダで食事はかなり困難でした(笑)

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